6(四),濡れた髪の狼
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夕暮れ時も過ぎて、朱の明かりが地に沈み切る少し前。
借りた馬で再び最初の教会に向かうと、教会の水盤の周りの花壇に、やたら時刻はずれの水やりをしている者がいた。
シン「あ。ええと...」
シン「イヤミさん」
スーネオ「......」
シン「......もとい、[スーネオ]さん」
スー「やっと名前を覚えてくれた様で良かったよ。」
馬を預けて、彼の前に向かった。
シン「ええと、こんな時刻に水やりですか? か、関心ですね!」
スー「お前何しに来た」
どうやら、褒めて彼の気を引く作戦は失敗した様だ。
自分は、今から彼らを説得して協力を漕ぎ着けなければならない。
何から話せば良い。
シン「えと、その、今朝教会で案内をしてもらったとき、僕が失礼なことを言ったと思って。だから、謝りたくて」
スー「...オマエ、本当に何しに来たんだ?」
明らかに警戒されてしまった。
彼はただ怪訝な目で此方を見つめている。
シン「違うんです、謝りたかったのは本当のことで──」
スー「その割には聞いた名前すら覚えられてなかった様だな」
シン「違うんです! それは単に僕が人の名前覚えるの苦手なんです!!」
スー「...ああそうかい......」
今度は呆れられた様だ。
シン「...本当に謝りたかったんです。だって、あなた方だって僕らと同じ魔女なのに、協力するかも知れない相手に食って掛かるなんて、僕の態度は決して友好的じゃなかった」
スー「そりゃお互い様だ。オレらだってお前らと仲良くする気は無かった」
スー「でもオレらはお前らほど強くない、お前たちと一緒にするな」
やはり明らかに警戒されている。
スー「それに、だれが例の騒動の件に協力するなんて言った。ウチの当主から、ウチらは巻き込むなと伝えられたはずだが」
シン「事象が変わったんです!」
シン「......水堀を見に行ったら、内堀に狼の侵入した痕があって...」
スー「?! 嘘を言うな!!」
[スーネオ]さんは明らかに動揺していた。
スー「今まで、狼共はずっと水を嫌って近寄る者すら居なかったのに、急にそんな水堀を越えてくる者が現れるなんて......」
[都心部]内部では少なくともここ十数年の間、その内部で狼騒動が起きたことなどは今まで一度も無かったらしい。そんな平穏が続いた状況下、同業者から狼騒動がただの噂話ではなく本当だったなどと直に伝えられでもすれば、その驚愕度はきっと計り知れない。
シン「きっと、急いでその狼を探さないといけない。だからもう一度、ここの教会の当主さんと話がしたいんです。彼に会わせてください」
スー「駄目だ、彼は出払ってる」
シン「お願いです、彼と話し合いがしたいんです!」
スー「お前らは何も干渉しない! そして、オレらも。もう、話はそれで済んでいる筈だろ」
彼は言葉を続けた。
スー「そりゃあ狼なんて居なくなっちまえとは思うがな、だがな、だからって皆お前らみたいに捨て身になれる訳じゃないんだぞ!」
シン「少し、狼探しを少しだけ助けてくれれば良いんです!」
スー「ウチは狼狩りはやってねえんだよ!」
彼はただ言葉を続けた。
スー「ウチの団員には所帯持ちだって多くいる。狼除けを売ったり見張りをやったりくらいは出来るが所詮はその程度だ! ウチは狼相手に商売はやってねえんだよ!」
スー「たとえオレらが魔女だって言ったってなあ、所詮はほんのささやかな魔術が幾らか使えるってだけで、ほかは平民らとそう変わらないよ! そんなオレたちに、一体どうしろって言うんだよ...」
魔女、魔術を学び狼に対抗しうる術を会得しているとされる彼らは、平民と区別するべくそう呼ばれ、そんな彼らは強大な魔術を自由に操ると思われている事も多かった。実際ここ[都心部]に住む市民らも、殆どの者はただの平民で、実態の知れない魔女らの事を誇大に評価する者も多かっただろう。
だが、実のところ魔女でも、有用な魔術を幾つも扱える者はと言うとそう多いものはないらしい。実際の多くの魔女と呼ばれる者は、そのささやかな現象が生じる魔術を数個扱えることの他には、供物についてや霊的な知識に長ける以外は平民とそう変わらない者が殆どであった。
魔女と言っても、魔女も他人より得意事が幾らか多いだけの只の人間なのだ。
スー「見返りもその先も無いのに、義理で命張れるヤツなんてそう多くは居ないよ...。未だに狼狩りに熱心な教会なんて、お前らと、[鬼狩りの教会]くらいなもんだろ」
スー「[辺境の地の教会]は発足してからまだ若い。当然、お前も。若いからそう生き急げるんだ」
[スーネオ]さんは続けて言った。
スー「ガキはいつも分をわきまえずに危険に首を突っ込む。オレはガキはキライなんだ! ガキは夢見がちでいつも独り突っ走るから、周りを置いて独り突っ走って逝ってしまう」
シン「...[スーネオ]さん、過去に何かあったんですか......?」
スー「?! 何だと!?」
魔女「よぉ[スーネオ]、新人イジりもそれくらいにしとけよォ」
後ろの教会内から仲間が顔を出してきた。
スー「うるせぇ、からかいに来たんなら引っ込んでろ」
魔女「わざわざお説教とかお熱いな。ケケケ、教会の中まで聞こえてんぜ」
スー「茶化すんじゃねえ」
魔女「...はいはい。新人ちゃんも、そんな多くの教会を責めないでやってくれ」
シン「え?」
魔女「俺たちは魔女を全うする者の生き様が羨ましいんだ。無い物ねだりが身勝手なことくらいは判るが、こればっかりはどうしてもな......」
そう言われて動揺してしまった。
シン「いや、僕は貴方方を責めようとした訳では......」
そう言いかけたが、結局はそう思い留めてしまった。
スー「[カッツォ]、オマエは余計な事言うんじゃねえ」
魔女「へいへい。」
仲間は[スーネオ]さんの使い終えた園芸用具を受け取ると、そのまま教会の中へと戻っていった。
教会はその多くが、特別誰かしらの支援者が居るでも無く活動を続けている。つまり、当事者自らの手で運営をしているのだ。
教会の教義は、狼を狩る事。
はじめは皆名を上げる目的など無く、[辺境の地の教会]のように教義に忠実であるだけだったのだろう。それでも、元来は皆そうであっただろうが、だがその中で教義に忠実なまま存続できた教会はどれ程在ったのだろうか。
教会に歴史が刻まれるにつれて、身を賭したその奉仕はやがて職業の一部となり、多くの魔女は所帯を持つ様になった。所帯を持つのなら、"教義に従う"のままでは居られないだろう。
綺麗事は言えなくなったのだ。
だから、綺麗事に腹が立った。
シン「...誰でもそう言う日はあると思います。優しくなれる日も、ついイライラしてしまう日も」
きっと。
彼だって、ただ狼騒動が原因で困っている者の一人なのだ。
そう、きっと都会のしがらみに拘束されて、鬱憤が溜まるばかりなのだ。せっかく彼といま巡り会えたのだから、魔女として、自分も何か彼の役に立ってあげたい。
何とかしてあげなければ。
シン「もしも」
シン「もしも僕が貴方の苛つきを解消してあげられるのなら」
シン「...ええと、そうだな」
シン「......」
シン「僕が慰めてあげますよ......?」
スー「?! な何を言ってるんだ!? オレは妻子持ちだぞ?!??」
シン「エっそっちこそ何言ってるんですか?」
スー「とっ年頃の男子がそんなメッタな事言うもんじゃない!!」
スー「おバカ!!」
シン「? は、はい...」
シン「???」
何でみんなさっきから妻子持ちを強調するんだ?
スー「判った、お前の気持ちはよく判ったから、だから変な事は言わないでくれ!!」
シン「何も変な事なんて言ってないですけど」
スー「とッとにかくだ! 判った、よく判ったから、お前の主張もすこしは認めてやるよ。だがな、ウチは狼狩りには協力しねえ」
シン「えぇ?! いま協力してくれる風な流れだったじゃないですか!」
スー「流れってなんだよ...。ウチは狼狩りはやってねえ、それは今更変えられねぇよ。お前らの真摯さは判ったが、協力がほしいならよそに行きな」
結局、[中央街の教会]に狼探しの協力を依頼する目的は失敗に終わった。
失敗したって死ぬ用事では無いとは言えど、いざ失敗してしまえば次の行動を考えるしか無い。
自分一人で狼を探すか? いや狼の見分け方も極めていないのに独りで狼探しなんて成り立つものか。ここの教会がダメなら新たな教会に協力を説得しに行くのが筋では無いのか?
考えがグルグルと頭を廻って浮かんでは消えていく。周りを見ると、宵もすっかり周ってきて、宙にはひとつの月がうっすらと見え始めてきた。
ボサボサの少女「えーん」
教会の前の広間通りには、月明かりに背を照らされて広間をうろつく一人の少女が居る。その様子を見た[スーネオ]さんは彼女に駆け寄っていった。僕はと言えば、そんな様子をただぼんやりと見つめていた。
スー「なんだぁこんな宵更けに。おまえ髪ガサガサじゃないか。ダメだぞ年頃の女の子は、髪は水に濡らしたらちゃんと乾かさないと...」
そう言って彼は懐の鞄から櫛を取り出していた。
あ、[スーネオ]さん、ちょっと優しいところも実はあるんだ。
なんて。
普通の会話が、何か少し引っ掛かる様な気がして。
ちらりとその少女の方を見た。
年頃の女の子は、髪は
水に濡れたら乾かさないと。
濡れた水が再び干涸びた獣毛は、より一層硬く凝固するものである。
僕は驚愕して、咄嗟に少女の腹を蹴り飛ばした。
そのときに不意に見た少女の顔は、狼の貌をしていた。
少女の狼「ヴオォォォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!!!!」
スー「な?! 何お前急にトチ狂って......、エ?」
シン「[スーネオ]さん前!!!」
スー「う、ウワ、ワアァァァァア!!?」
彼女の荒れた髪の毛の裏には、獣の毛がびっしりとこびり付いていた。
シン「こ、コイツが──」
シン「──水堀を越えた狼......!!?」