比翼の鳥(18)
リーフの姿が店内から消えた途端、あからさまに肩から力を抜いたアディに、ゴードは思わず噴き出していた。
はっとしたように顔を向け、アディはバツが悪そうに視線を下げる。
「随分、その、緊張してるようだね」
「……」
労わるようなゴードの言葉に、アディは無言で小さく頷く。
あの襲撃から彼等の間がやたらとぎくしゃくしている事は誰の目で見ても明らかだ。アディは何処かリーフに遠慮しているし、リーフは今まで以上に言葉と態度が硬化してしまっている。
一触触発なその現状を、けれどどちらも変に壊したくないと思っているのだろう。
その原因であろう事柄── アディが旧アディアの王女である── を思えば、ゴードも流石に口出し出来ずにいた。
実際の事情は第三者の彼にはわからない。
それ以前に二人の関係は、彼等二人で解決すべき事だろうし、事情をわかっていない人間がしゃしゃり出る場面ではないのも確かだ。二人が抱える問題があまりにもデリケート過ぎる。
「ごめんなさい…ゴードさん」
やがてアディの口から、そんな謝罪の言葉がぽつりと零れ、ゴードは首を傾げた。
「ん? 何を謝るんだい?」
「えっと、その…ゴードさんも大変なのに、雰囲気悪くしちゃって……」
「ああ…、気にしてないよ」
一体何に対して謝っているのかを理解し、笑って見せれば、アディはほっとしたように表情を緩めた。
「リーフっていつも何を考えているのかよくわからないけど、普段はあそこまでじゃないの」
何処か庇うような事を口にする、その表情は暗い。
「だから── 多分、本当なんだと、思うんだ」
何が、が抜けていても、アディの言わんとする所はわかった。ゴードも同意見だったからだ。
何かの間違いであるなら、とっくに否定しているはず。それをせず、それどころか触れて欲しくなさそうな様子を見せる事自体、それが真実であると言っているも同然。
おそらく── リーフも、今更誤魔化そうとは思っていないのだろう。
「あたしが『お姫様』だって。…あは、なんか信じられないなあ」
困ったように笑う顔に、ゴードは何も言えなかった。
アディアが滅んで、およそ十年近く。
まだそう呼ばれていた頃の事は記憶に残っているものの、国境に近いこの街で生まれ育ったゴードにとって、その中心であった王都の事も、この国を治めていた王家の事も遠いものだった。
ましては、当時はまだ表だって名が出る事もない姫君の事など、話に出る事すらなかった。だが、確かに振りかえってみれば、確かその時の王に子は一人きりだったはず。
つまり、アディは── 世が世なら、世継ぎの姫だった訳だ。
(だから…追われているのか?)
とっくに滅んだ国の、歴史にも名を残しているか怪しい姫を今もなお追う理由としたらそれくらいしか考えられなかったが、暗殺でもなく生きたまま身柄を拘束しようとした理由には幾分足りないような気もした。
(…まあ、僕が考えたって何が変わる訳ではないけども)
完全に第三者が出来る事と言えば、すっかり元気のなくなったアディと、今まで以上に無表情になってしまったリーフの間を、少しでも取り持つ事くらいだろう。
「…それで、アディ」
「うん?」
「アディは、リーフが黙っていた事はどう思ってるんだい」
ゴードの問いかけに、アディは少しだけ考え込む。
ずっと今まで彼が抱えて、守って来た秘密。
アディ本人には当時の記憶など欠片もなく、普通の少女として今まで生きてきた。…生きてこられた。おそらく、今回のような追手は今までにもいたのだろうに。
それはきっとずっと、思うより大変だったに違いないのだ。
「…何か理由があったんだと思うし、感謝してるよ」
基本無口・無愛想で、情緒の欠片もなく。乙女の他愛のない夢は幾度も踏みにじられたし、あからさまにばかにもされた。
それでも嫌いにはなれなかったのは、幼い身では彼しか縋れるものがなかったというのも、もちろん大きい。
けれど何だかんだと言いながら、最終的に彼はアディの意志を尊重してくれた。子供の戯言だと一蹴しながらも、その手を彼から離す事はなかったのだ。
今までだって、喧嘩のような事は何度もあった。その度に仲直りをしては、ずっと一緒に旅を続けてきたけれど── でも、こんな風に声をかける切っ掛けに悩んだ事はない。
そもそも、喧嘩でもないのにどうしてこんな事になっているのだろうと思う。
「今まで通りでいたい?」
「うん」
ゴードの言葉にも、素直に頷けた。
「気にならないと言ったら、嘘になるけど…でも、話したくないなら、話してくれなくてもいいんだ。だって、今まで知らなくても何も悪い事はなかったんだもの。それに…多分、だけど。知らないと駄目な事なら、いつかは話してくれると思うんだ」
無理に話してもらって、今までの関係が壊れてしまうくらいなら、知らないままの方がいい。それは紛れもなく本心だった。
自分自身の事なのに、関心がなさすぎるかもしれないけれど。
覚えてもいない昔の事よりも、今までリーフと共に歩いてきた時間の方がずっと、ずっと大事だった。
「じゃあ、その事を伝えたらいいんじゃないかな?」
「それはそうなんだけど、でも…なんか、声がかけづらくて」
「そうか。…じゃあ、こういうのはどうかな」
しょんぼりと項垂れるアディの答えに微笑んで、ゴードが手招きする。
「…何?」
「仲直り…と言うのも変だけど、彼と話すいい切っ掛けをあげるよ」
悪戯っぽく片目を瞑り、そんな事を言う。思わずアディは詰め寄っていた。
「本当!? どうするの?」
「ほらほら、声が大きい。こういうのはこっそりやった方が効果的なんだから。あのね、……」
そしてゴードがそっと耳打ちした言葉に、アディは目を丸くし── やがてその顔に笑顔を浮かべた。
「…どうかな?」
「いい考えだよ、ありがとうゴードさん…!」
「あはは、まだお礼を言うのは早いんじゃないかな?」
「あ、そっか! でも、それならリーフもきっと驚くよ!」
ゴードに齎された名案に興奮を隠さずにはしゃぐアディは、しかしはっと我に返ると恥ずかしそうに声を潜める。
「…あ、あの……、ゴードさん手伝って、くれる? 普段、その、あまりちゃんとやった事なくて……」
「もちろん、そのつもりだよ」
「良かった!」
ようやく見せた屈託ないアディの笑顔に内心ほっとしながら、ゴードはこの作戦がうまく行くよう心の中で祈った。
長く客商売をしているからか、それとも第三者という立場で客観的に見られるからか、接している内に相手の事は何となく見えてくる。訳ありの人間ならなおさらだ。
(ひょっとしたら、彼が抱える事情はアディより深刻かもしれない…と思うのは気のせいかな)
ゴードの目から見ると、アディよりもリーフの方がいろいろと抱え込んだ事情がありそうなのだ。誰に対しても一線を引いているのが、ただの性格からだけでは(…おそらく、大部分は性格なのだろうが)ないように感じたのだ。
(さて、これを彼もいい切っ掛けにしてくれればいいけど)
自分が出来る事はこの程度だ。
結局は周囲にどんな問題があろうと、どう乗り越えるかは彼等次第。第三者はただ、見守る事しか出来ないのだ。
「じゃあ、ここは大分片付いた事だし、早速取り掛かろうか?」
「うん!」
楽しげに笑う無邪気な顔。アディの笑顔は、周囲を明るくしてくれる。
ひょっとしたら『王女』のままだったなら、見る事のなかっただろうこの陰りない笑顔を、きっと彼も守りたいと願っているに違いないのだから。