6(末),種火は少しあれば良い
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大きな教会を背景に、奇襲に失敗した狼が攻めあぐねて此方の様子を窺って居る。その間、立ち止まる少女の狼の身体から、ウネウネと体毛が絶えず生え出していた。
その異様な姿を前にして初めて、自分自身の置かれた状況を理解した。
僕が教会に参加してから初めて狼や鬼と遭遇したあのとき、そこでの僕は受付さんの後方支援に腕をこまねくばかりだった。その次の、[ブラウン]さん達との任務でも自ら戦うような事態にはならなかったのだ。
実質、これが初の対面戦闘。
此処でこのまま逃げ帰る事も出来たが。
僕は腰に下げた瓶の蓋を開けて地面に撒いた。
瓶の中身は、動物の血液である。
シン「......ッ! [血魔術の詠唱呪文]...!!」
横一線に振り撒いた供物が、棒状に型を為す。
身体をいくら斬っても特攻んで来る狼に、短刀を出した所で意味は無い。
射程が要る。
供物に使う血の量を増やして、剣では無く、血の槍を創り出して構えた。
シン「...ッ! ......[スーネオ]さん!」
僕は彼に声を掛けた。
シン「ッ闘りましょう! 応戦しますよ!? ......援護お願いします!!」
スー「なッ勘弁してくれ! オレは妻子持ちなんだ! そんな事で死にかけてらんないんだよ!!」
シン「えぇ?! たっ、助けてくださいよ!!」
騒ぎを聞いて教会の者たちが様子を見に来る。
魔女たち「どうしたお前らまだ喧嘩......え、お、狼...?」
シン「狼が侵入したんです! ここで倒しましょう!!」
彼らはそそくさと教会内に戻って行ってしまった。
シン「ちょっとォ!?」
様子を窺っていた狼は、見ると、両腕を上げてこちらに跳び掛かって来ていた。
シン「ッな?!」
このままじゃ、殺られて──
──落ち着け。
槍の構えを解いてその長い柄を、ただただ狼に差し出すかの様にして、狼の突き出す腕両脇の下に差し込み入れた。
僕は狼の突進する胴体を槍の柄で押さえ、狼は僕へ勢い余って覆い被さる。狼の両脇の下に差し込まれたその槍の長い持ち手を、狼の顎ごと、上に両腕で突き押し上げた。
槍の柄で顎ごと両腕を突き上げられた狼は今、両腕を突き上げる形の姿勢をしている。
その腹はガラ空きだった。
ガラ空きの腹に蹴りの一撃を食らわせてやった。
少女の狼「ァヴ、ァヴゥ!!!」
蹴り飛ばされた少女の狼が、教会入口の石柱に跳び移って天井にしがみつく。
少女の狼「ギャオォォォォォォォォンン!!」
唸った狼が金切り声を鳴り上げた。
スー「ひゃああ」
スー「おいアンタ魔女なんだろ?! アイツをどうにかしてくれよ!」
焦る[スーネオ]さんがこちらに懇願してくる。
シン「貴方方も魔女なんでしょ?!」
スー「ウチには狩りの経験のある魔女なんて殆ど居ないよ! そんなヤツにも戦えってのかよ!?」
シン「僕にだって殆ど経験有りませんよ!」
スー「でも狼を狩りたいんだろ...? 嗚呼、此処でもし殺されなんかでもしたら、もう魔女を名乗る事さえ出来ないのに......」
ダメだ、完全に震え切ってしまっている。
僕がどうにかするしか無い。
スーネオの女房「アンタぁ!!」
?!
スー「?! オマエ何で此処へ来た!? 教会には絶対に来るなって言っただろうが!!!」
女房「なんでって、あんた、今日のお弁当忘れて──」
シン「アンタ達、前!!!」
瞬間、狼は柱を這い降りて彼らの方に駆け寄った。
彼は、その奥さんに覆い被さったまま道端に縮こまってしまっていた。もう彼らは動けなかった。
やるしかない。
僕は狼を突き飛ばし覆い被さって、手に持っていた長槍の柄を狼に咬ませて馬乗りになった。
長槍の刃をすぐ横の石柱に突き刺し固定して、僕の体重を乗せて、狼を動き出さないように地面と槍の柄の間に挟み抑え込む。
乗り上げられた小柄な狼は、地面に仰け反り伸び伏した。
スー「ヒッ、おっオマエ」
シン「、、、いいから、早く!!!!!!」
スー「......かたじけねぇ、たかじけねぇ!!」
彼が奥さんを連れて教会の奥へと入っていくのが横目に見えた。
シン「、、さて、、、コイツ、、を、、、うォオ?!!」
結局、小柄な自分が狼を抑え込みにかかったところで大した時間稼ぎになどならない。
対して小柄な狼の怪力が、刃の差し込まれた石柱さえ押し壊して、槍ごと僕を突き飛ばした。
シン「ッぐ!」
教会入口の裏手から声が聞こえる。
スー「お、お前も早く逃げろ!」
シン「逃げるって、何処に! ここで狩らなくちゃ、全員逃げ場は無いですよ!!」
スー「...それは」
其の時だった。
教会のとんがった屋根のてっぺんに、一つの人影が見えた。
いや、人影では無かった。
新たな獣の影だった。
大男の狼『ア゙オ゙オ゙オ゙オ゙ォォォォォォォォォンンンン!!!』
教会のてっぺんで、月夜に照らされた狼が産声を上げた。
二体目の狼の登場である。
宙に浮かぶ月の光を背に、ひと目で解るその屈強な輪郭。最初に違和感を覚えるべきだった。聞き取りに向かった際にあの住人は狼の事を、大男くらいの体格の影と言っていたのに。
……水堀を越えた狼は、初めから二体居たんだ。
僕らは絶体絶命であった。
少女の狼が同時に襲い掛かる。
少女の狼「アオオオォォォォォォンン!!!」
シン「!!! やばッ──」
その瞬間。
スー「[研師の魔術の詠唱呪文]ッッ」
こちらに駆け寄った[スーネオ]さんが、木こりの斧をおもいきり振り上げた。
斧が怪しい色をして輝く。振り下ろした斧は、少女の狼の首を地面に斬り落とした。
スー「ウ、うわ!!」
シン「......ウッ?! す、[スーネオ]さん!!」
スー「...おい、おまえ!! 早く逃げるぞ!!!」
大男の狼「ヷァ゙ヴ、ヷァ゙ヴゥ!!!」
大男の狼が屋根のてっぺんから降って降りた。
スー「!! クソっ!!! 如何する──」
魔女ら「──お前ら投げろ投げろ!!」
見ると教会の陰から、多くの魔女らが布地の物体を狼へ投げ入れていた。
大男の狼「ギャ゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙!!!!!!」
水風船である。
シン「?! 水が効いてる!?」
魔女「お前ら絶対手を止めるな!! 投げ続けろ!!!」
なぜ水が再び効いたのか。結局この狼騒動が終結するまでにその理由は僕等には判らなかったが、少なくともこの絶好の機を逃す手などはなかった。
スー「オマエ、名前は?!」
シン「[シンザン]です!」
スー「...そうか」
[スーネオ]さんがこちらを向く。
スー「[シンザン]、オレは、覚悟を決めたぞ」
スー「昔は、こんなんでも魔女に憧れてたんだ......」
そして狼の方を向いた。
スー「[シンザン]、アイツの胸を刺せ! 最悪心臓に当たらなくても良い、その足止めしてる間にオレが狼の首を落とす...!」
シン「! はいッ......」
狼が風船の水飛沫に耐えかねて此方の方に這い寄る。
不器用に構えた槍を、ただ狼の胸元に突き出した。
ぶすりと音がした。
シン「...ウッ?!!」
スー「[研師の魔術の詠唱呪文]!!」
[スーネオ]さんが手斧を首に突き立てた。
スー「?! ックソ、肉が断ちきれねェ!!!」
太い首の肉に阻まれて、斧の刃は途中で留まった。
狼が[スーネオ]さんの方を向いた。
シン「!! [スーネオ]さんッ!! 逃げて!!!」
スー「............クソ。」
中央街教会の当主「[氷吹矢の詠唱呪文]。」
大きな破裂音だった。
床に倒れた大柄の狼を見ると、胸元に巨大な穴が空いていた。
スー「!! 当主さん!!!」
僕らの目線のその先。広間通りの先にあったのは、唇に当てていた携帯水袋を腰当に戻して、こちらへ戻ってくる[中央街の教会]の当主の姿で在った。
スー「嗚呼、よくぞ帰って来てくれました、おやっさん!!」
当主「済まないね[スーネオ]、思わぬ非常時に良くぞ対応してくれた」
狼らの屍体を一瞥した当主が、すぐに僕の方を向いた。
当主「事情は大体把握した。本当に狼が居たんだね」
彼が再び口を開く。
当主「[辺境の地の教会]の若き新人よ、よくぞ私らを救けてくれた。よくぞ、君の義理を全うしてくれた」
当主「[中央街の教会]の皆を代表して礼を言う。──」
当主「──有難う。」
シン「...!!」
シン「......はいっ!」
その、認めてくれた言葉が嬉しかった。
これが今回の狼騒動の一部始終で在る。
当主「本当に[都心部]内部で狼の屍体を片付けるハメになるとはね。まったく、援護が間に合ってほんと良かった」
シン「でも、完璧な援護のタイミングでした。教会を離れていたのは、挟み撃ちをする為ですか?」
彼が答える。
当主「いや、なに。君らに労いの品でも買っておこうかと思っていたものでね」
シン「え?」
手に下げられていた土産を見た。
当主「これ。[中央街]名物の麦まんじゅう。」
本当に、ただ出掛けてただけだったんかい。
スー「だから、出払ってるって言ったろ...」
シン「......色々とタイミングが悪すぎです」
当主「だっていま買いに行かないとまた露店が閉まってしまうだろう? ホラ、せっかくだし、はやく食べないと冷めてしまうよ」
狼を刺した手では、まだ飯を齧る気にはなれなかった。
だけれど、それでも悴んだ手で持つまんじゅうは、まだほんのりと温かい。
登場キャラ紹介
・シンザン 新米魔女。人並みの青年だが、まだ知識が幼いことも多い。つい知らずに失言もしちゃう。
・スーネオ 無愛想な中年の男性魔女。中央街の教会に所属する。花壇の世話がとても丁寧。
・中央街の教会当主 中央街の教会の当主を務める、壮年の男性魔女。細身な体がとってもセクシー。
・狼たち 水堀を越えてきた狼たち。水を嫌う狼等が、なぜ水堀を越えられたのかは未だ定かでは無い。