6(三),ゆれる種火
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シン「...」
シン「......あの、ホントに狼って居ると思いますか?」
受付「...ん?」
あれから僕らは物売りの元を離れて、噂の詳細を聞き出すために[都心部北方街]の外れの母屋に向かっている。見渡す景色や人の様子は皆どこかのどかで、田畑などもちらほらと見かけるようになった。狼騒動に慌てる様子も見受けられない。
受付「まあ、嘘の可能性の方が高いだろうな...。正直、狼が水堀を越えてくるとはおれでも信じがたい」
受付「どうした、不安にでもなったか?」
シン「いや、ちょっと...」
シン「ただ、このまま教会に帰ることになったら、僕まだ何も役立ててないなって。普段の戦闘でも、まだ大して戦えないですし」
受付「心配するな。戦いで活躍出来なくても貢献出来る事は幾らでもある、例えば医療処置とかな」
再び町並みを見渡した。
ここは[都心部]の中では、いわゆる郊外の一つとされる場所にある様だ。
[都心部]に着いてから水堀の先の関所を越えて[中央街]に向かうまでの間、僕は[都心部]の街並みの豪勢さにずっと圧倒されっぱなしだった。だがここの町並みは家屋の並びもまばらで、普通の村での景色と大して変わらなかった。
[都心部]内でも、普通の家ってあるんだ。
受付「さあ、着いたぞ」
受付さんが母屋の扉を叩いた。
扉の先の遠くから声が聞こえる。
住人「ああ、ちょっといま椅子から動けないんだよ! 誰だか知らんが、とりあえず中まで入ってきてくれんかね!」
言われる様にして、僕らは母屋の戸をくぐり最奥の部屋に向かった。そこには中年の男性が一人座って居た。彼は、その背もたれに寄りかかって椅子に深く腰を掛けている。
座っている彼の脚を見た。
シン「あの、脚ケガされてるんですか?」
住人「ん? アアちょっとこの間色々あって、膝に矢を受けてしまってな。矢柄は切って捨てたが、矢じりがまだ腱に残ってる」
住人「ウチにはお医者様にかかるお金もないからさ、矢の返しを抜ける者を探してるんだが、誰も見つからないおかげで椅子生活だよ」
受付「色々あってとは、もしかすると狼に関係する事ですかな?」
住人「おお如何して解ったんだ?! ...ん、もしかして君ら魔女かい?」
シン「ええ」
事の経緯を説明した。
住人「成る程、でもまさかウチの家に魔女が来るとはねぇ」
彼も、狼騒動の経緯を説明し始めた。
住人「ウチは刃物研ぎの仕事を営んでいるんだが、それだけじゃ食っていけないから[都心部]の外へ野鳥を獲りに行くんだよ」
水堀は当たり前だが水堀と言うだけあって、そこには水が豊富にある。水堀近くの人通りのない所には、よく野鳥が羽休めに来るそうだ。
住人「それで、その当日はいつもより獲物が多く獲れてね、水堀からはそう遠くない場所に居るからとすっかり気を抜いていたんだ。そしたら、一緒に野鳥狩りに出ていた息子の叫ぶ声がしてね」
住人「急いで息子の元へ向かった。ちょうど帰りの林を抜けた先の水堀外沿いの事だったよ。そうしたら、水堀外沿いの岸辺で、向かいの[都心部]の方を向いて腰を抜かしている息子が居てね」
住人「息子の向く方向を見た。そうしたら」
住人「水堀の内側──つまり[都心部]の内地側、周りの水堀を越えた人里すぐの岸辺に、全身ビシャビシャに濡れた毛むくじゃらの影が居たんだ」
住人「恐かったよ、だって大男くらいの体格の影が、対岸の堀に爪を立てて這いずり上がる姿なんて見たら誰だって、たとえ大人の人間だって必ず震え上がる」
住人「......ま、それで慌てて息子に声を掛けたら、息子に狼とはやとちりされて脚を矢で射たれたって訳さ」
彼のその語りに、思わず息を飲んでしまった。
住人「息子は私が駆けつけるよりも前から、その姿を見ていた様だからね。自分は一瞬しかその影は見られなかったが、息子なら他にも様子を説明できるかもしれないよ」
受付さんも神妙な面持ちだ。
受付「どうやら、最初の婆さんの話を聞くまでも無くなったな」
受付「ご主人、ご子息は何方に?」
住人「きっと裏庭で庭作業をしてる筈だよ。こんな脚だからね、私の仕事を代わってくれてる」
受付さんがこちらを向く。
受付「[シンザン]、おれはご子息に話を聞いてみる。ちょっと待ってろ」
受付さんが表に出て行ってしまったので、住人さんに話しかけた。
シン「あの...、医者が見つかるまで、その矢は抜かないんですか?」
村人「ああ。流石に矢じり周りを切除するのは、自分の脚相手だと気が引けてね」
再び住人の脚を見た。雑に布が巻き当てられてはいるが、まだ矢柄の一部が残っていることが、巻かれている布の上からしてもその輪郭から判る。
これまでの経緯の中で、僕がした事と言えばこの依頼を引き受けたくらいの事であった。わざわざそのために、受付さんにも出張って来てもらっている。
そして目の前には狼騒動が原因で困っている者が居るのだ。せっかく自分が取り付けた依頼なのだから、自分も何か役立ちたい。何とかしてあげなければ。
シン「動けないなんて、可哀そう...」
シン「ずっとここに篭りきりなんて、きっと鬱憤溜まってるんじゃないですか?」
住人「え? まあそりゃ色々とタマってるさハハハ」
シン「...」
シン「抜いてあげましょうか?」
住人「............えッ...?」
シン「動けずに一人で何もできないだなんて、ストレスも溜まるばかりでしょう?」
住人「...そりゃ、そうだが......私は妻子持ちだし......」
シン「僕なら簡単に抜いてあげられますよ」
シン「その矢」
住人「エッ? あ、アア矢の事ね......」
シン「??」
なんで矢をヌいてあげるって言ったのにちょっと残念そうなんだ?
住人「ハァ、まあよろしく頼むよ」
シン「大丈夫! 血や筋質に関わる処置なら任せてください!!」
医者稼業は、この地でも非常に貴重な役職である。従事する者は少なく、村によっては民間療法で諸々の医療処置を済ませることも多い。
だがたとえ街中だからといって、村中よりも簡単に医者にかかるような事は出来ない様であった。だからこうやって怪我をしても大抵の人は、ツテが見つかるまでこうして辛抱強く耐えるしかないのだ。
シン「いま麻酔薬ないので、ちょっとだけ熱いけど我慢してくださいね」
シン「いつもなら狩り用の薬草調合すれば軽いやつも作れるんですが、材料無いですし」
ナイフの刃を、焚いた暖炉の火に当て付けた。後の手筈は想像の通りである。
シン「痛くないですか?」
住人「...ウッ」
シン「あっ抜けましたよ!? よく頑張りましたね」
鞄から茶色の包帯を取り出すと、それを炭油や灰に浸して患部へ当て巻きつけた。
シン「湿布を巻いておけばじきに痛みも軽くなりますから。布は定期的に交換して、清潔にして下さいね」
住人「ああ、本当に助かったよ」
我ながら良い手筈だったと思う。
住人「凄い上手だったよ。中々手慣れた手つきだったね」
シン「動物の狩りとかでよく矢抜きはやりましたからね、たまに剥製を他所の村へ売りに出しに行く事もありましたし」
受付「[シンザン]、話は聞いてきたぞ」
受付さんが戻ってきた。
受付「やはりご子息が水堀外周で獣の影を見たらしい。話しぶりから体格や這い上がる挙動を考えると、本当に狼が現れたくさいな」
受付「もし実際に狼が水堀を越えてきたのなら事は一大事だ、急いで確認に行く」
受付「じきに日も暮れる。その前に痕跡を見つけに行くぞ」
関所正門の橋を越えて、再び僕らは[都心部]の縁、つまり水堀の外周へと赴いた。外堀から辿って、先程の住人たちが狼を見かけたというその対岸の内堀を探しに向かっている。
シン「狼の噂、本当だったんですね」
外堀から、内堀の先の方を見返した。
シン「......」
シン「良かった」
受付「...フフッ」
僕の溢れた一言を聞いて、受付さんは笑っていた。
受付「まったく。良かったとはなんだ、狼が居て嬉しかったか?」
シン「アっ。い、いえ......」
思わず口を滑らしてしまった。迂闊だったと思う。
受付さんがこちらの方を向いていた。
受付「ずっと無駄足かと心配してたのか」
受付「狼も、居ないならそれで良いじゃないか」
シン「いや...、なんというか」
シン「最初は勢いで依頼引き受けちゃいましたけど、まだ、一人で狼を狩れはしないし、わざわざ受付さんにも着いてきてもらったから」
シン「やっぱりこれでただの噂だったらどうしようかって」
受付「そんなもんだよ。実際に依頼を引き受けても、結局は狼に出会えない事も多い。気にするな」
受付さんは優しかった。これまで任務に出向いてからの間、受付さんはこの無駄足になるかも知れない依頼に対して、ずっと真摯な対応を貫いている。
僕への手解きの際の言葉選びもずっと、優しくて丁寧だった。
だけど、それでも納得出来ない事はあった。
シン「でも」
シン「僕の未熟さのせいで、受付さんまで白い目で見られてる」
シン「あの教会で言われました。[辺境の地の教会]は、土足で他人の土地に上がり込んでくるって。僕が引き受けた依頼のせいで教会まで白い目で見られるのは、なんだか釈然としないです」
シン「もし...、この狼捜索の依頼が無駄足で終われば、きっとまた僕と一緒くたにして受付さん達まで馬鹿にされる。そんなの納得できないですよ」
受付「それは、他者に代わって無駄足な仕事を率先して引き受けたからだ。只々、みんなお前の正しさを妬んでるだけだ、気にしなくて良い」
納得いかなかった。
シン「でも、これは僕個人の問題じゃないですか? どうしてそれで、僕の教会まで非難されなきゃならないんだ。そんなの不条理じゃないですか。不条理なのは嫌です」
受付「...[シンザン]。重要なのは、それが評価されるかじゃない、それが為すべきかどうかだ」
受付「今日君が此処へ来た理由は何だったのか? それを思い出せ」
シン「...」
受付さんが改めて、此方を向いて立ち合った。
受付「我々が今日ここへ来た理由は、彼らと協調をして狼被害の防止に努める為だ。たとえ彼らの態度が腹立たしくとも、それは彼らと対立する理由にはならない」
受付「おれ達は、納得している。おまえが依頼を引き受けたこと、その引き受けた理由、そしてその志しも。納得して引き受けたなら、狼が居ようが居まいが依頼は完遂する、彼らがどう言おうが関係ないさ」
シン「...はい」
この時の受付さんは、優しくも同時に厳しく僕の事を諭していた。きっと父親とはこんな感じなのだろうか。
受付「お前だけじゃない、おれだってムカついてる。なんたってウチの新入りが貶されたんだからな。でも怒るのは後だ。この後のおれ達の働きでヤツらを見返してやれ、いいな?」
この時、受付さんは最後に僕の背中を小さく押してくれた。受付さんの顔を見上げると、受付さんは既に顔を上げて、先に待つ目標の方へと向かって行っていた。
受付「シンザン、大人に成れとは言わない。お前はたった今から"教会の魔女に為る”んだ。魔女とは狼を狩る者、人間と争ってる暇なんて無いさ」
このときの受付さんの背中は、とても広く見えたのを今でも覚えている。
そんな折だった。
受付「[シンザン]、見つけたぞ。狼の痕跡だ」
狼を見たという、外堀のその対岸。
松明で照らす足元の内堀の先に、獣の爪痕が、びっしりと。
水面から続いていた。
水堀の中を渡って、渡ったその対岸を直に確認する。
受付「見ろ、爪痕だけじゃない。両脇の爪痕の中央、何かが体を引きずって這い上がった痕がある。"これ"もこびり付いてる」
這い上がった痕の縁を革手袋でなぞってみた。
その指先には、濡れた水が干涸びた獣の毛が、大量に絡まっていた。
受付「狼の体毛だ。信じたくはなかったが、これで狼が[都心部]内に侵入した事が確定したわけだ」
受付「それと、水堀を越えてきた事もな」
緊張が奔った。
受付「[シンザン]、緊急時だ。おれは今から[手紙屋]に向かって伝書鳩を借りてくる。おまえは...」
受付「......そうだな」
受付「[シンザン]。おまえ、[中央街の教会]に戻って、彼らに協力してもらえるよう説得して来な」
受付さんは僕と別行動を取ると言う。それを聞いて思わず驚いてしまった。
シン「ぼ、僕が一人で話をつけに行くんですか...?」
受付さんが頷く。
受付「そうだ。そんな深刻に考えるな、どーんと構えとけ。説得に失敗したって、べつに死ぬ用事じゃ無いんだから」
そう言う受付さんの軽い一言に、僕は少しの衝撃を受けた。
失敗したって、死ぬ用事じゃない。
確かに然うだ。失敗すれば死ぬ狼狩りを考えれば、これも気楽なものなのだから。
彼らの説得がたとえ険しい道のりであっても、それでも気楽に往けばいい。
改めてそう思って、僕は再び[都心部]の中へと向かった。