第3章 4
騒ぎはすぐに理解できた。通りを逃げ回る奴らの顔には恐怖の色が浮かんでいたからだ。この店の奴らは賢い。即座に客を通りから見えない場所に誘導した。そして室内の灯りが消され、入り口に鍵がかけられる。
避難に追われる店員達を横目にアンジェはただ一人、カウンターに立っていた。
- 籠の鳥の思い -
辺りがしんと静かになった。俺はカウンター席に座りながら通りを見る。客は厨房の方へ通されたらしい。確かに見えない場所に避難させるのは正しい。灯りのついた店が襲われるのは通りの向こうから聞こえる人々の悲鳴から予想出来る。
「……逃げねぇのか?」
俺は椅子に座ったまま、アンジェを見る。店員達も奥に下がった。何人かがアンジェに声をかけたが、アンジェは首を縦に振らず、そのままカウンターに立っている。
アンジェは赤い髪を指ですくと、窓の外を見た。
「……ええ」
俺はため息をついた。騒ぎが近づいてくる。悲鳴や怒号、銃声や馬の蹄の音。全ての雑音を妨害するかのように、この場所だけは静寂を保っていた。
アンジェはまた仕事を始める。灯りの消えた店に反乱因子の奴らは気づくだろうか。
「フレイは避難しなくていいの?」
「馬鹿言うな、面倒くせぇ」
席から立つのが億劫だ。俺がそう言ってグラスを差し出すと、アンジェは苦笑を浮かべて酒を次いだ。グラスの中の氷が音を立てる。
実際のところ、下手に動くのはマズイだろうと、俺はそう思った。とはいえ、厨房で客の奴らと仲良く震えてるのも性に合わない。
「じゃあ、私に何かあってもフレイが守ってくれるのかしら?」
冗談混じりにそう言うアンジェに、俺は肩を竦めた。
「……悪いが俺はできそこないだからな。人を守るほど出来ちゃいねぇよ」
アンジェはふと酒瓶を棚に戻そうとした手を止めた。そしてこちらに背中を向けながら言う。
「……人は、その手の大きさの分しか人を幸せに出来ない、か……」
静まり返った店の中で、その呟きは響いた。外の様子を眺めていた俺は、グラスを回していた手を止める。顔を上げると、アンジェは酒瓶を棚に戻し、エプロンの背中の紐を解いた。
「あ?」
雑用の為に結っていた髪を下ろし、髪を櫛で梳かす。そしてひとつまみ掴んだ顔の脇の髪の毛を編み込み始めた。慣れた手つきを見ると、どうやらそれが毎夜の催しの格好らしい。
アンジェは視線を足下に落としながら、髪を結った。
「人は、その手の大きさの分しか人を幸せに出来ない。袖触れ合った人まで数に加えるのは間違いよ。……そう思わない?」
突然の言葉に、俺は顔を顰めた。グラスの酒をあおると、喉から熱が全身に伝わっていく。熱さは心臓から体の隅まで届けられる。そんな気が、した。
「……人生論か?」
「さぁ、ね。……あの男の人にもそう言ったのよ。変な風に解釈されたみたいだけど」
あの男。……ああ、アンジェを追いかけてきた面倒なヤツか。俺の脳裏に男の言葉が蘇る。耳につくざらつきのある声音だったから、よく覚えている。
助けを求める相手はいない。泣こうが喚こうが。……そんなことを言ってたか。
アンジェはもう片方も同じように髪を編み込み始めた。どうやらショーの準備をしているらしい。客も演奏者もいないってのに。
「私、自分の手の大きさを理解してない人が嫌いなの。だから……姉さんも、好きじゃない」
好きじゃない、ってのは血の繋がりのあるサーシャ・ルエンに対する精一杯の譲歩か。俺は誰もいない店の中でせっせと準備を始めるアンジェを見つめていた。端から見れば馬鹿か、頭の螺子がすっ飛んでるように見えるんだろう。
それでも俺は、アンジェに何かを言う気はなかった。カウンターに肘をつきながらそれを眺める。アンジェはスカートの裾をはたくと、小さなステージに立った。音楽は勿論ない。聞こえてくるのはタガが外れたような奇声ばかり。
「……。……踊れんのか?」
「踊れるわよ。見る人がいれば」
アンジェはそう言って笑った。俺は頬をかいて、そして椅子から立ち上がる。酒を一気にあおると、焼け付くような熱さが伝わった。
ロックを一気するもんじゃねぇな。
騒ぎがすぐ隣まで来た。通りを逃げ遅れた奴が走っていく。すると銃声が5、6発響いて、走っていた影が闇の中に砕け落ちた。
「……アンジェ、下がってろ」
「あら、守ってくれるの?」
「……邪魔になんねぇ所にいろっつってんだ」
俺はそう言って入り口に視線を向けた。通りに黒い服を着た奴らが現れる。あれか、ナントカっていう反抗勢力は。服装は軍にも似てるが、着てる奴らに品格なんてものは見当たらなかった。
数人がこちらに人気があることに気づく。しかし扉は鍵がかかっていて入れない。すると中の一人が銃器らしきものを窓ガラスに向けた。派手な銃声と共に窓ガラスが粉々に砕け散る。
「!」
咄嗟にアンジェが身を竦ませた。俺は右手に力を込める。気を使うのは慣れていないが、店をぶっ壊すわけにもいかない。
俺はカウンターにあった空の瓶を手に取った。空中に放り投げ、落ちてきた所を左足で蹴る。そして右手を開いた。指先が広がる動作を真似るように、瓶に亀裂が入り、瞬時にバラバラになる。それらは俺の意のままになった。右手を振り下ろせば、鋭利なガラスが男達に降り注ぐ。
「悪ぃが……もう閉店時間だっ!」
咄嗟に窓から離れる男達。すると、次の瞬間、通りを大きな爆音が響いた。
俺は煙草を口に加えると、右腕に力を入れる。爆発の魔法は俺の得意分野だ。分かりやすく、それでいてやりやすい。込めた思念の力がそのままの威力に変化する。
「きゃっ……!」
再び爆音が轟く。男達の数人は爆撃に吹っ飛ばされ、数人は慌てふためき逃げていく。俺は魔法で煙草に火をつけると、煙を吐きながら撤退していく男達を見ていた。
割られた窓枠から外を見ると、通りの奥から軍馬が数頭、こちらへ向かって駈けてくる。どうやらやっと国軍のお出ましらしい。
「ったく、遅っせぇんだよ……」
俺は酒の回った頭でため息を吐いた。
☆
制圧に来た国軍の中には、あのロバートとかいう男の姿があった。英雄様の側近なだけあって発言権があるらしい。奴は部下達に指示を出している。
「ふ、ふふふ、フレイさぁんっ!!」
そして何故かその後ろには、クリフの姿があった。窓に足を駈けて上ってこようとするクリフの頭を、俺は足で押さえつける。
「飛びついてくんなっ!入るならドアからにしろ、ドアから!!」
「だ、だって……怖かったんですよ〜!」
泣きつこうとするクリフに、俺はドアの鍵を閉めたままにしようかと思った。しかしアンジェが国軍の姿を見て、鍵を開けてしまう。おかげで俺はいつも通り、半泣きのクリフに抱きつかれる形になった。お前、それでも剣士か!
アンジェはふと、国軍の中にロバートの姿があることに気づいた。ロバートは目が合うとため息をつき、そして店へと入ってくる。
「……随分遅い登場だったな」
俺はロバートを見てそう皮肉ってやった。しかし、半泣きのクリフが抱きついてる格好では様にならない。おい、いつまでくっついてんだっ、離れろっ。
ロバートはクリフと格闘している俺を無視してアンジェを見た。
「被害は?」
「……ないわ。お客様も厨房に避難させたし、店員も無事」
必要最小限の会話を交わすと、アンジェは窓に近づく。通りを行き来する人々が、やがて国軍の人間に変わった。アンジェはヒビの入った窓から外を見ると、ロバートに問いかける。
「……誰も彼も救おうとするから、誰も助からないのよ……。本当はそう思ってるんでしょう、ロバート」
「……」
ロバートは無言のまま、通りに目を向ける。俺は頭をかいた。アンジェの言葉の意味が分からず、クリフだけが困ったように首を傾げている。
俺はため息を吐き、そしてふと気づいた。そういや、サーシャは何処行った。
「おい、サー……じゃなくて、アナーシャは?」
「えっ?き、来てないんですかっ?」
クリフの顔がサッと青白くなった。コイツ、もしかしてサーシャが此処にいるもんだと思ってたのか?
慌てふためくクリフを横目に、俺は被害を免れた室内に視線を向けた。俺はこうゆうとき、全く慌てることはない。慌てないと心に決めたからだ。どうせあの化け物は帰ってくる。そして大体第一声は……。
「……勝手に殺さないでくれますか、クリフさん」
ふと見ると、窓枠に肘をついて、サーシャがこちらを眺めていた。クロノスを右手で持て余しながら、呆れた表情を浮かべている。どうやら怪我をした様子もない。本当に期待を裏切らない奴だ。
「さ、サー……じゃなくて、アナーシャさぁん」
安心して窓に近づいていくクリフ。俺は大きく息を吐いた。
サーシャはクリフに無事を伝えると、抱きついてきそうな勢いのクリフを片手で押さえながらロバートを見る。店から出ようとするロバートに、サーシャは苦笑してみせた。
「ロバートさん。一つよろしいですか」
「……何だ」
ロバートは足を止めると、振り返らずにそう答える。サーシャは更に口端を上げ、そしてクリフを片手で押さえながら、もう片方の手で口元を隠した。
「私もこの混乱で多少の手助けをいたしまして、『サーシャ様』から第18王宮にご招待をいただいたのですが……明日、案内をお願い出来ますか?」
ウン百年前の帝国に飛ばされ、帰り方も分からず、挙げ句の果てに反乱因子の襲撃とかいうものに巻き込まれながらも、この図太い神経。厚かましい精神。お前の心臓、絶対毛が生えてるだろ。
俺はロバートがこちらに背を向けたまま、額を押さえるのを確かに見た。




