6話 上善は水の如し
「それでは訓練を始めます」
班長の流師善彦は、気合を入れるように班員の時雨日々生に呼びかけた。
「訓練といっても、一体どんなことをするんですか?」
訓練内容は一切聞かされておらず、時雨はこれから何をするのか全く見当もついていなかった。
「まずは時雨君の単純な身体能力を知りたいので、基礎的な体力測定を行います。準備はよろしいですか?」
「はい! よろしくお願いします」
***
「あの……班長……」
「なんですか?」
「なんですか? じゃなくて! なんで二人で仲良くラジオ体操してるんですか!」
どこから用意されたのか、ラジカセから昔懐かしいラジオ体操第一が元気よく流れていた。
「時雨君、備えあれば憂いなし。準備運動をしないと怪我しますよ」
「それはそうなんですけど……」
「そうですね。まあ、これくらい動かせば大丈夫でしょう。それでは、本格的に始めましょう」
流師はラジカセの電源を切り、計測器具を用意してきた。筋力に持久力、学生時代におこなったものよりも遥かに本格的な体力測定を時雨は次々にこなしていった。
「ハっ……ハっ……終わった……」
「全項目優秀ですね。何かトレーニングをしていましたか?」
「昔、陸上とバレーボールをしてて、それからトレーニングが習慣化してしまって……部活を辞めた今でも、つい身体を動かしちゃうんですよね」
「それは良いことです。身体の土台部分はしっかりできているので、これからもコツコツ鍛えていきましょう」
「はい、ありがとうございます」
「それでは、次に戦闘訓練です」
(ちょっと、休憩させて欲しい……)
時雨の息は荒れたままに、次の訓練が始まった。
「戦闘訓練って銃を撃ったりするんですか?」
「撃てるようになる必要がありますが、銃弾が効かない者を相手にすることもあるでしょう。なので、あらゆる物をそつなくこなせるようになってください」
「銃弾が効かない人のことを人と呼ぶんですか……」
「そんなことを言うと私も、時雨君も既に人外になってしまいます」
「僕もですか……」
時雨の表情が少し曇った。人外と表現されると寂しいものを感じる。
「悲しいですか?」
「少しだけ悲しいです。でも、僕が人じゃなくなってみんなを守れるなら、僕は何度だって人間を辞めると思います」
時雨は以前救った子供のことを思い出していた。
(あの子のおかげで色々ポジティブに考えられるな)
時雨が銘力に目覚めた日の出来事は、彼にとっての誇りであり、これからの活力となっていた。
「素晴らしい心掛けです。それでは、人を守るために何度も死ぬほどの訓練をしましょう」
「本当に殺さないでくださいよ!?」
「時雨君次第です」
(班長お得意の微笑。これ見て良かったためしまだないんちゃうか……)
戦闘訓練の幸先が思いやられたが、実際に始まると流師の指導はとても丁寧なものであった。
「まずはこれをお勧めします」
「警棒ですか?」
「はい。これは頭部などを避けて使用すれば、殺傷力は銃火器や刃物に比べ劣ります。なので、保護や対象の無力化に大変役に立ちます。なるべく人を傷つけたくない時雨君にはピッタリかもしれません」
「僕にピッタリ……」
(俺が人を傷つけることに慣れてなくて、抵抗があるから、班長はなるべく配慮してくれてんのか)
「班長、警棒の使い方を、戦い方を教えてください!」
「もちろん、今日はそのための訓練です」
流師は班長と呼ばれたからか、時雨が訓練に前のめりだからか、穏やかな笑みを浮かべた。そして、時雨に伸縮式の警棒を手渡した。それは軽すぎず、重すぎない適度な重量をしていた。
「まず、構え方です。利き手に警棒を持ち、反対の手を前に出します。肘は軽く曲げて身体の中心を守るイメージです。足は肩幅に広げ、前後にするといいでしょう」
「こうですか?」
流師のお手本の姿勢を見て時雨は言われた通りに姿勢を取ってみる。その構えは、初めてにしては実に様になっていた。
「はい、それが基本の構えになります。攻撃については振り下ろし、横払い、突き等を相手や状況に合わせ使用してください」
流師は説明と共に実演して見せてくれた。流師の一振り、一突きごとに、風切音が訓練場に響く。素人の時雨にも、その動作が洗練されていることが一目で理解できた。
(銘力を使わずにこれか……一体、班長はどんなけ訓練してきたんや)
「いいですか? 最初は相手と間合いを取り、一撃一撃慎重に行動することをお勧めします。今後、慣れてくれば、警棒での拘束や武器を弾いたり、相手を転倒させたりする応用も特訓しましょう」
「はい! 早く、応用の特訓ができるように頑張ります!」
そして、時雨は基本姿勢と攻撃をゆっくりと身体に覚えさせていった。時雨は飲み込みが早いようで、防御の訓練に進むことになった。
「では、次に防御です。身体を半身に構えてなるべく攻撃される面積を減らします。攻撃を警棒で受けるか流して、攻撃に転じる機を伺います」
「なるほど。一度、挑戦してもいいですか?」
「もちろんです。せっかくですから、攻撃も混ぜてゆっくりと模擬戦形式で訓練しましょう」
「よろしくお願いします!」
それから数時間。訓練場には金属の衝突音が鳴り止まなかった。流師は初心者の時雨に丁寧に、しかし、厳しく己の技を教え込んでいった。
「時雨君、なかなか筋がいいですよ。基本は大丈夫そうです」
「本当ですか!? もう、怪我しないように必死で」
「痛みを伴わない学びは、実りの少ないものです。精神的にも物理的にも少し痛いくらいが修得も早いものです」
防御を失敗して流師から攻撃を受けたところがジンジンしていた。手を抜いてこれなのだから、本気の流師との手合わせなど想像したくなかった。
「なるべく痛くない方が嬉しいです……」
「それもそうですね。今日はこれくらいにしておきましょう。あとは教わったことを反復して、実践で使えるようにするしかありません」
「はい、ありがとうございました!」
「終わりなのは戦闘訓練ですよ? 次は銘力の訓練をしましょう」
流師の爽やかな笑みがまたしても時雨を襲う。
(ですよね〜。でも、今頑張らんでいつ頑張んねん!)
時雨は気持ちを切り替えた。意欲は十二分にあったのだが、銘力が覚醒した日から抱えていた不安があった。
「あの、それなんですけど。僕、やっぱり銘力が使えなくて……」
「気に病むことはありません。そんな簡単に扱えるものでもないです。そうですね、まずは私の銘力を見てみましょう。銘力を使えるきっかけが何か起こるかもしれません」
流師は時雨から少し離れて人形が置いてある壁の方を向いた。
「班長の銘力って、僕が見てもいいんですか?」
「構いません。むしろ同じ班員なので、知っていてもらった方が何かと都合がいいんです」
「班長の座右の銘はなんなんですか?」
「私の座右の銘は"上善は水の如し"。液体を操る銘力です」
「水を操る銘力……」
「百聞は一見にしかずです。まずはお見せしましょう」
流師がそう言うと、彼の周りの空気が一変したのを肌で感じた。空気が冷たくなっていく。初めて目の当たりにする銘力に時雨の胸は高鳴った。