第4章 1
窓を開けると、今日も快晴だった。下界ではあちこちで住居や店の修理が始まっている。帝国と反乱組織に挟まれ、それでも生きる人々の姿を見つめながら、私は上着を羽織る。勿論、気の利いた服など持っていない。
リボルバーをホルスターに収め、私は下界の風景に背中を向けた。
- 自由気侭なお姫様 -
宿の前に迎えに来たロバートさんを、私は出来る限りの笑顔でもって迎えた。彼はそれを見て更に眉間に皺を寄せる。どうやら随分嫌われているようだ。
フレイさんとクリフさんには、今日一日待機を言い渡した。ガルグイユのルシウス将軍の言葉を聞く限り、あの襲撃で全てが収まるとは思えない。また同じことが起るだろう。2人も同意見らしく、素直に私の指示を聞いたようだった。
「……わざわざありがとうございます。助かります」
道を歩きながら、私はロバートさんにそう言った。彼は私の歩くスピードに合わせる気は全くないらしく、さっさと先に進んでいく。私は歩みを早めながら彼の背中についていく。
彼は振り返ることなく、嫌悪を露にした声音で言う。
「……お前は何者だ?何故サーシャ様に取り入ろうとする」
「フッ……何者だとお思いですか?」
質問を質問で返すと、会話が途切れた。私は辺りを見回す。中層階から上層階への道はどうやら一つしかないらしい。
歩みを進めると、通りと呼ぶには大きすぎる道が現れた。人の行き来よりも馬車の行き来が多いかもしれない。私は道の端を歩きながら、口を開いた。
「流石、帝国ですね。この上が上層階ですか……」
道には大きな門が作られていた。城下の先にあるゲートと似ている。ここでも同じように身分を確認し、先へと進むのだろう。
ゲートの前にいた警備兵がロバートを見て敬礼をした。私はどうやら彼のおかげで証明の確認をしなくても済むらしい。後を追って歩いていくと、突然視界が変化した。
「……!」
建物の寄せ集めだったダウンタウンと中層階。しかし、上層階は違っていた。私は足を止め、目の前に広がる緑を見つめる。
そこはオアシスと呼ぶに相応しい森が広がっていた。ところどころに貴族のものらしき建物の屋根が頭を出している。それでも、小さな川が流れ、道がしっかりと舗装されたこの場所は、砂漠の国とは考えられないほど豊かだった。
感慨に耽る私とは対照的に、ロバートさんはすぐに歩き始めた。どうやら区画ごとに私有地になっているらしい。足を進めると、中層階でも考えられないほど豪奢な造りをした屋敷が建ち並んでいた。どれも庭がついていて、中央には噴水も見える。
上層階の奥へと進むごとに、建物はより豪奢で、より大きく変化していった。
「『サーシャ様』は、何故18王宮に滞在されているんですか」
私はロバートさんの背中に問いかける。彼は振り返ることなく前を見つめたまま、口を開いた。
「……サーシャ様はある貴族の血縁で、通常ならば上層階の永住権がある。だが、騎士の立場上、執務を行うには国が認めた場所に滞在しなければならない」
フレイさんから昨晩聞いた話では、アンジェさんとサーシャ・ルエンは異父姉妹なのだという。サーシャ・ルエンの父親は貴族であり、おそらく妾の子供に上層階の永住権を渡すことが出来るほどの人物。そうゆうことなのだろう。
「第18王宮は、中央の城の連絡経路に使われる。そのため、国は最も情報が早く伝わる18王宮にサーシャ様をおいた」
情報の伝達が早い場所にいれば、軍を指揮する司令官として、すぐに判断を下すことが出来る。私はふと、そこまで考えて顔をあげた。
「……ならば、何故昨晩は軍の制圧が遅れたのですか?」
当然の疑問だったが、どうやら軍の兵士には耳の痛い話だったらしい。彼はため息をつくと、歩を緩めてこちらを振り返った。
「……本来ならば、ガルグイユがゲートを突破した時点で、連絡が直接中央に届くはずだった。その連絡機器を破壊されたらしく、襲撃の情報が被害が出るまで伝わってこなかった」
「高性能な機械も、意外と脆いものですね」
そんなことを呟くと、ふとロバートさんが視線を先に向けた。視線の先には、巨大な門扉と、大理石の階段、そしてその先に緑の揺れる広場がある。そしてその先には兵士が2人、入り口の扉を守るようにして立っていた。
着いたぞ、とロバートさんが私を見る。私はそれに応えることが出来なかった。緑に包まれた第18王宮。白い壁が木々の隙から見える。
此処が、カタリナの育った場所。私には見たこともないはずの場所だったが、何故か懐かしい香りがした。カタリナから聞いた、昔語りを自分の記憶と置き換えているのかもしれない。
それでも、私には言葉が出なくなるほどの既視感を覚えていた。
「カタリナ様!……カタリナ様?」
ふと、聞き覚えのある声が私を現実へと引き戻した。見ると、入り口の前でキョロキョロと辺りを見回すサーシャ・ルエンの姿がある。
ロバートさんは警備兵に一礼して門扉を開けさせると、サーシャ・ルエンのもとに歩き出した。
「サーシャ様。……アナスタシアをお連れしました」
私はサーシャ・ルエンに軽く頭を下げた。すると彼女は人の良さそうな笑みで私を見る。彼女は軍の服を着ているものの、今日は帯剣していなかった。
「ああ、アナスタシア。わざわざ済まない。昨晩の礼に、今日は第18王宮を案内しようと思ったのだが……」
彼女は困ったように苦笑してみせた。ロバートが訝しげな表情でサーシャ・ルエンを見る。
「サーシャ様。また……ですか?」
「ああ、すまない。お前も時間があれば探してもらえるか?」
ロバートは呆れたようにため息をつくと、分かりました、と答えて王宮の中へと入っていった。サーシャ・ルエンは私に向かって笑ってみせる。
「小さなお姫様は大人の気を引きたくて仕方ないらしい」
「小さなお姫様、ですか?」
「ああ……先日隠れ鬼という、ダウンタウンの子供の遊びを教えたところ、随分気に入ってしまったようでな。しかも、上達が早くて困っている」
困っているように笑いながら、彼女の瞳は穏やかな色をしていた。私は辺りを見回す。おそらく小さなお姫様というのはカタリナだろう。まさか母がそんなじゃじゃ馬娘だとは知らなかった。いや、もしかしたらまだ右も左も分からない幼少の時代なのかもしれないが。
私は辺りを見回す。古い記憶の中に、似たような訓練を受けたことがあるような気がした。
戦いには、時に逃げることも必要になる。逃げ、そして隠れること。それは決して失敗してはいけない。人は確実に相手の視界から消えることを考える。しかし、相手の裏をかくことも重要となる。
ふと、庭園の横を、聖歌隊らしき子供たちが歩いていくのが見えた。純白のガウンの中に、一人だけ遅れて追いついていく姿があった。金色の髪に、愛らしい瞳が辺りを見回している。軍の人間たちがじゃじゃ馬娘を捜してすれ違うが、誰も彼女に気づかない。聖歌隊の子供達の数人が、見知らぬ女児の姿に顔を見合わせていた。
「……アナーシャ?」
私は聖歌隊へと歩み寄る。そして腰をかがめると、一人だけ浮いている少女に右手を差し伸べた。顔の作りは少女だが、目元が兄に似ている。
少女はどうやら羽織っていた上着を裏返し、内側の白い部分を表にすることで、聖歌隊の列に加わったようだった。
「……誰?」
凛とした声だ。子供ながらに、はっきりとした目で訴えかけてくる。私は視線を合わせると、彼女に笑いかけた。自分でも不思議なほど、無意識に溢れた笑みだった。
「……カタリナ様、サーシャ様が探していらっしゃいますよ」
☆
「すまない、アナーシャ。助かった」
「いえ、見つかってよかったです」
私は客間へと通された。王宮の客間は、まるで謁見室かのように広かった。一人で使うには大き過ぎるソファと、中庭を見渡すことのできる大きな窓。壁際には楽器が置かれ、壁にはこの王宮の主とおぼしき女性の肖像画が飾ってある。その顔はどことなくカタリナに似ていた。
そのままベッドにも出来そうなほど座り心地の良い椅子に腰掛け、私は向かいに座った英雄と王女を見た。
「カタリナ様、こちらはアナスタシア。旅の者だそうです」
サーシャ・ルエンがそう言って私にカタリナを紹介する。カタリナはまだ幼い瞳で瞬きを繰り返した。歳は4、5歳といったところだろうか。
カタリナはサーシャ・ルエンの顔を見上げる。
「……サーシャが言っていた人?」
「ええ、そうです。彼女のおかげで昨晩も助けられました」
私は複雑な感情で息を吐いた。まだ子供の母に、自分のことを褒められるというのはこんなにも複雑な気分になるものか。おそらく何とも言えない顔をしているだろう。自分でもそれがよく分かる。
サーシャ・ルエンとカタリナの様子を見つめながら、私はふと思う。カタリナの口調は、4、5歳の子供にしては少し固いように思えた。私は2人の会話が一段落するのを待って、サーシャ・ルエンを見る。
「王妃様は、こちらには……?」
「……ああ、ロレッタ様は毎日のようにパーティに出かけられていてな。ここは使用人も男ばかりで、私がカタリナ様の世話役のようなものなんだ」
「ああ、どうりで……」
カタリナは私と目が合うと、英雄の腕の後ろに隠れた。随分彼女を気に入っているらしい。私は苦笑を浮かべた。カタリナの口調が固いのも、どうやら無意識にサーシャ・ルエンの口調を真似ているらしい。
サーシャ・ルエンは使用人が持ってきたお茶を飲みながら、首を傾げた。
「何だ?」
「……いえ、随分好かれているようだと思っただけです」
カタリナの視線が隣に向けられる。ドレスを着た少女はソファから足を投げ出し、珍しいものを見るような目でこちらをチラチラと見つめていた。
私は静かに窓の外に視線を向ける。やがて女神フィオレンティーナと並び称されるであろうこの少女の行く末を、私は知っていた。だからこそ、錯雑する思いを抱かずにはいられなかった。
やがて彼女はこの帝国のただ一人の生き残りとなり……数百年の時を経て、自分の息子に殺される。その死に際は大地に生きる花のように美しく、潔く、散っていくのだ。
「……?」
カタリナは首を傾げながら小さな足をバタバタと振り回し、サーシャ・ルエンに窘められる。まるで親子のようだ。おそらく、社交界に出てほとんど戻ることのない王妃よりも、仕事で王宮に滞在している英雄の方が、少女にとっては母のような存在なのだろう。私は2人の様子を見つめながら、心の中でため息を漏らした。
サーシャ・ルエンと出会った時から、心の中に浮かんだ一つの疑問がある。彼女は……いや、私は、何故『サーシャ』なのか。カタリナにとって『サーシャ』という名前にはこの英雄の印象が強かったはず。それを私に名付けたのは、何故なのか。
親子のように会話を続ける英雄と王女を前に、私は視線を落とした。
☆
宿は三階建てになっていて、各階にちょっとした休憩所みたいな場所がある。いつも綺麗な服を身にまとったご婦人や、紳士がソファに座っているんだけれど、今日は昨日の騒ぎのせいか人気がない。観葉植物の隣で、僕は腰を下ろした。
「うーん……」
外に出かけたいところだけれど、サーシャさんに待機を言い渡されてしまったから、宿の中にいた方が良い。僕としても襲撃とか暴動は心臓に悪いから、なるべく関わらない場所にいたいんだけど……。
ソファは頭を預けられるくらいゆったりしていた。僕は天井を見つめながら、ユーリーと永久連環時計のことを考えていた。
右腕に触れると、傷口を縫った痕が指先から伝わってくる。
「永久連環時計……」
人の姿をした時計。もしかしたらあれは、後に殺人人形と呼ばれる兵器になるのかもしれない。ユーリーの言葉によれば人と同じように意志を持つこともあったというから、あながち僕の予想は間違っていないと思う。
それでも……。僕は、視線を窓の下に向けた。裏通りに面したこの場所からは、向こうの店の窓と、下に路地裏が見えるだけだ。けれど開け放された窓から聞こえてくる喧噪は今日も賑やかで。この宿だけが別の空間のように思える。
「……」
ふとユーリーの表情を思い出す。24体ある人形のうち、深の刻を表す人形にユーリーは釘付けだった。あの瞳は、純粋に素晴らしい芸術作品を見る目なのか、それとも……。
微睡むようにそんなことを考えていると、向こうから誰かの足音が聞こえてきた。ふと視線を向けると、赤い髪が肩の辺りで揺れている。僕はパッと立ち上がった。
「あ、アンジェさん」
バスケットを手に歩いてきたアンジェさんは、僕の声に気づいたようだった。休憩所に歩いてくると、にっこりと笑う。
「こんにちは。今日は一人?」
「あ、いえ。アナーシャさんは出かけてますけど、フレイさんなら部屋にいますよ」
そう言って、僕は向こうの部屋の扉を指差した。アンジェさんは頷くと、バスケットを持ち上げてみせた。
「昨日の夜は助かったからって、店長からよ。フレイの所に置いていくから、お腹がすいたら皆さんで食べてね」
「わぁ……ありがとうございます!」
何を作ってくれたんだろう。帝国の料理は豪勢で量も多いし、何より普段食べれないものばかりだから、凄く楽しみだ。
アンジェさんはクス、と微笑むと、バスケットを持って部屋の扉を叩いた。僕はその背中を見送って、またソファに座る。なんだか運がいいなぁと、僕はそう思いながら目をつむった。