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銘の者  作者: 笹暮崔
二章
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握った拳


 ――俺は何してるんや……。


 時雨日々生(しぐれひびき)は真っ暗なまどろみの中を彷徨う中、頭痛と共に記憶が過ぎった。

 

 ――そうや! 白南風(しらはえ)さんは!?


 (思い出した?

  全て、弱いせいやな)

 

 ――え……?


 どこまでも続く黒。何もない空間。突如何かの声を聞き、時雨は振り返った。しかしそこには誰もいない。だがそれは時雨に問いかけ続ける。

 

 (考えてみろ。なんもできひんお前を庇って、白南風は有田にぶっ飛ばされたんやろ?

 顔面殴られて、せっかくの綺麗な顔が台無しや。どうすんの、嫁に行かれへんくなったら、お前責任取れんの?)

 

 ――うるさい。黙れ黙れ黙れっ!


 スローモーションに見えた白南風が吹き飛ばされた姿が脳裏に蘇る。時雨はうずくまり、耳を塞いだ。でもそれの問いは止まらない。声は脳に直接響いていた。

 

 (お前のせいやねん。全部。

  弱いからやろ?

  何が人を守る傘になるやねん。笑わせんなや。お前が守られてたら世話ないな)

 

 ――黙れ……。

 

 (一番下やからっておんぶに抱っこ?

  そんで自分は安全地帯?

  助かって楽勝?

  いい身分やな。お前が弱くても、先輩が強いから、守ってもらえるんやもんな)

 

 ――たのむ……黙ってくれ…………。

 

 (目を背けるな。焼きつけろ。刻みこめ。弱いとどうなるか、強くないと何を思うか)

 

 ――やめてくれ……お願いやから、消えてくれ。

 

(やめられへんし、止められへん。

 それができるのは常にお前自身。

 変えたいなら戦え。

 その力がお前にはある)

 

 ――え……?

 

 (思い出せ覚悟を。お前がここにいる訳を。

 忘れるな大切なものを。

 ブレるな、真っ直ぐ進め。

 その先にしかお前の世界は広がらへん。

 震えて進め。怖くても立ち向かえ。

 手遅れになる前に――)

 

 ――手遅れってどういうことや!

 

 (忘れるなよ。いつも現実が一番残酷ってことを――)


 ――待て! お前は、だ……れ…………。


 ***


「日々生!」


 ――誰かが俺を呼んでる……?

 

「日々生! 日々生!」


 まるで悪い夢でも見ていたような感覚に時雨は襲われた。ひどく長い間、あの黒い空間にいた気がした。

 ぼんやりと意識が定かではない状態で、時雨は自分の名前を呼ぶ声の主に気付いた。冷えた地面が、有田に蹴られた腕と頬の痛みが、ここは現実だと時雨に告げる。


「……皐月(さつき)?」


流師(ながし)さんが!」


 皐月の目は充血していた。頬には涙の跡も見える。身体は震え、皐月は何かに怯えていると、意識が朦朧とした時雨にも伝わってきた。


 そんな皐月が懸命に指差す先に時雨は目をやった。そこには度田と有田と戦う流師の姿。いつも飄々としている上司の表情から、戦況が芳しくないことが瞬時に見てとれる。時雨の意識が一気に覚醒し、先程、暗闇の中で何かに告げられた言葉を呟いていた。


「手遅れになる前に……」


 心に重くのしかかるその言葉の意味を、時雨は理解した。身体は勝手に動いていた。


「班長っ! すぐに行かな!」


 手足はもつれて、歩くこともままならない。まだ有田から受けたダメージが目に見えて残っていた。だが、流師のもとへ馳せ参じる以外の選択肢など時雨にはなかった。


 そんな時雨を、皐月は声を絞り出して呼び止めた。


「そんな状態で何するん? なんで日々生はあいつらに立ち向かえんの……?」


 懸命に抑えていた感情の防波堤は瞬く間に決壊し、瞳は震え、皐月は時雨から視線を逸らした。


「日々生。俺、怖いんや……。つむぎの仇が目の前で好き勝手してんのに、手を伸ばせば届く距離におんのに、足がすくんで動かれへん……!」


 情けなさが、無力感が、恐怖が、皐月の心臓を握りつぶさんとしていた。

 

「俺の力じゃ、今のあいつらと殴り合われへんってわかる。すぐ死んでまう。俺は何もできひん……! 怖いんや、あいつらが……」


 うつむく皐月に、時雨は振り返り優しく呟いた。


「皐月、俺も怖いよ」


「え……?」


 思いがけない時雨の言葉に皐月はようやく視線を移す。小刻みに振動する時雨の足から、彼の目へと。時雨の瞳には確かに恐怖の色はない。そこに映るのは、揺るぎない決意だった。


「怖いよ。でも、俺を守るために戦ってくれる人がおる。その人たちに傷ついて欲しくない。守られるだけは嫌やねん。俺も先輩達を、誰かを守れる人でおりたい」


 震えを抑え込むように時雨は固く拳を握り、スッと解いた。そして、そっと皐月の肩に手を置いた。

 

「それにな皐月、なにも面と向かって殴り合うだけが戦いじゃないと思う。仲間を支えるのも立派な戦いやし、俺はお前の力がないと戦われへん」


 時雨の瞳から皐月の瞳へと想いが流れ込む。時雨は真っ直ぐに皐月を見つめた。


「やから皐月、俺を支えてくれ。俺と一緒に戦ってくれ」


 皐月の肩に触れた時雨の手は、布越しでも暖かった。自分以外の温もりを感じた皐月。独りじゃないと、心が息を吹き返していく。脈打つ心臓の鼓動は速まり、体に熱を帯びていくのを感じた。


「日々生……ありがとう。俺にも戦わせてくれ」


「当たり前や。俺ら仲間やろ!」


「うん!」


 時雨に向けた言葉と共に、皐月が作った握り拳。そこに掴んだのは勇気。握り潰したのは恐怖。皐月の魂が、戦場に舞い戻った。


「皐月、雨頼む」


「任せろ!」


 隣り合う時雨と皐月は互いの拳をトンと合わせ、時雨は流師のもとへ歩き始めた。もう、互いに言葉は必要なかった。


(ありがとう、日々生。

 お前は、まるで自分がまだ誰も守られへんみたいに言うてた。やけど、ちゃうで。ここにおる。お前に守られた奴がここにおる! 今度は俺が、お前の助けになる。俺が、一緒に戦う!)


 時雨の背に思いを馳せ、皐月は空に手を伸ばす。


 想いは天に昇り。雨へと変わる。


「《五月雨(さみだれ)》」


 一滴の雫が時雨の肩に落ちた。その小さな雨粒に時雨は仲間の姿を、体温を感じた。


(ありがとう、皐月。

 俺をまたここに呼び戻してくれて、背中を押してくれて、ありがとう……!)


 時雨の全身に(たぎ)る力、溢れ出す想い。懸命に戦う流師を見る時雨の目が金色に輝き、一足で流師のもとへ舞った。


「お待たせしました。班長」


「時雨君……!」


「班長、反撃開始です」


「ええ、お仕置きしてあげましょう」


 冷えていく空気とは裏腹に、戦場に立つ者達の温度は高まるばかり。

 

 雨足は彼等の想いを乗せて加速してゆく。

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