夢ってなに
気まずい空気を帯同させてわたしたちは沙也加や美穂のところに戻った。
車座の中心には酒のあてになりそうなおつまみやお菓子が置かれていた。どうやらここの人たちは肉で腹を満たすよりも初めて会った人たちとの談笑に花を咲かせたいコミュ力の化け物たちらしい。沙也加や美穂が溶け込んでいるのは当たり前だが、他とは一線を画す見た目の三人までもがこのグループに溶け込んでいるのは意外だった。【メーテー】の先輩たちは見た目で人を判断しない、できた人たちのようだ。少しは見た目で判断してほしいものだとわたしは嘆息する。
適当な場所に座ると、向後はさも当たり前かのようにわたしの隣に腰を下ろした。
あんなこと言っておいてよく隣に座れるな。心臓が鉄よりも固いダイヤモンドでできているのかもしれない。
「どこのサークル入るか決めた?」
肉を食べる間も与えず、向後が尋ねてくる。
普通のトーンで話しかけてくるな。わたしはいま肉を食べればいいのか、呼吸を整えればいいのか、逃げだせばいいのかの三択で迷っているんだぞ。
しばし逡巡したのち、わたしは向後の質問に答えることを選んだ。
「サークルはまだ決めてません。というより入ること自体まだ迷ってて」
「えー、それはもったいないよ。入った方が友達できるよ」
「それはそうなんでしょうけど。友達ができないよりも時間を取られる方がわたしは嫌で」
「それならここの【メーテー】は大丈夫だよ。イベントも自由参加だし、金銭面でも大学がいくらか出資してくれるから問題ないよ。時間が欲しいってバイトしたいからでしょ?」
「いえ、そういうわけではなく……」
「何かしたいこととか夢でもあるの?」
何かしたいこと……か。その質問をされて明確な答えを出せる人間はいったいどれくらいいるだろうか。お嫁さんになりたいとか、働いてお金持ちになりたいとか、世界を旅行して価値観を磨きたいとか、そんな風に答える人間は確かにいるだろう。しかしそんなものは結局のところ体裁を気にした無難な答えでしかない。本当にそれをやりたいと思っている人なんていない。
お嫁さんになりたいと答えた奴も本音を探ると、家庭になんて入りたくないし、家事だってしたくないだろう。人が言う夢なんて、ただ現状に鑑みて最も叶えられる可能性のある無難なものでしかない。
大きな夢を語って、いずれ夢を叶えられなかった自分になるのが怖いから。働いてお金持ちになりたいやつも本音は働かなくてお金持ちになりたいだろうし、価値観を磨きたいと答えたやつも、価値観どうこう関係なく遊んで暮らせる人生だったらそれで文句ないはずだ。
人は欲望の塊だ。醜く、下種で、吐き気がするような汚い生き物だ。
本当の夢を語る奴なんてこの世にはいない。体裁や理性や現実が人をきれいにする。周りから応援されるような夢をのたまう。ここまで知能の発達した人間がそんなきれいなものを夢と言うわけがない。頭が良いほど人は悪くなる。頭の悪い詐欺師はいないし、頭の悪い政治家もいない。頭が良くて優しい人間なんていない。
夢なんて、何かしたいことなんて――
「別にしたいことなんてないですよ」
「じゃあ大学でしたいことが見つかれば良いね」
なぜしたいことが見つかれば良いのかは全く分からないがわたしは「そうですね」とだけ答えた。やっと肉にありつける、とわたしは焼き肉のたれが必要以上にしみこんでいる肉を口に入れた。高い肉だけあって、柔らかい。焼き肉のたれもわたし好みの甘辛だ。
「実は俺にはやりたいことがあってね」誰も訊いていないのに向後は答える。「学校を作りたいんだ。それも普通の学校じゃなく、もっと根本的な人間性を培えるようなそんな学校。ほら、今になって考えると古文とかサインコサインとか何のために勉強してたんだって思うでしょ」
それには確かに共感する。
「そうですね」
「そんなこと勉強する時間があったらその分、もっと人間性を培えるようなことをするべきなんだよ。例えば、社会の仕組みを理解するために実際に働いてお金を稼ぐとか、行ったこともない場所に行って価値観を磨くとか」
朗らかな笑顔で、やさしい口調で向後はそう言った。
もしも、わたしが感受性が高く、性格のいい女だったなら応援してますよ、なんておべっかを恥ずかしげもなく言うが、そこまでわたしはできた人間ではない。今までも男に何度か夢を語られた時があったが、その時はそっけなく、それはすごいですね、なんて無感情で言っていた。だから今回もそうやって無感情に乗り越えることもできたが、向後が語ったこの夢はそんな男たちのものより少しだけ熱意というものが垣間見れた。なぜか理論に裏打ちされないところで感情を揺さぶられた。
「確かにそういう学校があれば、非常に魅力的だとわたしは思います」わたしは素直に首肯する。「将来使わないことを勉強するよりも、社会に出てから活かせられるスキルを身に着ける方が有意義ではありますからね。でも――」
ここからがわたしの悪い癖。
他人の優しさに付け込んで、わたしはタイミングがあれば自分の言いたいことを思ったままにいってしまう。




