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神は祟る  作者: 安芸
第三章 神と人間
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回想

 ハルトオとソウガの出会いです。

 

「そなたは正気ですか」


 里長レンゲは顎をひいて、指先まで揃えた正座の手本の如く姿勢を崩さず、ハルトオをまじまじと見やった。


「はい」

「いいえ、正気であるはずがない。相手は九文字名の祟り神ですよ。ひとの力でどうこうできる相手ではありません。そなたがどれほど優秀な聴き神女であろうとも、神の祟り落としなど、試みるだけ無謀です。祟り返しに遭うのが落ちというものです」

「気をつけます」

「気をつけたところでなにになります」


 レンゲは声を荒げた。


「そなたも存じておろう。神々は名に負う力がすべて。一文字名の神はニ文字名の神に、二文字名の神は三文字名の神に絶対にかなわぬ。九文字名の神をうち負かすには、十文字名以上の神の力を必要とするのですよ。どこの世界に二桁文字名の神を召喚できる聴き神女がいるというのです。よしんばそなたにその力があったとしても、召喚した十文字名の神を帰せるとは思えぬ。下手をすれば、十文字名の神による新たな祟りを招くことになるでしょう。そなたの言っていることは、無茶の極みです」

「うち負かすわけではなく、祟りを落とすのです。さすがに神殺しの汚名は着たくありませんので、それが私にできる最善の策だと思います」

「……そなたはおかしい。祟り神とは気のふれた、力の制御なき神のこと。言葉も心も意志の通じぬ相手になにをしようと無駄なことです」

「無駄かどうかはやってみなければわかりません」


 ハルトオは退かなかった。深々と頭を下げて折り目正しく願い出る。


「すべては私の責任において成すこと。どうか猶予をください。次の下限の月までで結構です。それまで、私たちに一切の自由をいただきたいのです。そして成功した暁には、私とタカマとカジャの身柄を解放してください」

「無茶です」

「どうかお願いします」

「……面を上げなさい」


 レンゲとハルトオは見つめあった。互いの瞳の中に互いの姿が映っている。

 なんと美しい娘か、とレンゲはひそかに感嘆した。内から滲み出る資質は、かくも自然体で無理がない。気負ったところがなく、磨かれた珠のように丸みを帯びている。

 聞いた話では、苦労の連続で、ひとの情にはあまり縁のない寂しい人生を送ってきたらしいが、それでいて、ひねくれたところがない。心根が荒んでもいないし、他者を労わり、自分のためではなく怒りを覚える心がある。

 神憑きの娘。

 神に見出された、愛でられし者。

 レンゲは鼻に皺を寄せ、眼をぎゅっと一旦細めて渋面をつくった。それから天井を仰ぎ、ふーっと嘆息する。瞼を瞑る。開ける。


「……そなたはマドカ・ツミドカ・クジ神の暴走を止めました。いかなる方法にせよ、その功績を認めるものとします。よいでしょう。次の下限の月までの間、そなたの好きになさい。但し、カジャ殿はいままで通りツバナ殿とアケノ殿の預かりとします」

「私にはカジャが必要です」

「悪いようにはしません」

「その言葉、信じます。よろしくお願いします。それから、里の皆様方にもぜひ協力していただきたいのです。私は、この伝承の真実を知りたい。シュリ殿より聞いたところでは、各家に伝えられている口伝があるとのこと。ぜひ、そのすべてを聴いてみたい。どうか、お力添えくださいませんか」


レンゲは疲れたように肩を落として首肯した。


「わかりました。私の名において取り計らいましょう」


ハルトオは篤く礼を言って下がった。



 アケノの家を出ると、既に外は暗かった。


「どうりで腹が空くわけだ」


 と帰途の道すがらタカマが空腹を訴える。


「暗くなるのが早くなったね」

「角灯を借りてきてよかったな」


 軽く雑談を交わしながら、ハルトオとタカマは肩を並べて歩いた。

 藍色の闇が天空を覆い、黄色い月が雲間に見え隠れする。呼気が白い。タカマはハルトオを気遣って自分の肩かけを寄こしたが、ハルトオは「大丈夫だ」とこれを断った。だが「女は身体を冷やすな」と強引に押しつけられる。


「ふふ。タカマは優しいな」

「冷やかすな」


 笑ってハルトオはこれを羽織り、闇路に灯る家々の灯りを眺めた。煙突から立ちのぼる煙。夕餉の匂い。だが、静かだ。談笑らしきものがほとんどない、ひとがいるのに、いないような、もの寂しさが漂っている。


「ひとりで行くなよ」

「なんの話だい」

「口伝に決まっている。聴きに個々の家を訪ねるのだろう。それはわかったが、単独ではだめだ。必ず俺を連れて行けよ」

「どうして」


 ぱちくりすると、タカマは拳でハルトオの額を小突いた。


「だからあなたは危機感が足りないと言うのだ。どうしてもこうしてもあるか。男の家に女がひとりで上がるんじゃない」

「……わかったよ。本当にあなたは心配性だなあ」

「違う。あなたが呑気すぎるのだ」


 喧々囂々とやり合いながら、仮宿としている家の近くまで来たとき、ハルトオは不意に足を止め、斜め後ろを振り返った。

 井戸の傍、(くすのき)の下。

 なにも言わず、ハルトオはタカマを置いてそちらに小走りにいった。


「ソウガ」


 名を呟くと闇から輪郭がおぼろに現れる。

 楠に腕を組んだ姿勢で寄りかかり、少し顎をひいている。闇に沈んでいるので、陰影の射さない美貌は表情までは読み取れない。


「なにをしているのです」


 ハルトオが訊ねると、ソウガがクスッと笑う気配がした。


「……なにか可笑しいですか」

「いや。ただ、そちとはじめて会ったときを思い出したのだ」


 ハルトオは悔しげに唇を噛んで俯いた。


「憶えていません」

「いまとまったく同じことを申したぞ」

「あ、あの、よければ話していただけませんか。聴きたいです」


 闇よりも深い瞳の凝視を浴びる。

 ハルトオは、てっきり拒まれるものと思っていた。だが予想に反して、ソウガは「よかろう」と言った。

 そしておもむろに話しはじめた。


 十八年前――。

 ハルトオは五つで、元気闊達、よく喋り、よく笑い、よく泣く、好奇心旺盛な童子だった。

 その夜は村の夏祭りの最終日で、総出で近くの小川にて、ホタル狩りを楽しんでいた。せせらぎに先祖の魂を黄泉路へ送り出すための灯篭を流し、手に色とりどりの飾り角灯を下げて、男も女も白い着物と髪飾りを身につける。

 月が円く耀き、星が降り、虫の音が涼を呼び、風は爽やかな夏の宵。

 ハルトオは角灯を片手に、首からは紐で吊った虫かごを下げた。シロツメクサの揺れる川辺を走り回り、つんのめって、ばったり倒れる。その眼の先に、可憐な白い花冠の下に、小さな影を見出した。


「なにしてるの」


 影は答えるつもりはなかった。

 だが影の無視にもめげず、ハルトオの手が無造作に伸びて影をギュッと掴んだ。


「さわれないねぇ」


 掌をひらき、がっかりして、草の上に顎をのせて額を影にくっつける。そしてもう一度繰り返す。


「なにしてるの」

「なにも」


 今度は影も応えた。


「どうしてこんなところに隠れているの。踏まれちゃうよ。踏まれたら痛いよ」


 影はまた黙った。


「寂しそう」


 ハルトオは影を撫でるしぐさをした。


「ハルトオと遊ぼう。あのね、ひとりは寂しいの。寂しいのはだめなの。ハルトオとあっちいこう。ホタルきれいだよ。あのね、カブトムシもとってあげる。あなた、お名前は」 

「そちが余の光となるか」

「いいよ」


 ハルトオは手に持っていた子供用の角灯をずいと差し出した。


「あなたにあげる。中の蝋燭に火がつくと赤くてきれいなんだよ」


 噛み合わない会話だが、不思議に場が和んだ。無邪気さと、優しさ、実直さ、温かさ。どれも影には馴染みなく、縁遠いものだった。

 光。

 闇を、影を、照らすもの。

 このとき、影の口を割らせたものはいったいなんだったのか。

 影はハルトオにしか聞こえぬ声で囁かに名を告げ、ハルトオはにっこりして復唱した。


「そうが」


 呼びかけに応じて影はひとの形をとった。そして幼きハルトオの前に跪いて言った。


「そちに余の名を与えよう。いまより余はそちのものだ」



 話を聞き終え、ハルトオは愕然とした。


「に、握り潰した、のですか、私があなたを」

「余をあのように扱ったのは後にも先にもそちだけだ」

「す、すみません……」

「だが……余をまったく恐れなかったのもそちだけだ」


 言い知れぬ孤独にみちた独白に、ハルトオは柳眉を逆立てて反論した。


「他の神々はともかく、あなたを恐ろしく思ったことなど一度もありません」

「そうか」

「そうです」


 ハルトオはその先を言いかけて、やめた。

 あなたを失うことだけが心底恐ろしい、と言ったら最後、現実のものとなりそうだ。

 ソウガが優雅に身を起こす。


「寒くないか」

「寒くないです。だってあなた、私のまわりだけ空気を暖めているでしょう。道理で私だけ薄着でも平気だと思いました。贔屓はやめてください。私だけズルをしている気分です」

「では代わりに余が暖めよう」


 ソウガの腕がやや強引にハルトオを抱き寄せる。そのまま、しばらく無言で二人は夜風にあたっていた。


「マドカ・ツミドカ・クジと戦うのか」

「戦うわけではありません。祟り落としをするのです」

「南へ急ぐのではなかったのか」

「仕方ありません。このまま放ってはおけないのです」

「なぜ」

「さあ……なぜでしょう。でも、神々の苦しみは見過ごせないんです。私でなにかできるのであれば、なんでもしたいのです。昔、神々が私にしてくださったように……」


 不意に、ソウガの面が陰った。


「また、余は無用か」

「傍にいてください」


 縋るような声になってしまった、といくぶん動揺しながらも、自分を鼓舞して、ハルトオは一番肝心なことを伝えた。


「あなたは不満かも知れませんが、私はそれで十分なのです」

「そうか」


 ハルトオは顔を伏せたまま、ソウガの胸を突いて離れた。甘い花の香りが漂う。気恥ずかしさのあまり動転してしまい、どうでもいいことを口走ってしまう。


「あ、甘酒はいかがでしたか」

「旨かった」

「よかった。ではまた作りますね」

「ハルトオ」


 骨まで痺れるような深い声色に抗えず、顔を持ち上げる。


「ゆめゆめ、油断するな。マドカ・ツミドカ・クジの悲しみは深いぞ」


 警告を唇にのせ、姿を闇に紛らわせる。

 冬の木枯らしがソウガの残り香を孕んで過ぎ去った。




 二話連続掲載です。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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