第1章 3
もしも、この命が普通の人間と同じように生まれていたならば、私の系譜は何処に繋がっているのか。カタリナが私にサーシャと名付けた理由が、もしあの英雄16号にあるとするならば……。
様々な答えの中で、もっとも確実な答えが私の心を揺さぶっている。彼女は、私の実の母親なのだろうか。
- 迷い路 -
「10日後、ですか……」
今日も街の喧噪は変わりがない。朝早くから忙しなく行き来する人の波を部屋から見つめながら、私はそう呟いた。10日といえば、18王宮の祭りの日だ。
部屋を出ると、昨日フレイさんが座っていたソファには誰の姿もなかった。テーブルに置かれた本だけが、その存在を主張している。本を手に取ったとき、丁度クリフさんの部屋の扉が開いた。
「あ、おはようございます」
クリフさんは私を見ると、そう言って微笑んだ。外に出ようとしていたのか、腰に帯剣している。
「外出ですか?」
「はい。アンジェさんのところでお昼を食べようかなと思って……サーシャさんもどうですか?」
私は少し考え、そして頷いた。今日は特に予定もない。食事のついでにダウンタウンを回って、手がかりを探るのも悪くはないだろう。
「そうですね。ご一緒しましょう」
部屋に鍵をかけ、宿を出ると、先ほどまで聞こえていた喧噪が更に大きくなってくる。どうやら祭りにあやかって周辺の国の人間が集まってきているらしい。宿を出るとき、団体客とすれ違った。
人波に添って歩き出すと、クリフさんが辺りを見回しながら言う。
「人が多いですね……」
少々不安そうな声色は、やはり先日の一件のためだろう。確かに、反帝国の組織が反乱を企てているこの時期に、旅人や他国の人間の出入りが多くなるのはあまり良いことではない。領地を囲むゲートでは厳重な警備が敷かれているはずだが、それでも不安があるのは確かだ。
私は反対側から歩いてくる人を避けながら言う。
「警戒はした方がいいでしょう。こんなところで、流れ弾に当たって犬死には避けたいですから」
「そ、そうですね……」
ダウンタウンに入ると、道が複雑になり、やがて人混みも緩和されていく。アンジェさんの店へと足を向けると、道ばたに見覚えのある人物が立っていた。私はふと足を止め、クリフさんも私の様子に気づいて立ち止まる。
あ、と声をあげたのはクリフさんだった。
「ロバートさんだ」
彼はアンジェさんの店の前で足を止めていた。何かを探すように店内を眺めると、軽く息をついて歩き出す。声をかけようとするクリフさんを、私は右手で制した。
ロバートさんの姿はやがて道の向こうへと去って行った。クリフさんが瞬きをして首を傾げている。私は髪をかきあげると、アンジェさんの店へと足を向けた。
店内には、忙しなく注文を取って回るアンジェさんの姿がある。おそらく窓の外には気づいていなかっただろう。扉のベルが鳴ると、アンジェさんはこちらに向かって微笑んでみせた。
「あら、いらっしゃい」
私は彼女に微笑み返すと、クリフさんを促してテーブル席に座った。
☆
「リハーサル?」
昼食を取りながら、僕はフォークを持つ手を止めた。アンジェさんは苦笑を浮かべて頷く。
「そう。祭りの前に、一度舞台を見ておかなきゃいけないの。18王宮に行かなきゃいけないんだけど……王宮どころか、上層階にも入った事ないから、何を着ていけばいいのか分からなくって」
アンジェさんはラフな格好で、僕らのテーブル席に着いていた。どうやら今日の仕事はそのリハーサルのために午前中で切り上げて、昼食をとってから王宮に行く予定らしい。
僕は笑って頷いた。
「確かに王宮って聞くとそうですよね。あ、でもサー……じゃなくて、アナーシャさんもそんなに着飾って行ったわけじゃないし、大丈夫だと思いますよ」
「そう?」
アンジェさんは赤い髪を一つに結って食事をしていた。こうして隣で見てると、やっぱりアンジェさんも綺麗な人だなあ。英雄の方のサーシャさんも存在感があるし、2人の母親はかなりの美人だったんだなと思う。
反対側の席に座ったサーシャさん……もとい、アナーシャさんは、僕らの話を聞きながら食事を続けていた。
「でも、王女様もいるって言うし……やっぱり着替えてこようかしら」
「王女様?」
僕は首を傾げた。18王宮なんていうんだから、きっと上層階には王女様や王子様がいっぱいいるんだろう。水の入ったグラスを手に取ると、アナーシャさんがチラ、と僕を見た。
「ええ。カタリナ様っていう方なんだけど」
水を口に含みかけていた僕は、辛うじて吹き出すのを堪えた。軽く咳き込むと、アンジェさんが不思議そうにこちらを見ている。だ、大丈夫です、と苦笑して、僕は反対側に座ったアナーシャさんの涼しそうな顔を見る。
この間言ってた、王宮に行けば分かるっていうのは、こうゆうことだったんだ。僕は呼吸を整えると、胸の支えを晴らすように、水を飲み干した。
アナーシャさんは僕が落ち着いたのを見て、静かに口を開く。
「……私も会いましたが、そのままの服装で構わないと思いますよ」
「あ、会ったんですか?」
僕は驚いてつい、勢いでそう問いかけた。アナーシャさんは視線で僕を威圧すると、食事の手を止めて口元を拭う。いつの間にかアンジェさんの皿とアナーシャさんの皿は綺麗に空になっていた。
「……ええ」
「あら、それじゃあアナーシャさんに一緒に行ってもらおうかしら」
なんてね、とアンジェさんは笑って僕のグラスに水を注いでくれた。アナーシャさんは食事を終えた皿を重ねると、珈琲を飲み干す。
「いいですよ」
思わぬ言葉に、冗談混じりに言ったアンジェさんが目を丸くした。僕もちょっと驚いてアナーシャさんを見る。もしかしたら情報収集のためかもしれないけど、アナーシャさんがこうゆう誘いに乗るのは珍しい。
では行きますか、と立ち上がるアナーシャさんに、慌ててアンジェさんが続いた。僕も置いて行かれないように食事を口の中に詰め込むと、アナーシャさんに肩を叩かれる。
「クリフさんはゆっくり食事をして下さい。……では、また後で」
ちょっと呆気にとられて、僕は2人の姿が扉の向こうに消えるのを見送った。
そういえば、アナーシャさんが同世代の女の人と行動するのは珍しい。いつも僕やフレイさんと一緒にいるからかもしれないけど。
アナーシャさんは、ちょっと他の女の人とは違って浮いているところがある。あの容姿とか、不老不死のことととか、今までの生活とか。そうゆう様々な要素が彼女を普通の女性としての生活から引き離しているんだと思う。平和なアナーシャさんは想像できないけど、たまにはこうゆうのも良いかもしれない。
一息ついて水を飲むと、僕の視界の端に白い紙が入ってきた。僕はふとそれを手に取って、言葉を失う。アナーシャさん……で、伝票わざと押し付けたんですね……。
僕はがっくりと項垂れながらも、アナーシャさんがいつものアナーシャさんだということにちょっと安心していた。
☆
王立図書館の門をくぐると、また例によって警備員の爺さんに禁煙だと止められた。苦々しく灰皿に煙草を押しつけ、俺は皺の集合体のような爺さんに後ろ手で手を振った。
あの本を見つけた場所でもう一度調べものをしようと足を向けたとき、ふとその棟より先に見覚えのあるヤツの姿を見つけた。あの軍服の男は……ロバートとか言ったか。男はこちらに気づくと、切れ長の瞳でため息をついてみせた。
「よお。……英雄サマの側近は、今日は休みか?」
俺がそう言うと、ロバートは五月蝿いものを見るような目でこちらを見る。
「お前は、確かフレイと言ったか。……休日をどう過ごそうと関係ないだろう」
「軍服着たまま休日とは、お偉いさんの駒ってのは大変だな」
皮肉を込めて俺は笑ってみせた。どうせこの間のガルグイユとかいう奴らがいつまた現れるか分からないから、常に警戒しているんだろう。全くもって、国とかそうゆうもんに仕えている奴らってのは、自由がねぇな。
ロバートは俺を睨みつける。
「そうゆうお前こそ、何故こんな所にいる。よからぬことを企てているわけじゃないだろうな」
俺は肩を竦めてみせた。確かに、あの化け物女だけでもかなり神経を逆撫でしているうえに、俺みたいな放浪魔術師を見れば、疑いたくもなるわな。そのうえ、くっついてる剣士は片腕なしだ。元の時代でも人目を引くんだから、この時代でもそんな目で見られても仕方ない。
「ちょっとした調べものだ。……別に、悪い事をしようとしてるわけじゃねぇよ」
「……どうだか」
ロバートはそう言うと、視線を目の前の棟に向けた。ここは……確か、法律の棟だったか。わりとこじんまりとした建物の中には、比較的真新しい本が並んでいる。
俺は建物を見上げて口笛を吹いた。
「軍人には畑違いな場所じゃねぇか」
「……私なりに調べることがあるだけだ」
コイツも調べもの、ね。俺を置いて中に入っていくロバートに、俺は少々興味を持ってその後を追う。ついてくるなと言われたが、俺もこっちに用があると適当にそう言うと、それ以降何も言わなくなった。
法律の本は真新しいものが殆どで、どれも馬鹿みてぇに分厚かった。適当に手に取って中身を見ても、長ったらしい文章が並んでいる。形だけ堅苦しく書かれた規律の塊を見ていると、頭が痛くなってきそうだった。
ロバートは窓際の本棚で足を止めていた。自分の顔の高さの段から本を手に取っては、何かを確認して本を戻している。
俺は反対側の棚の本を眺めながら、ロバートに問いかけた。
「……そういや、アタランテで昔、禁断の魔学術とかいう研究があったらしいんだが、お前知ってるか?」
「私に聞くな。魔術関連の棟で調べろ」
何処かの誰かを連想させるような明解な答えが返ってきた。俺は頭をかきながら、手に取った本を棚に戻す。会話はそこで中断されるかと思ったが、ロバートは口を開いた。
「……もっとも、中止を余儀なくされた研究については、文献も残っていないだろうが」
「中止されたことは知ってんだな」
「当時話題になったからな。時空を司る精霊を機械によって操るとか……子供達の間で流行っていた」
時空を司る精霊か。蛉人とは違う、別種の精霊だろう。少なくとも俺は聞いた事がない。蛉人は精霊の中でも高い位にいる種族。俺が使役する蛉人ヴァルナに聞けば分かるんだろうが、この時代に飛んでしまってから、アイツとの繋がりも全く感じられない。
ため息をつきながら俺は言った。
「ガキの間で流行るって……本は読んだが、かなり難しい話だったぞ」
「私も見ただけだが、子供達の間では遊戯として伝わっていた。暗号遊びのようなものだったが」
暗号。ふと俺は顔をあげた。声がうわずるのを抑えて、平静を装って問いかける。
「……その暗号ってのは?」
ロバートは分厚い本を片手にページをめくりながら呟く。
「詳しくは知らない。謎掛けのようなものもあった。……『機械に支配された精霊の力は、始まりと終わりの狭間に宿る』と」