第五話
朝、起きると夜番の侍女が寄ってきて、私宛に手紙が来ていると言う。夜間、彼女が仮眠から復帰し、扉のそばに置いてある椅子に座った時、気付いたのだと。
「扉の下から差し込まれたようです」
宛先だけ書かれており、差出人の名前はない。
「ありがと。読むわ」
ペーパーナイフを受け取り、封を開ける。
差出人は、マリエッテ様だった。昨日のフルートを聴き、感銘を受けたのでぜひとも一緒に、合奏をしてみたい、と書いてあった。普通に考えれば、即答で受けるべき誘いだ。
でも、マリエッテ様が和解の手を差し伸べるのは、私が平謝りしたあとの話ではないだろうか。順番を飛ばすのは不自然だ。
だってそうじゃない。私のモジモジから始まって、マリエッテ様が悲しい思いをされた。ほら。次は私が謝る順番だ。悲しいから仲直りの握手をしましょうはおかしい。
つまりこれは?
お義父様かお母様が仲立ちしてくださった? ううん、あの二人は見守る立ち位置だ。ノコノコと出ていってマリエッテ様にぽかんとされても困るし。
と、なればこれは、マリエッテ様の筆跡がどうなのかは知らないけど、本物なのだろう。
じゃあ、どういった考えでこの提案をしたのか。それこそ、私を、おびき寄せる?
ちょっとこれは考えた方がいいだろう。もしそうならどんな理由があるのか。
演奏するには広い場所がいいとホールや庭に呼び寄せ、実は断罪とか?
なんとか令嬢とかいうの、流行ってるって聞くし、私も?
それはあり得るわね。マリエッテ様に対して一方的に被害を与えたのは私だ。
うーん。他に理由が思いつかない。素直に仲良くしましょうとは思えない。
私は、羽根ペンを取った。
いつも女神のような美しさで、深い慈しみをもって見守っていただきありがとうございます。
ちかごろは、私の勇気がないばかりにマリエッテ様につらい思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません。
このたびも、せっかく合奏のお誘いをいただきましたが、やはり私はマリエッテ様を前にして、平静でいられる自信がございません。演奏など、もってのほかでございます。
きっと、お見苦しいところを見せてしまい、合奏にならないと思われます。
これはひとえに、私の問題であり、マリエッテ様には何の責もございません。
まことに失礼ながら、この度のお誘いは、お断りいたしたく存じます。
敬愛するマリエッテ様へ。深い親愛を込めて。ティネより。
「いやぁ、おもしろい。ティネは、本当にあの方のことになるとおかしくなるな」
「えぇ……」
おもしろい、おもしろいと手を叩くサーラに頬を膨らませた。
「……悪手だったってこと?」
「そう」
パンを一口かじり、もぐもぐする。お昼ご飯美味しそうですね。私は美味しくありません。
しっかりと輪郭のある、綿のような雲がいくつも流れていた。
じりじり照りつける太陽に、草も暖められている。さすがにつらいのだろうか茶色くなっている草も見受けられた。吹き渡る風も温風だ。ちっとも心地よくない。
この時期に中庭でお昼ご飯を食べようなんて思う物好きはほぼ、いなくなった。おかげで内緒話がしやすい。ちょっと我慢が必要だけど、場所を探す必要もないし、楽でいい。
マリエッテ様のお誘いを断ったことがそんなに悪かったのだろうか。ただでさえモジモジしちゃうのに、ご一緒してうまく吹けるわけがない。
それに、ご本人の筆跡かどうかも解らない。誰かのいたずらってこともある。こんな状況で、どうしてほいほい頷けるだろう。
「じゃぁ、普通に合奏に応じればよかったの?」
問うと、もぐもぐしながら頷く。リスみたいでかわいいかった。
「でも絶対にしくじるわよ」
「問題ない」
飲み込んでから答える。え、でもそんなの、恥ずかしい。マリエッテ様の前で醜態を晒すなんてできない。いやいやと首を振ると、そうじゃないとサーラも首を振った。
「必要なのはふたりで仲良く何かをすることだ。うまくいかなくてもいい」
「あっ……」
そうよ。私も、ふたりで仲良くしていけばいいって考えていたじゃない。もしかして、そのきっかけをマリエッテ様が作ってくれたと? え、待ってこれって二回目じゃない?
フルートを吹きながらマリエッテ様のメッセージを感じ、受け取れなかったと気付いたのが先日。つまり一度目。
今回、直接お手紙を下さったのに、お誘いを断ったのが二度目。
「大魚を逃したな。残念」
残念そうに見えない。
「でも、断罪が……」
「物語の読みすぎ」
「うわぁ……」
思わず天を仰ぐ。
そうか。断罪は考えすぎなのね。それもそうか。お義父様が出て行けと一言おっしゃるだけでいいのだから。なにもみんなの目前でやる必要なんてない。
つまり私はまたやらかしてしまったのだ。合奏でしくじりたくないと自分の体面を気にするあまり、事態を好転させる絶好の機会を失ってしまった。これはもうだめだ。
「……どうしたらいい?」
「素直にごめんなさいすればいい」
あっさりしたものだ。それができれば苦労しないのよ。
「できない理由が解れば、事態は解決するかもな」
それも解れば苦労しないのよ。考えれば考えるほどに詰んでいる。ごめんなさいの手紙を渡す? いや、渡したところで私の態度が改まらなければ周囲には信じてもらえないだろう。
あるいはマリエッテ様が理解して下さり、私の手を引いて仲良しアピールをして下されば。周囲は無理やりだと思うかも知れないけど、やがて私がモジモジしなくなって、楽しそうに笑顔を見せることでやがて残念な過去があったけど今では……とならないだろうか。
いやいや何を都合のいいことを。差し伸べて下さった手を私が弾いた私に、いまさらマリエッテ様が協力して下さるはずもない。
「寄宿舎に来たら?」
もうすぐ夏休みだ。その間だけでもどうかと言う。なるほど、今は距離を取る時期か。時間が経てば、使用人たちも噂するのに飽きるかも知れないもんね。
「でも、いいの?」
そもそも寄宿舎は、首都に屋敷を持っていない遠方の貴族子弟のために用意されたものだ。私のように首都に屋敷を構える家の子弟が入っていいものだろうか。
「空きがあるからいいんじゃない? 寮費が入るから喜ぶだろう」
「な、なるほど……」
考えるまでもなくサーラが入寮しているのだからいいのだろう。空き部屋を遊ばせておくよりはいいと学園が考えるのだろうか。
「まぁ、寮監の先生に確認しておくが、それよりもティネは一度、マリエッテ様と離れることが必要だと私は思う」
「そう……だよね……」
彼女がそう言うなら、やはりそれがいいのだろう。一度、じっくり自分を見つめ直さないといけないと思う。
自分が、どうしたいのか。
この気持ちは、本来持ってはいけないものであり、応えてもらえるかどうかも解らないものだ。
よしんば、応えてもらえても、色々なものを捨てなければいけないだろう。その覚悟が、自分にはあるのか?
そもそもこれは、私とマリエッテ様ふたりだけの問題ではない。
お義父様、お母様にも迷惑がかかる。それ以上に、家にそむくこととになる。
ラーフェンスメール家とステーンヴェイク家。これらふたつの家は途切れることとなる。養子をとるという手段もあるが、純粋な血は、途絶えてしまう。
貴族として生まれた者が、すべきことをできるのになさない。これは、決してしてはいけないことだ。ご先祖様に顔向けができない。家の裏切り者として、まともな葬られ方もされないだろう。
私に、その覚悟がある?
正直なところ、ない。
とはいえ諦めたいかと問われれば、それは否だ。
どうすればいいか本当に解らない。
いっそ修道院にでも入ろうかしら。呟いたらサーラに大笑いされてしまった。
時間は少し経ち、学園は夏休みに入った。私は、サーラの勧めに従って寮生活を始めることにした。
お義父様やお母様には一度頭を冷やしたい、と願い出て、期間限定を条件に許してもらった。条件付きであっても許してもらえるとは思っていなかったので、何度か聞き返したくらいだった。
厚遇すぎる、と思うほどに両親は冷静に推移を見守っていた。一体、何を考えて私の選択を尊重してくれるのだろう。少し怖さを感じるぐらいだ。
普通は許されないと思う。無駄な出費も生じるわけだし。伯爵家ともなれば寮費ていどの出費は大したことがないのかな。それとも別の考えがあるのか。
「お嬢様が私と離れるなど、ありえません!」
十年近く一緒だったパウラの方は解りやすかった。
涙目になって眉をつり上げていた。最後の最後まで諦めず、寄宿舎の門前で出迎えてくれた寮監さんにまで交渉してくれて、少しうるっときた。長く一緒にいた人と好き好んで離れようとしている申し訳なさもあり、そんな風に思ってくれているのだとありがたさや嬉しさもあり。
さすがに、例外は認められなかったけど、これが上位貴族ならどうだったろうなとは思う。
出迎えてくれた寮監さんはカイペルさんという名前で、茜色の長い髪がひときわ目を引く、きりりとした大人の女性だった。キビキビとした仕草が見ていて爽やかで、好感が持てた。
話し方も砕けていて、親しみが持てる。部屋までの道中があっという間だった。
そうそう、と思い出したようにカイペルさんご足を止めて振り返る。満面に浮かべるのはいたずらっぽい笑み。
「寮の決まりなどは、君の同室者の方がよく知っているので、そちらに任せることにするよ」
「そ、そうなんですか……」
学生に丸投げする寮監なんて初めて聞いた。でも、最初はぽかんとしてしまったけど、そういう豪気なところもいいな、なんて思ってしまった。
肩にかかった髪を後ろにかき上げる仕草が絵になっていた。私はどうも、イケメン系の女性に弱いのかもしれない。
「……ところで、君はどうしてこんな時期に入寮するんだい?」
再び歩き出しての質問に、私は口ごもってしまった。今さっき出会ったばかりの人に、いくら頼もしさを覚えていたとしても言えるわけがない。ましていいな、なんて思ってしまった人には正しく説明できるとは思えなかった。
「……ああ、すまないね。プライベートだった」
「いえ……」
やはりこういう時に私はモジモジしてしまう。言うなら言う、言わないなら言わないではっきりすればいいのにできない。
「まぁ、慣れてきたら、何でも言って欲しいな。寮監は、みんなの頼れるお姉さんだから」
「なんですかそれ」
思わず笑ってしまうほどに、魅力的なウインクだった。
さぁ、とカイペルさんが足を止める。
「ここが君の部屋だ」
ノックされた扉が開く。そこには、かわいいけど切れ味鋭い刀を隠し持った小動物がいた。
「いよう」
私は、笑顔を抑えられなかった。
カイペルさんが教えてくれた通り、サーラは寮のルールをほぼ熟知していた。丸投げする気持ちも当然だと思った。本当にするか、とは思ったけど。
中にはルールを確認し、違反かどうかを確認しにくる先輩や同級生もいた。いつの時代も悪いことを考える学生はいるものだ。
たいていはグレーだと言って終わらせ、私の紹介をして終わる。
本当はアウトかセーフか解っているけれど、ルール違反を積極的に勧める必要はないと言っていた。それはそう。
彼女のお陰で本当に助かった。誰が手を回してくれたのだろうか。まぁ、その誰かのおかげで私は朝食の時間に間に合っているので感謝しきりだ。
学園の図書館が間近にあるのもありがたい。課題をする時、間近にあるのはとても便利だった。解らないところがあっても同室者がいるから勉強の面でも心配はない。
なので、唯一の心配である自分の気持ちにじっくり向き合えるはずなのだが、これがまた、どれだけ向き合っても結論は出ないどころか一歩も進まないというのが現状だった。
まぁ、それもそうだ。この気持ちをどうするか決めていないのだから、これ以上考えられることは何もない。
だから、どうするかを一生懸命考えた。
頭では諦めた方がいいと解っている。
でも、心が納得しない。
サーラは応援すると言ってくれたけどそのまま素直に突き進んでいいものか。
私は、家を継ぐべき貴族令嬢なのだ。
でも、心が納得しない。
この繰り返しだ。
「……これが恋というものなら、私はこのまま、それを知らなくてもいいとさえ思えるな」
食堂で夕食を食べながら、サーラは真剣な顔で、信じられないと言った。ありがたいことに彼女は私を高く買ってくれていたようだ。
彼女が知っている私は、常に積極的で、失敗しても次にうまくやればいいとまずはやってみる精神を持つ、ある種その無謀さが見ていて飽きないものらしい。
むしろ失敗してからが本番で、足りないものを探り、補ってから再度挑戦する諦めの悪さと冷静な分析力が興味深いとかなんとか。
サーラ自身はあらかじめ足りないものを想定し、補ってから事に当たるタイプであるため、真逆なところが楽しいと話していた。
「なのに、今回に限っては、アンタの良いところ全部消えている」
高くそびえる壁を前にして、登らない理由ばかりをあげつらっている。
本来の私なら、壁を突き破る勢いで登り始めているはずだと。
もし、恋というものがそうさせているのであれば、そのような足かせは不要だろうと首を振る。全くもって正論だった。
「……ちょっとは優しくしてくれてもいいのよ?」
周りを確認して、ヒソヒソと言う。
食堂を利用している人は見た感じ、他にふたりほど。絶対に聞かれたくない、というわけではないけど、進んで聞かれたくもないので、声のトーンは自然と落ちる。
そう。いくらサーラが言葉で相手を斬る家の生まれだからと毎回、切られてはたまったものではない。
たまには鞘あたりでぼこりと叩くていどにしてほしい。事実を述べているだけだとしても、当たりどころが悪ければすごく痛いし、血だって出る。
「優しくするのはやぶさかではないが、それでは前に進まないだろう?」
コーヒーカップをこちらに向け、まるであえて厳しく言っているかのような口ぶりだった。何を言っているのだこやつは。
「……今も全く前に進めていないわよ?」
厳しく言われても同じ結果であるなら、優しく言ってほしい。私は今、ナイーブなのだ。
「だからいつも通り行けばいいと言っただろう。アンタの良さはそこだし、そこからじゃないと進まない」
サーラは少し焦れたように見える。そうは言っても行けないから困ってるんだけどな。
「そうなのかな?」
首を捻る。彼女の応援を疑っている訳ではない。この上なくありがたいし、心強い。突き進んで失敗しても、彼女ならうまく慰めてくれるだろう。
だけど私は、この件で失敗をしたくないのだ。だから進めずに困っているのに。だってそうでしょ? 普通、同性なんて。
……私は、叶わないのを承知で進みたくはない。
「ティネ、初心を思い出すんだ」
眉をひそめ、喉に何か詰まったようにサーラは言う。もう少しで出てきそうなのに、出てこないような。
「初心?」
「アンタは、どうしてマリエッテ様を好きになった?」
「どうしてって……」
苦しんでいると思ったから。つらそうだったから、もっと楽な道がありますよと伝えたかった。叶うなら、同じ荷物を分け合ってほしい。そう思ったから。
「だとしたら」
サーラの眉がさらに寄った。
「アンタが足踏みすることで、それだけマリエッテ様が長く苦しむことになるのだけど、それでもいいの?」
「っ!?」
息が詰まった。
「好きなのに、自分が傷つくかもしれないからとためらったまま、好きな相手が長く苦しむ方を選ぶのか?」
「そ……それ、それは……」
息ができない。上手く口が回らない。ちょっと待ってほしい。もう刺す所なんて残っていないはずだ。ここらで終わってもらっても。
「違うなら言っていいが、今のアンタは、保身に走ってない?」
「保身……」
私は、ものすごく情けない顔をしていたに違いない。芯もなければよりかかる木もない。何かを掴みたくて、何も掴めない手は握り込めないまま、指先がとても心細かった。
「そもそもその気持ちは、恋愛じゃないと叶わない願いなのか?」
「えっ……」
マリエッテ様に光を当てる。楽な道があるとお伝えすることに、恋人である必要は確かにない、でも……あっ。
「私は、マリエッテ様の辛さを分けてもらいたくて……」
そう。これは、姉妹ではできないことのはず。これこそが恋人である必要性。やっと一息つけた。これならサーラにも否定できないはずだと顔を上げると、眉をぎゅうっと寄せた、ものすごい微妙な顔がそこにあった。お前は何を言っているんだ? と大きく顔に書いてある。
え、どういうこと? こちらが聞きたい。別におかしな話ではないと思う。顔に出ていたのだろうか、サーラは長い息を吐いた。
「……好きな人のためと言いながら、自分の想いが通じる通じないになっているのはなぜ?」
「っ!」
「アンタが本当に救いたいのは、一体誰なんだ?」
「う……あ……」
効いた。
それは、今までのどんな言葉よりも鋭く、私の心を刺し、貫いた。
あーもうだめ。涙が出てきた。
誰を救いたいかなんて、決まってる。
そこだけは間違えたりしない。
マリエッテ様――。
私は、本当に、貴女のために。




