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銘の者  作者: 笹暮崔
一章
9/33

傘になる

 

「班長の座右の銘はなんなんですか?」


 時雨日々生(しぐれひびき)は、班長の流師善彦(ながしよしひこ)に銘力の根源たる、座右の銘を聞いた。


「私の座右の銘は"上善は水の如し"。水を操る銘力です」


「水を操る銘力……」


「百聞は一見にしかずです。まずはお見せしましょう」


 流師がそう言うと彼の周りの空気が一変したのを肌で感じた。空気が冷たくなっていく。


 流師はスーツの内ポケットから、スキットルを取り出し、栓を開ける。すると容器の中から、まるで意思があるかのように真っ黒な液体が現れた。


 それは球状になり、流師の手の上でユラユラと浮遊しはじめた。香りの芳ばしさから、真っ黒な液体はブラックコーヒーだろう。


「これが、班長の銘力……」


「まだまだこんなものではありません」


 流師が人差し指で水球を弾く。

 すると黒い球の中で、目まぐるしく水流が波打ち始めた。

 それは、弾丸のように速く、真っ直ぐに進み、用意されていた人形を設置箇所から数メートル後方に押し倒した。


「凄い……銘力って本当にあるんですね……」


「まだ、自分が騙されているとでも思っていましたか?」


「自分が自在に使えないので、やっと今、現実だと思えました」


「最初から全て現実です」


 流師はしたり顔で時雨を見てやった。自分の力を見た部下のリアクションに大変満足したのだろう。


「班長は、どうやって力を使えるようになりましたか?」


「そうですね。時雨君と同じで、最初は無我夢中に目の前の目的のために力を使いました」


「班長にも、無我夢中になることってあるんですね」


「若い頃はそんなときもありました」


 冗談を肩をすくめて流師が返してくれると時雨は思ったが、期待とは裏腹に流師は何か思い出すように、遠くを見つめて静かに答えた。


「その後はどうやって自在に力を使えるようになったんですか?」


「目の前のことから、力の行使自体に目的をシフトして力を発動できるようにしました。この目的のシフトが大切です。

 そして、力を発動できるようになれば、そこからは反復です。意識せずとも使えるようになるでしょう。

 それからは言葉と向き合い、理解を深め、解釈を広げれば更に強くなれます」


「僕も、班長みたいに強くなれますかね……」


「私以上に強くなることもできます。しかし、先ほどの技程度では物足りないですね」


「あれでもですか?」


 先程の人形を押し倒す力でも物足りたいことが時雨には信じ難かった。それほどまでの力が必要な場面が果たして訪れるのだろうか。

 しかしすぐに、先日の経験から、力があるに越したことはないと、時雨は即座に考えを改めた。


「私から離れて、よく見ていてください」


 人形にぶつかり散らばっていた黒い水が、再び流師の手元に集まる。

 その全てに共通の意思があるように、統率された綺麗な動きだった。


「《貫流(かんりゅう)》」


 流師がそう呟くと、黒く染まった水が動きだし、円錐状に形を変えた。

 形を保ったまま、円錐の中で水流が螺旋を描き、目まぐるしく回転を始める。

 その流れは、勢いを増し、外郭がまるで刃のように空気を切り裂き、摩擦音が室内を侵食する。


 流師は人形に向かい、まるで槍を投げるような動作で、その禍々しい物体を目一杯に送り出した。


(忠実に班長の指令に従う生き物みたい……)


 ドンッッ!――轟音が響き、人形の破片が舞った。


 人形の胴体には大きな丸い穴が開き、反対側がクッキリと見えるほど見事に貫通していた。

 抉られた断面は、精巧な機械で研磨されたように滑らかで、放たれた《貫流》の鋭利さを物語る。


(これが、銘力……)


「どうですか? 私くらい強くなれそうですか?」


「なってみせます。すぐ追い越されても怒らないでくださいよ?」


 時雨は流師の力を目の当たりにして、固唾を飲んでいた。しかし、怖気付いてなどいられない。流師と肩を並べ、いづれは超える。虚勢でも、なんでもいい。声に出して、決意を固めたかったのだ。


「威勢がいいですね。では、デモンストレーションもこれくらいにして、時雨君にも力を使ってもらいましょう」


「使おうとはしているんですけど、特に変わりはなくて……」


「では、言葉からヒントを探してみましょう」


「"井の中の蛙大海を知らず"。やっぱり、カエルですか……?」


 恥ずかしさを言葉尻に含ませ、時雨は落ち着きなさそうに身体を揺らして呟いた。


「言葉の意味よりも、やはり、そこにフォーカスしてしまいますね」


「ですよね……」


「一度、カエルの真似でもしてみましょう」


「えっ!?」


 時雨は耳を疑った。あまりに突拍子もないことだったので、流師を二度見してしまう。


「ほら、早くしてください。カエルみたいに座って、飛び跳ねてください」


「本気ですか!?」


「かなり本気です。ついでに、ゲコゲコ言いながら跳んでみましょう!」


 まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、流師は目を輝かせていた。時雨はそんな流師の提案を断れることはずもなく。渋々カエルの真似をして、ゲコゲコと言いながら跳ねてみた。


 流師は堪えきれなくなった顔を腕で隠したが、溢れ出す声は抑えきれなかった。


(班長、めっちゃ笑うやん……)


 流師の命に従ったものの、時雨の銘力は発動しなかった。身体にも変化を特に感じられない。


(はずかし)められたのに、結局なにも起きませんでしたね……」


「ゲコゲコではなく、ケロケロかもしれません……」


「どっちも違いますっ!」


「失礼、少し冗談が過ぎました。ですが、あまり焦る必要はありません。ゆっくりでいいんです。共に歩みましょう」


(この笑い方は、なんか、ただただ落ち着く笑い方や。班長は、俺の気をほぐすために冗談を……なんて部下想いの優しい上司なんや)


「ありがとうございます、班長」


「いえ、班長として当然です。時間も時間ですし、今日は終わりにしましょう」


「はい、訓練に付き合っていただきありがとうございました!」


「いえいえ。ですがやっぱり、最後にもう一度ケロケロと……」


「しませんっ!」


 フフフと、上品な流師の笑い声と、時雨の心からの叫びが訓練場にこだました。


 (やっぱり、前言撤回! この人は俺のこと、おもちゃにしてる!)


 ***


 二人が共にビルを出ると、外では横殴りの雨が降っていた。傘をさしていても、多少濡れてしまうことは避けられない。流師と時雨は会話をしながら、横並びに歩きだした。


「予報通りですが、あいにくの雨ですね」


「でも、僕は雨が好きですよ」


「なぜですか?」


「雨に打たれると、自分の穢れや悲しみを綺麗に洗い流していってくれるみたいで、好きなんです」


「時雨君は感性が豊かですね」


「そう言われると照れます」


「雨に打たれるのがお好きなら、傘は私が預かりましょうか?」


「それとこれとはまた話が違いますよ!」


「そうですか。しかし、こんなに風が強いと傘が壊れないといいですが……

 これから私は白南風(しらはえ)君と合流してきます。時雨君はこのまま帰ってください。また明日、同じ時間から訓練の続きをしましょう」


「はい、明日もよろしくお願いします。それでは、失礼します」


 流師と別れの挨拶をした、そのときだった。


 強い突風が吹き、数十メートル先の建物から、鉢植えが落ちてきた。

 落下先には、真っ赤な薔薇柄の傘をさしている通行人がいる。

 しかし、傘のせいで本人は頭上の落下物に気づいていない。


(このままやったら、あの人にぶつかる……!)


 身体が咄嗟に動いていた。

 全身に力が漲る、あの感覚。

 時雨は両脚を曲げ、地面を思いっきり蹴飛ばした。


 一足で通行人の元へ跳び、鉢植えを掴み、無事に通行人と鉢植えの衝突を防いだ。


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


「大丈夫です。助けていただきありがとうございます」


 ドレッドヘアーが特徴的な通行人は、何度も時雨にお礼をして、そそくさと去っていった。


 少し遅れて、流師が駆け足で時雨に追いついた。


「時雨君。今、銘力を使えましたね……!」


「はい! 何故かは分かりませんが、急に使えました!」


「もしかしたら……雨が発動条件なんでしょうか」


「雨……ですか?」


「はい、初めて出会った日も雨が降っていました。

 そして、カエルには雨のイメージがありませんか?」


「たしかに、雨のイメージがあります!」


「雨が発動条件の銘力なのかもしれません」


「それって、随分限定的ですよね……」


「雨の日だけでもいいじゃないですか」


「どうしてですか?」


「みんなを雨から守る傘になることができるからです。心が晴れてるときに人は助けを求めたりはしないもの。それに時雨君は、雨が降っている人に気づき、寄り添える優しい人だと思います」


 流師の言葉に、時雨の胸が熱くなった。

 心臓がキュッと締め付けられ、目頭が熱くなる。


(そうや。俺は、みんなを守る傘になる! 一人でも多くの人に寄り添える人に……!)


「早速、時雨君の銘力について色々調べましょう!」


「え!? 白南風さんと合流は?」


「彼女も副班長です。一人でもなんとかなります。

 それよりも、雨が降っているうちに色々検証しましょう!」


 この後、時雨はテンションがすっかり上がった班長と雨が止む朝まで、銘力の訓練をすることになってしまったのだった……。


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