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わたしは向後さんのことが……

 そしてデートを明日に控えた四月三十日の午後九時。普段なら金曜ロードショーに見入っているこの時間、なぜかわたしは沙也加の部屋にいた。美玖と遥も一緒に。

「えー、それでは向後善人と大垣彩音をどうすればくっつけることができるのか、という議題で話し合いたいと思います」

「はーい」

 美玖の進行で何の事前打ち合わせもされていない会議が突然に始まった。

「ちょ、ちょっと」当然、わたしは止めに入る。

「はい、彩音ちゃん。意見があるなら挙手でどうぞ」

「いや、そういうのではなくね、なんで勝手に会議を始めるの。そしてなぜわたしが議題として挙げられるの。今日は沙也加の部屋で朝まで女子トークしようって話じゃなったの?」

「彩音ちゃん」美玖がやれやれと言った顔を浮かべる。「女子四人が同じ空間に集まって、お菓子を広げて、コーラを並べる。それだけなら確かに何の実りにもならないことを食っちゃベる女子トークが朝まで催されるでしょう。しかしこの中には明日にイケメンとデートを控えた青春まっしぐら真っただ中の華の女子大生が一人います」

「それって……わたしのこと?」

「その通り! こんな面白いものを前に女子が他のことを議題に挙げてトークなんてできますか? できません!」

 断言されてしまった。

「そのため今日は彩音ちゃんを議題に挙げ、向後善人を落とすための策を一緒に考えようと思います。異論ある人はいますか?」

「ないです」

「ありません」

「はい、それでは会議を始めます」

 わたしの意見も聞かれず、勝手に始まってしまった。この時ばかりは多数決を主な賛否判定方法として採用しているこの国の民主主義を恨むしかない。

 ちなみに美穂は彼氏(王寺)とデートがあるからという理由で今回の会議には欠席している。もしも、美穂もいたなら王寺の話でいくらかわたしの負担が減ったはずだろうに。

「まずもって確認しておくべきことは」美玖が袋から取り出したポッキーをさし棒のように扱い、わたしに向けてくる。「彩音ちゃんは向後さんのことが好きですか?」

 突然の真面目なトーンと美玖の真剣な顔つきにわたしは一瞬フリーズする。

「どうなの、彩音?」横合いから沙也加も訊いてくる。

「わたしは……」

 わたしはこういった白黒はっきりさせるような質問が苦手だ。いつだって曖昧に、どうとでもとらえられるような茫洋とした回答しかしてこなかった。だからこの時もまた逃げの答えとして、

「好きとかそういんじゃない……と思う……」とそう答えた。

 しかし、「よく分かんないってことね!」となぜか爛々と輝かせた目で美玖は言った。「好きという気持ちが分からない。それは仕方ないことよ。誰だって恋とか愛とかははっきり分かんないものよ。数学のように方程式があるわけじゃない。模範解答があるわけじゃない。人を思う気持ちは人それぞれ。一概に言葉で表そうって方がナンセンスなのよ。でもね、」

 美玖は持っているポッキーを揺らしてわたしの目の前にハートを描く。

「向後さんは彩音ちゃんのことが好きなのは確実。なんでか分かる?」

「えっと、わたしをデートに誘ってきたから?」

「厳密には、好きでもない人とデートに行くことはない、と明言した向後さんがデートに誘ってきたからね。だから、向後さんは彩音ちゃんを好き。これは確実。次に彩音ちゃんの向後さんに対する気持ちをはっきりさせる必要がある」

「はっきりって……別にわたしは」

「向後さんのことをなんとも思ってないなんて言える?」獲物を狙う肉食獣のような鋭い目だった。「言えないはずだよ。例えば向後さんと初めて会ったあの合コン。他にも男が四人いたけど、その男たちよりかは向後さんが良いな、なんて思ったんじゃない?」

「それは、たしかにそうだけど……」

美玖の洞察力や推理力はおそらく一般の人間よりも優れている。ここは嘘で塗り固めるより本当のことを言った方が得策だと考えた。

たしかにあのメンバーの中では向後に一番良い印象を受けた。

でもそれは、

「他の四人に比べればって話で」

「別に他の四人もレベルが低かったってわけじゃないと思うよ」

「え、」

 この人、まじで言ってるのか。今では顔も判然としない四人だったが、特徴は憶えてる。枝のように細い頼りがいなさそうななヒョロ男。メガネをかけてピアスを体中にこれでもかとつけていたメガネピアス男。生活習慣病を総動員させて出来たようなぽっちゃり男。毎晩日焼けマシーンを寝室にしているのではないかと思ってしまうほどに肌が黒い日焼け男。どう見積もってもまともとは思えない四人だった。

「別に他の四人もよかったよね、遥?」

 美玖が部屋の隅で空気になっていた遥に同意を求めた。

「そうだね。実際、わたしは金原さんと付き合ってるし」

「え、」衝撃的事実にわたしは目を丸くした。「金原さんってあの日焼けした金髪の人だよね」

 訊いてみると、遥は数センチだけ首を縦に動かす。

「そう。一番ガタイ良かった人」

「なんで?」

気になる。遥のように楚々としている可愛らしい子がなぜあんなチャラついた男と付き合っているのか、その理由を知りたかった。

「なんでって言われてもなー」

 恥ずかしいからか遥は目を背ける。そのしぐさすらもお嬢様然として可愛らしい。

「わたしと正反対な人だったからかな」

「正反対?」

「うん。わたしはいつも静かで、おとなしくてあまり人ともうまく話せないような人。でも金原さんは違う。誰とでも気さくに話ができて、明るくて、面白くて。それにわたしと違ってガタイもよくて、逞しいし。わたしにはできないことをやれる金原さんに、なんて言うんだろ、憧れちゃったのよ。だからかな、いつの間にか好きになってた」

 そう語る遥の顔はデッサンされればそのまま国立美術館に飾れるほど美しいものだった。

「相補性の法則」美玖が遥の心理を論理的に表してくれる。「人は自分が持っていないものを持っている人に惹かれる。原始時代からあった人間心理だよ。自分とかけ離れた遺伝子を取り込むことでより良い子孫を授かることができる。そんな風に人間の脳は本能的に考えてしまう。遥が金原さんを好きになった心理はそういうことなんでしょ。華奢で大人しい遥が、ガタイのいい溌溂とした金原さんに惹かれるのは当然のことなんだろうね」

 そう言うと美玖は机の上にあったオレンジジュースを飲み干し、銭湯上がりのおやじのようにプハーっと一息。

「みぽりんもそうだったんじゃない?」口を拭いながら美玖。

「美穂が?」

「そう。幼いころから芸能活動をしていて学生生活を楽しむことができなかったみぽりんにとって、大学生活をエンジョイしている王寺さんは魅力的に映ったんじゃない? 恋愛が豊富そうな出で立ちも恋愛経験に乏しいみぽりんには魅力的に映ったのかもしれない。自分にはないものを求める。それはアイドルもおんなじなんだね」

「そんなもんかな?」

 自分にはないものを求める。確かにその法則は知っている。自分の欠点を補ってくれるパートナーがいれば生存競争で生き残る確率は格段に上がる。そういった生存本能が相補性の法則を作り上げたというのは知っている。でもそれはこの現代においてはあってないようなものではないだろうか。

 しかし、

「そんなもんよ」

そう言った美玖の顔はわたしの考えのすべてを払拭させるような不思議な力があった。この世界のすべての法則を知り尽くしているような全能感すら感じさせる。

 青色メッシュの入った奇抜ヘアー。就職面接ならば第一印象のチェック項目に大きくバツを書かれそうな身なりをした美玖になぜかわたしは安心感さえ覚える。

 そんな雰囲気が彼女にはあった。

「そんな……もんか」何の思考もなしにわたしは首肯してしまう。

「そう。だから彩音ちゃんと向後さんも相性ばっちりだと思うよ」美玖はわたしの頬を両手で覆ってくる。そして、

「だって二人は正反対なんだから」そう言って猟奇的な笑みを浮かべた。

「わたしと向後さんが……、正反対……」

「そうだよ。自分でもそう思うことない?」

 そう問われれば、

「ある」出会った時から向後はわたしと相反するものと思っていた。「向後さんは優しくて、純粋で、明るくて、人と話すことが好きな人。でもわたしは人のために動かなくて、ひん曲がってていて、ネガティブで、仲良くもない人とはなるべく話したくないようなそんな人間。そんな、クソみたいな人間」

 つい言葉にしていた。

 言ってて悲しくはならない。わたしは自分でも嫌気がさすほどに面倒くさい人間だと幼いころから自覚している。何の努力もしていないくせに何者かになりたい。努力した人間のことを心の底ではバカにしている。夢をかなえて笑っている人間たちなんて全員死ねばいいと思っている。それがわたし。誰からも愛される価値なんてないのがわたし。

 そんなわたしを――

「そんなあなたを向後さんは愛してる。なんていい人なんだろう。わたしからすればうらやましい」

 美玖はわたしの顔を覆っている手をほどく。

わたしは首元にいやな汗をかいていた。

 美玖はわたしをまっすぐに見据え、

「明日のデート頑張りなよ。彩音ちゃんも向後さんのこと好きでしょ?」

 優しく語り掛ける美玖の問いにわたしは、

「うん……」

 と答えてしまった。

 わたしは向後さんのことが好き……だったんだ。

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