第四話
「ん……」
いつの間にか眠っていたようだった。
気持的にはものすごく長く眠っていたように思う。真夜中か、朝だ。長く夢を見たせいか、あまりいい気分ではない。
まとわりつく重たい空気を振り払うように、ベッドから起き上がる。
窓を見ると、すでに日は落ちて真っ暗だった。夕食を食べた記憶はなく、準備ができて声がかからないってことはないだろうから、まだ夕食前なのだろう。全然眠っていないことに驚く。
侍女に尋ねても、予想していた答えが返ってきた。
さて、何をするか。
もう一度寝るのはよくない。そのうち夕食の声がかかるだろう。
勉強? そんな気分じゃない。
だとすると。私は視線を彷徨わせ、ひとつの黒い鞄に目を留めた。私の腕くらいの長さと二の腕くらいの高さと奥行きのある鞄だ。
立ち上がり、その鞄を手に取り、ベッドに戻る。
カバンを開けるとそこには、フルートがみっつに分割されて入っている。
もちろん、私のフルートだ。
貴族令嬢は嗜みとして楽器を習う。それが、マリエッテ様のハープであり、私の場合はフルートだった。これは、お母様がフルートをしていたから教えられるという理由で決まった。音楽教師を雇うお金がもったいないのだ。
箱から取り出し、組み立ててみる。
フルートなら、ハープと合わせやすいよね……。
直接、気持を伝えられなくても、楽器を通してなら。幸い、腕前はさほど変わりないから、不協和音とはならないだろう。あ、いや、格下と腕前が変わらないのは伯爵令嬢としてのプライドを刺激してしまうのかな。それとも、マリエッテ様に限ってそんなものはない?
この辺りは、気をつけなければいけない。ただでさえ私の不審な行動のせいで悪い印象を与えているだろうから、あまり刺激するのは良くない。
でも、合奏するのは悪いアイデアではないと思うけど、独りよがりだろうか。
時期を見てなら。うん。
……なんて様子を見ていたらなんとマリエッテ様にお見合いの話が来てしまった。お母様有能すぎでしょ。
「そんなに頑張って仕事しなくていいのに……」
そのために再婚したのは解っているけど、言わずにはいられない。再婚したばかりでまだまだ猶予があると油断しきっていた。
でもそうか。それを求められて再婚したのだから、早くお相手を見つけることが価値を示すことになる。
その結果がどうあれ、実績を残したのだから屋敷の人はお母様の手腕に対して少なくとも見直すことはしただろう。お母様の立場も良くなるはずだ。
と、なると相対的に私の立場も良くなるのかな。割とみんな受け入れてくれているように思えるけど、現実として私は屋敷の主人の一人娘に無礼を働く連れ子だ。使用人たちは笑顔の下にどんな表情を隠しているか解らない。私も、お母様のように目に見える実績を残さないと受け入れてはもらえないだろう。いや、お母様だってまだ本当の意味では受け入れてもらってないと思う。
そりゃそうよ。私たちはここに来たばかりなのだから。よそから来た人間は、受け入れてもらうための努力をしなければいけないのだ。
じゃあ私はどんな努力をすればいいかと言えば答えは簡単。マリエッテ様を義姉として慕い、敬うことだ。だけど、それはいきなり躓いている。
最初からこっちに来るなと拒絶する人がいないとは思わないけど、このお屋敷の中に限って言えば、お義父様が受け入れると決めたことを内心はどうあれそれに反抗する人はいないと断言できる。雇用されているからね。嫌なら辞めるし辞められないなら従わざるを得ない。私たちに対してなるべく友好的に接しようとしてくれるはずだ。そうすることで主人の覚えがめでたくなるのだから。
なのに、私はそんな人たちに対して、やってはいけない相手ランキングの上位にいる相手に対して無礼を働いている。そのうち私への風当たりは強くなるだろう。もしかしたらお母様にもそのあおりで迷惑がかかるかも知れない。
だから、できるだけ早く手を打つべきだとは解っている。解っているけど私は、この気持ちをどうするべきか決めてない以上、先へは進めないのだ。
「では、誤解を解いてはいかがでしょう?」
頭を抱えていると、侍女のパウラが提案をくれた。
彼女はお父様が亡くなってすぐのころ、私付きとして子爵邸に来てくれた侍女であり、お母様の次に私のことを解ってくれている。だからこそ、その優しさから迂回する道を提案してくれたのだろう。
実際、それしかないと思う。私がどうしてマリエッテ様に対してまともな対応をしない、ともすればツンケンしているように見えるのかを屋敷のみんなに説明しておけば、せめて慣れるまではと猶予くらいはもらえるだろう。
とはいえ、全てを正直に話せないので、少しオブラートに包む必要はあるけどね。
お見合いのせいで尻を叩かれた形になるのは不本意だけど、やれることをやるしかない。
もし、お見合いが成立したら子爵邸に戻ろうかしら。もし成立したら、私は悲しすぎてどうにかなりそうだ。結婚式に向けて準備するマリエッテ様を見ていられるわけがない。想像しただけで泣けてきた。
「……よし!」
私は、嫌な考えをうっすらと浮かんだ涙とともに振り払って立ち上がった。ひとまずやるべきことは見えた。自分のせいで屋敷を困らせることは避けたい。無理だとしたらできるだけ小さな傷で留めたい。ウジウジするより、動こう。
「……では、緊張していると」
まず、お義父様から説明した。屋敷の中で一番、不快な思いをなさっているだろうから。
再婚相手の連れ子が実の娘に塩対応。
娘に対する態度もそうだし、そんな人間を連れてきたと周囲から思われるというご自身の面子からも、怒りを抱いていらっしゃるだろうと思う。いつ出て行けと言われてもおかしくない。そう告げられてもそれは仕方ない。手を打つのが遅かったのだと素直に従う覚悟でお時間を頂いた。
「はい。学園におけるマリエッテ様は私の強い憧れでした。今でもそうです。そんな方を目の前にして、情けないとはお思いでしょうが、私は正常ではいられません」
「ふむ……」
お義父様の視線が鋭い針となって私に突き刺さった。心の内側までのぞくかのように、突き刺し、皮を剥がし、肉をあらわにする。その奥にある骨を取り出し、隅の隅まで確認する。
実務官僚を統率するお義父様の視線は本当に痛かった。少しでも体をよじればそこから簡単に本心を見破られてしまうだろう。
本当のことは言えない。そもそも私はこの気持ちを未だ、どうしていいのか解らないのだ。どうしたいのかも解らない。そんな中途半端な状態で誰かに知られるわけにはいかなかった。
知られたら、常識的な処分をされてしまう。へたをすれば、私の方が先に結婚相手を見つけられるかもしれない。
状況的に責められるのは私だから、追い出す方向へ行くのだろうか。
私が抱える問題を解決するには、婚約なり結婚なりをさせ、住居を子爵邸に戻すのが一番手っ取り早いはずだ。
少なくとも私には、この状況を解決する手段はこれしか考えられない。
だから、私はお義父様の視線を正面から受け、逸らさない。あくまで誤解であり、いじめられた事実もないと。どれだけ視線が痛くても、現状は誤報による誤解が生んだものだと訴え続ける。嘘は言っていない。
「ふむ」
時間にすれば五分もなかっただろう永遠の時間は、お義父様のまばたきひとつで終わりを迎える。いつもの柔和な目に戻り、大きくため息をつく。顔に浮かぶ苦笑いは優しさとか、あきらめとか、まぁ、悪くはない感情で形作られたもののように思えた。
「……信じよう」
まだだ。まだ、緩めてはいけないと私は、表情を引き締めたまま、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「いやぁ、しかし、君の胆力はレナータ譲りだな。簡単に婚姻させるのはもったいない」
「えっ?」
顔を上げ、お義父様を見る。なぜ母親の名前がここで出るのだろう。胆力?
「ああ、いや。母娘揃ってしっかりしていると思ってね。羨ましいくらいだ。マリエッテはどこか自信なさげにしている」
「そうでしたか……」
マリエッテ様が自信を持っていないのはたぶん、お義父様のせいなんだけど、そんなことはさすがに言えない。ここは微妙な表情でスルーだ。
「私の仕事を手伝ってもらいたいくらいだよ。……まぁ、そんなことよりも疑って済まなかった。君もそうするのだろうけど、私も使用人たちに誤解であると伝えておこう」
「っ……ありがとうございます、お義父様」
心から笑顔があふれた。思っていた以上に協力してもらえるようで嬉しかった。これなら屋敷の空気も元に戻せるだろう。
静観だけでも良かったのに、マリエッテ様のためだからかな。目的は同じだから、できる限りの協力が頂けたのかもしれない。
「いやいや。女神とその信者という関係は家族ではありえないからね」
「はは……」
苦笑いが零れる。女神と信者。確かに、そう理解して頂けると説明しやすいかな。唯一の狂信者である私は、女神が眩しすぎて直視できないのだ。
「一日も早く慣れるように努力します」
「ん、まぁ、ほどほどでいいよ。無理せずにね」
お義父様がひらひらと手を振り、話は終わった。試練のようなものはあったものの、話自体は早かった。お義父様も想定していたのだろう。フットワークの軽い官僚様なんて最高ね。
先ほどの言葉がどこまで本気なのか解らないけど、できるなら将来、お義父様のお手伝いするのも良いかもしれない。
「で、本当のところは?」
「えっ」
お母様はさらに強敵だった。だてに十七年ともに暮らしていない。
「貴方が緊張だなんて、笑っちゃうわ」
本当に笑っている。こういうのは笑顔を浮かべて言うものではないと思うのだけど。
「ひどい」
よよよ、と泣き真似をするくらいにはリラックスしている。お義父様と比べれば天と地の差だ。
たぶんだけど、マリエッテ様とお義父様との間には、こんな緩んだ空気は流れないんだろうなと思う。この辺の差が違いなのだろう。
私の気持ちが叶わなくても、せめて道案内だけはして差し上げたい。
「まぁ、どうするつもりにせよ、ご本人にも早めに誤解は解いておきなさい。そうしないと先に進めないでしょ?」
「あ、うん……」
「一度、離れてみるのもいいかもね」
ぽんぽんと私の頭を軽く叩き、お母様は窓の外を見た。しみじみと、感慨深そうに頬を緩めている。
「前の屋敷?」
「どこでもいいわよ。距離をとった方が、考えごとは進むはずよ」
「確かに……」
ここにいると、気になる。マリエッテ様でいっぱいになり、他の考えが浮かんでも先送りにしてしまう。その結果がこれだ。
まぁ、まずは誤解を解くのが先だ。使用人たちの誤解を解き、それから、どうするかを考えよう。
言葉とは難しいもので、ひとりひとりに正しいことを伝えても、そのまま正しく伝わるとは限らない。謎の杞憂を抱いて心配してくれる人もいた。心配してくれるのはありがたいけど、それなら信じてくれる方が嬉しい。
やはり、全てを晒すべきなのだろうか。それとも伝え方の問題だろうか。迷うし、落ち込む。お義父様は、正しく判断して下さったのにな、と。
ああ。でも、なるほど。あれはもしかすると、真意がどこにあるかはどうでもよくて、“信じた”というより“見逃した”のかもしれない。
だから、“胆力”なんて言葉が出てきたのだ。そういう設定をするなら、そのまま堂々と貫き通せと。
やはり、直接私たちが仲良くするしかないか。姉妹仲良く日々を過ごせは、最初は疑う人たちも、徐々にその数を減らすだろう。態度で示すのが一番だ。
「でもねぇ……」
私の態度で嫌な思いをしているマリエッテ様が、いまさら仲良くしてくれると思うのは虫の良い話だろう。
「実は大好きなんです。これから仲良くして下さい!」なんて言って、「はいそうですか」と頷く? あり得ない。それこそ出てくる言葉は「ふざけるなてめー」だろう。いやそんな言葉遣いはしないけどそういう気持にはなるはずだ。
……あれ、もしかして詰んでる?
さて、どうしたものか。
フルートを手に取り、部屋を出る。いい天気だし、庭で少し吹いてみようと思った。
ひとまず気分転換をして、もう一度夜に考えて。それで駄目なら明日、サーラと相談だ。世界でこんなにも伯爵令嬢使いが荒い子爵令嬢は、私くらいのものだろう。
なんて、ほくそ笑みながらパウラの先導で建物を出た。庭には珍しく誰もいなかった。庭師さんは薬草畑の方だろうか。
小さな東屋のベンチに座り、見事に管理された庭を眺める。学園と比べるのは流石にかわいそうだけど、それでも伯爵家に相応しい華麗なお花畑だ。
花の名前は詳しくないけれど、色とりどりで、大きくて、存在感のあるものが多い。ひまわりやダリア、百合なんかはよく目立っているし、喧嘩しないように分けて植えられている。子爵邸にも小さな花畑を作ろうかしら。今度庭師さんに相談してみよう。
さて。
黒い鞄を開き、フルートを取り出す。組み立てる間、ふと、ひまわりが目に入った。私の髪と同じような色をしている。ひまわりは太陽に向かって、いつもまっすぐで羨ましい。私だって、顔を上げて、マリエッテ様を見つめていたいのに。心はいつも見つめているのに。
元からこのひまわりのように、素直に見上げていられたなら、こんなことにはなっていなかった。
フルートを口に当てる。
少し前に聞いた曲。マリエッテ様が弾いていた曲。
これは、見知らぬ街をひとり旅した人の気持ちをイメージした曲だ。
見るものすべてが新しく、刺激的な日々の中で感じる不安と希望、そして郷愁。最初はゆっくりと、一歩一歩、確かめるような旋律。そこからだんだんと盛り上がり、いきなり沈む。おどろおどろしい低音が激しく連なる部分は曲中屈指の難関だ。顎やお腹が痛い。
旅人が新しい街に飲み込まれそうになり、救いを求める心の叫び声。故郷を思い出し、楽しかった日々に戻りたいと泣きじゃくる。こんなにつらいなら、旅に出るのではなかった。自ら望んでこの地に来たことを心から後悔し、地に倒れ伏す。旅人を助け起こす者は、誰もいない。暗闇の中、ランプも持たずに、それでも歩き続けるしかないのだ。
やがて彼は気付く。
自分が手を伸ばさなければ、誰も彼が助けを欲しているとは気付かないのだ。
言葉に、態度にしなければ他人は気付けない。
旅人は、再び立ち上がり、手を差し出す。
もちろん、彼の手を取る者がすぐに現れる訳ではない。長い時間と経験が必要だった。
だからこそ、出会いは突然で、出会えたことに大きな喜びがあった。
ふと、思う。
マリエッテ様は、この曲を私に聴かせたかったのではないだろうか。多少不慣れだとしても、この曲を、私へのメッセージとして。
「仲良くしましょう」
そう、私に手を差し伸ばしたのだとしたら?
もちろん、これは仮説だ。
でも、そうだとしたら、私はその手を握らないどころか弾き飛ばしたことになる。お部屋に閉じこもったってことは、その手は折れてしまったってこと?
うわぁ……やってしまったなぁ。
そう思うと、私は、この曲を最後まで吹き続けることができなかった。そうしてはいけない気がして、最後の一小節で、わざと失敗してしまった。
申し訳なさすぎて。どの面下げてこの曲を吹くのだと。
「失敗しちゃったわ」
驚いているパウラにぺろっと舌を出して苦笑いをして見せる。
「部屋に帰りましょうか」
ふと、見上げる。確かここはマリエッテ様の部屋の真下のはず。
「あら?」
窓が、少し開いていた。




