第3章 1
ありとあらゆるものが溢れかえるこの世界。望めば何でも手に入り、何でも創ることが出来る。不可能などない。不可能など欠片もない。それでも……だからこそ、行き詰まるものもある。袋小路で留まるものがある。
全てが溢れかえる世界で、本当に美しいものとはなんなのだろう。
- ダダ -
階段を下る。果てしなく長い長い階段だった。踊り場を曲がり、再び奈落の底へと降りていく。そんな感覚。
先を歩くユーリーは振り返ることなく呟く。壁で反響した声が僕の耳に届く。
「そういや、お兄ちゃんの故郷って何処?この辺じゃなさそうだけど」
「えっ?……あー……ル、ルクスブルム……」
思えば、この時代にルクスブルムは国として存在していただろうか。帝国消失後に名前を変えた国は多い。唯一面影が残っている国はネオ・オリエント……この時代はオリエントと呼ばれていた戦士の都くらいのもの。
ユーリーは踊り場を曲がりながら僕を見る。
「なんだ、海超えた先の田舎じゃん」
とりあえず名称はそのままみたいだ。勿論、僕の時代だと傭兵学校があるくらいの都になっているけれど。僕は頬をかきながら苦笑する。
「えっと……そこのもっと先の所なんだけど……」
多分、この時代にはあの集落には誰一人住んでいない。僕の幼少期、あの付近は開拓地域みたいなものだったから。
「へー。だから何にも知らないんだね」
ううっ。やっぱりなんだか上から見られてる感じがする。でも仕方ない。この時代じゃ、サーシャさんだって時代遅れに分類されてしまうかもしれないんだから。
ユーリーは気にする様子もなく、階段を下る。
「……じゃあ写真とか見たことない?」
「写真?」
「そう。見たものを見たままに写し取るんだ」
写真。僕は口の中で呟く。そういえば、チラチラと耳にしたことがある。文献や本の中に時折出てくる、絵よりも正確に対象を映し出すもの。詳しい原理は分からないけど、サーシャさんかフレイさんがそんなことを言っていた。
「み、見たことはないけど、聞いたことはあるよ」
「そっか。……じゃあさ、さっき飾ってあった絵とか銅像って他に見たことある?」
不思議な問いかけの繰り返しに、僕は首を傾げながら首を縦に振る。絵はないけれど、石像ならフレイさんのおじいさん、ファーレン様の屋敷で見た。野ざらしにされて真っ黒になった石像は、もの凄く奇怪で怖かった覚えがある。
ユーリーは振り返ると、奇妙な顔をしている僕に向かって指を指した。
「お兄ちゃんが教えてっていうから教えるけどさ」
ビシッと指を突きつけられて、僕はきょとんと立ち止まる。あ、さっき僕がこのブースの展示物について説明してほしいって言ったの覚えててくれたんだ。
ユーリーは再び階段に足をかけながら続ける。
「芸術っていうものは理屈で考えちゃ駄目なんだよ。でも、理屈がなきゃ誰にも理解されない。分かる?」
「わ、分からない……」
「僕だって分からないんだよ」
どこかご機嫌斜めにそう言い返して、ユーリーはため息をついた。
「……昔は、誰もが見たままの世界を描くことが芸術だって言ってた。テーブルに置かれた林檎が、いかに林檎っぽく描かれているか、それが重要だった」
「う、うん」
「でも、今はそうじゃない。林檎を林檎らしく描くことなんて、写真がやってくれるんだから。じゃあ、僕ら芸術家はどうやってやっていけばいいんだと思う?進むべきベクトルはどこだと思う?」
階段を下りた先に、扉があった。ユーリーは足を止めると、僕を振り返る。答えを出さなきゃいけないんだろうか。僕は頭の中をひっくり返しながら答えを探した。
ユーリーの瞳は真剣な色をしていた。きっとこの子は子供だけれど、魂は立派な芸術家なんだと思う。だからこの視線になんとか答えなきゃと思って、僕は僕なりの答えを口にしてみた。
「え……っと……しゃ、写真じゃ出来ないことをすればいいんじゃ……ないかな」
小さい両目が僕を見据えて、そして頷いた。
「……うん。まぁ、間違ってないよ。じゃあ、ここでひとつ作品をみせてあげるよ」
そう言ってユーリーが扉を開けるのと、ちょっと心臓に悪いからね、と忠告が入るのがほぼ同時だったと思う。開け放たれたドアから、小さな部屋が見渡せた。そこには壁のいたるところに写真らしきものが張られていて、一番奥にはテーブルが置かれていた。
「うっ……!」
僕が口元を覆うのと同時に、ユーリーがまた扉を閉めた。ふぅ、と息を吐いて呟く。
「……今のは極端な例だけどさ」
僕はショックなものを見た衝撃と、見てはいけないものを見てしまった驚きで早まった鼓動を抑えるのに必死だった。
見せられたのはほんの一瞬だったけど、何が置かれていたのかは大体理解出来た。写真はどれも赤に染まっていて、部屋の中はまるで血で塗りたくったあとのようだった。そして部屋の中央には人の亡骸らしき人骨。死臭の漂ってきそうな空間。
「……この世界は完璧なんだよ。欲しいものなんていくらでも手に入るんだ。望めば不老不死だって叶うんだからね。でも……だからこそ、芸術は行き詰まった」
「げほっ……」
「沢山の芸術家が沢山のことをしてる。そこらへんにあるガラクタを繋ぎ合わせたり、自分自身を絵筆にしてみたり、挙げ句の果てには獣と生活する様子を展示したり、男女の交わりを見せ物にしたりね」
それはもはや芸術という一つの言葉では語ることができないんじゃないだろうか。僕は息を整えながらユーリーを見る。この子から見たら、今のも芸術の一つなんだろう。何を表現したいのか分からない、吐き気を誘うようなこの光景でも。
ユーリーは僕の視線に気づくと、背中をさすってくれた。
「大丈夫?」
「う、うん……それより、あれは……?」
背中をさすりながらユーリーは扉を見る。
「芸術家の成れの果てさ。とある病気で死の宣告を受けた芸術家がいた。……彼は自分を友人の芸術家に殺させて、その様子を写真に残したんだ。まぁ、帝国の反抗勢力に加わってたって話もあるから、不老不死への芸術家としての抗議かもね」
その命を賭して芸術に捧げる。命を訴える題材として、その姿は永遠にこの空間に残る。僕らの時代では考えられない生き方だった。
ユーリーは僕をポン、と叩いた。
「……ちょっと荒々しいかもだけど、分かってもらえた?」
「う、うん。つまり……新しい形をつくるために、みんな奔走してるってこと、だよね?」
「そうゆうこと。じゃあ、行こっか」
僕の顔色を確認して、ユーリーは再び歩き出した。更に階段を下りようとしている。僕は先ほど見た光景を思い出して震え上がった。
「ゆ、ユーリー……ま、まだあるの……?」
自分でも情けないくらいか細い声をあげると、ユーリーは僕を見上げて口を尖らせた。
「勿論。……お兄ちゃん、怖じ気づいたの?剣士なのに?」
「ううっ……だって僕、実戦経験ほとんどないし……」
「大丈夫だって。言ったでしょ、この会場で一番の作品を見せてあげるってさ」
自信満々に胸を張るユーリーに僕は不安を覚える。さっきのだってこの会場じゃ一番のインパクトだと思うんだけど……。恐怖する僕を放って、ユーリーはうきうきした足取りで階段を下りていった。
☆
サーシャ・ルエンが去っていった後、客の数も減り始めた。俺は食事を済ませても席を立たず、水だけを口にしながら店の外を見ていた。通りを歩く奴らはまるで馬鹿みてぇに陽気で、俺たちの生きる時代がどれだけお先真っ暗なのかが分かる。
グラスを置くと、アンジェが新しく水を注いだ。
「……あの人、異父兄弟なの」
アンジェは伏し目がちにそう呟く。あの人ってのはおそらく、あの英雄のことだろう。俺が顔を上げると、先ほどよりも随分落ち着いた様子で、アンジェは青い瞳を外に向けた。
「もともと母がダウンタウンの娼婦で、あの人の父親は気まぐれで母を買った没落貴族の人間だった。……勿論、すぐに捨てられたんだけどね」
「……んじゃあ、お前は下層民同士の子供ってことか?」
「そう。でも、父も母もすぐ死んでしまって……ずっとあの人と2人きりで暮らしてきた」
ふぅん、と俺はポケットから取り出した煙草を加えた。するとアンジェが何かを差し出してくる。手に握られた小さな長方形の箱が開くと、炎特有の音をたてて火がついた。慣れた様子からすると、これもサービスか何かか。
アンジェは、鈍く光る機械らしき箱を仕舞うと、客の使った皿を洗い始める。他の店員は忙しなく注文を取ったり、厨房で働いたりしているが、アンジェにはそういった仕事は回ってこない。どうやらアンジェの仕事はあの夜の催しであって、昼間はこうやって雑用をこなしているだけらしい。
立ってるだけで十分看板になるから、周りの人間も何も言わないんだろう。
「そのわりには随分嫌ってるじゃねぇか。……英雄だ何だと言われてるのが嫌なのか?」
「別に……英雄称号のことは、もういただいてしまったんだもの。私がそれを兎や角言うことは出来ないわ」
確かに周りの熱狂ぶりを見ると、口を出す気はなくなる。さっきの客の奴らだって五月蝿くて仕方なかった。アンジェはチラ、と横目で他の客達を確認すると、小声で呟く。
「それに……このダウンタウンでは、王族や貴族より英雄様の方が熱狂的な指示を受けるの。不老不死を独占する王族なんかより、国のために命を賭ける軍人を崇拝する気持ちは……分かるでしょう?」
「不老不死……」
俺は顔を顰めてグラスの中の氷を見つめた。王族が不老不死の力を独占しているってことは、昔サーシャに聞いたことがある。勿論この時代の不老不死ってのは完璧ではなかったが。
アンジェは洗い終わった皿を拭き始める。店員の一人が、使い終わったグラスを持ってきて、新しいグラスを置いていった。アンジェは店員を捕まえて一言二言会話を交わすと、また仕事に戻ってくる。店員達とのやりとりを見る限り、この酒場での関係は良好らしい。
「……んでも、なんだってそんなに王族を嫌う?特殊な力を独り占めされてんのは分かるが、その代わり此処は平和だろ」
俺は窓の外を流れていく人の波を見る。今まで旅をしてきた何処の国よりも、豊かで、栄えている。不平不満なんざあるようには思えなかった。
アンジェは赤い髪を耳にかけると、皿を置いた。
「そうね。この国の人間じゃなければ知らないと思うけれど……下層階に生きる人間は、国にお金を納める代わりに一つの条件をのまなければいけないの」
貴方やアナスタシアさん達も、長居するようならば気をつけた方がいいわ、とアンジェは暗い声で言う。俺はふと口をつけたグラスを離した。
「条件?」
アンジェは俺の目を見ると、迷いもなく口を開いた。
「そう。細かいことは色々決まっているけれど……簡単に言うならば、子供を作って国に売る。そうゆうことよ」
「そうゆうこと、って……」
子供を作って国に売る?俺は考えを巡らせた。ガキなんざ大量に手に入れてどうすんだ、うるせぇだけじゃねぇか。大体そんなことをして一体何を……。
ふと、煙草の灰がカウンターに散る。考えが答えに辿り着くまで、時間は殆どかからなかった。アンジェは灰皿を差し出すと、自分もカウンターの向こうの椅子に腰掛ける。
「……男も女も、一定の年齢までに子供を作ることを定められる。勿論、相手がいればいいけれど、いなければ国が選んだ適当な男と一緒にされる。子供を作れなければ、代わりに制裁金を取られる。……馬鹿な話でしょう?」
国を恨みたくもなるわ、とアンジェはため息をついた。俺は煙草の煙を吸い込むと、肺の奥深くから吐き出した。白く染まった煙がゆっくりと消えていく。
ガキを作れとか言うのは、ルミナリィ計画のためか。詳しいことまで聞いたことはないが、赤子が実験に使われていたと聞く。それも膨大な数の命だ。それは全て、このダウンタウンで生まれた生命だったと……そうゆうことか。
「……こんな国なんて、なくなってしまえばいいのに……」
ふと、アンジェの口から漏れた愚痴に、俺は視線を上げる。なくなってしまえばいい、か。それが実現することを知ってる人間が聞けば、複雑な話だな。
アンジェはグラスを一つ一つ並べながら、俺の視線に気づいてこちらを見る。
「何?」
「……いや」
俺は視線を逸らすと、もう一本煙草を取り出して口にくわえた。魔法で火をつけると、先端が燻って燃え始める。
パラパラと舞落ちる灰が、足下へと消えていった。




