邂逅
一度家に帰ったわたしは、勝負服とは言えないまでもそれなりに小綺麗なわたし服を身にまとい、ニガヤ駅の改札前に着いた。待ち合わせの時間まではまだ二十分くらいある。ただ案山子になって待つのも味気ないと思ったわたしはそのあたりを歩いてみることにした。さすがに都会の中でも有数の繁華街と称されるニガヤ駅界隈は人でごった返していた。
「ちょっとインタビューよろしいですか?」
歩いていると、マイクを持ったアナウンサーから声を掛けられた。こういった場では時々テレビのロケが行われていたり、街頭アンケートが行われている。どうやらそれにつかまってしまったらしい。
「すみません。急いでいるんで……」
そう言うとアナウンサーは、「分かりました」と言って後ろの人へとマイクを向けた。
断られ慣れているらしい。
アナウンサーなんて職業は華やかであり、お金持ちのスポーツ選手と結婚する人生が確約された恵まれた人種と思っていたが、汗水たらして、道行く人から怪訝な目を向けられるこの様を見ると良いことばかりでもないらしい。
もしかしてこの世界っていうのは芸能界に限らず、頑張らないと綺麗に生きられない設計なのかな。
ガラス張りの店の壁に自分の姿を映してみる。いつものモノトーンの制服姿とは違って、少しばかりビビッドな色をさすとこうも印象が違うのかとわたしはファッションの奥深さに感銘を受ける。しかし自分のような人間がこうやって着飾っているさまも滑稽なものだ。自分自身の人間性を知っているからこそ、そう思える。
本屋を見つけた。何か買いたいものがあったわけではないがわたしはそこに入ってみる。特に用もないのに本屋に寄ってしまうのは、わたしが繁華街に来た時のルーティンとなっている。
店内はワンフロアだけだったがさすが繁華街というだけあって、そこは広かった。ここでならどんなマイナーな書籍でも手に入りそうだ。
わたしは文庫コーナーへと足を運ぶ。数々の賞を取った作家の最新作が平積みされていて、店員の鮮やかなポップが目を引く。しかしその作家はわたしの好みではなかった。有名な文学賞を取っているため、わたしも試しに読んでみたのだが、十ページも読まないうちに本を閉じていた。小難しい言葉を使って、文学という芸術の深淵さは伝わってきたが、内容が理解しづらく、主人公が男か女かも分からないうちに挫折。やはりベテランの小説家が書く作品はあまりにも奥深すぎて、わたしのような子供にはまだ早かったようだ。
わたしは、自分こそが絶対だと過信している小説家の作品が嫌い。
適当に店内を回り、数分ファッション雑誌を立ち読みしていたら時間はあっという間に過ぎていた。気づけばもう待ち合わせの五分前だった。わたしは再び駅前へと向かう。
そこにはすでに沙也加と愛利がいた。沙也加は白を基調としたファッションを身にまとい、道行く人に「お嬢様」という単語を頭によぎらせるような楚々とした格好だった。一方、愛利の服装を言葉で表すのならキャバ嬢の休日の格好といえば最も合致するかもしれない。まだまだ肌寒いというのに、いやに露出度は高く、思春期の男子が見たのなら卒倒してしまうかもしれない服装である。しかし愛利にとってはそれが普通の服装であり、今回もそういった格好でやってくることは容易に想像できた。
だから、わたしが驚いたのはそこではない。
駅の入り口近くで待っている愛利と沙也加に男二人が話しかけている。会話の内容はここからでは聞き取れない。男二人の見た目といえば一人は背が高く、茶髪にピアスといった出で立ちであり、わたしにとってはたとえ男の性格がよかったとしても絶対に仲良くはなれないだろうというタイプであった。しかもヒョロい。
もう一人の男は身長が低く、少しだけぽっちゃりであり、優しげなオーラは漂わせていたが、不似合いなサングラスが少しだけ人をイラつかせる。
見たところ二人とも大学生のように見える。わたしが思い描く大学生というイメージに非常によく似ていたからだ。
おそらくナンパされているのだろうと思い、わたしは少し離れたところからそれを見守っていた。いくら友達だからといってもわざわざナンパを助けてやれるほどにわたしは気が利かない。オオカミの目の前に飛び出す羊がいないのと同じ道理。
このまま何の弊害もなく男二人が離れてくれればよかったのだが、数秒後、愛利がこちらに気付き手を振ってきた。こうされると無視するわけにはいかない。わたしは駆け寄る。
「この娘が今日一緒に遊ぶ大垣彩音ちゃんね!」
快活な笑顔で愛利は男二人に向かってそう言った。
「え?」なぜナンパ男二人に紹介するのか、訳が分からなかった。もしかしたらこのまま五人でどこかに行こうというのじゃないだろうか。社交性を標榜した愛利のことだ。みんなでどこかに行った方が楽しいだろうという方程式が頭の中で作られてしまっているのかもしれない。確かに愛利のように誰とでも仲良くなれるコミュ力があればどんな人間と一緒に居てもそりゃ楽しいものだろう。しかしわたしにはそんな力はない。知らない人といてもそれはやっぱり楽しいものではない。それが普通である。
だからわたしだけに限らず、大体の人間が、自分の知らない人は嫌いだ。
わたしは怪訝な顔をしていたと思う。
それでも愛利は笑顔を崩さず、
「ごめんね。この娘、人見知り入ってるから初めての人の前だといつもこうなの。悪気はないのよ」
悪気はなくても嫌悪感を抱いているのは事実。だがここは大人になってわたしは愛想笑いを浮かべて、
「えーっとこの人たちは?」と訊いてみる。
「あー、簡単に言うとそうだね、わたしたちの彼氏候補かな」
愛利のその発言にわたしは大きなハテナマークを頭上に浮かべた。
彼氏候補?
「お、愛利ちゃん言ってくれるね」
「じゃあ今日は頑張らないとな」
男二人はにやけながらそう言った。一体何を期待しているのか。いつの時だって、むやみやたらな期待をしてしまうのは男の悪い癖だとわたしは思う。
いや、そんなことより彼氏候補とは何だ。こいつらはいまナンパしてきた男たちではないのか。
そこに「おっす、愛利ちゃーん」という声が聞こえた。振り向いてみるとそこには二人の男と二人の女子の姿があった。一方の男は冬の季節には違和感のある日焼けをした筋肉質の茶髪。もう一人は黒髪眼鏡で、好感のもてる見た目かと思いきや、引くほど大きなピアスが耳からぶら下がっていた。もしもわたしがニホンザルだったらぶら下がっていたことだろう。
「もう遅いよー」愛利が四人を手招いている。
わたしが全く知らない四人がこちらに近づいてくる。心なしか全員がわたしの方を見て、にやついているように感じた。知らない人と接したくないというわたしの深層心理が見せた幻覚だろうか。
背の高い片方の女がてくてくと近づいてくる。
「初めまして、わたくし、美空美玖と申します。よろしくお願いしまーす」
わたしたちにそう名乗った彼女は校則の緩い不良高校でも生徒指導の先生から注意が入るだろう青色メッシュの奇抜ヘアーだった。かなりボーイッシュな格好をしている。髪もショートカットだからか、パッと見は可愛い顔した男の子にしか見えない。バイセクシュアルな人間からしたら倍楽しめる存在だろう。
「よろしくねー、美玖ちゃん」
「美玖ちゃんってかわいい名前だね」
ぽっちゃりとヒョロ男が緩み切った笑顔で返す。それを見てもう一方の女も、
「わたしは美玖と同じ高校の相生遥といいます。よろしくおねがいします」
と見るものすべての視線を奪うほどに姿勢のきれいな彼女は慇懃に一礼。
「よろしくねー、遥ちゃん」
「遥ちゃんってかわいい名前だね」
先ほどよりも一層緩み切った笑顔で返すぽっちゃりとヒョロ男。
しかし一体ぜんたい、どういうことだ。てっきり今日は見知った顔だけで遊ぶものだと思っていたのに。この四人の男たちは一体何なんだ。さっきは彼氏候補などと言っていたがこんな人たちでは彼氏どころか友達の候補にも挙がらないんだが。
「じゃああとは向後くんだけよね」愛利は言った。
ひとりでもキャラの濃いこの男四人組にまさかまたひとり加わるなんてわたしは想像したくはなかった。同じグループだと思われたくない。同じ時を過ごしたくない。そう思い、仮病でも使ってこの場から立ち去ろうと愛利に近寄る。
その時、駅の改札から一人の男が出てきた。
「あ、来た」
皆が一斉にその方向へと振り向き、わたしもそれにつられる。
電子カードをかざして出てきたその男の髪は黒に近い薄い茶色。ショートカットでさわやかな印象さえうかがえる。ピアスは開けておらず、ひげも生やしてはいない。そこで清潔感はあるのだなと分かる。
顔の方はというと、唇は厚くもなく薄くもない。鼻は高くはないが形はまずまず。眉毛はある程度整えているだけで、自然な印象。眼は大きくはない、かといって小さくもない。威圧感はないし、優しい印象さえうかがえる。子犬の目とまではいかないまでも小動物の雰囲気はある。背も平均より少し高いくらい。服装だってジャラジャラしているものはなく、親戚の集まりにだって出られそうなカジュアル感がある。
飽くまで、飽くまでここにいる男四人に比べればの話だが、多少は、そう、多少は好感を持てる印象だった。
その多少は好感を持てる男はこちらへとつかつかと近づいてくる。そしてわたしの目の前に立ち、
「あ、本物の彩音ちゃんだ」
と、まるでおもちゃを買ってくれた子供のような目でそう言った。
「え、本物って何?」
口をついてわたしはそう尋ねていた。
その瞬間、まわりの空気が一瞬凍り付いたように感じた。そこに美玖が何かを取り繕うように割り込んできた。
「あ、この前写真見せたからだよ。今度遊ぶのはこの娘だよって感じでね。ね、愛利」
「え、あ、そうそう。この前、彩音の写真見せちゃったからね」
いつもは朗らかな笑顔で明るく話す愛利だったがなぜかこの時は早口で焦っているように感じた。
「え、ああ、写真」男も焦ったように、「そうそうこの前写真で見てさ。それで本物だって思って……」
「ふーん」
許可も得ずわたしの写真を他人に見せたことには多少の憤りを感じるが別に肖像権を主張するつもりもなかったわたしは特に攻めることもなかった。それよりも問題にすることはある。
「じゃあ、まずはカラオケにでも行きますか!」
大音声にそう言った愛利は先導を切って歩き出した。わたしは愛利を追いかけて小声で訊く。
「ちょっとどういうことよ?」
「あ、やっぱりボウリングの方がよかった? でもごめんね、十人ともなるとレーン分け難しいじゃない。投げ終わる時間も変わってくるしさ」
「じゃなくて、このメンバーのことよ」
わたしは視線を男たちの方へと向ける。ひょろい男は沙也加に何やら話しかけている。一応、沙也加は笑顔を作ってはいるが本心のところは分からない。もしかしたらわたしと同じで男には似つかわしくない真っ白な肌と異常に細い手首にイラつきを覚えているかもしれない。
「ああ、男の子? だって男がいるって言ったら彩音は来ないでしょ」
あっけらかんと愛莉は答える。
「それは男に寄るけどこういう男たちだったら確実に来なかったわよ」
「だから黙ってたのよ。それに関してはごめん。でもしょうがなかったの。わたしの周りでルックスがい良い女の子って彩音たちくらいしかいなかったからさ」
「ルックスって……」
そこを褒められて嫌な気はしなかったが、なぜこの場でルックスという話になるのか。もしかして――
「これってもしかして合コン?」