恐怖の始まり
二月の終わり。
卒業式まで、あと二週間。
体育館にはパイプ椅子が整然と並び、冷たい床を踏み鳴らす靴音だけが静かに響いていた。
「起立」
先生の声が響く。
生徒たちは一斉に立ち上がり、ぎこちなく礼をする。
その列の中で、如月百花は隣に立つ東雲梨花をそっと横目で見た。
幼い頃からずっと一緒だった。
泣くときも、笑うときも、困ったときも。
気づけば隣にいるのが当たり前で、その当たり前が、いつしか恋へと変わっていた。
けれど、その想いを伝えることはできなかった。
梨花は誰にでも優しい。
明るくて、人懐っこくて、男女問わず人気者だ。
だからきっと、自分なんて恋愛対象ではない。
そう思い込み、今日まで胸の奥へしまい込んできた。
(卒業したら、もう会えなくなるのかな……)
百花は進学先のパンフレットを思い浮かべる。
梨花とは違う大学。
違う道。
違う未来。
それでも、「好き」の一言だけは言えなかった。
「百花!」
休憩時間になると、梨花が笑顔で駆け寄ってくる。
「今日も真面目だねぇ。肩、力入りすぎ!」
そう言って軽く肩を叩かれる。
「……梨花は元気すぎ。」
「えへへ。」
その笑顔を見るだけで胸が苦しくなる。
触れられる距離なのに、想いだけは届かない。
そんな時間が、もう三年以上も続いていた。
――その日までは。
昼休み。
突然、校内放送が鳴り響く。
『全校生徒は直ちに教室へ戻りなさい。繰り返します――』
普段とは違う緊迫した先生の声に、生徒たちはざわめき始める。
窓の外を見ると、校門の向こうで人々が騒いでいた。
誰かが倒れ、誰かが叫び、救急車のサイレンだけが街中に響いている。
「何が起きてるの……?」
梨花が不安そうに呟く。
数分後、担任が青ざめた顔で教室へ入ってきた。
「落ち着いて聞いてください。」
教室は静まり返る。
「現在、原因不明の感染症が全国で確認されています。感染者は体にノイズのような症状が現れ、時間の経過とともに視界や聴覚が失われ……最終的には存在そのものが消失すると報告されています。」
誰も言葉を発しなかった。
冗談だと言ってほしかった。
映画や漫画の話だと笑ってほしかった。
しかし先生の震える声は、それが現実であることを物語っていた。
「政府からの指示です。校外へ出ることは禁止されました。この学校で待機してください。」
卒業式までの日々は、希望ではなく、不安に塗り替えられていくのだった。




