第4章 3
かつて私の才能を見いだしたのはあの人の慧眼だった。彼は強かった。心の中に折れない一つの芯を持っていたのだと思う。だからこそ、下層民の私に手を差し伸べることが出来た。
私は、彼の背中を追っていただけだった。いつか、あの人のように国を、そして民を愛する騎士となるために……。
- 花籠 -
「悪かったな、アナスタシア。カタリナ様を任せてしまって……」
送っていこう、と言ってサーシャ・ルエンは私を連れて王宮を出た。カタリナとはあの客間で別れたが、どうやら話をしているうちに眠くなってしまったらしい。ロバートさんが目を擦るカタリナを連れて、彼女の自室へと連れて行った。
王宮の門を出ると、サーシャ・ルエンは中階層へ向かって歩き出す。私は静かにその姿を横目で見た。
「どうやらカタリナ様はアナーシャが気に入ったらしい。ロバートに慣れるのもかなり時間がかかったのに……アナーシャは子供慣れしているのか?」
「いえ……」
私は生返事を返した。子供に対して特別な感情を持ったことはない。興味深い対象ではあるが、それ以上の何かを感じた事はなかった。
カタリナに気に入られたのは、私が彼女との会話に慣れているからだろう。話の内容に幼さは感じたが、会話のリズムは母と全く変わりがなかった。
英雄は私を見ると、フッと笑ってみせた。
「アナーシャは不思議だな。こちらも助けられてばかりだ。いつか礼をしたいのだが……」
「……貴女は私を助けるよりも、民を助けるべきなのでは?」
私がそう言うと彼女は一瞬きょとんとして、そして困ったように苦笑し始める。
「それもそうだ。……一本取られてしまったな」
空はもう既に夕方の色に塗り替えられて、頭上には白く小さな光の点が輝き始めている。それでも中央へ続く通りの人の数は変わらなかった。幾人かが私達を見て足を止め、英雄の名を呟いている。
隣にいる私はどう見られているのだろう。もしかしたら、私も軍の人間に見られているのかもしれない。これでは影武者扱いされても仕方ないと、心の中で息を吐いた。
サーシャ・ルエンは通りを曲がると、先ほどよりやや細い道へ入る。
「……民、か」
ふと彼女の唇から、ため息が漏れるようにそんな言葉が溢れた。私は金色の三つ編みが揺れるのを見つめながら、静かに言う。
「……先日の将軍の言葉ですか?」
「ああ。……彼は、もともと私の上司だった。下層民の出身で、下士官で燻っていた私を推薦してくれた」
街が夕焼けに染まる。ダウンタウンと違い、白を基調として作られた町並みは空の色を映し出すように染まっていき、行き来する人の顔もその色に変えていった。
足下の影が長く伸びている。私は彼女の少し後ろから問いかけた。
「……彼が反乱組織に入ったのは、帝国への不信のためですか」
不老不死の話を、私は思い出した。彼は知を我が者にする帝国に対して、嫌悪感を抱いている。人は生きる限り、死に恐怖するもの。もし、目の前に不老不死の技術があるのなら、それを抱え込む者たちを憎むのは仕方ないことだろう。
英雄は遠くを見つめるように目を細めた。
「彼は、とても強かった。帝国の為に、命を賭して戦っていた。……理由は分かっている。私も時折思うんだ。私が守っているのは、生なのか、それとも死なのか」
帝国を守ることは、知の独占を続けることにも繋がる。下層民と上層民の命に格差が出来ていく。
私は静かに町並みに視線をむけた。口を開く事はしない。私には、この先に待つ終焉が分かっている。彼女の迷いが何を生むのかは分からないが、やがて来る一夜の出来事に、全ては無に還るだろう。
そして、残るのはあの小さな王女。ただ一人。
「この世に善も悪もない……そう考えれば考えるほどに、分からなくなるな」
もしも、ここで何かが変わったのならば、カタリナが一人、長い時の中を生き続けることはなくなるのかもしれない。誰もが不老不死の恩恵を受け、全てが平和になる夢のような日が訪れるのかもしれない。
それは素晴らしい理想だ。まるで空に輝く星のように。そして、それは無数に輝く満点の星空のように、ありきたりで、叶う事の無い希望。
「……詮無いことを話してしまったな。すまない」
ふと私の顔を見て、英雄は苦笑した。金色の髪が夕日に照らされ、光の色に輝いている。私は首を横に振った。
いつの間にか人通りは少なくなり、視線の先に宿が見えてくる。フレイさんとクリフさんは宿にいるだろうか。
「……ありがとうございました」
私がそう言うと、彼女は足を止めた。そして私には到底出来そうにない人懐っこい表情で笑う。
「いや、こちらこそ。……ああ、もしよければ、なんだが」
彼女はそう言うと、視線を今来た道へと向けた。ここからは第18王宮を見る事は出来ない。サーシャ・ルエンは碧眼の瞳を斜め上へと向ける。
「もうすぐ王宮で祭りがある。もしよければ、アナスタシアと、他の2人も招待しよう」
「いいのですか?」
「ああ。ロバートが何か言ってくるかもしれないが、な」
耳が痛くなる話だ、と笑って、彼女は私に背を向けた。もと来た道を戻っていく英雄の背中。私は静かにそれを見ていた。すらりと伸びた体から、影が長く続いている。揺れる三つ編みは、カタリナの髪型にも似ているように思えた。
ふと不意に数日前にメイが言っていた言葉が、脳裏を掠める。
『頭良いし、才能あるし……サーシャお姉ちゃんのお母さんもそうだったのかな?』
サーシャ・ルエン。その名を聞いた瞬間から、私はその可能性を考え続けていた。カタリナが意味も無く私に英雄の名前を与えるとは思えない。その理由として可能性が高いもの。
それは彼女と私に血の繋がりがあるということ。つまり……実母であるという可能性。
『きっと凄い人だったんだと思うよ』
メイの言葉がそこで途切れる。可能性は可能性でしかない。それに、事実を調べるよりも、優先させなければいけないことがある。
私は英雄の姿に背を向けて歩き出した。二つの影が離れていく。空の色が深くなり始めた、夕刻のことだった。
☆
日が暮れ始めると、サーシャが帰ってきた。しばらく泣いて落ち着いたアンジェを、俺は椅子に座らせた。扉の向こうでクリフとの会話が聞こえてくる。2、3言葉を交わすと、ノック音が響いた。
勿論、こちらの返事なんて気にする事も無く、扉が開く。
「フレイさん、ただいま帰りました」
「おう」
サーシャは俺よりもアンジェの姿に気づいたようだった。アンジェはサーシャを見ると、テーブルに載せていたバスケットを差し出す。
「お邪魔してたの。これ、店長からお礼」
「ありがとうございます。いただいてばかりで申し訳ないですね」
サーシャはそう言ってチラ、と俺を見た。どうやらこの時代に来てから殆どオゴリやら貰い物をしていることを訴えてんだろう。俺はわざとらしく視線を逸らして、アンジェの背中を叩いた。
外はそろそろ夕暮れだ。徐々に町並みに灯りが灯りつつある。
「……ちょっとアンジェを送ってくる」
俺の言葉にサーシャは頷いた。
「そうですね。人通りがあるとはいえ、昨日の今日ですから……お気をつけて」
俺が先に歩き出すと、アンジェは席を立って後ろをついてきた。サーシャがクリフにバスケットを渡すと、クリフは嬉しそうにアンジェに手を振った。まるで餌をもらった犬のような表情だ。最近気づいたことだが、コイツは結構食い意地をはるところがある。
クリフの表情にアンジェはクスリと笑うと、サーシャに向かって頭を下げた。
「アナーシャさん。今日は姉の相手をしてくれたみたいで……」
「いえ、英雄と呼ばれるサーシャ様と話をするのは勉強になります」
アナスタシアの言葉に俺は背中でため息をついた。まるで呼吸をするようにホラを吹くやつだ。一体なんの勉強をしてきたのか問いただしてやりたい。
行くぞ、とアンジェに声をかけて、俺たちは部屋を出た。階段を下るとフロントに軽く挨拶をして、宿を出る。太陽の姿は何処にも無く、徐々に辺りが闇に染まり始めていた。そろそろ暗くなってくるだろう。
俺は辺りを見回した。大きな事件の後には愉快犯が出てくるもんだ。サーシャの言った『お気をつけて』にはそういう意味が込められている。
覚えたての道を歩く俺の隣で、アンジェは宿の方を振り返る。そして俺に視線を戻した。
「フレイは、アナーシャさんとどんな関係?」
突然の言葉に、俺は吸い込んだ息で盛大にむせた。
「なっ……!お前っ、何か勘違いしてないか!?」
俺は渾身の力を込めて反論した。アンジェはぽかんとした顔で俺を見る。
「違うの?じゃあ、クリフさんとアナーシャさ……」
「ないないないないないない」
首を横に振りながらそう言うと、アンジェは、そうなの、と呟いた。その顔はどことなくしっくりこないような、そんか表情をしている。
俺は呼吸を整えると、咳払い一つしてアンジェに問いかける。
「なんだよ?」
「だって、女性の旅人ってほとんど見かけないもの」
俺たちの時代じゃ、力があれば旅人は男も女も関係ない。それでも、こんな平和な世の中じゃ、女は旅なんかするよりも家庭をつくって子守りしてるのが普通なのかもしれない。
頭をかきながら、俺は言う。
「あー……あれは化け物だから関係ねぇ」
街の中にあかりを灯すランプのようなものが釣られている。時間がくると火がつき、道を照らすらしい。足下に光の円が出来た。
アンジェはその中を歩きながら、視線をダウンタウンへ向けた。昨日よりも灯りが少ないのは、昨日の襲撃で家や店を壊されてしまったからだ。アンジェの店も今日は閉店しているらしい。
辺りが静かだ。少し細い路地に入ると、人通りも少ない。
「そう?……でも、私は少しアナーシャさんが羨ましいわ」
……まぁ、自由だって分にはそう見えるかもしれねぇな。あの生き方は人にすすめられるもんじゃねぇが。
ダウンタウンの道は、灯りがなければ暗い。いつもの賑わいは何処か遠くへ行ってしまったようだった。壊れた瓦礫が道の端に散乱している。
この辺でいいわ、とアンジェは道を曲がった先でそう言った。どうやらアンジェの住まいは繁華街から少し離れた場所らしい。この辺りには灯りが殆どなく、曲がり角にぽつんと街頭が立っているだけだった。
「今日は……ありがとう」
アンジェはそう言って微笑んだ。俺は視線を逸らすと、別に、と答える。結局、結果として俺に出来た事は話をきいてやることくらいだ。
灯りが足下に光を落とし、足下には白い円が出来ている。
「実は……今度、王宮に呼ばれてね。これも姉さんのせいなんだけど……お祭りで、踊ってくれないかって言われて」
「王宮で?」
「そう。姉さんのことがあるから断ろうと思ったんだけど、ちゃんと報酬も貰えるみたいだから、やってみようかと思って」
アンジェは苦笑を浮かべてそう言った。
「いいんじゃねぇか?お前がそうしたいっつーなら」
「ん、ありがとう。もしよければ、貴方達も中に入れるようにお願いしてみるわ」
アンジェの言葉に、俺は迷いながら頷いた。クリフは喜びそうだが、サー……アナーシャの方は、既にサーシャ・ルエンから招待されていそうな気がする。随分気に入られてたっぽいしな。
とにもかくにも、招待されるってのは悪くない。
「ああ。……じゃあ、見に行ってやるよ」
「ありがと」
アンジェは赤い髪を揺らして目を細めた。俺は苦笑を浮かべ、そして来た道を振り返る。さっさと帰らないと、あの2人が俺の夕食を食べてしまいかねない。それにこうも人通りが少ないと、夜になるほど危険になりそうだ。
それじゃあな、と俺は後ろ手に手を振って歩き出そうとした。
「……フレイ」
ふ、と左手を掴まれ、俺は首だけで振り返る。アンジェの青い瞳が眼前に迫り、唇が重なる感触に気づいた。
街頭が照らす二つの影が重なり、そして世界は静寂に包まれる。