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銘の者  作者: 笹暮崔
二章
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痛みなくして得るものなし

 

「ホンマに特課の人らの力借りんでええのー? 彼ら結構強いでー?」


 白衣を着た長身の男。布川(ぬのかわ)が薄ら笑いを浮かべて、(きょう)に問いかけた。


「俺らで十分や」


「“リリッカー”のみんな、自信に満ちてんなー」


「で、今言うか? 痛い目負うてから言うか?」


「んー、痛い目ってのはボロ雑巾みたいになったつむぎちゃんみたいにってことー?」


 響の表情が凍りつく。奥歯を噛み締めた振動で滑り落ちそうになった眼鏡を、人差し指で持ち上げた。レンズの奥で光を反射させた瞳が布川へと直線を描く。それは、戦意を研ぎ澄ませる合図のようだった。


「分かった。お前は死ね」


 空気を押しつぶすように、響は手を叩いた。

 パン、と乾いた音が響いた瞬間。布川の身体がピクリと硬直する。音が鼓膜を震わせ、三半規管を狂わせる。視界が揺れて、思わず膝に手を置いた。


「……なかなか、やるやんー?」


「軽口叩けるのも今のうちや」


 顔を上げた布川に響の拳が迫る。

 顎を撃ち抜かれた布川は地面に沈んだ。


「まだ意識はあるやろ。話してもらおか」


 再度布川が起きあがろうと身体を起こす。


「させるか」


 すかさず響は再び手を叩いた。

 先刻と同じ、音による攻撃。


 しかし、布川に変化はない。

 音の振動は彼の身体を揺らさない。


「それは、もう効かんよー?」


「……!?」


 響の目が見開いた。

 その一瞬の隙を布川は見逃さない。


「油断禁物やでー」


 布川の目が凶暴に光り、起き上がりざまに拳を放った。金色に光るメリケンサックを付けたその拳は、バキッと、音を立て響の脛を撃ち抜く。響の脚が内側にひしゃげた。叫び声とともに、体重を支えられなくなった響はよろめき、膝をついて顔を歪める。


「なんでや……」


「んー? 2回目効かんかったのー?

 俺の座右の銘は、“痛みなくして得るものなし”。1回目の痛みから、2回目以降の免疫を得るんよー」


「そういうことか……」


「ビックリした君の顔も彼女くらいええ表情やん」


 布川の笑みに響は唇を強く結ぶ。


 ――左足が動かん、折れとる……。


 布川の拳が再び響を襲う。

 折れた脚で回避は不可能。


 布川が拳を振うたびに、金の指輪を束ねたそれは閃光を撒き散らす。殴撃が空間を裂くたび、花火が散るように眩く軌跡を描いた。


 顳顬(こめかみ)、顎、頬骨、鳩尾。研ぎ澄まされた拳が次々に響を狙い撃つ。打ちつけられるたびに骨が軋み、肉が悲鳴をあげ、身体はただ破壊されるだけの的と化していた。拳が瞼を掠め、皮膚が裂け、血が溢れる。


 ――左が見えへん……。

   左足も使いもんにならん。

   最悪や……。


 布川の気配が響の左側へと回り込む。

 死角からの一撃。


 だが。

 ニヤリと響が微笑んだ。


「なにも座右の銘にせんくても、得られるもんはあるんやで」


「んー?」


 響は指を鳴らす。

 パチンと、音を響かせ、反響から布川の位置を捕捉した。


「そこや」


 響は振り向きざまに布川へカウンターを放った。

 拳は、布川の顎先を的確に撃ち抜いた。


 ――もろた。


 右の拳に感じた確かな手応え。

 布川の意識を今度こそ奪ったと響は確信した。


 しかし……。


「その程度の痛み、克服済みやでー」


 布川の拳が響の脇腹に突き刺さり、身体がくの字に曲がる。


「ぐっ!」


「次はどないするんー? 響くんー?」


 ――このままやったら、ジリ貧や。

 らしくないけど、やるしかない……!


 響はがむしゃらに指を鳴らし続けた。


 パチン、パチン、パチン。


 音の反射で布川の位置を常に追いかけ、攻撃をなんとか避け続ける。

 そして、機を伺った。

 最高の一撃をぶつけるそのタイミングを。


 ――今や!


 パチン!


 響は指を鳴らし、拳を放った。


 ――こいつ自体に音の攻撃はもう効かん。

   なら、対象を俺にっ!


 音の振動が響の拳の中を駆け巡り、増幅していく。骨が髄から揺れ、筋肉と神経が突き刺されるような衝撃に顔が歪む。


 ――こんな痛み、屁でもない……!

   つむぎを失ったことに比べたらっ!


 ズドンと、鈍い音を立て反響を体内で増幅させた一撃が布川の眉間へ突き刺さる。


 しかし、布川を笑っていた。

 まるで何もなかったように笑っていた。


 その不吉な笑みに響の目が泳ぐ。


 ――適応されてる……。

   これでも、届かんのか……。


「悪ないやん。でも、この程度初めてやないなー」


 ほんの一瞬。

 響は心臓を布川に握られたような気がした。だが、すかさず邪念を振り払う。


 ――狼狽えるな、俺。

   足りやんなら、増やすだけやろ!


 響は両手で指を鳴らした。

 乾いた破裂音が空間を裂く。


 パチン、パチン――。


 次の瞬間。

 響は両の掌を叩き合わせた。


「なんや、これ」


 (きょう)の掌の中で生まれた(ひびき)が増幅し、重なり、共鳴へと変わる。

 ライブ会場のようにあたりが震え始めた。


「鳴り止むな――」


 響の左右の拳と拳がぶつかり合った。

 共鳴は臨界を超え、爆ぜるように振動が加速する。響の腕を駆け巡る振動は空気をも震わし、耳を劈く高音を奏でた。


「《馬鹿な俺らの鎮魂歌(メイクサムノイズ)》 お前に届くまで」


 刹那――音は暴力と化す。

 激しく震える両の拳で布川を撃った。


 布川の肉体を揺さぶり、外部からの振動は内部へと伝播する。臓物を揺さぶり、バキバキと音を立て全身の骨を砕いていく。


 布川の瞳孔が縮み、その身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


 ――届いた、か……。


 そう思った瞬間、響自身の身体を鋭い痛みが襲う。メキメキと骨が砕ける音が耳の奥に響き、両腕が力なく垂れ下がった。


 粉砕骨折。

 己の腕を代償にした証だった。


 荒い息を吐きながら、響は倒れた布川を見下ろす。


「初体験。もらってすまんな」


 どちらももう動けない。

 ただ、この結末だけは譲れなかった。


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