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神は祟る  作者: 安芸
第四章 愛するということ
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 久しぶりのカジャとの再会。よかったね。

 その大楠おおくすは、里の神木として祀られていた。

 樹齢二千年、周囲二十四メグ、高さ三十メグの巨大な楠で、幹は雄々しくうねり、猛々しい枝ぶりは圧巻だった。

 チャギの里のほぼ中央にあり、東西南北に赤い鳥居が建っている。鳥居から鳥居へ太いしめ縄が張り巡らされ、均等に魔除けの木札が吊り下がっている。


「結界だね」


 ハルトオは袖から清めの塩を取り出し、自分とタカマに振りかけて、まじないを切った。


「いいよ、入って」

「いまのはなんだ」

「結界超えのまじない」


 ハルトオは手を合わせ、丁寧に一礼して、慎重にしめ縄を持ち上げ、潜った。ここから先は神の領域だ。


「それで、これからどうする」


 タカマはハルトオの背に立って言った。


「ちょっと、この木の気脈に潜って来る。タカマはここで待っていてくれ」


 防寒具の頭巾を外してタカマに押しつけながら、とっとと行きかけたハルトオの襟首を、タカマの指がひょいと摘む。


「待て。ちょっと、どこへなにしになにをするって言った。わかるように説明しろ」

「猫の子のように扱うな」

「猫の子より始末が悪い」

「なぜ」

「危険を避けて通らない」


 ハルトオはもぐもぐ口を動かした。


「別に……危険なんてないよ」

「では俺も連れて行け」

「いや、それは……」

「ひとりでは行かせない」


 どすの利いた声と顔で凄まれる。

 ハルトオは渋々、降参、と両手を上げた。


「あなたは本当に年下か。年長者に対する態度じゃないね、偉そうで」

「あなたは本当に年上か。頼りなくて危なっかしくて、手間がかかる」

「……おまけに口も悪い」

「ぶつぶつ言うな。聞こえているぞ。さあもう一度、今度はきちんと説明してくれ」


 ハルトオは蒼穹を突くように聳え立つ、どっしりとした楠の大樹を見上げた。見れば見るほど壮観だ。おそらく、長い歳月、ひとびとの手によって大切に保護されてきたのだろう。


「わかりやすく言うと、この木と波長を合わせてね、記憶を覗きに行くんだよ。この世のすべての生きものには魂が宿り、それぞれ気脈が流れている。気脈と言うのは、人間でいうと、血液にあたるかな」

「血に、記憶が残されているのか」

「血液は例え。なんて言えばいいかな、命を巡る力、命を命とする力……口ではうまく説明できないけど。霊格が高い生きものはそのまま神になったり、神が宿ったりする。この大楠は、後者みたいだ。眼には見えないけど、神の気配を感じる……」

「姿なき神が、坐すのか」


 ハルトオは眼で頷く。


「その気脈に記憶を覗きに行く方法は」

「神を否定せず、呼気を合わせる」

「俺にできるか」

「できなければ、おいていく」


 ハルトオの返事は明瞭で無情だった。

 タカマは顔を顰め、やけくそ気味に腕捲りをした。


「はじめようぜ」

「……慣れていないと、だいぶ苦しいと思う。それでも行くかい」

「ああ」


 ハルトオは諦めたように大仰に溜め息をついて、左手でタカマの右手を握った。


「絶対にこの手を離さないで。それから眼も開けないように。迷子になるよ」

「眼を開けないでどうやってものを見る」

「心の眼で」


 無理だ、とは言わず、


「……やってみよう」

「じゃ、おいで」


 ハルトオはタカマを誘い、大楠のすぐ傍へといった。空いているほうの手を添え、幹に額をくっつける。


「タカマも真似てくれ。呼吸と鼓動を私に重ねるように落ち着かせるんだ」


 はじめ、タカマの動悸が激しくなかなか合わなかったが、次第におさまって、しばらく経つと二人の息がぴったりと重なった。

 その瞬間をハルトオは逃さなかった。


「姿なき神に申し上げます。我が名はハルトオ。マドカ・ツミドカ・クジ神とチャギの娘サイ、及び当時の里長の息子クラヒについて詳しく知りたいのです。もしなにかご存じであれば、どうか教えていただけませんでしょうか」


 名乗りを上げ、用向きを伝え、息を細めてじっと待つ。

 だが反応はなにもなく、失敗か、と思われたそのとき――突然、もっていかれた。

 身体から精神体がずるっと引き摺り出され、足の爪先から糸の如く細い、光る尾を引いたまま、大楠の内側をなぞるように昇ってゆく。

 白濁とした道なき道、時折、強い光が弾ける空間を、ゆるやかにひたすらに上昇していくと、やがて、周囲に画が投影されはじめた。

 それは万華鏡のように、くるくると、映像を切り替えていく。

 視点は定まっているものの、時間の経過が順不同のようで、色々の場面が展開されていく様を懸命に追っても、正しく理解に及ぶのは至難の技だった。


 わかったことと言えば、在りし日のサイとクラヒの容姿、そしてマドカ・ツミドカ・クジ神が祟り神となる前の、ひとの形を模した姿だ。

 サイは小柄で、長い黒髪を頭のてっぺんで結った、眼の大きい、頬のふくよかな、愛嬌のある優しい顔だった。

 クラヒは上背があり、腕力と脚力の自信にみちた身体つきの、それでいて顔は細面、繊細そうな糸目の男だった。

 マドカ・ツミドカ・クジ神は、中肉中背、黄髪に碧眼、白い肌、とおよそ目立つ外見に無愛想で不器用、口下手なようだった。

 そしてシュリに聞かされた口伝に反して、三人とも仲が良かった。里人とも関係は良好のようで、切れ切れに映る交流の様子に、不穏な影などは見当たらなかった。

 一変したのは、嵐の夜だった。

 闇の中、黒い空に白い雷光が幾重にも閃く。

 当時より既に神木であった大楠の根元、無数の矢を浴びてうつ伏せに斃れたサイと、腹部に山刀がめり込んだまま仰向けに死んでいるクラヒ。泣き叫ぶ小さな娘。そして、憤怒と憎悪と嘆きに歪んだ形相で叫ぶ、片腕のないマドカ・ツミドカ・クジ神。

 対峙する、狂気に憑かれた眼の多勢に無勢の武装した里人衆。

 少し離れたところから見つめる、神事のための白装束を纏った若い女。

 最後に見た場面は、付け根より切断されたマドカ・ツミドカ・クジ神の腕を胸に抱きかかえて、転がるように逃げ去る、壮年の男の気のふれた嗤い顔だった。


 直後、引き込まれたときと同様、急に一気に戻される。

 その反動は強烈で、ハルトオはどうにか持ちこたえたが、タカマはその場に意識不明で失神した。息がない。ハルトオはすぐさま気道を確保して人工呼吸をした。五度目に、ようやく息を吹き返す。だが、次に痙攣を引き起こし、びくびくと腰が跳ねた。心臓は破裂寸前まで膨張し、大きく速く脈打つ。顔色も青紫から白く冷め、また青紫に変化する。

 ハルトオは決死の呼びかけを続けた。タカマの呼吸が徐々に細くなり、死相が深まっていく。


「だめだ、戻ってこい、タカマ」


 手を掴む。渾身の力を込めて握りしめる。


「生きろ、お願いだ、死なないでくれ」


 祈りも空しく、容体が悪化の一途を急速に辿っていく。抜けた精神体が肉体とうまく結合していないのだ。

 このままでは――。

 ハルトオは泣きながらタカマの名を叫び続けた。

 いつのまにか現れたソウガの手が、ハルトオの肩に優しくおかれた。


「タカマが死んでしまう」

「助けたいのか」

「助けたい」

「命を操作できる術はない。だが、そちの思いを届ける手伝いくらいはできよう」


 ソウガはハルトオの手に手を重ね、優しく包んで、そのままタカマの胸の真ん中にそっと押しあてた。


「声の言葉でなく、心の言葉で呼ぶがよい」


 ハルトオは頷いて、乱れた呼吸を整える。手から伝わるソウガの温かさが支えになった。


 タカマ。


 ハルトオは瞼を閉じ、一切の雑音を排除して集中した。


 タカマ、戻れ。

 死ぬな。

 生きてほしい。

 生きてほしいんだ。

 私のもとに、戻れ、タカマ。


 全身全霊をもって解き放ったハルトオの叫びが、黄泉路を覗きこんでいたタカマを貫いた。その刹那、ほんの僅かに身体より浮いていたタカマの精神体が、有無を言わせぬ勢いで、押し込められる。

 ややあって、タカマの頬に赤味が差し、心音も平常となり、痙攣もおさまった。ハルトオが真剣に息をひそめて見守る中、薄く眼が開き、瞼がゆっくりと持ち上がった。


「よかった」


 思わず、ハルトオはタカマの胸に突っ伏した。


「どうした」


 億劫そうに声を絞り出し、ハルトオの頭をためらいがちな手つきで撫ぜる。


「泣くな」

「泣くか、ばか」

「さがれ……危ない」


 警告に、はっとなる。

 瀕死のタカマにばかり気を取られていたが、いま感じるこれは、まぎれもない殺気だ。

 振り向いた先に、守長ワセイ以下、チャギの守衛が包囲を完了していた。弓に矢をつがえ、狙いをこちらに定めている。

 咄嗟に、ハルトオはタカマの前に身を投げ出し、手をひろげた。


「……阿呆、退け。逆だろう、俺が庇われてどうする」


 ハルトオは退かなかった。

 暗雲が立ち込める。

 陽が陰り、凍った風が吹き荒ぶ。気温がぐっと下がる。そして雪がちらつきはじめた。

 音もなく、ソウガとフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神がハルトオの前に並び立つ。

 ソウガは容姿に相応しく、黒い着物に黒帯、黒の履物、黒い宝石を身につけていた。華やかで寡黙な美貌は、いつにも増して厳しい。

 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は気がつけばソウガの傍に控えていた。こちらの恰好はさきほどと同じく、ただ顔つきだけが異なり、冷淡で高圧的だった。

 神の威嚇に、さしものワセイもやや怯む。

 神が相手ではあまりにも分が悪い、と逡巡し、どうするかと判断をつけかねていたところへ、思わぬ者から待ったがかかる。


「なにもしないでください」


 ハルトオだった。


「こちらからは、なにもしないで」


 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神が無言で不満げな一瞥を流す。ハルトオはかぶりを振った。


「向こうにはカジャがいるんです。こちらからなにかして、とりかえしのつかないことになったら困ります」

「賢明ですね」


 チャギの守衛の列が整然と横に分かれる。ゆっくりと姿を現したのは、白の祈祷装束を纏った聴き神男アケノだった。

 そして、


「ハルトオ――」


 舌足らずの喚声と共に、前方に腕を伸ばした恰好で、カジャが全速力で駆けてくる。

 赤い絹の面をつけ、金の刺繍をあしらった赤い着物に赤い帯、赤い手袋とわらじの草履は特注だろう。髪はきちんと二つに結われ、赤い椿の飾りが可愛らしい。


「カジャ」

「ハルトオ、ハルトオ、ハルトオ」


 抱きあげると、首にしがみついて泣きじゃくった。ハルトオもきつく抱きしめた。

 また一段と軽くなった。


「怪我は治ったんだね」

「うん、カジャ、元気」

「よかった」


 ハルトオは布越しにカジャに頬ずりした。


「よかった……」


 アケノが微笑む。


「お約束通り、カジャ殿の怪我がよくなりましたので、お返しします」

「ありがとうございます」

「はい」

「ですが、これはどういうことですか」

「どう、とは」

「なぜ私たちが命を狙われなければならないのです」

「だって、見たのでしょう」


 アケノの微笑が深まる。だが、その眼は笑っていない。光のない瞳孔、闇の深淵を覗いたかのような双眸は、まともではなかった。


「あなたがたは知りすぎた」


 丁寧で落ち着いた口調とは裏腹に、目の前の男は変質していった。地味で目立たず、華奢でひとの善い男から、チャギの黒幕足りうる、歴史の暗黒面を担う恐ろしい存在の男へと。


「この里のことに首を突っ込みすぎたのですよ。神木の内でなにを見たにせよ、口外はしてほしくない」

「私たちをどうするつもりです」

「親切に教えて差し上げる気はありません」


 アケノは片手を持ち上げた。

 一斉に弓が引かれ、再び臨戦態勢となる。


「おとなしくなど、捕まりませんよ」

「それはどうでしょうね」


 機先を制される。


「カジャ、来なさい」

「え」


 呼ばれて、カジャはハルトオの腕を振り切って、アケノのもとへと取って返した。


「カジャ」


 カジャはアケノの足にしがみついて、ハルトオに呼ばれても振り返らなかった。


「カジャ――どうして」

「ね」


 アケノが朗らかに、勝ち誇ったように、せせら笑う。


「おとなしく捕まる気になりましたか」


 ハルトオはカジャに無視された衝撃のあまり、呆然とした。言葉もなにも出てこない。再会の喜びを味わったのは、ほんのついさっきのことではないか。

 降参の旗を振ったのは、タカマだった。


「わかった、好きにしろ」


 アケノの眼が狡猾に閃く。赤い袖が口元にあてられる。にこやかに、愛想よく、アケノは言った。


「では、神々は一旦お引き取りください。なに、ご心配なく。僕も名のある神々を敵に回し、不興を被り、祟りを受けたくはないので、ハルトオ殿にひどいことは致しません。一時的に身柄をお預かりするだけですよ。ことが済むまで、ね」


 かくて、ハルトオ、タカマの二人は囚われの身となった。

 マドカ・ツミドカ・クジ神が月の眠りより解放されるまで、残るは六日である。



 無宗教ですが、家は神道の家系。そのためか――関係ないかもしれませんが、八百万の神、自然に神々が宿る、そういう観念めいたものがちびのころからあったような気がします。特に、山や、千年を超えた大樹には、畏敬の念を抱きます。


 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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