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神は祟る  作者: 安芸
第一章 祟(たた)られしもの 
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山火事

 ソウガ登場です。彼はお気に入りです。   




     

 異様な気配を感じたのは午後も遅く、日没を間近に控えた頃だった。

 静かすぎる、と感づくなりハルトオは歓談の席を中座して外へ出た。

 既に日が陰りはじめ、黄昏の柔らかな光が射している。空に鳥の姿がなく、村から神々の息吹が消えていた。見上げたソウ山はどっしりとそこにあったが、山裾が不自然に明るく、赤い。


「神様いないね」


 見るとカジャが足元にいた。カジャも気がついたのだろう。ハルトオは身を屈めてカジャと視線を交えた。


「カジャ、遊びは終わり。皆を呼んで来て」

「うん、わかった」


 ハルトオはイドリの家に戻って言った。


「山火事です」

「なんだと」

「もうすぐそこまで迫っています」

「そんな」


 イドリとキクラは裸足のまま、先を争うようにたたきをよぎって外へ転がり出た。ひとめ山を見て息を呑む。紛れもなく、裾野の山林に火の手が上がっていた。それも風は山から吹き下りてくるため、こちらは風下にあたる。

「火を消さないと」


「ああ、大変なことになる」

「女子供は川辺まで避難させろ。男たちは頭と口を覆って砂袋を担いでついてこい。急げ」

「待ってください」


 ハルトオは制止の声を張り上げた。


「あの火の勢いでは消化は無理です。全員で逃げましょう」

「村を見捨てろというのかね」


 イドリは非難の眼をハルトオに向けた。


「そんなことはできん。やっと冬越えの準備を終えたばかりだし、収穫物はほとんど貯蔵庫の中だ。家畜もいる。ここは、はじめなにもなかった。荒れ地だったところを皆で耕して、ようやくここまで形にしたんだ。第一、家も食料も持ち物もすべて失ってどうやって生きていける」


 叩きつけるような激しい言葉にも、ハルトオは怯まなかった。


「私の故郷は火の海に沈みました」


 行きかけたイドリの足が止まった。


「山が噴火して流れてきた溶岩の下敷きになったのです。いまもまだ岩と灰に埋もれたまま……生き残ったのは私だけ」

「いつのことだね」

「いまから十年前、私が十三のときです」

「キ山の噴火か」

「そうです」

「あのときはここまで灰の雨が届いた。大規模な噴火だったと聞いたよ」

「犠牲になった村は幾つもあったそうです。私は肉親も家も故郷もいっぺんに失いました」


 ハルトオの静かな眼がイドリの興奮を冷ました。イドリは深く吐息した。


「まず命が大事だな」

「はい」


 イドリは握った拳を震わせながら村全体を見渡した。


「この地を、我々は心血注いで築いた。すべてが財産だ。だが、命には代えられない――逃げよう」


 イドリの指示のもと、全員防寒具を着込み、水と持てるだけの食料を荷袋に入れて担ぐ。身体の自由のきかないものは男衆が背負い、女衆は子供の手をひいて先にいった。

 風上にあたる上流の河岸を目指し、ひと固まりになって逃げた。

 ただならぬ悲鳴が耳をつんざいたのは、村を離れてだいぶ経ってからのことだった。

 ミホトが髪を振り乱してイドリに縋った。


「イチザはどこ」

「なんだと。一緒じゃなかったのか」

「途中で手を放して、あなたのところへ行くって言って、後ろに向かったの。でもいま振り向いたら、あなたの傍に見当たらなくて」

「キズミもいないわ」


 騒然として点呼を取りはじめる。ミホトは半狂乱で泣き崩れ、誰かが「まさか村に戻ったのか」と呟いたのを聞くと、唐突にいま来た道を取って返そうとした。慌ててイドリが羽交い絞めにして捕まえる。


「放して」

「落ち着きなさい」

「助けなきゃ――私の子供なのよ」


 ハルトオはミホトの慟哭にかつての自分の姿を重ねた。カジャと繋いでいた手をそっと解き、小さな肩に掌をのせる。


「ちょっとここで待っていてほしいんだ」

「どこに行くの」

「カジャのお友達を捜してくる」

「カジャも行く」

「怖い目に遭うよ。それでも行くかい」

「カジャのお友達だからカジャも捜す」


 ハルトオは首肯した。カジャを抱き上げる。

 ひとをちょっと掻き分け、泣きわめくミホトの近くにいった。


「お子さんを捜して来ます。皆さんは先に避難していてください」


 言い捨ててハルトオは走った。カジャは軽かった。荷の方が重く、預けて来ればよかったと思った。だが長年の習性により、大切なものは肌身離さず、の癖が染みついてしまっている。

 村まで戻った。大きく膨らんだ火は止まることを知らず、手前の原生林を焼き尽くし、コンクリート壁をあっさり越えて二軒の家を半焼させていた。

 村が火に包まれるのは時間の問題だった。

 赤い小さな粒の火の粉が空に乱舞する中、ハルトオとカジャはイチザとキズミの名を叫びながらイドリの家の前に着いた。ハルトオは手拭きをカジャの口に押しあてた。


「カジャ、二人を捜して来てくれるかい」

「うん、行って来る」

「気をつけて」

「大丈夫。カジャ強いもん」


 面の緩みを直して、カジャは早速イドリの家に飛び込んでいく。

 ハルトオは喉を押さえて迫りくる火炎の嵐と対峙した。赤い渦に、悪夢が蘇る。不意に強烈な眩暈に襲われた。吐き気が込み上げ、目の前が暗くなった。


「寝るな」


 はっとした。倒れかけていたのだろう。身体を支えられている。ハルトオは腕の主を仰いだ。

 夜明け前の湖水のような緑がかった黒眼と、やわらかな黒髪。美貌は鮮やかだが印象には残らない類の力が働いている。完全な八頭身は影まで美しい。この神は、出会ったころと寸分変わらぬ姿でいまもハルトオの傍にいた。


「……寝ていません」

「ならばよい」


 腰に添えられた手はまだそのままだった。ハルトオが身動ぎすると、神はやっと放した。

 ハルトオは呼吸を整えた。胸が楽になっている。火は相変わらず猛威をふるっていたが、恐怖は過ぎていた。

 ハルトオは両掌を合わせた。


「待て。そちはまた他な(もの)を呼ぶつもりか」

「……はい」


 ハルトオはこの十年で聴き神女としての能力を磨いていた。

 聴き神女は、主に三つの能力に分けられる。

 一つには神の声を聴いて、神のために役立つこと。

 二つには神の声を聴いて、ひとのために役立つこと。

 三つには、神より直接神名を賜った場合のみ、その神を呼ぶことができる力を持つこと。

 それは多くの場合、神々の要請に応えて神の気に召す仕事を成し遂げた褒美として与えられるものだが、これは大変な名誉であり、偉業であり、神名を授かるものなどほんの一握りである。

 ハルトオは、そのうちのひとりだった。

 神の眼は無表情だったが、はっきりと責めたてられていた。それでもハルトオはやめなかった。

 合わせた掌、次に手の甲を重ね、内側に抉るように縦にくるりと回転させ反動をそのままにまたはじめの形に戻す。そしておもむろに神呼びの声を放った。


「森羅万象、万物を統べ、守り、導きたる神々に感謝と祈りを捧げます。我が名はハルトオ。我に名を賜いし神よ、我が声に応えたまえ。我が呼ぶのは(くう)の神ソウシ・イラツメ並びに水の神カゲツ・タカネ。繰り返し申し上げる。我が呼ぶのは(くう)の神ソウシ・イラツメ並びに水の神カゲツ・タカネ。我が招請に降臨を願い上げる。繰り返す。我が招請に降臨を願い上げる」


 次の瞬間、空気にゆらぎが生じた。そうかと思えば、ハルトオの前にほっそりした三毛猫が一匹と立派な体躯の灰色熊が現れていた。


「何用だ」

「願いを申せ」


 三毛猫と灰色熊が同時に口を利く。その声は遠雷の如くかすかだが、はっきりと響いた。

 ハルトオは丁寧に一礼して、言った。


「申し上げます。ソウシ・イラツメ様にはあちらの火の完全なる消火をお願いいたします」

「よかろう」

「申し上げます。カゲツ・タカネ様にはこの近辺一帯に雨を降らせていただきたいのです」

「わかった」


 どちらも身を翻すなり、すうっと変化した。三毛猫であったものは黄金の長髪に白肌、金色のたっぷりとした襞のある衣装を纏った妖艶な青年に、灰色熊であったものは紅髪に褐色の肌、半裸で裸足、下半身に黒い布を巻いただけの屈強な男に、それぞれが眼も眩むほどの美形であった。


「見惚れるな。彼奴等はそちの気を惹こうとしているのだ。真の姿ではない」


 ハルトオは惑わされてはいなかった。注意は目の前のニ神の技にのみ注いでいた。

 (くう)の神ソウシ・イラツメは垂直に上昇し、眼下を一望できる高さに停止した。黄金の髪が風に靡く。右腕が持ち上がり、肘が伸びる。五指が開き、ものを捻るような所作をした。するとジュウッと音をたてて瞬く間に炎が揉み消され、焼け跡からは黒い煙が立ち上るだけとなった。

 次に水の神カゲツ・タカネは腰に手をあて、大地に軽く足踏みした。首を擡げ、口笛を吹く。たちまち上空に鼠色の雨雲がひろがり、大粒の雨がざあっと降って来た。

 黒髪の神が腕を掲げてハルトオを庇う。だがハルトオは気づかず、戻って来たニ神に深く頭を下げて礼を述べた。


「ありがとうございます」


 空の神と水の神は揃って笑った。


「なんの、これしき」

「おおよ。ようやくそなたに呼ばれたわ」

「なにか私でお役に立てることがございますか。なんなりとおっしゃってください」


 神を呼ぶのは易しい。だが帰ってもらうのは並大抵ではない。たいてい、かなえてもらった願いを何倍も上回る無茶な要求を突きつけられるはめになる。それゆえ、神呼びは滅多に行うものではなく、たとえその資格を持ち、名を授かっていても、招請はせず、またその事実は伏せておくこと。ハルトオは、先代の師にそう教えられた。まだ幼き身だったが、神は恐れ敬う存在であり、安易に使役してはならぬもの、と何度も何度も言いきかされた。

 その神呼びをした。

 ハルトオは覚悟をもって呼んだつもりだったが、いまになって震えが来た。いったいなにを要求されるのか、恐ろしかった。


「過分なことを申すな。そちは散々彼奴等のわがままをきいてやっただろう。このくらいのことで礼など言わなくてもよい」


 と言ったのはハルトオの神で、空の神と水は顔を見合わせ、伺いを立てるようにそっと訊ねた。


「……久しぶりに宴でも一緒にどうかと誘うこともいけませぬか」

「ならぬ」

「……せ、せめて少し話をさせていただくわけには」

「ならぬ。帰れ」


 冷たい眼で睨まれて二神は諦めざるを得なかった。ハルトオに向かい、「またいつでも呼ぶように」と告げることが精いっぱいで、現れたときと同じ姿に戻って消えた。

 ハルトオがなにを言うべきか戸惑いしている間に、神も姿をくらました。

 雨が止んだ。村は先に半焼した二軒の家を除けば無事だった。ほっと胸を撫で下ろす。そこで自分が濡れていないことに気づいた。神の無言の優しさが、嬉しかった。


「いまのは神々か」


 振り向くと、唖然とした表情のイドリとキクラが佇んでいた。傍にはイチザとキズミも硬直した様子でくっついていて、カジャだけ軒下の水たまりを覗いている。


「あなたは聴き神女なのか」

「はい」

「村を……村を救ってくれたのか」


 小さき神々の気配が戻っていた。陽が落ちて空は紺碧が半分ほどを占め、夜の到来を告げていた。

 ハルトオは俯いた。


「……本当はひとの世に神々を介入させることはよくないことなのです。でもこのたびは子供が危なかったし、丹精こらして築かれた家屋が焼け落ちるのも忍びなく……余計な手出しとは思いましたが、すみません」

「なにを謝ることがある。我々はあなたに礼を言わねばならん。ありがとう。本当にありがとう。あなたのおかげで皆が助かった。こら、おまえたちもお礼を言いなさい。そもそもおまえたちを助けに来てくれたんだぞ」


 ハルトオはイチザとキズミが大事そうになにかを抱えているのを見て訊いた。


「それを取りに戻ったのかい」

「うん。あの――薬草なんだ。カジャにあげようと思って……どれが傷に効くかわからないから適当にいっぱい詰めたんだけど」


 イチザとキズミはカジャにそれを差し出した。


「やる」


 カジャはすぐに受け取らず、ハルトオを見上げた。


「せっかくだからいただきなさい」


 カジャは口元を綻ばせてそれを受け取った。


「ありがとう」


 イドリとキクラは苦笑して、叱り損ねてしまった息子たちの頭を掻き撫ぜた。


「さあ、皆を呼び戻して今日は酒宴を開こう。村が無事だった祝いだ、派手にやろう」

「じゃあ蜜菓子も焼いてくれるかな」

「ああ。たくさん作ってもらおう」

「やった。よし、皆を呼びに行こうぜ。カジャも来い、誰が一番早いか競争しよう」

「もう暗くなったからカジャはひとりじゃ危ないって。俺が手を繋いでやる」


 そう言ってキズミがカジャの手を握って走り出そうと勢いをつけた拍子に、面の紐が解けた。カジャの顔があらわになる。


「うわっ」


 息子の奇声にキクラの眼がカジャに向けられた。息を呑む気配。イドリと会話していたハルトオは一呼吸遅れて事態に気がついた。

 だが、既に遅かった。


「あああああああ」

「なんだ、どうした」

「あああああああああ」

「おい、しっかりしろ」


 突然絶叫し、腰を抜かしたキクラに慌てて近寄るイドリの横をすり抜けて、ハルトオは面をすくい拾い、カジャの身体を横に抱えた。すぐに入口門へ向かい走り出す。もう一瞬たりともここにはとどまれなかった。


「双面だ。化け物だ。殺せ、殺すんだ。祟られる――祟りが、祟りが、祟りがあるぞお」


 キクラの逼迫した喚き声が鼓膜を掻いた。

 化け物。

 もう何度言われたことか。だが何度言われても胸にこたえるものがある。

 ハルトオは奥歯を噛みしめて、カジャを抱く腕の力を強めながら、とうに夜陰に沈んだソウ山を目指した。細い月が東の空に照り映える、長い夜がはじまった。

 



 怒涛の逃亡劇のはじまりです。

 

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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