白の空間
文化祭で展示していた作品です。
――ここは、どこだ。
俺は、真白な水の中に浮かんでいた。
立ち上がると、さほど深くはないのだろう、腰の辺りまでしか水に浸からなかった。
辺りを見回すが深い霧が立ちこめていて何も見えず、その白い海がどこまで続いているのかもわからなかった。
これは夢の中だ、と思った。夢である割には意識がはっきりしていたが、その疑念を打ち負かす程に俺の頭が訴えるのだ。これは夢だ、と。まるで警告音のように。
何かしらの刺激があれば起きるかもしれない。そう思って自分の頬を強く引っ張ったが、鈍い痛みが走っただけだった。…そう、痛かったのだ。
――これは、夢じゃない?
俺はますます困惑した。夢じゃないのだとしたら何があるのだろう。
答えなどわかっていた。しかし、俺の頭はそれを認めようとしない。一体どうしたというのだろうか。
そうしている内に頭が痛くなってきた。
痛みで強く閉じていた瞼を開けば、辺り一面に広がる白に頭がぐらりと揺れて視界が廻った。
そのときだ。
――夢だよ。これは君が見る夢。
突然頭の中に直接声が響いてきた。ぐらぐらと揺れる頭に、その柔らかな声はすんなりと侵入してきた。
――これは、僕が見せる夢。君が一番に望む夢。僕が君にで…る、さ…しょで…いごの…
声は次第にノイズのようなもので掻き消されていき、完全に消え去るのと同時に、俺の意識もまた、ふつりと途切れてしまった。
◆◆◆
気がつけば、先程までの浮遊感は無くなっていた。辺りを見渡せばそこは白い海ではなく、部屋の中だった。
ところどころにアンティークと呼ばれるものが置いてあり、チェス盤を模した机や宝石を填め込んだくるみ割り人形など、それらのアンティークはどこか俺を安心させた。
俺が寝ていたのは革張りのソファだった。足がゼンマイのように丸まっていて、これもまたアンティークと呼ばれるものの一つなのだろう。
そんなことを考えていると突然背後から男の声が降ってきた。
「起きたみたいだね」
驚いて振り向けば、ティーカップとポットを乗せた銀のトレイを手に持ち、心配そうにこちらを覗き込む青年の姿があった。
見覚えがない。…はずなのに、どこか懐かしさを感じさせる青年だ。会ったこともない。声だって、聞いたこともないはずなのに。
「誰だ、お前」
苛立ちを感じて思わずぶっきらぼうにそう訊いてしまい文句の一つでも言われようかと思ったが、予想に反してその青年は実に素っ頓狂な答えを投げかけてきた。
「え、僕? 僕は…潤だよ」
「名前は訊いてない」
はあ、とため息をついて、のほほんと笑顔を湛える青年を呆れ顔で見た。
「お前は何者なんだって訊いてるんだよ」
「んー、僕もわかんない」
「あっそ」
阿呆らしい、と思った。何度訊いたところでこの青年には答える気など無いのだろう。
しかし、逆に怪しい。子供のような応答をして、俺を騙そうとでもしているのではなかろうか。やはりそう簡単には信用できないだろう。そもそも第一に、何故俺はこんな所にいるのだろうか。
――誘拐?
まさか。俺を誘拐して何になる。
でも確かに俺は久しぶりの休日に何処かへ出かけていたはずだ。さて、何処だったか…。
思い出そうとして、ずきん、と頭の奥が痛んだ。
う、と呻いて頭を抱えると、青年が、ふ、と笑った気配がした。
「お前…俺に何をした」
床に蹲りながら、睨みつけるように青年を見るが、前髪に隠れて彼の様子を覗うことはできなかった。
「僕は何もしてないよ。望んだのは君だ」
す、と青年が差し出したのは青く澄んだ、空色のビー玉。
「見せてあげるよ、君が望むものを……」
その言葉を最後に、俺の意識はまた、ふつりと切れてしまった。