合コンなんて嫌いだ
気づくとわたしは児童公園の遊具の中にいた。真っ暗で無音なこの場所はわたしを現実の世界から隔絶してくれた。
でもわたしの頭の中はさっきのことをずっと考えている。
なぜ、あんなことになったのか。もう少し冷静でいられなかったのか。もっとユーモアに解決できたのではないか。あそこはキスしても良かったのではないか。ただわたしは自分の保身のために自己中心的な行動をとっただけではないのか。
なにか失敗をすると、わたしは決まって自分が悪かったという思考で反省する。こうやっておけばよかった。なぜあれができなかったのか。そんなもしもを並べて、過去を悔やんで、未来に一切活かすことができない反省をする。
わたしは不器用で、バカでクズだ。いつだってそんな結論に落ち着く。
さっきまでじんじんと痛かった右手にもう痛みはない。でも嫌な感覚が残っている。
涙は意外にも出なかったが、心を強く締め付けられる圧迫感がある。
昔、友達とくだらないことで喧嘩した夜もこんな気持ちだった。
泥に汚れた自分の足を見てみる。
咄嗟に飛び出したからといって、靴も履いてこなかったのはなんて間抜けなのだろうと自分が情けなくなる。コートも携帯もカバンもすべて居酒屋に置いてきてしまった。
取りに戻るのが得策だが、あんな風に出て言った手前、戻るなんてそんな恥ずかしいことはできやしない。あいつらが帰った後、そっと店に取りに戻ろう。いや、もしかしたら誰かが預かってくれてるかもしれない。それだとまた気まずいな。こんな空気読めない奴に気なんて遣わなくていいのに。
わたしはせめて寒さだけでもしのごうとうずくまり、表面積を減らした。そのまましばらくは心の奥深くに沈殿した痛みをひしひしと感じていた。
とりあえず、もう今日は帰ろう。そう思い遊具から出ようとすると、
「彩音!」
という声が遊具内に響き渡った。エコーがかかっていても分かるその声は沙也加のものだった。彼女は遊具内に入ってきてわたしの隣に座った。
「やっぱりここにいた」
「……よくここが分かったね」
「なに言ってんの。この辺りはわたしらの地元じゃない。小学生の時、何か嫌なことがあったらいつもここに来てたの忘れたの?」
「ああ、そういやそうだっけ」
自分でも忘れてたことをよく覚えているなと素直に感心する。沙也加はこんなにもわたしのことを分かってくれてる。
「ここ寒いね。とりあえず、これ」
沙也加はわたしのコートとカバン、そして靴も持ってきてくれていた。その行為を無下にしたくなかったのでわたしはそれを羽織る。人の温かさが感じられた。
「ありがとう」
「あと、これね」そう言って沙也加はわたしにミネラルウォーターを一本差し出した。水を飲めば酔いも覚めるかららしい。自分のものも持っていたらしく沙也加とわたしはそれを一口飲んだ。喉を通る音がいやに遊具内に響く。
「まあ、あれよあれ」沙也加は紡ぐ言葉を探して、「分からないでもないわよ」
その言葉にはどこからどこまでが含まれているのか、わたしが飲みの席でうまく振舞えなかったことか、ゲームにかこつけてキスを迫ってくる男をはたいてしまったことか、何の理由もなくその場から逃げ出してしまったことか。
おそらくそれらすべてなのだろう。
「でも沙也加はノリよく楽しめてたじゃん」
「ああしないとだめだったのよ、ああいう場では。わたしだってやりたくてやってるわけじゃないよ」
「そうなの? え、なんかすごいね沙也加は。わたしはほら、人見知りだから――」
そう呟いた時、さっき居酒屋のトイレで沙也加に言われた言葉を思い出す。
『そういうのは甘えだと思うよ』
「あ、ごめ――」
「良いって別に」沙也加はわたしの言葉を遮って続ける。「さっきトイレで言ったことは彩音にこの場を楽しんでほしいから殻を破ってってことだったのよ。人見知りが悪いことなんて思わないよ」
「でも、人を叩いちゃったし」
「あんな男は叩いて然るべきよ」生徒指導する女教師のようにそう言った。
「そうなの?」
「そうよ」
「でも沙也加、あの男と手つないだ時、嬉しそうに顔赤らめてなかった?」
「あれはお酒が回ってただけよ」
「でも王様ゲームもノリノリだったじゃん」
「あれはフリだけよ。変に乗らないと浮いちゃうからさ。社会で」
「なんだ、そうだったんだ」それを聞いて、わたしが思っていたことが必ずしも間違っていないことを知り、わたしは安心した。
わたしたちは少しだけ笑った。互いの感性を示し合わせるかのように。
「で、どうだったの? 初めての合コンは」優しげな表情で沙也加が訊いてきた。
「これと言っていいものじゃないってことが分かったかな。メンバーにもよるんだろうけど、今まで抱いていた合コンへのイメージとそこまでかけ離れてなかったような感じ」
「じゃあ嫌い?」
「嫌いだね。酒を飲むのは百歩譲っていいとして、王様ゲームなんて下劣な遊びはなしだね」
「まあ、あそこまでのレベルだとね……」
「だってあり得なくない。今日初めて会った人とキスするなんてさ。絶対、常識的じゃないよ。訴えても勝訴できるレベルだよ。だいたい美玖と遥が悪いんだよ。ノリかなんか知らないけどあんな激しいキスしちゃったら男性陣も、ああ今日はそういう会なんだって勘違いしちゃうじゃない」
「あの娘たちもお酒が入ってたからああいうことしちゃったんだよ。やりすぎたってさっきも反省してたよ」
「そうなの? でも自業自得よ。わたし、決めた。今後は合コンに誘われても行かないことに今わたしが決めた。あと、勧められたとしてもお酒は二十歳まで飲みません!」
今回のことを教訓にわたしは学んだ。これだけの失敗をしたんだ。そこから何も学ばずにただ自分を卑下して終わりじゃあ、学習能力のない単細胞生物と同じだ。学ばなければいけない。そうして人は成長していくんだ。
「お酒はまだしも合コンには行かないなんてこと宣言して良いの? 巷では合コンでしか男女の出会いはないとか言われてるし、社会人になると出会うことすらも少なくなるのよ」
「別に出会わないなら出会わないでいいよ。それがわたしの運命ってことなんだからさ」
「運命なんてこの世にないよ。あるのは自分の行動によって出会うことになった単なる必然だけだよ」
「え?」
「自分から動かないと、運命の人にも出会わないってことよ。合コンでも出会いは出会い。白馬に乗った王子様でも、友達から紹介された飲み仲間でも、そこに大した違いなんてないんだからさ」
そう言うと沙也加は持っていたミネラルウォーターを一口飲んだ。
やはり沙也加は清楚な美人だ。ただ水を飲むというなんでもない仕草でも、飲料メーカーのイメージキャラクターを担えるほどには画になる。もしも自分が男だったらお近づきになりたいと思うだろう。
「そういえば、沙也加はどういう男と付き合ってたの?」
そう尋ねると、沙也加は痛いところを突かれたような顔になる。
「あ、ああ、まあ普通の人だよ……」
「世の中に普通の人なんているわけないでしょ。誰だっておかしな部分があるのが人間なんだから。ねぇ、どんな人なのよ」
さらに詰め寄ったが沙也加は目を合わそうともせず、
「それよりも彩音はどうなのよ」
と切り返してきた。
「どうなのよって、わたしは今まで彼氏なんてできたことないよ」
「だとしても好きな人はいたことあるんじゃじゃないの? ほら、例えば今回の合コンでちょっとは良いかもって思った人いないの?」
「良い人、ね……」わたしは今日来ていた五人の男性の顔を思い浮かべる。何を持って良い人と言っていいのか分からなかったわたしは自然とその五人のヒエラルキーを頭の中で作っていた。やはりどう見積もっても一位は向後善人になってしまう。まあ、あくまで他の四人と比べればの話だが。
「あ、その顔は良い人がいたって顔だ」沙也加がわたしの顔を覗き込んで言った。
「いないよ。ただ他の四人と比べればいいかもって人がいただけで、それが恋愛感情に発展するなんてことはハレー彗星が地球に衝突するくらいあり得ないことよ」
「いやいや何が恋愛に発展するかなんてわからないものよ。恋愛学というのは天文学よりも難解な分野なのよ。他の人に比べて良いってちょっとでも思えたのなら、ゼロパーセントじゃないってことでしょ」
「まあ……」
「一パーセントを百パーセントにするよりもゼロパーセントを一パーセントにする方が難しいもんよ。もう一度だけ、その人と会うだけ会ってみてもいいんじゃない」
まるで世話焼き母さんのように沙也加は詰め寄ってくる。
「なんでそんなにあの男とわたしをくっつけようとしてるのよ」
「え、あ、んー、お似合いだと思ったから」
「お似合いって……わたし、まだその人が誰か言ってないんだけど」
「あれ、あ、そうだっけ」
珍しく沙也加は失態を犯したような顔になる。
「ま、なんでもいいけど」
今日はなんだかいつも以上に沙也加の表情が豊かだ。相当お酒が回っているらしい。ならばわたしもまだ少し残っている酒の力でも借りてみよう。
「そう言えば沙也加の元カレの話なんだけど」
その問いに彼女は明らかに動揺の色を見せた。それを見て、いたずら心がくすぐられる。
いつもなら他人の恋愛ごとに首を突っ込むのは憚られるし、過去の異性の話題など持ち込まないのがわたしのモットーだった。しかし、今日ばかりはそんなモラルなど酒のせいにして取っ払い、好奇心に任せてハテナマークの応酬をしてもいいんじゃないか。
「なんで好きになったの? なんで別れたの?」
わたしの目は公園を照らす街頭よりも煌々と輝いていたことだろう。
「いや、まあいろいろあるんですよ。いろいろ」
「ねぇ、聞かせてよ」
「え、何を?」嫌な予感でも察したのか、沙也加の顔は心なしか引きつっていた。
「沙也加の恋バナに決まってんじゃん。ねぇ、どんな人だったの? どんなデートをしたの? なんで別れたの? というかどうやって付き合ったの? どこを好きになったの? ねぇ、ねぇ、ねぇ」
まるでおもちゃをねだる子供のような目をするわたしを怪訝な顔でみつめる沙也加だったが、そんなことで引き下がるほどにわたしの好奇心は脆弱ではない。
やばい。ここに来て恋バナの楽しさに目覚めてしまった。先ほど、過去の恋愛遍歴を訊いてくる男子を揶揄したが、今ではあいつらの気持ちが分かってしまう。
他人がどんな恋愛をするのか、ここまで興味をそそられるものが他にあるだろうか。
その後、三十分くらいは沙也加に対して取り調べをする刑事のような勢いで詰問した。しかし得られた情報といえば、その男は中学校の同級生であり、付き合っていた時期は高二の時。きっかけはベタにメールで告白されたから。その後、何度かデートをしたがそりが合わず付き合って三か月で別れた。一年以上たった今ではもう連絡を取っていないという大衆的な恋愛話だった。そうやって元カレのエピソードを語る沙也加の顔は困惑したものであり、わたしが質問するたびにその色は濃くなっていくように見えた。それは未練のある男の話に辟易していたからか、それとも未練などみじんもなく記憶もあやふやな男だったからかは定かではない。
これがその辺の女子高生が相手ならここまで質問の応酬にならなかっただろうがなんせ相手はあの沙也加なのだ。クラスのマドンナであり、在学中何度も体育館裏に呼びだされ告白されて、ことごとく男たちを振っていて、彼氏なんていう対象を作る気がないと思っていたあの沙也加にまさか男がいたなんて、純粋に驚きだった。こうなってきたらその沙也加を落とした男の方にも興味が出てきた。
しかし、これくらいにしておこう。すでに終わった男のことを訊いても沙也加はいい気分にはならないだろう。すでにそれなりに訊いてしまっているが。
もしかしたら一時の気の迷いで、流れで付き合ってしまったダメ男だったかもしれないのだから。過去の過ちを思い起こさせることはしないに越したことはない。
わたしの好奇心もある程度満たされたことだし。
沙也加と別れた後、家までの道中も、帰ってからのベッドの中ででも、今日のことを思い返した。
今日はいろんなことを学んだ。
男友達が多そうな友達の誘いに安易に乗ってはいけないこと。
首からネックレスをかけていたり、ピアスをしている人は人間として程度が低いということ。
合コンとはやはり男女の煩悩や欲望入り乱れる下劣な会合だということ。
未成年に酒を飲ませることを諒とする居酒屋はつぶれた方が良いということ。
居酒屋が出す食べ物はポテトとバターコーン以外はそんなにおいしくないということ。
王様ゲームは誰かが喜ぶと誰かが悲しむ、まるでこの世の縮図のような悪しきゲームだということ。
そして、沙也加みたいな清楚な女子でも裏ではやることをやっているということ。
この世界には恋愛というものがあるということ。
こんな風に今日もまた偏見ともいえる経験の引き出しが増えることを痛感しながら、わたしは眠りについた。