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銘の者  作者: 笹暮崔
一章
2/31

2話 あなたの座右の銘はなんですか?

 

「つかぬことをお聞きしますが。あなたは銘力者(めいりょくしゃ)ですか?」


「銘力者……?」


 時雨日々生(しぐれひびき)はスーツの男の口から飛び出した得体の知れない言葉をただただ復唱することしかできなかった。


「今は混乱しているようなのであとで話しましょう」


「はぁ……」


 時雨の頭の中がパニックになっていたところにパトカーが駆けつけ、事故のあれこれを聞かれ一通り片がついた。


「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」


 目が腫れ、まだ水滴が溢れそうなのを必死に我慢している子供が時雨の手を握りしめてくれる。その小さな手は明るい温もりを宿していた。


(自分が、こんな自分がこの小さい命を守れたんか。ほんまに……ほんまに良かった)


 時雨は涙を我慢している子供の前で泣く訳にもいかず、空を見上げ潤む瞳から溢れ落ちないように堪えた。


「危ないことしたらあかんで!次、あんなことしたら、兄ちゃんがこーやってほっぺたつねりに行くからな!」


「分かったから!痛い痛い!お兄ちゃん!」


「もう大丈夫やな!またなっ!」


「うん!お兄ちゃん、ありがとう!バイバイ!」


「うん、バイバイ!」


 子供は保護され、パトカーに乗って親元へと向かう。パトカーに乗れたことが嬉しいのか、窓から笑顔で手を振る子供に時雨は少しぎこちなく微笑んだ。


「心配ですか?」


 時雨の心情を悟ったように、スーツの男は優しく語りかける。


「いえ、なんか……少し寂しくて」


「そうですか。ですが、今日という日はあなたにとって誇らしい一日になりましたね」


「なんでですか?」


「あなたは、あの小さな命を救ったことを誇らずに一体何を誇るんですか」


 男が優しく微笑みかけてくれた。


 時雨の心の中に巣くっていたモヤモヤが晴れていく。無意識に誰かに言われたいと求めていたような、そんな言葉を男は授けてくれた。


「そうですね。なんか、色々ありがとうございます!あの子にも感謝しなくちゃ」


「晴れてくれて良かったです」


「はい!ですね!雨も止んでいるうちに帰らせてもらいます!ありがとうございました!」


 何か用事があるのだろうか、男は時雨を呼び止めた。


「すみませんが、少しお話をする時間はありますか?」


「はい…構わないですけど、さっき状況説明は全て終えましたよ?」


「いえ、あなたに聞きたいのはまた別のことです。立ち話もなんですし、少し場所を移しましょう」


 真剣な表情に変わった男に付いていき、二人は個室のカフェに入った。


 ***


 男はホットコーヒーをブラックで、時雨はアイスティーを注文した。二人のもとに飲み物が届くまで、長いようで短い束の間の沈黙が流れる。二人とも沈黙を苦に感じるタイプではなかったことが幸いだ。


 商品が届くと、待ってました言わんばかりに男はコーヒーに手を伸ばす。よほど待ち焦がれていたのだろうか、先程までの気品溢れる動作とは裏腹に無邪気さが垣間見えた。しかし、気のせいだと思わせるほどに上品さを瞬時に醸し出した。


 ゴホンっと咳払いをして、男はコーヒーをテーブルに置いて話を始めた。


「自己紹介がまだでした。改めて、私は大阪府警特別対策課二班班長の流師善彦(ながしよしひこ)と申します」


「阪西大学法学部四年の時雨日々生です。現在、就職活動中です。よろしくお願いします」


(さっきも警察手帳を見せてもらったけど、特別対策課ってどこやろ)


 時雨の疑問は流師の予想だにしない質問によってすぐにどこかに消えていってしまった。


「突然ですが時雨君、あなたの座右の銘はなんですか?」


「え?座右の銘ですか?」


「ええ、座右の銘です」


「えっと…いざ、聞かれると出てこないもんですね…」


「では、ある言葉を考えていたときに胸が熱くなったり、締め付けられたりするような感覚になったことはありませんでしたか?」


 時雨は先刻の歩道にて雨に打たれ項垂れていたときことを思い出した。


「あ、あります!さっきの事故の直前にありました!でも……あれは座右の銘みたいなそんなたいそうなものじゃなくて、ただ罵られただけと言いますか……」


「なんて言葉でしたか?お聞かせください」


 流師の食い入るような姿勢に時雨は少し戸惑ったが、正直に話した。


「"井の中の蛙大海を知らず"…です……」


「なるほど。確かにその言葉を座右の銘とする人はあまりいないかもしれませんね」


 流師が悪戯に微笑んだのを時雨は見逃さなかった。


「ですよね!だから、座右の銘と言われたら違います!でも…なぜ、僕がその言葉を考えたときに胸が熱くなったり締め付けられたりしたと分かったんですか?」


「それはですね…今から私がお話しすることは、常識人であるほど大変理解に苦しむ話ですが、全て事実です。なので、ご理解のほどよろしくお願いします」


「はい……」


 紳士的だった流師から凄みのような圧を感じた時雨の声は少し震えていた。


「この世には銘力(めいりょく)という不思議な力が存在します」


「銘力…?」


「はい。銘力です。銘力とは、その人の座右の銘によって引き起こされる不思議な力のことです。そして、銘力を持つ者を銘力者(めいりょくしゃ)と呼びます」


 時雨の脳が会話に追い付いてくるのを待つかのように、流師はそっとコーヒーを啜り、一息ついて再び話し始めた。


「時雨君、あなたは”井の中の蛙大海を知らず”という言葉の銘力者になったということです。ここまで、よろしいですか?」


「ま、まっ、待ってください。銘力?銘力者?なんですかそれ。いきなりそんなことを言われても…仰っている意味が…そんなものがこの世にあるわけないじゃないですか!」


 時雨は大きな声で立ち上がったが、ここがカフェであることを思い出してゆっくりと腰を下ろした。


「本当にそうでしょうか?もし、この世に銘力がないのなら、なぜあなたはさっきの子供を救うことができたんですか?」


「それは、僕が道路に飛び出したからで……」


「そう、あなたは道路に飛び出して子供を助けた。六車線を挟んだ反対側の歩道からたった一度の跳躍で」


「そ、そんなこと…普通の人間にできるわけ……」


 常識の範囲を超えた現象に戸惑い、時雨はグラスの中で溶けていく氷に視線を落とす。自分がしたことが理解できずにただ恐ろしさを感じていた。


「そう、普通の人間にはとてもできることではありません。ですが、あなたは成した。つまり、あなたは普通の人間ではなく、銘力者ということです」


 落ち着きはらいコーヒーを優雅に口元へ運ぶ流師は、まだ口がつけられていないアイスティーを時雨の方にスッと寄せてやり話を続けた。


「咄嗟のことで混乱し、あまり覚えのないことかもしれません。ですが、これが事実です。あなたの先ほどの行いこそが銘力の証明なんです。そして、私が所属する特別対策課は銘力に関する事例を専門に扱う部署なのです」


 流師は動揺する時雨に気を遣い丁寧に話すが、時雨はまだ冷静になれないようだった。


「でも、それでいったい僕にどうしろっていうんですか。まさか……!僕を捕まえて人体実験とか改造とかするつもりなんですか!」


「それも興味深い話ではありますが、残念ながら違います。時雨君、私はあなたを特別対策課にスカウトしたいのです」


「すかうと?」


 時雨は予想外の提案に素っ頓狂な声を出してしまい、赤面する。恥ずかしさのおかげか少しだけ冷静さを取り戻した。


「はい、スカウトです。明日、ここの住所に来てください。詳細はそこで話します」


 流師はメモ帳から住所の書かれたページを切り取り、時雨に渡した。こんなささいな一挙手ですら、彼の動作は紳士的で洗練されていた。


「そしてこれは警告ですが、くれぐれも今日のことは一切他言無用です。国家権力を敵に回したければ話は違いますがね。それでは、また明日お待ちしています」


 冗談のように流師は笑いながら忠告したが、本当に国家権力を敵に回すことになるのだろうと時雨に思わせるに十分な笑顔だった。


(これって、現実?夢?どっちやねん……)


 少し一人で考えてから時雨はアイスティーを一気に飲み干して帰ることにした。


 流師との会話は時雨の脳では理解が追いつかず、まだ分からないことばかりであった。しかし、明日までに一着しかない汚れたリクルートスーツのクリーニングは間に合わないことと、今日の話をすれば自身によからぬことが起きることだけは理解できた。




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