好きバレ?
小綺麗なチノパンに、猫だったらじゃれてしまうほどに長いひもが垂れ下がったパーカーを着ている向後はいかにも大学生らしい出で立ちだった。しかしなぜだろう、まるで取り繕ったような感じさえ漂う。
「奇遇だね。彩音ちゃんも城東大学入ったんだ」
「ええ、まあ……」
まさかこんなにも早い段階で、しかもこんなところで会うなんて予想もしていなかった。驚きのせいか、いつもより心臓の鼓動が速く感じられた。
「なんだ、向後の知り合いか」向後の隣に座っていた、ごついひげ面の男が言った。
「はい、そうなんです」
「じゃあこっちに座りな」と、ひげ面男は太い手を振ってこっちにこいというジェスチャーをした。
わたしの心境としては、知り合いがいたり、デリカシーのかけらもなさそうな男たちがいるグループに行くのは憚られた。しかし、隣にいた社交性の塊と言ってもいい沙也加と美穂の二人が「では、お邪魔します」なんて言うものだからわたしもそこに同席するしかなかった。特に意識したわけではないが、たまたまスペースが空いていたので向後の隣に座った。
「あれ?」グループの中にいた髪の長い女はそんな素っ頓狂な声を出した。「もしかして、みぽりんじゃない?」
その発言に隣の男も、「あ、ほんとだ。みぽりんじゃん」と続ける。
「はい、これからよろしくお願いします」と、美穂は慇懃に礼をした。
そのあとは「今日仕事ないの?」とか、「なんでこの大学入ったの?」とか、「芸能界ってどんなところなの?」など、野次馬精神ダダ漏れの質問が投げかけられ、美穂はそれらにさすがアイドルといった丁寧な対応を見せていた
だれかが四つ目の質問をしようとしたとき、一人の男がその流れを止めた。
「はいはい、そんな質問はあとあと。美穂ちゃん困ってんじゃん」
みぽりんではなく美穂ちゃんと下の名前で気安く読んでいることからチャラい印象を受けたが、ビジュアル的には真面目な風采と取れるそんな男はグループ内のトークを仕切りだした。
「じゃあ、まずは自己紹介といこうよ」
「誰から行く?」
「そう言うお前が行けばいいだろ。リーダー」
「そうだな。俺からいくか」リーダーと呼ばれた男は快活な笑顔をみせ、「初めまして、王寺聖也といいます。一応このイベントサークルのサークル長というかリーダーやらせてもらってます。まあ、あとで全体にも自己紹介するんですが。ここにいる人には先にやっておきます。ハイ次のひと――」
と、王寺は右隣の人に水を向ける。そんな流れで自己紹介が進んでいき、わたしたちも名前を言うくらいの簡単な自己紹介はものの五分ほどで終わった。こんなスピーディーな紹介で一体何が得られるというのだろうか。結局覚えられたのは最初に自己紹介した王寺だけで、他の奴らなどみじんも覚えることができなかった。というか途中から聞いてもいなかった。何の興味もない初めて会っただけの人の名前を努力して覚えるようなやつがいるとするなら、それはとんだ好事家か、この二人のような社交性が服を着て歩いているような人たちだけだろう。すでにその社交性あふれる沙也加と美穂は先輩たちを名前で呼び、グループの会話の中心になっていた。
特にその会話に入りたいと思っていなかったわたしは対岸の火事を見るような目で二人を見ていた。そんなわたしを見るに見かねたのか、向後が話しかけてきた。
「久しぶりだね。彩音ちゃんは何学部なの?」
見る人が見たなら心打たれるような笑顔だった。
「わたしは文学部ですよ」とりあえずの鉄則として同じ質問を向後に返す。「向後さんは何学部ですか?」
「俺も文学部だよ。奇遇だね。じゃあ授業一緒になるかもしれないね」
まるで子供のようなきらきらとした目でこちらを見てくる。とくに不快なものではなかったが気恥ずかしさからか目をそらす。意識しないと満足に人の目を見られない症状は今に始まったことではない。
「そうですね、一緒になるかもしれませんね」湧き上がる感情を押し殺すようにわたしは言った。
「そういや、一年の履修登録の締め切りまだだよね。だったら一緒に決めようよ?」
「……決めるというのは?」
少しだけいぶかしんだわたしの顔を見て、向後は一瞬たじろいだが、すぐさま威風堂々とした態度を取り戻し、
「履修する授業だよ。一緒の授業取りたいなって思ってさ」
その発言を聞き正直なところ少しうれしさもあった。しかし、友達を裏切るわけにはいかない。
「すみません。沙也加や美穂と一緒に決めようって約束してるんで……」
わたしは不慣れな愛想笑いでそう言った。しかし向後はそれに嫌な顔一つせず、
「ああ、そうなんだ。残念」
と柔和な笑顔を浮かべる。なんだか余裕さえ感じられる大人な対応だと思った。
「すみません。……でも一緒の授業になるかもしれませんよ」
最後に希望の見える一言を言ってしまったのはなぜだろうか。向後が悲しもうがどうなろうが、どうでもいいはずなのに。
そこで二人の会話は終わる。会話を続けようと思えば続けられないことはない。お互いに質問をしあったり、一方の話をふくらましたり、互いの趣味を語ったり、世間で話題になっているものに対して一体どう思っているのかを話し合ったり、会話の続け方には幾万の方法があることは知悉している。だがそれを積極的に実行しようとはしない。無駄なカロリーを使いたくないし、むやみやたらに個人情報を漏洩させたくなかったからだ。会話というのは知りたいことがあったり、沈黙を苦痛に思う人がやればいいだけの単なるツールでしかない。
そして向後は沈黙を苦痛に思ってしまう人だったようで、
「彩音ちゃん、趣味って何なの?」と訊いてきた。
「読書ですかね」
あとは人間観察だったり、一人カラオケだったり、世の中に対しての不満をノートに書き連ねることだったが、そんなことを言われても向後は反応に困るだろう。
「そうなんだ。俺も読書好きだよ」
まるで都会のど真ん中で地元が同じ人間に出会ったくらいのテンションで向後は言った。もしかしたら女という生き物はこういった男の無邪気さに母性本能をくすぐられるのかもしれない。わたしはくすぐられんが。
そこからは最近はどんな小説を読んだか、どんなジャンルが好きか、映像化についてどう思うか、好きな作家は誰かというべたな会話をした。もしもお互いの好きな作家が何の賞も獲っていないマイナーな作家だったなら心の距離もぐっと近づいたかもしれないが、わたしは有名な賞を獲ったり、映像化されている作品の小説しか読まないので、たとえ好きな作家が同じでもそこまでの親近感は得られなかった。しかし、共通の趣味を持っているというだけでわたしはいつもより饒舌になっていた。
しばらくすると談笑に興じていた王寺はグループから離れて、河川敷の真ん中に立っていた。そしてマイクを持って、バーベキュー会場にいるみなに呼びかけた。
「えー、今回はイベントサークル【メーテー】の新歓に来てくれてありがとうございます。この度は晴天に恵まれて――」
手に書いてあるカンペをチラ見しながら、王寺はどこからかコピペしてきた挨拶をのたまう。
「それでは飲み物はいきわたったでしょうか」
気づくと目の前には三〇〇mlのスチール缶が置かれていた。まさか、お酒ではないだろうかと覗き込むと、あにはからんやそこにはオレンジ果汁一〇〇%の文字があった。どうやら【メーテー】が健全だという噂は本当らしい。
「では、乾杯!」
居丈高に唱えた王寺の乾杯の音頭でバーベキューは始まった。配られた紙皿を持ってバーベキューコンロに向かうもの、近くにいる人と談笑するもの、お酒を飲むもの。わたしはどうやってこの会を楽しんでいいのか考えたが、特別誰かと仲良くなりたくもないわたしは健全に食事を楽しむことにした。コンロ近くには暑苦しい人だかりができていた。この人数に果たしてちゃんと肉がいきわたるのかはなはだ疑問である。
背伸びをして、肉の状況を確かめていると後ろから声をかけられる。
「彩音ちゃん、これ」
振り向くと、案の定そこには向後が立っており、持っている紙皿の上には肉が乗っていた。仕事が早い。もしかしてわたしのためにわざわざとってきてくれたのか。
優しすぎる。と言うより気が回りすぎて少し身構えてしまうくらいだ。
「肉欲しいんでしょ。多めにとってきたから大丈夫だよ」
「ああ、ありが――」
礼を言おうとしたら向後はわたしの頭に手を伸ばしてきた。条件反射さながらにその手を払いのけてしまう。
「あ、ごめん。灰が飛んできたから、払おうと思って」
申し訳なさそうに向後は眉毛を八の字にする。
その表情を見て、いたたまれない気持ちになった。ああ、なんでわたしは人の優しさを素直に受け入れられないんだろう。
「いえ、こちらこそすみません。あ、肉、ありがとうございます」
二人の間には一瞬、言葉にしがたい沈黙が流れた。
なぜこうも気まずくならなければいけないのか。やはり人とのコミュニケーションは難しい。
「おっす、向後」
そんな時、向後に声をかけてきたのは、あの忌々しくもある合コンで出会ったヒョロ男だった。相も変わらず、頼りなさげな体をしているというのにジャラジャラと自己主張の強いアクセサリーを身にまとっている。
隣には金髪日焼け男とぽっちゃり男もいる。メガネピアス以外のあの日の男子メンバーが集結していた。同じ大学ということは先ほど沙也加から聞いていたがまさかこんなところで再会するとは。
そして名前も沙也加から改めて教えられていた。ヒョロ男は広瀬。金髪日焼け男は金原。ぽっちゃり男は太川。
広瀬の姿を見て向後は驚いた表情をしていた。
「(ちょっと、なんで来たんですか)」
「(あんたがアドリブ力ないからだろ)」
何やらひそひそ声で話していたが、ここからでははっきり聞こえない。
「やあ、彩音ちゃん。この前は悪かったね」広瀬がこちらに笑顔を向ける。「酒が入ってたから少しばかりはめ外しちゃったけど、ほんとにキスするつもりはなかったんだよ、ほんとに。いやー、あの時の平手打ち痛かったなー」
思い返すように広瀬は自分の左頬をさすった。キスはしなかったと言っているが、あそこではたかなければどうなっていたことやら。
「それに関してはすみません」一応謝っといてやる。
「いいってことよ。それよりも俺は向後にも謝んないとな」
「俺に? なんでだよ」
「だってお前、彩音ちゃんのこと良いな、とか言ってたじゃん」
「な、ちょ、」
あからさまに向後は取り乱し始めた。さっきまで冷静で大人っぽい大学生だと思っていた分ギャップがある。しかし、向後がわたしのことを良いだと?
良い? それはどういう意味だろうか。単に人として良いといっているのか、それとも友達として良いといっているのだろうか。
気になる。その言葉の真意を掘り下げたい。でもそこで追求なんかすれば節操ない女だと思われるかもしれない。余計な行動は控えるに越したことはない。
わたしはそっけない苦笑いしかできなかった。さぞ微妙な顔をしていたことだろう。
「とにかくさ、向後めちゃくちゃ良いやつだからよろしくな。じゃ」
そう言い残して広瀬たちは沙也加たちのいるところへ走っていった。そう言えばあいつは始めから沙也加狙いだった。
「なんか、ごめんね」
脂汗を滲ませて向後は謝ってくる。
「いえ、全然大丈夫です」
「でも……良いなって思ってるのは本当だから……」
なんだか、時が止まったような気がした。それに相反し、血液の流れが加速していくような得も言われぬ感覚におそわれる。
「え、あ……」
何か言わなければ。
沈黙に殺されそうになるのは初めてだった。
「あり……がとうございます……」
言語中枢からひねり出した言葉は、面白みのない、しかしなにも取り繕っていない素直な言葉だった。