好きな人がいるこの世界は美しい
宴もたけなわ。明日がデートということもあり、早めに寝ようという運びになり、わたしはいま沙也加と一緒にベッドで寝転んでいる。美玖と遥はというとベッドの横合いに布団を敷いて、そこでもう眠りについていた。
こうしてみると高校の修学旅行を思い出す。同部屋のクラスメイトが好きな人の話だの、恋バナだのしくさっていたあの就寝時間。当然、わたしはその当時、好きな人だの恋だのに一ミクロンほども興味がなかったのでそんな話は耳ざわりでしかなく、なかなか寝付けなかった記憶がある。
しかし、今は――
「ねぇ、沙也加」
隣にいる沙也加だけに聞こえるよう小声で話しかける。
「ん? なに、彩音」
幸運なことにまだ寝ついてはいなかった。
「沙也加にはいま好きな人っているの?」
見回りの先生が入ってこないか気にしながら恋バナをする女子高生の気持ちがいま少しだけわかったような気がする。
「好きな人……か」
そう呟くと沙也加はこちらを見据えてくる。
「いるよ」
人の夢のように儚げな目で、心の底を救い上げたような形ある声で沙也加は言った。
「そっか」
わたしは少し安心した。
沙也加もこんなに素敵な気持ちを持っていることが嬉しかった。
「好きな人……いるんだ」
「なによ」
「だって男なんてくだらない生き物じゃん。バカで汚くて自分勝手だし」
「すごい偏見だね」
「わたしは偏見でしかものを語れないから」
「そんな偏見があったから向後さんのことも好きだって思いたくなかったの?」
「う」そう言われれば、「そうかもしれない」
そうか、わたしは自分で勝手に壁を作っていたのか。自分の思考に正当性を持たせたいがために。
小学生の時分から男なんて馬鹿な生き物だって思っていた。それは実際に周りにいる男がバカだったからだ。
でも、そうだ。考えてみれば失礼な話だ。
「でもそうだよね」そうなんだ。「他の男を理由にその人のことを否定しちゃだめだよね」
他の男がそうだったからって目の前にいる男がそうだとは限らない。そんな当たり前のこともわたしは分かっていなかった。
それを聞いて、沙也加は優しげに笑う。
「そうだね。世の中、いろんな人がいるよね」沙也加はまだまっすぐにわたしを見ている。「好き」
「え?」
「好きっていう感情も人それぞれだよ。出会ったその時になんとも思わなくても、時間が経てばいつの間にか好きって感情に変わることだってある。その反面、出会ったその瞬間に今までのすべての好きって感情が嘘だったんじゃないかって思えるほどの恋をすることだってあるんだから」そう言った沙也加の顔はかわいらしい。何か特定の、特別な人を頭の中に思い描いているのだろう。好きな人がいることは本当らしい。
恋する女性はこんなにもきれいなものなんだな。すごく幸せそうだ。
「そっか」自然とわたしも顔がほころんでしまう。「そう言えば沙也加の元カレはどっちだったの? 時間経ってから好きになった? それとも、一目見たときから?」
「元カレ?」
まさかそこに疑問符を付けられるとは思わなかった。
「あ、ごめん。元カレの話なんて嫌だったよね」
まったくもってわたしは自分の感情にも人の感情にも鈍感だ。かつて好きだった人ではあっても、もしかしたら喧嘩別れして嫌いになっている人かもしれないそんな元カレの話を振るなんて。今後、わたしの辞書にデリカシーという文字を加筆する必要がある。
しかし、沙也加は器の大きな人間なようで、
「あ、そうだよね。……元カレ、そう元カレね。元カレはあれだね、時間経って好きになった方かな。中学生の同級生のね。良い人だったんだけどね。うん」
まるで何かを取り繕うように、何かを思い出しながら話すように沙也加は言った。
まさか、自分に元カレがいたことをいま思い出したわけではあるまい。
しかし、男は名前を付けて保存、女は上書き保存と言うように他に好きな人ができてしまえば過去の男などごみ箱フォルダにぶち込んでしまうのが女という生き物。元カレの話など幼いころの思い出を語るよりも難解なのかもしれない。
「てか、彩音。明日、向後さんとデーとでしょ。早く寝ないとメイクのノリ悪くなるよ。睡眠不足はダイレクトに肌に響くんだから」
「そうだね。じゃ、おやすみ」
「おやすみ」
わたしたちは目を閉じた。
向後さんとデート。そのワードを聞いて心拍数が上がってしまったわたしはしばらく寝付けなかった。