二人旅
お気に召せばうれしいのですが。
万年雪を頂くソウ山の麓、ここに、公主の君臨する王都の噂など欠片も届かず、この地方を治める領主の加護もあまりなく、また物資の輸送やひとの行商の中継地からも不便なほど遠く、細々と自給自足の暮らしを営む小村があった。
空は薄蒼く高く、木々の紅葉がはじまり、ススキの穂が揺れる。秋の収穫がほとんど済み、休耕田が続いていた。畦道にも人影はなく、何羽かのカラスがこぼれた雑穀をついばんでいるだけだ。
「ひといないね」
「やっぱり直接村を訪ねるしかないね」
「……また石を投げられたりするのかな」
「……面を取らなければ大丈夫だよ。でも怖ければ村の外にいてもいい。無理をしてついて来ることはない。私がひとりで行って道を訊いて来るから、ここで待っておいで」
「だめ。カジャがハルトオを守るの。絶対離れちゃだめ」
被災して故郷を失い、旅に出てから十年の歳月が経った。
ハルトオは二十三となり、背も伸びて、娘らしい身体つきになっていた。だが深緑をおびた髪は肩に届かないくらい短く、化粧っけもない。服装は寒暖の差が激しくとも大丈夫なように、汗の吸収性が高い綿の下着をつけて、長袖の腰丈まである上着と踝まであるズボンを穿き、防寒具にもなる被りものつきのゆったりした外套を着用していた。履物は頑丈さと履きやすさに定評がある大角鹿の皮をなめしたもので、身につけているものの中でも一番高価だった。
見た目には華奢な印象の青年で、口をきかなければ年頃の娘とは、まずわからない。事実、口を開いても気づかれなかったこともあるくらいで、むしろこの勘違いをハルトオは迎合していた。
なにぶん、女の旅は危険が多い。ましてや幼い少女と二人連れとあっては尚更だ。
「ちょっとおなか空いたね」
「村に行く前にお昼にしようか」
「まだ平気。ハルトオの用事が終わってから一緒に食べる」
「じゃあそうしよう」
手袋を嵌めた小さな手が伸びてハルトオの手をきゅっと握った。人里が近づいてきたので緊張しているのだろう。面に隠れて表情が見えないが、普段よりだいぶ口数が少ないし、悪戯にはしゃぎもしない。
「大丈夫」
「……うん」
「大丈夫だよ、カジャには私がいるじゃないか」
言って、ハルトオは少女カジャに笑いかけた。カジャもハルトオを見上げてぎこちなく笑う。きれいに結い上げた濃い黒髪と濃い黒瞳。ハルトオが草で編み乾燥させて作った、顔隠しの面をつけている。 顔の上半分を覆う眼の部分をあけた面は、いまではすっかりカジャに馴染んでいた。
カジャとは、半年ほど前に西国ワキツのニタという町の奴隷市で会った。まだ七歳だというのに親に売られたのだ。その理由は一目瞭然で、ハルトオとしてはとても見過ごせなかった。
雑多な人間が集まり目当ての人間の値を怒声交じりにかけあう中、行きずりの野次馬連中がカジャの顔の造作について口々にはやしたてる。聞くに堪えず、先のことなど考えぬまま、ハルトオはカジャを引き取った。
それから二人、年齢の離れた姉と妹というふうを装って旅をしてきた。ハルトオとしては然るべき養い親を見つけしだいカジャを託すつもりだったのだが、ほどなく異変に気がついた。
ハルトオは急遽目的地を変更した。
そしていま、ようやく西国ワキツの南端までやってきた。あとはこのソウ山連峰を越えれば、南国ミササギに入る。なんとか雪が降る前に山越えを果たしたいところだった。
村の入口門が見えてきた。
周囲を高さ一メグ(およそ一メートル)のコンクリート壁で囲われている。半端な高さからすると防壁というよりは、家畜が勝手に遠出しないための檻だろうな、とハルトオは思った。
狭い土地に家々が密集しているのは、親戚筋か、縁の深い者同士が寄り合ってできた村であることが多い。そのため互いの絆は深く固いのだが、素性の知れぬ余所者を極端に毛嫌いする。
門前では、カジャと同じ年頃の子供たちが輪になって遊んでいる。冷遇されることも承知の上で、ハルトオはカジャの手を引き、そちらへと近づいていった。
ハルトオが声をかけるより前に、子供たちが二人に気がついた。さっと緊張して遊ぶのをやめ、じっと外からの人間を眺める。
「ごめんください」
門のところで立ち止まったハルトオが口をひらいたのをきっかけに、小さな子供たちがわっと散った。幾分年長の少年二人がその場に居残って、震えながらも威嚇のまなざしを向けてくる。
「少々お訊ねしたいのですが」
「余所者と口をきいちゃいけないって言われている」
「あと、勝手に村に入れちゃいけないって」
「わかりました。入りません。すみませんが、大人の方を呼んで来てはもらえませんか」
「いま呼びに行ったからすぐ来る」
ハルトオが入らないと言ったので子供たちは安心したようだった。ほどなくカジャの存在に気づくと、そわそわしはじめた。
「……その子、なんで草の面をつけているの」
「顔に醜い傷があってね、よく意地悪されるから隠しているんだよ。見たら、君たちも石や泥を投げたりするかも知れないね」
それを聞くと、カジャはびくっとしてハルトオの後ろに隠れた。その様子を見た少年二人は顔をしかめて、憮然と言った。
「俺たちは弱い者いじめはしない」
「そうだ。弱い者をいじめるのは卑怯者なんだ。俺たちは卑怯者じゃない」
「よかった。じゃあ、この子にも優しくしてくれるかな。そうだと嬉しいな」
少年二人はこくっと頷いた。
「わかった」
「優しくしてやる。俺はイチザ。こっちはキズミ。おまえの名前は」
カジャは黙りこくっていた。先に名乗ったのに無視されて、少年二人が面白くなさそうに苛々するのがわかった。
ハルトオは代わりに詫びた。
「ごめんね。前に君たちと同じくらいの男の子に石を投げられてね、それが顔とおなかにあたって怪我をしたことがあるんだ。だからちょっと怖いみたいで……またあとで仲良くしてくれるかな」
知らせを聞いて、男が二人出てきた。どちらも四十代ぐらいで、作業着姿。浅黒い肌と農作業で鍛えられた太い首と太い腕を持ち、いかにも力持ちに見えた。
「イチザ、キズミ、家の中に入っていなさい」
「あのね、あの子、石を投げられたことがあるんだって。小さい子をいじめる奴は卑怯者なんだよね、俺、そんなことしないよね」
「ああ、おまえはそんなことはしないな」
「聞いたか。俺はおまえをいじめない。だから逃げるなよ。あとで遊んでやる」
「遊ぶのはあとだ。いいから家に戻りなさい」
くぐもった返事をしてイチザとキズミは踵を返した。二人の子らを見送って、男たちは招かれざる訪問者と向き合った。
あと小二話で一区切りです。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。