第3章 3
自分の守るべきものに疑問を抱いてはいけない。あの時から、私はそう思うようになった。裏切られるのは辛い。離れていくのは寂しい。私も人と同じだ。そう、誰だって同じだ。誰もが人の子として生まれ、人として死んでいく。
誰だって、同じなのだ……。
- 破戒者 -
ミュージアムを出てしばらくすると、下層が騒がしいことに気づいた。アンジェさんの酒場に行こうとしていた僕は、途中まで見送ろうとついてきたユーリーと顔を見合わせる。
坂を駆け上がってくる、ダウンタウンの人々。逃げ惑う様子に、ただごとじゃないのを察知した。
「な、何……!?」
状況を把握出来ずに辺りを見回すユーリー。他にも中層階の人たちは一様に同じ表情をしていた。僕は咄嗟にレイテルパラッシュに手をかける。坂の下から黒い服を着た一団が向かってきた。逃げる人々を追いかける表情は、殺気立っている。
左手でレイテルパラッシュの柄を握る。凄い人数だ。中層階のエリアに入れば多少散り散りになるかもしれないけれど、それでも僕一人じゃ相手出来ない。はっきり言ってしまうと、左手での実戦経験はゼロなんだ。時折実戦に近い形でサーシャさんに手合わせをしてもらうけれど、まだ戦いの形には至っていない。
「ユーリー、兎に角何処かに隠れて……っ」
僕は辺りを見回し、細い路地を示した。ユーリーは頷いて路地の影に隠れる。
駆け込んできた男達は、まだ状況を理解出来ていない中層民に目を留める。そして男達の持つ武器の先は中層民へと向けられた。
勿論、武器を手にしていた僕も例外ではない。
「っ!」
レイテルパラッシュを鞘ごと素早く引き抜き、襲ってきた男の一人の刃を受け止める。ジリジリと、刃と鞘が擦れる。右腕だったら弾き返すことが出来るのに。僕は渾身の力を込めて刃を押し返し、僅かな隙で相手の背後に回った。
どうして帝国でこんな混乱が起きるのか。僕の頭の中は疑問で埋め尽くされていた。それでも、正当防衛はしなければいけない。
兎に角、この場は守らなければ。そして出来るのならば、人を殺したくはない。
男の背後に回った僕は、剣を逆手に持ち、人差し指と中指の間に柄を通した。そしてレイテルパラッシュの柄で男の鳩尾を殴る。肺に空気を詰まらせる音と共に、男の体が折れ曲がり、胸の辺りを握りしめたまま気を失った。
「……お兄ちゃん!」
ふとユーリーの声で、背後にもう一人いることに気づいた。咄嗟にレイテルパラッシュを手の中で回し、元の通り柄を握る。反応が遅れたせいで、体の動きが遅く感じる。
咄嗟に剣の鞘で相手の腕を叩き、上を向けた。次の瞬間、銃の暴発音が聞こえて僕は吃驚する。得物まで視線がいっていなかったけれど、男は銃器を持っていたらしい。
「っ……」
背中にヒヤッとしたものが通っていった。銃器相手に剣で立ち向かうのは難しい。しかも見たところ、サーシャさんの持つリボルバーより遥かに性能の高そうな銃器だ。
それでも、逃げる隙はもうない。向かってくる男に、レイテルパラッシュを鞘から抜こうとした。その刹那。
「……あっ……」
後ろにいたユーリーの、ハッとした声と共に、新しい銃声が響き渡った。音のした方向に視線を向けると、馬に乗った兵士が一人、こちらに向かって見慣れない大きな銃器を向けている。
茶髪の間から覗く切れ長の瞳が、銃器についていたスコープから離れた。
「あっ、ロバートさん……」
僕が近づいていくと、ロバートさんは馬から下りて険しい表情で僕を見た。そして背後から恐る恐るついてきたユーリーにも視線を向ける。
「何をしている。……早く宿へ戻れ」
「あっ、すみません。あっ、……そうじゃなくて、えっと……」
強い口調に思わず反射的に謝ってしまった僕は、首を横に振ってロバートさんを見る。ロバートさんは、先ほどの銃器を肩にかけ、腰には帯剣していた。
ユーリーは僕の背中に隠れながら、怖々ロバートさんに問いかける。
「な、何が起ってるの……?」
「……ガルグイユが集団を成して襲ってきた。中層階に入り込んだ者達は少ない。おそらくもうしばらくすれば、軍が制圧するだろう」
ほっと胸を撫で下ろすユーリー。けれど僕は反対に、坂の下を見た。この中層階へはダウンタウンを通らなければ、上ってくることは出来ない。ということは、つまり……。
僕はユーリーを振り返ると、その肩に左手を置いた。
「ユーリー、今日はもう戻った方が良いよ」
「うん……でも、お兄ちゃんは?」
頷くユーリーに僕は下層階を見る。サーシャさんとフレイさんがもしかしたら下にいるかもしれない。今日も待ち合わせの場所はアンジェさんの酒場だった。
「ダウンタウンに行ってくる。サー……アナーシャさんとフレイさんがいるかもしれないから」
僕の言葉にロバートさんが露骨に顔を顰める。けれど、僕は怖がらなかった。フレイさんに比べれば、ロバートさんは怖くない。
ロバートさんの視線を見つめ返すと、彼は大きく息を吐いた。そして馬の手綱を引く。
「……馬には乗れるか?」
「乗れますっ」
僕は頷いた。馬の訓練はルクスブルムの学校時代に経験してる。人を相手に戦う授業ではなかったし、動物は好きだからかなり熱心に勉強した。
「後ろに乗れ。対国軍用に、ガルグイユがバリケードを作り始めている。……強行突破するぞ」
☆
使わなければ腕はなまるとよく言う。私はそれを実感していた。リーダーとおぼしき男が振るう剣はかまいたちの如く風を切り、即座に距離を詰めてくる。早い。そして、力強い。
これ以上クロノスで受け止めていると、クロノスの方が壊れてしまいそうだ。私は剣先を受け流し、そして距離を離した。
「……はぁっ、……」
僅かに息が切れる。なまっているとはこうゆうことか。フレイさん達と旅を始めてから、銃器以外を扱わなくなった。使わなければ使っていない部分がすり切れていく。私はため息を漏らした。
男は剣を担ぐようにして持つと、私を改めて足先から頭の上まで見つめた。
「確かに、英雄の替え玉にしては古いリボルバーだな。それでよく戦える」
「……フッ、それはどうも。まさか昔の人間に古いといわれるとは思いませんでした」
後半は小声でそう付け加えた。確かに、アタランテでの一件で見た銃器は、クロノスやカイロスより性能が良かった。と、なるとクロノスとカイロスはこの時代でもかなりの旧式に違いない。
私は息を整えると、クロノスをホルスターに収めた。そして体術の姿勢を取る。男は私の様子を見て口角を上げた。
「ほう、銃器を使うのは止めたのか」
「ええ。旧式なので壊されては困りますから」
自分の命より武器が大事か、と相手はそう呟いた。私は肩を竦めてみせる。挑発行為に見えるだろうが、構わない。クロノスとカイロス以外の武器を持つ気はない。ただ、それだけのことだ。
相手は物珍しそうに私を見つめ、そして剣を収めた。
「面白い女だ。もう少し遊びたいところだが……どうやら時間が来てしまったようだな」
馬の蹄の音が近づいてくる。背後で部下達が逃げてくるのが分かった。振り返ると、馬に乗った兵士達がバリケードを破って駆け込んでくる。先頭はやはり英雄16号……サーシャ・ルエンだった。
彼女は私と男を見つけると、驚いたように眉を上げた。手綱を引き、馬を止めて下りる。彼女はすぐ抜刀すると、男に先を向けた。
「やはり貴方か、ルシウス将軍っ」
「……随分遅かったじゃないか、英雄称号16号。危うくこのダウンタウンを乗っ取ってしまうところだったぞ」
サーシャ・ルエンは複雑そうな表情を浮かべていた。男が将軍と呼ばれたところを見ると、反旗を翻した国軍の将軍というのは、この男のことか。
ルシウスはサーシャ・ルエンの顔を見ると、警戒の体勢を解いた。それはまるで、彼女を相手にする気がないと嘲笑っているかのようだった。
「剣を構えろ、将軍。私は貴方を許さない……」
「フン、『許さない』か。俺がガルグイユにつく理由は、既に伝えておいたはずだが?」
サーシャ・ルエンの瞳が僅かに翳る。私は彼女の横顔を見つめた。太陽の色に近い髪を振り乱し、彼女は眉根に皺を寄せる。
「貴方は……っ、貴方は、そんな場所にいるべき人ではないはずだ!」
「頭の固さは入隊当時から変わらんな。……認めなければ、自分の首が絞まるだけだぞ」
ルシウスは顎髭を撫でながら笑う。サーシャ・ルエンは再び剣を構えた。ルシウスは声を大にして言う。英雄の周りにいる兵士達、ガルグイユの部下、そして何処に潜んでいるとも分からない下層民達に向かって。
声高に、そして高らかに。
「いいか!帝国は『知』を牛耳り、永遠の命を我がものとしている。それに使われている下層民は実験動物か!?」
永遠の命。私は顔を顰めた。
「いいや、違う!上層民も中層民も、そして下層民も!砂漠に出れば誰一人として軽く扱われていい命ではない!!そうだろう!」
将軍の演説にガルグイユの者達が応える。その表情は何よりも生き生きとしていて、怯え震える下層民や警戒心を怠らない軍人達とは違っていた。
私は英雄に視線を戻す。彼女の瞳には迷いが見て取れた。将軍はそれを利用しているのだろう。言葉だけを聞けば、どちらが英雄か分からない。
誰もが言葉を失い、誰もが反乱因子に圧されている。私はため息をついた。
「……サーシャ様」
英雄の名を呼ぶと、彼女は我に返ったように剣を上げた。
「……ルシウス将軍!これ以上此処で御託を並べるというならば、排除させていただく!!」
サーシャ・ルエンの恫喝に、兵士達が動き出した。ルシウスは鼻で笑うと、剣を担いで背を向ける。余裕を見せる背中を、英雄が睨みつける。
「今夜はこの辺にしといてやろう。……今日のはほんの挨拶程度だ。さっさと腹を決めるんだな、英雄称号16号」
私は彼の背中を見つめる。ガルグイユの者達は去り、やがてダウンタウンに静かな夜が訪れた。サーシャ・ルエンは複雑な瞳で、ルシウスの背中が消えるまでそれを見つめていた。