アイドルみぽりん
「おまたせ、彩音」
食堂外のラウンジで何のけなしに人込みを眺めていたわたしに沙也加は快活な笑顔で声をかけてきた。そのままリクルートスーツのCMに出られそうなほどフォーマルがよく似合っている。
「沙也加、どの辺にいたの?」
「経営学部は右斜め前くらいだよ。彩音は文学部だから……」
「真ん中の後ろあたりだよ。舞台に立つ人の顔なんて見えやしない」
学長の禿げ頭しか認識できなかった。
「それは残念だね。みぽりん、すごくかわいかったよ」
みぽりんというのは今、テレビで大活躍中の売れっ子アイドルである。今年、この城東大学に入学し、先月のニュースでも『みぽりん アイドル活動の傍ら名門城東大学に現役合格』と報道されていた。
その影響力を買われ、今年の新入生代表挨拶を任され壇上にも立っていた。
時たまアイドル業をしながら有名大学に合格というニュースは聞くが、本当にちゃんと受験勉強をして、わたしたちと同じルートで入学しているのだろうか。大学の中には芸能人だと一芸に秀でているということで、入学のハードルが下がるという制度もあるらしいが、夜遅くまで塾に通って受験勉強をしてきた人たちからしたらたまったものではないだろう。まあ、受験勉強の追い込み時期でもバイトに精を出していたわたしが言えた義理ではないが。
「というか、うちの大学って有名人多いんだね」
わたしは食堂のメニューを開きながら言った。
「そりゃ人数も多いからね。数打ちゃ当たるって感じよ。財閥の御曹司や、政治家の子供や、有名俳優の子供や、卒業者名簿開けばどんなジャンルの人間でも出てくるんじゃない?」
そんな人たちのおかげで大学の名前が全国にとどろくのか。そう考えると権力者やメディア露出の多い人材は裏口入学でも欲しいと思うのが学校経営者の心情だろう。なるほど、意外にこの世界は分かりやすく理不尽にできている。
「あ、そうそう」沙也加がカバンからチラシを出してきた。「彩音、これ行かない?」
それは紛れもなく、さっきメガネピアスから渡されたノンベーの新歓チラシだった。
「さっき小田切さんがいてさ、これもらったの。びっくりしたよ。小田切さん同じ大学だったんだね」
小田切とはおそらくメガネピアスのことだろう。しかしあの日の一回の自己紹介で沙也加は全員の名前を憶えたのだろうか。だとしたら田中角栄に匹敵する人たらしになれるかもしれない。
だがそんなものにはなりたくない市交友関係も広げたくないわたしはそのチラシを見た瞬間あからさまに怪訝な顔をした。
「やっぱ、行きたくないか」
沙也加がわたしの気を察して潔くチラシをカバンに直してくれた。その代わりにまたチラシを一枚出してきた。
「じゃあ、こっちの新歓はどう?」そのチラシにはとっくりをモチーフにした可愛らしいキャラクターが描かれていた。ノンべーのキャラよりかは好感が持てる。
「【メーテー】っていうサークルなんだけどね。城東だと新歓といえばここっていうくらいに有名で楽しいらしいよ。とりあえず新歓だけ参加する人も多いみたい。ねぇ、一緒に行かない?」
微笑みながらそんな上目遣いをされればたいていの人は言うことを聞いてしまうだろう。それはわたしも例外ではない。第一、一度ノンベーを断っているのだ。二回も断れるほどわたしは我が強くはない。こういうのを心理学ではドア・イン・ザ・フェイスといったっけか。
「分かった。行くよ」
そう言ったとき、沙也加は喜ぶというよりは安心したような顔になった。
「良かった。わたしひとりじゃ寂しいもん。明日だからね」
「分かった分かった」わたしは再び食堂のメニューを開く。「それよりも食べるもの早く決めようよ」
「わたしはこの期間限定のって決まってるから」
「ちゃんと女子っぽいものを頼むんだね」
「女子は限定とタダと楽とイケメンに弱いからね」
「沙也加も普通の女の子なんだね。じゃあ店員呼ぶね」わたしはテーブルに備え付けてある電子ボタンを押す。すると数秒後には伝票を持って店員が駆けつけてくれた。
食堂をこういったファミレス仕様にしていることもまたこの大学が人気の理由の一つだろう。
「では注文の前に学生証の提示をお願いできますか?」
そう言われてわたしたちは財布から学生証を取り出し、見せる。写っている写真が指名手配犯のように仏頂面で見せるのは憚れるが致し方ない。
「では学生料金で承ります。ご注文どうぞ」
沙也加は期間限定パスタを、わたしは一番安いからという理由でオムライスを注文した。注文を聞き終えた店員は二等星並みに輝いた愛想笑いをして厨房へと帰っていった。どれだけの時給を貰ってもわたしにはできそうにない。
その時、突風が吹いた。その風でテーブルの端に置いていたわたしの学生証が飛ばされた。
「ちょっと取ってくるね」
律儀な沙也加は見せた学生証をすぐに財布に戻してたので飛ばされたのはわたしのものだけだった。こういう時におおざっぱで適当な性格の奴は損をする。
学生証は数メートル飛ばされたところで止まり、それを誰かが拾ってくれた。その人物は顔をマスクで覆い、大御所女優のように大きなサングラスをしていた。しかし首から上はそんな不審者仕様だというのに、首から下はピンク色のワンピースというコーディネートなので違和感がすごい。
「あ、ありがとうございます」と、その不審者から学生証を受け取ろうとすると、
「あの、文学部の方ですか?」と唐突に質問された。
「まあ、そうですが……」
なぜ分かったか、それはおそらく学生証を見たからだろう。城東大学では名前の下に細いラインのようなものが引かれていてそれは学部ごとに色が違う。わたしの学生証には文学部を意味する赤いラインが引かれていた。
「わたしも文学部なんです!」
その女は久しぶりに竹馬の友と出会ったかのような明るい声を出した。
「そうなんですか……。というか、その声……」
ごちゃごちゃした見た目とは裏腹に聖水のように透き通った声。テレビやマイク越しでしか聞いたことがなかったがその声は確実に――
「みぽりん?」
先ほど話題にも上げていたアイドルのみぽりんの声そのものだった。
「あ、はい。そうです。やっぱり声だけでもわかりますか?」
「うん。特徴的な声してるし」
ゆがんだ愛情表現しかできない男子が近くにいたら盗聴されてモーニングアラームに設定されそうなロリータ声だ。
「ありがとうございます。……あの、もしよろしければ、友達になってくれませんか?」
「え?」突然の申し出に気の利いた言葉も返せず、非常に間抜けな顔をしていたと思う。
「一緒に授業を受けたり、休んだ時にノートを見せ合ったり、時々昼ご飯を一緒に食べたりとか、欲を言えば大学以外でもたまに遊んだりするそんな友達になってはくれないでしょうか」
おそらくこんな見た目が不審者のやつから友達になってくれなんて言われれば即警察に通報するのが普通であろう。しかしわたしはこうも真剣に真摯に友達になってくれとはっきりと言葉にする人間を無碍に扱えるほど非人道的ではないし、誰かの要望を断れるほどに我が強いわけではなかった。それに相手はアイドル。断るなんてもったいないことできやしなかった。
「はい、よろこんで……」
権力ある者に選ばれた高揚感がわたしの承認欲求を充足させる。