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大学入学

 三月の中旬下旬は卒業式を終えた女子高生にとってはパラダイスそのものといっても過言ではない。あらゆる縛りから解放された女子高生という生き物は仲間内で遠くに旅行に行ったり、明日のテストのことなんて考えずに夜更かしをしたり、自由奔放の極みを尽くすのが通例だろう。しかしそんな女子高生はほんの一部だということをここで提唱したい。こういった世間ではリア充と呼称される人たちは例外なく自己主張というものが強く、もれなくSNSに遊んだ時の写真を掲載して『いいね』を貰わなければ死んでしまう病気なのだ。だから必然的にリア充の生活様式は世の中に発信され、さもそれこそが女子高生のトレンドだという考えを巷間に植え付けてしまう。いつだってそれが正しいとか間違っているとか関係なく、主張する奴がその中での代表なのだ。実際はそんなことをしている奴らの方が少数派なのに。

 だからといってわたしも冬休みの間ずっとバイトに身をやつしていたわけではなく、時たま沙也加や、クラスでそれなりに仲の良かった女子たちとボウリングやカラオケに遊びに行ったりもした。それはリア充へのあこがれではなく、人間には定期的に必要とされる気分転換のためだ。より良く人生を生きるためだ。決して憧憬からくる行動ではない。

 そんな風にわたしは寝る時間も変わらなければ起きる時間も変わらず、バイトのシフトも変えず、特に交友関係を広げたわけでもなかった二週間はあっという間に過ぎていった。

 その期間、少しだけ、ほんの少しだけだがあの日のことを思い出した。

 わたしが初めて恋愛というものを意識した日。

 あの人は今頃いったいどうしているだろうと。ほんの少しだけうっすらとだが思い出す。

 会えないからこそ思う時間が増えているような、言葉にしがたい不思議な感覚が、茫漠とした思いがわたしの中にあるのを感じた。



 四月になり、この日を迎えると改めて思う。いつからだろう、わたしがわたしを世界の中心ではないと思い始めたのは。

 幼いころ、いつだってわたしの世界は輝いていた。わたしが何かをすると周りの大人たちは「かわいい、かわいい」と騒いでくれていた。ちょっとおねだりすると、血のつながりもないわたしに大人たちは分不相応なおもちゃを買ってくれた。隣に住んでいるおばちゃんはわたしが外で遊んでいるだけで、高級なお菓子をくれた。別に大したこともないかすり傷をつけると大人たちは「痛くない? 大丈夫?」とまるでお姫様に仕える使用人のように駆けつけてくれた。保育園でも、わたしが少し頭を小突くだけで男子たちは大概のおもちゃをわたしにくれた。少し泣いただけで先生が優しく抱きしめてくれた。泣かせてきた男子の名前を告げると、先生がその子を叱ってくれた。

 何をされても許されるその状況がわたしをおごらせたのか、それともこういう考えは少なからず誰しもが抱くものなのか、わたしは自分が世界の中心だとそう思っていた。

 五歳の時分で、想い通りにならないことなんて何もなかった。欲しいものはすぐに手に入った。少し泣くだけで嫌いな奴は制裁された。不自由なことは何もなく、吸う空気はおいしくて、空は広くて、わたしが笑えばみんな笑う。すべてがわたしのためにあるものだと、わたし以外の全員はエキストラで、わたしがいないところでは皆は存在していなくて、わたしの周りだけに世界は作られている。この先も死ぬまで、わたしはずっとずっと幸せでいられる、このままでいられるとそう思っていた。

 でも人生なんてそんなに楽しいものじゃなかった。年を取るにつれて、欲しいものは変わっていって手に入りづらくなったし、明確な理由があって泣いても「泣くな。うるさい」と理不尽に叱られる。

 いつの間にか隣に住んでいるおばちゃんはわたしにお菓子をくれなくなったし、大人が買ってくれるものもどんどんとチープになっていった。何よりも小学校に上がり、勉強という形で順位が出たのが悪かった。今考えれば特に成績の悪い方ではなくクラスの中でも三番目くらいには成績がよかったと自負している。しかし自分が世界の中心だと考えていたわたしにとっては一番以外の数字など最下位に等しかった。こんなのは一時の神様のいたずらで、少し頑張ればすぐにでも順位は一番になると思い、勉強に身を入れた時期もあった。だが、良くても二番になるくらいで、一番になることなんて一度だってなかった。そして何よりも悔しかったのは一番の人間が塾に行っているわけでもなく、家で勉強をしているわけでもないのにわたしよりもいい点を取っていたことだ。地頭の良さ、先天的な才能。そう言ったものは世界の中心である自分が最も有する力だと思っていた。だがそれは自分のおごりだった。いや、幻想だった。

 その後もわたしは何一つとして一番にはなれなかった。勉学でも、スポーツでも、見た目の良さでも、他と比べて少しだけ良い位置にいる。そんな程度だった。絶対的に大成できない、そんな位置。

 自分が世界の中心ではない、この先も絶対に自分が一番になることはない、天才ではない、幸せは約束されていない、頑張ったからって欲しいものが手に入るわけではない、どうしようもないことがこの先どんどんと増えていく、「しょうがない」が口癖になる、負けることに慣れていく、自分は幸せだと言い聞かせるようになる、子供の時に描いた夢は現実にはならない、自分は周りにいる奴らとなんら変わらないただの凡人。

 それらの現実はわたしが世界の中心ではないということを教えてくれた。いろいろなものを恨み、嫉妬した。

 親の経済力、まわりの友達の程度の低さ、人生の何たるかを教えてくれない学校、票獲得のため年寄りしか相手しない政治家、格差社会を作り上げる原因にもなる消費税の増税を図る総理大臣、親の七光りでテレビに出ている二世タレント、作品の良し悪しに関係なく自分の名前だけで本が売れるようになった小説家、順当にスポーツ選手と結婚するアナウンサー、一発当てただけで天才だと過信する芸人、運が良いだけで一財産を築いたIT企業の社長、他人の歌をカバーしてテレビに出ている歌手、自分が都会に生まれただけで田舎者をバカにする大学生、喧嘩することがかっこいいと思っている高校生、そしてそれをほんとにかっこいいと思っている女子高生、この国の教育の在り方に疑問を持たずただの義務だからという理由で学校に行っている小中学生、そしてわたしのように自分が世界の中心だと思い込んでいる無知な人たち。

 すべてが嫌いだった。そしてわたしは、才能も何もない自分が嫌いだった。

 自分と現実に絶望したわたしは学校を一週間ほど休んだ時期があった。学校での勉強に意味を見いだせなかったからか、時間に縛られるのが嫌だったのか、その理由は思い出せない。

 自殺願望もあった。学校を休み、ネットで自殺の方法を検索し、首吊りは苦しい、飛び降りは事後処理が大変、線路への飛び込みは遺族に迷惑、ただ自分の命を刈り取るだけならリストカットが得策だということを知った。実際にカッターナイフを手首に当てて、血管を切るイメージをする段階にまで行ったこともある。しかし、できなかった。それは親を悲しませてしまうかもしれないとか、どこかの貧しい国で明日まで生きられるかもわからない子供たちに気を遣ったからでもない。

 ただ、悔しかった。

 こんなことで、こんな当たり前に誰しもが思うようなことで死ぬなんて弱いことは絶対にできない。自分のプライドが許さないとそう思えたのだ。

 わたしと同い年の人たちは世界が絶望でできていることも理不尽がまかり通っていることも知っていて、学校で習ったことなんて社会にでて何一つとして役に立たないことを知っていてなおも学校に通ってちゃんとした人生を歩もうとしている。

 幸せなんて確約されていない人生を歩もうとしている。

 すごいと思う。いったいどういう考え方をすればそんな風に生きられるのか疑問だった。でも、つらいのは自分だけではないとわかったら、まだ生きられるような気がした。

 今のわたしは惰性で生きている。

 生まれたから生きている。何のためでも、何を生きがいにしているわけでもなく、ただ死ぬのが負けたみたいに思えるからそれがみじめに思えるからわたしは何となくで、この年まで生きてきた。

 頑張ったことなんてない。

 中学でも高校でも部活に入らなくても良しとする学校だったのでわたしはずっと帰宅部のエースを張っていた。食べ歩きもした。学校帰り、制服のままでカラオケやボウリングを楽しんだ。基礎が固まっていたからか、特にテスト期間中も深夜まで机に向かうこともなかった。授業中に聞いたことをノートに書きとって、暇な時間に読み返して復習するだけで全科目平均点以上は取れた。ただ、サボることをしなかっただけ。それが学校教育をつつがなく終わらせるコツ。皆が塾に行っている時間は遊びかバイトに割いた。いつの時代も、どの年代も遊ぶためにはお金が必要であり、そのためにバイトをしなくてはいけないのは高校生にとっては自然の摂理だった。比較的きついわけではなく、人間関係もそこまで面倒臭くはないファミレスで働いた。休日の昼のピーク時にはなるべくシフトを入れないようにした。同じ時給で倍以上の仕事をするのに納得がいかなかったからだ。

 要領がいい、と言えば聞こえはいいが、実際のところわたしはクズなんだと思う。努力というものをかっこ悪いとは思わないが、したくないものだとそう考えていた。

 だから大学受験の時も塾に行ってさらに上の偏差値の大学に行こうとはしなかった。努力して、必死に勉強してやっと入れるような大学に行ったところで、さらにしんどい人生が待っているだけだから。まだ世界の中心が自分だと思っていたなら東大でも目指したのだろうが、あいにくわたしは自分が世界の中心だと思えるほどに天才でもなければ自信家でもなくなっていた。それなりでいい。それなりが最もいい位置だということを知っている。

 結果、高校三年間、偏差値が上がることもなく下がることもなく、初めからA判定の大学に前期入試で合格した。特に苦労した思い出はない。

 そしてわたしは自分のレベルに見合った、そして家から比較的近く、親せきからは「受験勉強頑張ったのね」と言われるくらいの大学の入学式に出席している。

 始めて着たスーツは可動域が狭かった。セレモニーホールで並んでいる時は隣の人との距離が近く、右斜め前にいる女子の振袖が派手すぎる。そんな空間で行われる入学式はなんだかわたしたちに何者かになれたような錯覚を覚えさせる。わたしたちは何かになれたわけではない。ただ高校生、もしくは浪人生から大学生へと呼び名が変わっただけのことであり、わたしたち自身は何一つとして変わることなんてない。ただこの先も、環境が変わり、呼び名が変わり、周りにいる人が変わり、そこに適応するために出で立ちを変え、しゃべり方を変え、無理矢理に考え方を変えて、自分は成長していると言い聞かせるだけ。それが人生。今までも、これからもわたしたちは何も変わらない。

 わたし、大垣彩音は、そんなことを考えながら、壇上で感情なく話す学長の禿げ頭を見つめていた。

ぜひ、コメントや感想、ご指摘などいただければ幸いです。

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