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神は祟る  作者: 安芸
第一章 祟(たた)られしもの 
6/25

逃亡

 緊迫感が命なので、連続投稿いきます。

      

 山は危険に満ちていた。

 暗く、深く、険しい。灯りをともしては格好の目印となるため、手元にはまったく光源がない。

 ハルトオは真っ暗な山中を夢中で進んだ。

 さきほどの雨のため道はぬかるんだ。既に何度も転び泥だらけだった。時折後ろを振り向き、松明の鈍い光の位置を確認する。追手の足が速い。それもそのはず、相手は自分の庭も同然なのだ。

 カジャが盛り上がった木の根に躓き、転倒する。声を出さない。ハルトオも声をかけず、手拭きで眼と顔を拭いてやる。二人はまた手を繋いだ。

 とにかく奥へ奥へといった。夜眼が利くのが唯一のさいわいだった。

 教えられた山道へは近づけなかった。十中八九、待ち伏せされているだろう。木々が落葉しているため見通しが利くのはいいが、条件は相手も同じである以上、発見されやすいのも確かだった。

 獣の遠吠えに、ぎくっとした。

 その拍子に、深い凹みに嵌った。寸前でカジャの手を離したので、巻き込まずに済んだ。ハルトオは濡れ落ち葉の海を漕いだ。

 そこを這い出ると、またカジャの手を握って足を持ち上げた。自分の身体が重かった。

 ハルトオとカジャは月の位置を目印に方角に注意して登り続けた。松明の数は減っていた。おそらく散解したのだろう。捜索範囲をひろげたのだ。

 体力が限界に近い。既に何ジンも前からカジャを背負っていた。カジャは疲れ切ったのだろう、イチザとキズミにもらった薬袋をぎゅっと手に握りしめたまま、寝入っている。

 どこか、身を隠せる木の洞でもないか。

 そうして眼を凝らして辺りを窺いつつ進むうちに、岩の道に出た。大中小さまざまな形の岩がごろごろしている。

 ハルトオはカジャが落ちないよう縄でお互いの身体を括ってから挑んだ。足場は最悪で、石に密生する苔で滑った。あちこちぶつけながら、石ヶ原を横断してゆく。

 最後の部分で段差があった。ここを越えなければ先へは進めない。ハルトオは覚悟を決め、掌に滲む血を服に擦った。大きな岩に手をかけ、足をかけ、よじ登り、身体を引き上げたときだった。

 思わず叫び、のけ反った。危ういところで体勢を立て直すことができたのは、カジャをおぶっていたためだった。単身であれば間違いなく転落し、大怪我を負っていただろう。

 眼の前に、血を流した男がうつ伏せに倒れていた。

 前方に眼を凝らす。斜面はゆるやかなものの、凹凸があり、登りにくそうだった。

 滑落したのか。

 ハルトオは慎重に男に近づいて鼻先に掌をかざした。呼吸がある。生きている。


「カジャ、起きて」

「……カジャ、起きる」


 ハルトオは縄を解き、カジャが眼を覚ますのを待って背からおろした。


「……そのひと、死んでいるの」

「いいや、生きているよ。でもこのまま放っておくと死んでしまうだろうね」

「お薬あるよ」


 カジャは握りしめていた袋をハルトオに突き出した。

 ちょっと躊躇して、ハルトオは頷いた。カジャから薬袋を預かる。荷物から火打石と油紙に包んだ蜜蝋の塊と真鍮の皿を取り出した。蜜蝋は煙が少なく火の形も美しく、しっかりと燃えるので固形燃料として重宝しているものだ。

 皿に蜜蝋を置き、火打石で湿気のない枯葉に火を点け、移す。危険を承知で灯した火は、闇に慣れた眼にはとても眩かった。この小さな明かりを頼りに、ハルトオは薬袋を覗いた。

 貴重な薬草が無造作に詰め込まれている。


「もらってもいいかな」

「うん」

「カジャはこうやって優しく手を擦って温めてあげてくれるかい」

「わかった」


 男の背中には大量の血痕があり、考えた末、ハルトオは男の衣服を短刀で裂いた。傷を見て、硬直する。右肩から腰にかけて、斜めに肉が捲れるほど深く鋭く斬られている。だが真新しい傷ではない。一度縫合され、その傷がひらいたようだ。

 滑落事故の怪我ではない。なにか流血沙汰になるような恐ろしい事件の当事者か、被害者のどちらかだ。

 風が吹いた。炎が揺らめく。男の額にかかった髪がなぶられる。生え際があらわになって、そこに眼にしたものに、ハルトオは更なる衝撃を受けた。

 烙印――得体の知れない形の紫の痣。

 祟りだ。

 この男は、祟り憑きだ。


「このひとの手、冷たいねー」


 蒼褪めるハルトオを余所に、カジャは言われた通り、男の手を擦っていた。真剣で一生懸命な横顔。

 気がつけば、ハルトオは外傷に効く薬草を煉り合わせていた。飲料用にとっておいた水でまず自分の手を、それから男の傷を洗い、薬を塗り、清潔な布をあてる。

 応急処置を終えたときには結構な時間が経っていた。月は中天にさしかかっている。

 その間、男はぴくりとも動かず、カジャはハルトオの傍でくうくうと寝息をたてていた。


「みつけたぞ」


 不意を衝かれて、ハルトオは逃げられなかった。怨嗟のこもった呟きに、はっとして振り返る。ほぼ 真後ろから筋張った腕が伸びて、喉笛を絞められ、地面に抑え込まれた。

 あと三人、岩の段差をなんの苦労もなく超えて来た。あっという間に屈強な四人の男衆に囲まれる。手に下げた小さな携帯用の角灯を顔に近づけられた。


「間違いないか」

「ああ。昼間、村に来た女だ」

「子供もいるな」

「おい、そっちの男はなんだ」

「女と子供の二人連れじゃなかったのか」


 男たちは額を集め、相談の結果、まとめて村へ連行することに決めた。


「私たちをどうするつもりです」


 ハルトオは遮二無二立たされ、後ろ手に縛られた。縄の結び目が手首に食い込む。血管が圧迫され、痛いというより苦しい。


「村の祟りを解いてもらう」

「あなたがたの村を祟ってなどいません」

「黙れ。この祟り憑きめ」


 男の手がハルトオの頬を打った。一発では気がすまないらしく、立て続けに三発見舞われた。それだけで気が遠くなりかけたが、カジャの泣き声で意識を呼び戻した。

 カジャは猫の子のように、襟首を鷲掴みにされ、宙吊りにされていた。恐ろしさのあまり泣きじゃくり、ハルトオの名を呼び続けている。

 四人の内でひとり、眼に光のない男がいた。

 そのためか、どことなく不気味で、酷薄な印象を受けた。その男が、無言でカジャに近づき、草編みの面を乱暴に毟り取る。

 カジャの、ハルトオと瓜二つの顔があらわになる。

 子供の肉体に大人の女の顔。美の神ベニオ・タイシ・オウジュのものだ。ハルトオ自身、十三のときにこの祟りをくらい、いまだそのまま己の顔を取り戻せずにいる。それでも肉体年齢が追い付いている分だけまだましで、カジャのように、明らかに不釣り合いな様は悲劇以外のなにものでもない。


「これでもまだ祟り憑きじゃないとしらばくれるのか」


 松明に火を点け、近場の仲間に「女がいた」と合図を送っていた男が「やめてくれ」と絶叫し、他の者も「隠せ」、「祟られるぞ」、と泡を食って眼を覆った。


「なんてぇ顔だ。まさに化け物だな」


 ひとり平気な男が冷たく嗤う。啜り泣くカジャを拳で殴り気絶させ、叫んだハルトオの鳩尾に膝蹴りを加える。そのまま髪をぐいと引っ張り、手荒に上向かせた。


「見ろ、そっくりだ。こいつ、幼児のくせにこの女とまったく同じ顔をしてやがる。双面とはよく言ったものだぜ。なあ、あんた、村を火の手から救うふりをしたんだろう。祟り憑きは祟るもの。神々まで呼んで、この子供と二人でどんな祟りを仕掛けたんだ。言えよ、さあ。とっとと白状しろ。さもないと、そのきれいな眼をくりぬいてやるぜ」


 男が腰に差した狩猟用の短刀を鞘から抜いて、ハルトオの眼球を抉ろうとしたそのとき、微弱な風が一閃した。

 突如、音もなく、男の首が横にずれて、胴体より転げ落ちる。

 男の後ろに立っていたのは、闇よりも濃い瞳を静かに怒らせた、ハルトオの神だった。


「いいかげんに、余を呼べ」

「カジャを」


 そう呟くのが精一杯だった。ハルトオはとうとう昏倒した。くずおれた身体をそのまま神の腕が受け止め、優しく引き寄せる。

 その場に残った三人の男たちは、信じがたい面持ちで、斬首された仲間の首をみつめた。


「――神だ」


 と、ひとりがぽつりと呟くと同時に失禁した。逃げようにも逃げられず、ぶるぶると震えながら、地面に額を擦りつけて蹲る。

 神の無言の断罪は容赦なく、風を刃として自在に振るい、平伏した三人の男を文字通り細切れに斬り刻んだ。

 血の臭いで眼が醒めた。

 ハルトオは、自分が神の腕の中にいると知ると、すぐに身体を起こした。


「カジャ」

「ここにおる」


 見ると、カジャは神の深緑の外套に包まれてぐったりとのびている。次に行き倒れの男の様子を窺う。呼吸が安定している。容体はどうやら峠を越したようだ。


「……ありがとうございます」

「そちは他な者のためには礼を惜しまぬ」

「そんなつもりは」


 ない、とは言い切れず、黙り込んだところへ、夜明けの曙光がきらめいた。一条の金色の帯が山際を白く染め上げる。待ち侘びた朝だった。

 だが、目の前にひろがった光景にハルトオは慄然とした。血の臭いのもと。大量の出血痕、臓物、ひとの肉塊の断片、頭皮、髪、骨が無造作に散らかっている。おそらく、追手四人分の残骸だった。


「あなたがやったのですか」

「そうだ」


 ハルトオは激しい表情で声を荒げる。


「私のためにひとを殺めないでください」


 神は答えず、うっすらと微笑した。

 真剣な気持ちを茶化されたようで、ついかっとして叫ぶ。


「殺す神は恨まれる。やがて祟りを受けるでしょう。私はそんなあなたを見たくない」

「そちは余を案じておるのか」

「……いけませんか」

「いや」


 神は微笑みを深める。


「悪くない」


 ハルトオは顔を背けた。すべてを見透かされているようで、いたたまれない。

 子供の頃は、口にせずとも心の(うち)を察してくれる神が好きだった。大人になるにつれ、色々の物事の分別がつくにつれて、関係がぎくしゃくしていった。どう接したものか、迷うようになったのだ。正確には、自分だけが変わった。神はなにも変わらない。なにも。


「貴様ら何者だ」


 ぎくりとした。ハルトオが声の響いた方を振り向くと、重傷を負っていた男が左右両手に短剣を閃かせ、身体の真正面に構えていた。

 若い。

 年齢はハルトオと幾つも違わないだろう。黒よりはやわらかい、藍色の髪と瞳。意志の強い光が宿る眼は、はっきりと他人の介在を拒んでいる。猛々しい顔つき、肌は浅黒く、骨格は厳つい。鍛えられた裸身は古傷だらけで、その物々しさに思わず閉口した。


「答えろ」

「……ただの通りすがりだよ。あなたが行き倒れていたので、少し余計なおせっかいをしたけどね。ついでだから言うと、まだあまり動かない方がいい。一応止血と化膿止めの手当てはしたけれど、縫合をやり直したわけじゃないから、無理をすればまた出血する」


 男の険のある視線が和らぐ。


「あなたが助けてくれたのか」

「助けたのは私だけど、薬はその子のもので、一晩守ってくれたのはここに坐す神だ」


 男は短刀を鞘に戻し、カジャの顔を一瞥した。眼を瞠る。だがなにも言わず、神に対しても畏れ戦くことなく、深々と頭を下げて謝意を示す。粗雑なようで、どことなく、気品のある振る舞いだった。


「私たちは先を急ぐのでもう行くけれど、なにかしてほしいことがあれば聞くよ」

「水を一口いただきたい」


 ハルトオの差し出した水筒を受け取り、本当に一口だけ水を含む。それから畏まって土に膝をつき、服従の姿勢をとった。


「命の恩義は命を救うことをもって返す。もしくはそれと同等の行いをしなければならない。俺は一族の掟に従い、あなたがたのためになにか役立てるまで同行させてもらう」

「悪いけど、遠慮する。この子、人見知りでね。理由はあなたならわかるだろう」


 ハルトオはカジャを揺すり起こした。ぐずるカジャに、面をつけ直す。


「俺を置いていくならば、斬れ」


 ハルトオは男を険しい形相で睨んだ。


「私は命を粗末にする奴は嫌いだ」


 男はもの言いたげに瞳を尖らせたが、葛藤の末、ふーっと肩の力を抜いて失言を認めた。


「……そうだな。助けてもらっておいて言うことじゃない。悪かった。少し気がたっていて、言葉が過ぎた。自分本意だったな」


 ふと、ハルトオは思った。カジャの眼によく似ている。初対面だというのに、どこか通じるものがある気がするのは、たぶん、祟り憑き独特の孤独感のためだ。

 ちょっと逡巡して、言った。


「私たちは追われる身だ。一緒にいるといいことないよ。それでもついてくるかい」

「俺は、いましばらくは、寄る辺なき身だ。できることは限られているし、案外口ほどにもない男かもしれないが、よろしく頼む」

「私はハルトオ」

「俺はタカマ」


 ハルトオは、荷を探って取り出したものを、黙ってタカマに差し出した。

 タカマは訝しげな面持ちで、丁寧に包みを解く。中身は赤い帯状の上等な正絹だった。細かい刺繍が施され、とても美しい。


「額に締めるといい」


 ハルトオの意図を察したようで、タカマは受け取った。


「あと、できれば早くなにか着てほしいんだ。着替えがなければ私の外套を貸すよ」


 二人のやり取りを、神は憮然と眺めていた。だが男が赤い絹を頭に巻きつけたのを見て、ほんの一瞬、瞳孔を光らせた。そののち、なにも言わず姿を消した。




 タカマ、登場です。

 

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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