わたしは恋愛が嫌い
わたしは恋愛をしたことがない。したいと思ったこともない。物心ついたころ、いや、それ以前までさかのぼったとしても異性をそういう目で見たことはわたしにはないだろう。理由は分からない。ただ単にわたしの周りにだけ魅力的な男が少なかっただけかもしれないし、わたし自身に問題があるのかもしれない。だが、恋愛をしていないことによってこれといった不都合を感じることはない。強いて言うなら、恋バナができないことくらいだが、それはそんな話をあまりしない友達を作ればいいだけのこと。だからこれも問題にはなりえない。恋に恋する女子たちからすれば信じられないかもしれない。しかし、わたしはそんな奴らに言ってやりたい。今やこの世界にはありとあらゆる娯楽が存在している。ゲームしかり、漫画しかり、小説しかり、テレビしかり、アミューズメント施設しかり。挙げればきりがないだろう。そんな世界で一人の異性に固執するという考えが理解できない。そんなどこにでもいそうなその異性にいったいどういう特別感があるのか。なぜ、有限な時間をそんなものに捧げるのか。何か学ぶことがあるのか? お金がもらえるのか?
癒しをくれるというやつがいる。それは他のものでは代用できないのか。
一緒にいて楽しいというやつがいる。それは女友達ではだめなのか。
考えようによって、それらは他のもので代用できる。
もしも、代用できないものがあるとするならそれは、セックスだろう。
わたしがセックスという行為を知ったのは小学校五年生くらいだったと思う。それが遅いのか早いのかはわからない。ただ、高校生にもなってサンタクロースを信じている奴よりは早熟だとは思う。
ネットサーフィンをしている時に不意に飛ばされたサイトでわたしはその行為を知った。男女が裸で絡み合っている動画がいきなり流れ出し始め、わたしは恐怖したことを覚えている。すぐにバツ印をクリックして、そのサイトを閉じたが、目の前に流れた動画の情景はいまだわたしの脳内にこびりついている。叫びにもとれる女の声と、鬼のような形相で女の頭を壁に押し付けている男。あまりにも異質で、不快で、吐き気がした。その後、保健体育の授業でそのような行為を性交渉やセックスと呼ばれていること、その行為で子供ができるということを知った。
気持ちが悪いと思った。
わたしたち人間はコウノトリが運んでくるものと本気で思っていたわけではないが、こんな汚らしい汚らわしい行為でできるものだとは想像もしていなかった。
じゃあ、わたしのお父さんとお母さんもあんなことをしていたの? 寡黙で一生懸命に仕事を頑張る父親と、よく笑って時々天然をかます明るい性格の母親があんな風になっていたなんて考えたくもなかった。それから一週間、親と目を合わせることもできなかった。
人間とは汚いものだとわたしは思った。
月日は流れ、大学生になってもその考えは変わらない。人間とは汚いものだし、人間を作る行為はその最たるものだ。
やったことはないが、わたしはセックスが嫌いだ。そんな固定観念があるからか、恋愛をすることにも消極的になっているし、興味もない。
そんなわたしに「なんで恋愛しないの?」と尋ねてくる奴もいるけど、わたしからすれば、「じゃあ、なんであなたは政治に興味がないの?」と返してやりたい。
政治も恋愛も構成要素だけを見れば同じだと思う。知っておいた方がいいことだし、知っておくべきことだ。毎日メディアに取り上げられるジャンルだし、知っていると他人に自慢できる。しかし、他人からそんな話をされても聞いている立場からすれば、うざったいもの。難しそうだから、わたしには縁のないことだからと敬遠しがちになるもの。そしてどちらも知れば知るほど不安になるし、安心させるもの。
恋愛も政治もわたしにとっては同じ。ただの好みの問題だ。わたしはどちらかというと政治が好きだ。時たま、NHKの政見放送も見るし、ニュースではスポーツよりも芸能よりも政治関連のニュースには耳をそばだてている。誰が汚職をして、誰が政務金不正受給をしたかなんて、ここ五年のことなら諳んじて言える。
これもまた早熟と言えるかもしれない。処女ではあるが、この年でここまで政治に関して造詣の深い人間はませていると言えるだろう。
この世界では大多数のものが恋愛の方を好むだろう。そのせいで、恋愛をしている方が正しく健全なように受け止められている。そんな数の大勢に負けたくはない。
信じているものの数が多いからって、そちらが正義ではないだろう?




