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第六話

 寄宿舎に入って十日ほどが過ぎた。

 厳しい友人のおかげで課題は全て終わり、私は残りの期間を気ままに過ごしていた。

 図書館に行ったり、部屋でゴロゴロしたり、寮の先輩たちとご飯を食べたり、寮監の先生とお茶をしたり。

 サーラと行動をともにすることはあまりない。朝ごはんは必ず一緒だけど、それ以外はほぼ別行動だ。ほぼ毎日どこかに出かけており、予定がない日に私と一緒に過ごす感じ。

 実家に帰っていろいろとやっているらしい。予定のない日に私がいてくれて助かると笑っていた。そんなにストレスかかることやってるのかしら。伯爵家こわい。

 

 マリエッテ様もそうなのかな。早く会いたいな。

 数日前に私は決意した。うまく言えるか解らない。でも、言わなければならない。

 マリエッテ様には、少しでも楽に生きて欲しい。

 その道を選ばれるかどうかは解らないけど、せめてその道があるということだけでも知ってもらいたい。

 

 そしてその手を引くのは、もはや私でなくていい。

 憧れみたいなものがあったから、私が、となっただけで、マリエッテ様が楽になれるなら誰だっていいのだ。

 私は、こんな大事なことを見落としていた。

 誰のためにそうしたいのか。

 そのために、どうすればいいのか。

 色々考えて塗り固めていった結果が今の私だ。

 それがマリエッテ様を傷付けるのなら、これはよくない気持ちだ。


 そう理解したばかりなのに、さぁこれから行動しようという時に、焚き付けた張本人であるサーラがなぜか私を止める。

「今はたぶん、良い顔をされないと思うから」

 自室で、いつ帰ろうか考えているところに冷や水をかけられた。一時帰宅なり、屋敷に帰ること自体は拒否されないと思うが、それでも少し困ったような顔をされるだろう。退寮なんてもってのほかだ、だなんてどうしてそんなことを言うのだろう。

 理由を尋ねても、彼女は口を濁すばかり。試しに屋敷へ帰宅したいと先触れを出すと、サーラが言った通り、後日にするようお母様から返事が来た。

 どういうことだろう。何か取り込んだことが急にできた?

 例えば……陛下がいらっしゃるとか? いやまさかね。

 

 それにしてもサーラはどうしてそんな事情を知っているのだろう。ベッドに寝転んだ私は、机に向かう背中へ疑問を投げかけた。

「伯爵家同士って、ネットワークみたいなのがあるの?」

「まぁ、そんなもんだな。ティネが思っている以上に、貴族には横の繋がりがある」

 こちらを振り返らず、書き物の手を止めないまま答えが返ってくる。なるほど。横かぁ。ちょっと寂しい。

 だって私は義理とはいえ、伯爵令嬢だ。なのに何も教えて貰えていないってことは、お義父様の中では、子爵令嬢扱いなんだろう。

 まぁ、それもそうよね。ちょっと考えが図々しかったかな……。


 なんてしょんぼりしていると、サーラがぷっと吹き出した。

「どうしたの?」

 こちらを振り返って言う。

「ティネ、アンタもしかして、疎外感覚えてない?」

 ぽかんとしてしまった。笑いをこらえるサーラに驚きが隠せない。外交官の家に生まれたからって、私の気持ちを解りすぎじゃない?

 それともこれが天才ってやつなのかしら。将来、こうやって相手国の気持ちを読んで、手玉に取っていくのだろう。エルゼンブルフ王家も安泰ね。

 

「いやいや。自分の家のことで、自分が知らないことを他人が知っていれば、誰だって疎外感を覚える」

「うん」

「疎外感を覚えれば、悲しい顔をする。果たしてティネは、悲しい顔をしていた。これだけ」

「な、なるほど……」

 直接確認され、ぽかんとしたのも彼女の質問に肯定したということなのだろう。

「言っとくけど、アンタを閉め出してるのには理由があるからよ。軽んじていないけど、アンタを噛ませるわけにはいかないの」

「なにそれ」

「色々、だな。じきに解るだろう」


 

 そう。本当にそれはじきに、だった。

 屋敷からの使いが来たと知らせがあり、応接室に向かうとそこにはパウラが待っていた。彼女は私の顔を見るとソファーから立ち上がり、頭を下げ、挨拶を述べる。私は、そんな口上をかき分けて早足で彼女の元に歩み寄り、ひしと抱きつく。

「もう……お嬢様は、変わりませんね」

 優しい声。温かい。少ししぼんでいた心が再び花開くのが解る。私は、返事もせずパウラの肩口に鼻をこすりつけた。ほんのかすかに香る花の香りが、彼女の控えめながらもしっかり自身の存在を示すところがよく表れていて大好きだった。

 とはいえ、私は淑女だからそんなに長い間、彼女にじゃれついているわけにもいかない。二、三回息を大きく吸い込んでから、体を離した。お互いに軽く頷き合い、私は長机を迂回して反対側のソファーへ移動する。


 応接室にはお金のかかっていそうなふかふかのソファーが一対向き合っており、その間に木製の長机が居座っている。精巧な彫刻は素人の私でもほぅ、とため息をつくほど立派な模様で、これだけでお茶が飲めるんじゃないかも思うくらい、机のあちこちにきれいな模様が彫られていた。

 ソファーの周囲は割と広いスペースで、壁との間は大男がひとり、余裕を持って通れるくらい。とは言え、そのまま奥に行こうとしたら、片方は壺に、片方は彫像にぶつかる。それを避けたら大きな窓だ。今は固く閉じられ、夏の日差しの侵入を防いでいる。


 学生寮の応接室だから、つくり自体はこんなものだろう。それでも私は設置されている物品の価値に落ち着かないものを感じながらソファーに座り、パウラにも勧める。

 そして、使者としての口上が開始された。

「マリエッテ様につきまして、ご報告がございます」

「うん」

 淡々と告げる様は何やら別人のようで、他人行儀に思えた。なぜか判決を待つような気分で続きを促すと、とんでもない報告が私の横っ面をひっぱたいた。


「日程調整をしておりましたマリエッテお嬢様のお見合いが近々行われることになりました。よって、お嬢様におかれましてはしばらくお屋敷にはお戻りになれませんこと、ご承知おきくださいませ」

 深々と頭を下げる。それもそうか。雑用ならともかく、公爵令嬢の私が屋敷にいて、割り振れる役割なんてないよね。

 発狂するかも知れないし。

 

「そうよね。子爵令嬢の私なんて、部外者だもの」

「はい? 子爵令嬢?」

 パウラの眉間にものすごく深い谷が刻み込まれる。これ見たことがある。怪しい宗教の勧誘を受けた時の顔だ。いや、それはそれでどうなんだ。なかなかの不敬だろう。どんなに疑問符を浮かべられようと、私が爪弾きにされているのは事実なのに。パウラへの気安さから正直に感じていることを伝える。自業自得だとは思うけど、私は伯爵家から弾かれた身だから、子爵令嬢を自認するしかないのだ。

 

「……切り離された? 自業自得?」

 両眉がくっつくんじゃないかと思うほどに引っ張り合っている。おかしいね。パウラは一番近くで見ていたのに。私が、マリエッテ様に対して無礼を働いたから、私には何も教えてもらえないんでしょ?

「おいたわしやお嬢様……」

「なんでよぉ」

「はぁ」

 声に出してのため息。いやさすがに怒ってもいいでしょこれ?

 

「マリエッテお嬢様のお見合いですよ?」

「ん?」

「お嬢様がお屋敷にいらっしゃれば、悲しまれるかもしれないと」

「あ……」

「お嬢様が傷付かないようにと、ご配慮下さったお優しさを、蔑まれたなどと……」

「あああ……」

 馬鹿だった。恥ずかしくて合わせる顔がない。これはもうひとり部屋をもらってそこで永遠に謹慎しているべきだろう。今すぐにでも。ソファーに両足を上げ、三角座りする。このまま顔を伏せて完成だ。

 

「本当に……」

 ふっ、と小さく息をつく音が聞こえた。顔を上げると、包み込むような優しさがそこにあった。本当に、仕方のない。でも捨て置けない。そんな心の声が聞こえてくるようだった。

「本当にお嬢様は、マリエッテお嬢様のこととなると、別人になられますね」

「吹っ切ったつもりだったけどね……」

「まぁ。吹っ切った」

 

 意外そうな、驚いたような顔でおうむ返しをする。私としては意外に思われることが意外だ。だって私がマリエッテ様をお慕いして、それ以上の関係を望むのは世間一般的にも褒められたことではないだろうし、お母様もパウラもそう望んでいるのだと思っていた。しかしパウラが見せた表情は温泉のように私を包み込み、温めるものだった。

「……誤解をされているようですが、奥様も私も、お嬢様を応援しておりますよ?」

「えっ?」

「どのような形であれ、お嬢様の初恋なのですから。温かく見守っていますとも」

「ええ……」

 そんなさも当然のように、ドヤ顔で言われるとこっちが恥ずかしい。っていうか二人ともにバレていたのね。パタパタと顔を扇ぐ。

 

「吹っ切るだなんて、もったいないです。いつものお嬢様らしくあってくださいませ」

 最初だからこそ思うがままにやって欲しいと目を輝かせて言う。

「……遊んでない?」

「とんでもない。大事な経験ですよ」

 変わった二人だと思った。娘の恋を応援するというのはまぁ解る。でもその相手が同性でも構わないというところが解らない。それによる気持ちの浮き沈みを経験しておくのは良いことだとは解る。でも、そうだとしてもせめて相手は異性にしておけと助言するのが親や主たる侍女の役割ではないだろうか。

「恋に性別は関係ありません」

「そうなんだ……」

「もっと肩の力を抜いて、気楽にお考えくださいませ。失敗しても、奥様がいらっしゃいます。僭越ながら私もおります」

 胸に手を当て、にこりと微笑む。心強く、安心できる笑顔だった。駄目でもこの笑顔に受け止めてもらえるなら、まぁ、諦めなくても、いいかな。

 それもそうか。家のこととか、色々と悩んでしまったけど、そもそも心が通じたからとそこから結婚にまで至るかなんて解らない。それを前提して考えるつもりはないけど、最後はお互いまだ見ぬ男性と、となるのが一般的だろう。

 そうね。もっと気軽に考えるべきだったかも知れない。未来の話は、未来に任せて今を生きるべきだったんだ。

 もっと早くその考えに至るべきだった。そうすれば私はきっと、屋敷に引っ越した日からマリエッテ様の前で笑顔でいられた。


「お見合いかぁ……」

 今回だけ、失敗しないかな。

 一度だけ、チャンスが欲しい。

 この気持ちを霧散ではなく昇華させたい。

 独り善がりだけど、それが私らしさだと思う。まずは、ぶつかって。

 訂正。チャンスは二回欲しいわ。

 ぶつかるのに一回。修正して、再度ぶつかるから二回。

 そうそう。これよ。これが私。調子出てきたわ。いつになったら帰っていいのかしら。早くマリエッテ様にお会いしたいのだけど。




「ティネ。寂しくて会いに来たわ」

「へっ?」

 会いに行こうと思っていたら、会いに来た件。何度まばたきを繰り返しても、そこにいるのは紛れもなく会いたくてたまらなかったひと――マリエッテ・ド・ラーフェンスメールさまその人だった。

 静かな秋の森を思わせる胡桃色の長い髪は、少し伸びただろうか。どこまでもまっすぐなのは変わらない。良くも悪くも横道に逸れることのできないマリエッテ様そのものだ。ひっそりと咲く花のように静かな雰囲気はずいぶんと懐かしく、思わずうるっときてしまう。

「久しぶりね。元気そうでよかったわ」

 ここまでまっすぐに向き合ったのはいつぶりだろうか。顔色は良いようだ。相変わらず目鼻立ちがはっきりしている。ソファーから立ち上がり、きれいなお顔に穏やかさと優しさと、少しの不安を混ぜ合わせたような表情で私に近付いてくる。焦れたのだろうか。本来なら私がそちらに行くべきなのに。マリエッテ様は聖母のようにそっと微笑んで、私は足元に跪くのを待っていればいいはずなのに。

 色んな意味での嬉しいが私の胸を締め付ける。嬉しいのに、苦しい。どうやって息を吐くんだっけ? 少しずつ私の視線が下がってゆく。やはり私は。

 その瞬間、柔らかいものが私の体を包んだ。一瞬、視界が暗くなったので理解が追い付かなかったけど、それが抱きしめられたのだと解った瞬間、顔が一気に熱くなった。

 

「マ、マ、マリ、マ、マ……」

「ママ? 貴方は私に母親になって欲しかったの?」

「えっ?」

 どもってしまっただけだ。慌てて顔を上げると、不思議そうに私を覗き込むマリエッテ様がそこにいた。目が合うと、してやったりとばかりにゆっくり頬を緩める。

「もう。ひどいです」

 ぷうっ、と頬を膨らませてしまった。無礼かな、と思ったけどこのまま行くことにした。何となくだけど、マリエッテ様に浮ついた雰囲気を感じたから、許されるような気がしたのだ。

 

「ふふ。ごめんなさい。貴方がかわいいから、つい」

 いきなり爆弾が投げ込まれた。頭の働きが麻痺したかのように、急に鈍くなる。

「かっ、かわいいだなんて……」

 ちょっと情報過多で、処理が追い付かない。こんな、いたずらっぽく微笑むマリエッテ様なんて見たことがなくて、少し動揺してしまう。灰色の瞳には私の間抜けな顔が映っていた。このまま吸い込まれてしまうのも悪くないと思った。落ち着かない距離だけど、このままでいたかった。


「本当よ。学園時代から、ずっとそう思っていたわ」

 さらに爆弾が投げ込まれる。学園時代から? 思い出すために視線を逸らす。うん。やはり、そんなことはない。何度かお会いしたけど、ただの、容姿や名前を記憶に留める必要もない下級生、という評価しか頂けていなかったように思う。抜け落ちた記憶がある可能性はまぁ、否定できないけど。

 

 リップサービスだ。そう判断した私は高揚する気分に水を掛けられたようで、唇をきゅっと結んだ。だよね。リップサービス。床に這わせている視線に続き、顔自体もかくんと下に向けると、そこにちょうどマリエッテ様の首元があった。あっ、と思った時には視線を縫い止められていた。白くて艶々しい肌はもぎたての果実のように柔らかそうで、ひゅっと吸い込んだ息はいつまでも体から出ていこうとしなかった。襟口から覗く鎖骨の膨らみや、鎖骨と肩が作るくぼみに目が離せない。体の奥がじんとする。息が苦しくなってきた。


 助けて欲しいと思った瞬間、私の体を抱く腕に力が入った。雨粒が地面に吸い込まれるように。暴れそうだった気持が落ち着いてゆく。

「ティネ、大丈夫?」

 昼寝をする子供に掛け布団をかけるような優しさが降りてきて、私は弾かれるように顔を上げた。心配の色を瞳に宿らせるマリエッテ様は、少し頬が赤いようだったけど、それはずっと私を抱いているせいだ。夏の暑さに加えて、温め合っていればそれはそうなる。

 

「はい……あ」

 気付くと、息ができるようになっていた。マリエッテ様は一体、どんな魔法を使ったのだろう。

「ごめんなさい、マリエッテ様。ちょっと意外で……学園では、さほど接点はなかったように記憶していますので」

「そう?」

「私が覚えている限り、二度ほど……でしょうか。直接お話ししたのは」

「……よく覚えているわね。バラの鑑賞会と」

「文化祭の準備」

「そう」

 顔を突き合わせて笑い合う。端から見れば、仲の良い姉妹か友人だったろう。

 さぁ、仕切り直しだ。これから私は、大事な話をする。

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