にいに
口を閉ざした、響の代わりに渋谷言葉は続けた。
「俺の妹――糸井つむぎが"アウェイキング"に殺された」
糸井つむぎ――その名は"リリッカー"の五人目のメンバーの名と一致していた。
気づけば、先程まで室内を満たしていた殺意は悲しみへと姿を変えていた。"リリッカー"の四人は俯いており、彼等になんと言葉をかければいいのか、時雨はわからなかった。
「話してはくれませんか? 糸井つむぎさんのことを」
ポカポカとしたお日様が包み込むような、柔らかい声で流師は彼等に頼んだ。
「ああ、そうやな話しとこか」
少し鼻声になった言葉が答える。言葉の表情は隠れていて見えないが、抑揚から必死に明るく振る舞おうとしているのが伝わった。
「必要ない。こいつらにつむぎのこと話す必要なんかない」
言葉とは対照的に響は怒気を含んだ声で、刺々しく反対した。
「必要ある。"アウェイキング"の強さがわからん以上、助けになってくれる存在は必要や。今回のことで、俺らの強さがどんなもんかわかったやろ」
「……」
「それに、つむぎなら『うちのこともっとみんなに知ってもらわな!』くらい言いそうやろ?」
言葉は寂しそうに口元を緩めて言った。
「でも、こいつら警察やぞ」
「俺らが嫌いな普通の警察とちゃう。警察の一言でこいつらはラベリングできるもんちゃうやろ。それに、一般人の俺らだけの力やったら、どうしても限界がある」
「やけどな……」
「ええ加減にせえや!」
二人の語気が強まる。
一触即発の状態を周りの者は見守るしかできない。
「響、流師と戦ったお前が一番分かってるやろ。いや、戦わんくてもお前なら分かるやろ。しっかりしろや、感情の矛先を間違えんなや」
「……」
「つむぎならなんて言うか、なんて思うか。俺たちならわかるやろ?」
静まり返った部屋に響の深い呼吸音が響く。
「ありがとう、言葉。ダサかったな。俺」
響の昂った感情は落ち着いたようだったが、溢れ出る悲しみを隠すことはできていない。
「この人らに知ってもらお。つむぎのことを、あいつがどんな奴やったかを、確かに俺らと生きてたことを」
そう言うと、渋谷言葉は静かに語り出した。
糸井つむぎのことを。
もうこの世にはいない、最愛の妹との出会いを。
***
糸井つむぎは俺の妹や。
妹といっても、俺達は同じ施設で育っただけで血の繋がりはない。
俺は物心ついたときから、周りには疫病神扱いされてた。
今、考えればそらそうやろうな。
気に食わんかったら殴るし、そうでなくても殴ってた。
とんだ暴れん坊やった。
同じ施設の奴も、職員さえも、誰も俺とは関わろうとせんかった。
世界には、俺一人やった。
そんな中、つむぎだけが俺のことを『にいに』って呼んで、しつこくついてきた。
俺はあいつがウザくて、寄ってくるたびに突き飛ばしてた。
一個下の女の子にも手あげるなんか、当時の俺はほんまにクズもいいところや。
それでもあいつは『にいに!』って、学校でも施設でも俺の後を追ってきてん。
数回繰り返して学んだんか、突き飛ばされへんように離れてやったけど。
昔からつむぎは明るくて、優しい奴やった。
人に好かれる、俺とは正反対の奴やった。
そんなつむぎが、なんでわざわざ俺なんかに付き纏うんか、理由がさっぱりで気に食わんかった。
俺は当時から腕に自信があってん。
同い年には数人相手でも喧嘩は負けたことなかったし、中学生相手でも、高校生相手でも、タイマンなら負けることはなかった。
俺が小学校五年のある日のことや。
施設の近くの公園で、うるさくて癇に障った高校生二人を不意打ちでボコボコにした。
そしたら次の日、五人がかりで仕返しされた。
相手はみんな俺よりも10センチも20センチもタッパがあって、体重もずっと重い。
とにかく体格が違いすぎた。
文字通り子供と大人くらいの差があったわ。
当然、勝てる訳もなく。
俺は血まみれで、骨も折れてただ亀のように丸まってた。
最小限の怪我でなんとか耐え凌ぐしかなかった。
そんなときにあいつ――つむぎがやってきた。
「辞めて! にいにをいじめんとって!」
いきなり幼い女の子が喧嘩の仲裁に現れて、高校生はみんなあっけに取られてた。
でも、あいつら以上に俺が驚いた。
だって、ずっと俺の世界には俺一人だけで、誰かに助けてもらうなんて知らんかったから。
つむぎが俺に覆い被さってくれたおかげで、あいつらは俺を蹴るのをやめて帰ってくれた。
ボロボロになった俺を見て、つむぎはワンワンと煩いくらいに泣き叫んでた。
でも俺は、それが気に入らんとは思わんかった。
めっちゃ煩かったのに、嫌悪感はなかった。
ほんま、不思議な気分やったわ。
あの感情の名前をあのときの俺は、まだ知る由もなかってんけどな。
その帰り道、つむぎが手を繋いできた。
俺は身体中、骨の芯までジンジンと痛かった。
ほんまなら、手を触られるのも痛くて、ウザいはずやった。
やのに、徐々に痛みが和らいだ。
身体中のジンジンとしたものはなくなってた。
でも、殴られたり、蹴られたりしてないはずの心だけはジンジンと苦しなった。
「なんで……あんなことしたんや」
「だって、うちのにいにやもん」
「なんでや、なんで俺についてくんねん」
「うちがここの施設に移ってすぐのとき。男の子にいじめられたけど、にいにが助けてくれたから。そんときに、この人がうちのお兄ちゃんなんやって思ってん」
「覚えてへん。それだけか。そんなん、ただの気まぐれやし、そのあと俺は……お前に手あげたりしたし……」
「うん。でも、それでも……にいにはうちが一番辛くて、寂しくて、悲しいときに助けてくれた。
それに、にいにがあのとき助けてくれたから、うち、いじめられへんくなってんで!
やから、にいにが辛いときはうちが側から離れへんねん!」
「そーか」
「うんっ!」
俺は初めて誰かに笑顔を向けられた。
初めて誰かを笑顔にできた。
この日から、俺の世界には妹が増えた。
土足で俺の心に踏み込んでくる妹が。
自分を危険な身にさらしても懸命に兄を守る、強くて弱い妹が。
それがなんなのかよくわからんかったけど、悪い気はせんかった。
叶うなら、もう一度つむぎに会いたい。
そのためなら、俺はまたあの頃にも……戻れる。




