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Evergreen ~永久なす緑~  作者: 宗像竜子
第三話 比翼の鳥
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比翼の鳥(13)

 見る間にフレルのクリーム色したブラウスの胸元が赤く染まってゆく。今度こそワインなどではなく、本物の血だ。

「…チッ! 仕留めそこなったか……」

 呪うような声が床の方から聞こえ、彼等の目が一斉に(うずくまっていた男に向かう。

 一瞬とは言え、油断していたのは事実だ。背中の傷が浅かった事も理由の一つだろう。苦痛に顔を歪めながらも、男は腰の剣を抜こうとしていた。

 先程の警吏隊の話で動揺を見せなかったのは、単に諦めていなかったからなのだ。関係者の口を全て封じる気で──。

「…貴様……!」

 咄嗟にリーフが手近にあった植木鉢を投げる。動けない男は避ける事もできず、利き腕に一撃を受け、剣を取り落とした。

 今度は手加減などまったくない。土の入ったそれは鈍器にも等しく、男はうめき声をあげて腕を抑える。

「アディ、フレルを……!」

「う、うんっ」

 リーフの声に従い、アディがフレルの元へ駆け寄る。

 そのままリーフは男の元へ動き、床に転がった剣を蹴飛ばすと同時に、そのまま当身を食らわせて意識を奪った。アディを取り戻した事で安心したばかりに、と自分自身へ苛立ちを抱く。

 再び同じ事が起きないよう、先程倒れた男と共に店の隅へと運び、近場のカーテンを裂いてそれぞれの手首を縛り上げた。

(ど、どうしよう……っ)

 対するアディは、フレルを抱き上げまではしたものの、そこから何も出来ずにいた。破片自体は大きくはなかったが、引き抜くには勇気がいる鋭い輝きを秘めている。

 倒れた拍子に頭を打ったのか、意識もないようだ。ぐったりと重い身体に、泣きたい気持ちになる。

(── これも、あたしのせいなの……?)

 自分が、アディアの王女だから。だからフレルがこんな事になってしまったのだろうか。

 その時、ようやく我に返ったゴードが震える声でフレルを呼んだ。

「フ、フレル……!!」

 その顔色は蒼白で、不自由な足を引き摺って必死にこちらへと近寄ってくる。

「フレル…フレル……、しっかりするんだ……!!」

 ひざまずき、必死に呼びかける。その声に反応して、フレルが微かに目を開いた。

「フレル……!」

「フレルさん、しっかりして!!」

 ゴードとアディの声に、フレルはうっすらと微笑んだ。その唇が苦痛で掠れた声を紡ぐ。

「…ド、無事……?」

「ばかな事を…どうして僕を庇ったりなんか……!! 待っててくれ、い、今すぐ医者を呼ぶから……!!」

 はっと我に返った様子でゴードが立ち上がろうとするのを、男達を縛り終えたリーフが引き止めた。

「俺が行く。近所の人間に頼んだ方が早いだろう。あんたは側についていた方がいい」

「で、でも……!」

「落ち着け、致命傷じゃない。…急所は外れている。破片は医者が来るまで抜くな。体内に欠片でも残ったら大変だからな」

 こんな状況でも自分を失わないリーフのてきぱきとした指示は、この場においては的確と言えるものだった。

 その言葉に多少は冷静さを取り戻したのか、ゴードが引き下がる。

 そのままリーフは店の扉に向かい、ちらりとアディに視線を向けた。アディはフレルを支えるのに必死で、彼の視線には気付かない。

 この場に残しても大丈夫だろうか、とふと思いついた考えを振り払い、リーフは夜の闇に沈んだ外へと飛び出していった。


+ + +


 付近の住民の協力で、医者はすぐにやって来た。

 店の中に入った途端、その惨状に目を見張ったが、流石は医者だ。すぐに自分を取り戻すと、傷付き倒れたフレルの元へ向かう。

「ほれ、そこのお嬢ちゃん。ちょっとそこを退いてくれ。ふむ……。硝子か、ちと厄介だな。ここで応急処置をせねばなるまい。…おい、ゴード。気持ちはわかるが、ぼさっとしてないで消毒用の湯を沸かせ!」

 医師の一喝に、ゴードが青褪めた顔を上げる。その手がぎゅっと医師の骨ばった手を握った。

「な、何だ、いきなり!!」

 ぎょっと身を竦める医師に、ゴードは縋るような目を向ける。

「マリウス先生……。フレルを、必ず助けて下さい……!!」

「わ、わかっておるわ! いいからさっさとこの手を離して湯を沸かさんか!!」

「フレルは…僕が一番苦しい時に支えてくれた恩人なんだ。だから……!!」

「だから助けたければだな、」

「あ、あのっ、あたしがやります!!」

 見るに見かねて、アディが代わりに湯の準備をしに、カウンターの向こう側にある厨房へと入る。

 どの程度の湯が必要なのかわからなかったが、取り合えずすぐにいるのだろうと考えて、小さめの鍋に水を入れる。

 店を締める前だったので、まだ火の気は消えていない。

 大きなかまどの使い方などよくわからなかったが、火から起こす訳ではないのなら何とかなる。

 先程食事中に見たゴードの姿を真似て、水の入った鍋を火にかけるとまたフレルの元へと戻る事にした。湯が沸くのをじっと待っていられない気分だったからだ。

 ようやくゴードの手から解放された医師がリーフと何やら話していた。何があった、などという言葉の断片から、状況を聞いているのだろう。

 一瞬、ひやっとしたものを感じたのは、自分が旧アディアの王女かもしれない事を思い出したからだ。

 まだ信じられないし、人違いだとは思うけれども、そうでないなら何の為にフレルは傷付き、この店もこんなにひどい有様にならねばならなかったのか。

 ズキリと胸が痛んだ。

 自分が王女であろうとなかろうと、この事態を引き起こしたのは紛れもなく自分なのだ。

 先程のゴードの言葉が耳に甦る。


『僕が一番苦しい時に支えてくれた恩人なんだ』


 その言葉を聞いた時、ああ同じだとアディは思った。

 ゴードとフレルがどんな関係にあるのか、実際の所はわからないけれど、フレルはゴードにとって自分にとってのリーフと同じ存在なのだ。

 …かけがえのない『存在ひと』。

(…助かって)

 リーフの言葉を信じるのなら、フレルは多分適切な処置さえすれば助かるだろう。それでもそう祈らずにはいられなかった。

「…アディ? どうした、顔色が悪い」 

 はっと我に返ると、いつの間にそこにいたのか、リーフが相変わらずの無表情で自分の顔を覗き込んでいた。

「な、なんでもないよ!」

「そうか?」

「うん。あ、あの…リーフ……その……」

 ふと、確かめたい衝動に駆られる。

(あたしは本当に旧アディアの王女なの?)

 きっとリーフは何もかも知っている。そんな気がしてならなかった。けれど──。

「お医者さまには、なんて説明したの?」

 結局、問う事は出来ずに別の事を口にする。

 …そうだと肯定される事が怖かった。

 そんなアディの心境を見透かしてか、リーフが一瞬物言いたげな顔をしたものの、すぐに表情を改めてアディの質問へと答える。

「賊が入って暴れた、と説明したが」

「賊!?」

「それ以外に何が言える」

「でも、だって…あの人達が違うって言ったら……!!」

 言いながら、店の隅でまだ伸びている二人の男達に目を向ける。彼等が自分を狙ってきたと言えば、リーフの嘘はたちどころにバレてしまう。

 しかし、リーフは平然としたものだった。

「言う訳がない。奴等は秘密裏に事を運びたがっていたんだろう。こんな所でペラペラと話すとは思えない。むしろ賊として身柄を押さえられれば、しばらくはここを狙う事もないだろう。…これだけの人間に面が割れてはな」

 確かに医師を呼ぶ際に、付近の住民がいくらか集まってきていた。

 見世物ではないという医師の言葉で、店内にまでは入ってきていないが、どんな奴等がこれをやったのかと、興味津々で店の隅で縛られている男達や、裏にまとまって伸びているその仲間などを見ている。

 この様子では、誰かが警吏隊を連れて来るのも時間の問題だろう。出来ればあまり事を大きくしたくなかったが、こればかりは仕方がない。

 彼等がマザルークの正規軍だとするなら、決して友好的とは言えない隣国領内での揉め事は避けるはず。今はそれに賭けるしかない。

 ── もちろん、そう簡単に事が運ぶとは思えないし、根本的な解決にならない事は確かだが。それでも時間稼ぎにはなるだろう。

「でも……っ」

 それでも納得の行かない様子のアディに、リーフが静かに尋ねた。

「── それとも、正直にお前を狙ってきた輩だとでも言う気か?」

「……!!」

 真っ直ぐな瞳は、心の奥底まで見透かすかのようで。アディは息を飲み、返す言葉を失った。

(だって、あたしのせいだもの)

 言葉にならなかった思いは、心の中に重く沈む。

(あたしがここに来なかったら、フレルさんはあんな目に遭わなかったはずなのに)

 凍りつくアディに、リーフは小さくため息をつくと、ポンと頭を軽く叩いた。

「気にするな。お前のせいじゃない」

「…リーフ……」

 きっと今、泣きそうな顔をしていると思う。縋るような顔をしていると思う。けれどもやはり、こんな時に頼れるのは彼しかいなくて。

 いくつになっても子供みたいだ。そんな事を思いながら、目の前の身体に抱き着いた。

「フレルさん、大丈夫だよね……っ?」

 怖い。

 あんな風に、血を流して倒れている人を直接見たのは初めてで。どんなに大丈夫だと保証されても、安心なんて出来なかった。


 ダッテ、人ハ簡単ニ死ヌ。


(……?)

 ふと脳裏に浮かんだ不吉な言葉に戸惑う。

 今まで人の死に立ち会った事なんて一度もないはずなのに、どうしてそんな事を思うんだろう?

 まるで── 昔、人が呆気なく死んでゆく場面に遭遇した事があるみたいに。

 リーフが珍しく宥めるように背を撫でてくれる。けれど、いつもならそれで落ち着くはずの心は乱れたままだった。

 ── 激しい嵐が通り過ぎた後のように。

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