二者択一
物語は地味ですが、確実に進んでいます。
この物語の小話は長めなので、どうぞしおり機能を活用して下さい。
シュリに呼ばれ、護衛と称した見張りに前後左右を挟まれて、ハルトオとタカマは身支度を整えたあと家を出た。
外は既に陽が昇っていた。今朝はあいにくの曇りで、空はどんよりと薄暗く、空気も少し湿っている。
里のあちこちで雌鶏が放し飼いにされ、コッコッコッと鳴きながら雑穀を啄んでいる。
ハルトオらは里を過ぎった。早朝から薪割りや剪定、補修など、口数少なく動く男衆たちの視線は、すべてハルトオに向けられる。熱く静かに見つめられる。
「この里は活気がない」
「女子供がいないからだよ」
「なんだか寂しいな。閑散としている」
「そうだね……」
二人はうらびれた里の様子を横目にしつつ、聴き神男アケノの住まいへと案内された。
通された場所は寝間だった。
はじめに到着を告げたシュリが入室し、ついでタカマ、ハルトオの順で中に入る。そこには予想通りの顔ぶれが、ほぼ揃っていた。
ハルトオは黙って下座に正座をしながら、物珍しそうにあちこちを見た。欄間に牡丹細工、掛け軸は紅梅とうぐいす、柱に下げられた一輪挿しには白い椿が活けられている。きちんと整頓された室の中央に蒲団が敷かれ、枕もとに手桶と水差しと茶碗を用意し、聴き神男アケノは床に横になっていた。
アケノは鎮めの儀式が不首尾に終わった際の波動の煽りを受けて、空中に巻き上げられ、落下した。さいわい骨折と打撲で済み、命に別条はなかったものの、それでも完治まで数カ月はかかると診断された。
「このような見苦しいなりで申しわけありません」
アケノはひとの善さそうな顔の、ひょろ長い男だった。色白で、華奢、上背はあったが肩幅は狭い。加えて髪や眼の色素が薄い茶で、声もやや高いため、聴き神男という特異な役職についていながら、迫力を欠いていた。
どことなくツバナに似ている。
眼が合うと、会釈された。ハルトオも会釈を返す。
「失礼します」
と断って、引き戸が開いた。山刀を腰帯に差した、目つきの悪い四人の守衛が次々と大股で入って来て、室の四隅に陣を取る。
他に同席しているのは四人。里長レンゲ、守長ワセイ、聴き神女ツバナ、それにシュリだ。相談役ダダクと最長老シモンの姿が見当たらない。気になってレンゲに問うと、レンゲは厳しい表情で告げた。
「最長老は亡くなられました。ダダクは頭を打って意識不明の昏睡状態。もし眼が覚めたら、それは奇跡でしょうね」
「亡くなられた……」
苦しげな青白い顔でアケノが頷き、ハルトオをじっと見つめた。
「鎮めの儀式は失敗です」
すかさずタカマが横から反発する。
「俺たちの責任だと、そう言いたいのか」
「いいえ。失敗の要因はこちらにあります」
「説明していただけるのですか」
ハルトオの追及にアケノは渋面をつくったものの、頷いた。
「お望みでしたら」
「聞かせてください」
アケノはもう一度頷いた。
「わかりました。ですがまず、僕の用件を聞いていただかなくては」
「伺います」
背筋を伸ばし、胸を張り、両腿の上に軽く握った拳をのせて、姿勢を正すハルトオを見るアケノの眼が据わった。凛として、口調までも改まる。
「あなたがたは神と会われましたか」
「はい」
「どんな御姿でしたか」
「黒い大蛇神です」
ハルトオの澱みない返答に、だがアケノは衝撃を隠せない様子で、絶望的な溜め息をついた。
「……どうやら本当にあなたがたは神の御姿を目撃されたようですね」
ハルトオのすぐ脇で、タカマが身動ぎした。場の空気が、いまや不穏なものになりつつあった。全員の視線が厳めしく、重く、寒々しいものに変わっている。
「……神を見たからといってどうだと言うのです。神々はどこにでも坐わすでしょう」
異議を唱えたのは、もうひとりの聴き神女ツバナだった。
アケノの枕元に置かれた、藤で編んだ低い腰かけに座していたツバナは、断固たる面持ちで言った。
「マドカ・ツミドカ・クジ神は特別です」
更にワセイが加勢する。
「そうだ。我らの神を見た余所者を生かしておくわけにはいかない」
「なんだと」
「動くな」
ワセイの合図で、四人の守衛が一斉に間合いを詰めてきた。同時にタカマはハルトオを強引に引き寄せ、壁に押しつけ、背に庇う。そこへ山刀の鞘を払い、荒事に慣れた風の男たちが迫り、白刃を突きつけられた。
ここで、静観していた里長レンゲが言った。
「掟により、そなたたち二人には罰を負ってもらいます」
「掟の内容は」と、怯まずにタカマ。
「禁足地への立ち入りならず。神を起こすことならず。神を見てはならず。神と接触してはならず。神を語ること許されず。余所者にあっては、どの罪を犯しても里を出ることまかりなりません」
堰を切ったように床の中でアケノが叫ぶ。
「ですから、この里の問題は里の者で解決すると、余所者であるあなたが絡んではならないと、そう申したでしょう。僕は一度庇いました。シュリに言って、儀式が終わるまでは家から出ないようにと忠告もしました。なぜきいてくださらなかったのです」
ハルトオはタカマの背を両手で押した。が、動かない。
「ちょっと、タカマ、そこを退いてくれ」
「だめだ。じっとしていろ」
「……あなたも強情だなあ。いいから退け。退かないと蹴る」
タカマは嫌な顔をして肩越しにハルトオを一瞥した。
「……女が男を蹴るとか言うな。はしたない」
「うるさいな」
ハルトオはタカマを押しやった。向けられる山刀の刃には眼もくれず、床に拳をついて頭を低く垂れた。
「レンゲ殿にお訊きしたい。罰とはなんです」
「ひとつには、神への供物へとなっていただきます」
「人身御供か」
「もうひとつには、眼を潰し、舌を切断、咽喉を潰した上でならば、退去を許します。但し迷惑料をも払っていただきます」
「二者択一ですか」
「そうです」
「どちらもごめんだ」
タカマが率直に拒絶を言にする。
「だいたい、あの窮地を救ったのはハルトオだろう。感謝されても、罰せられるいわれはないと思うのだがね」
そこへワセイが鋭く口を挟む。
「それはそれ、これはこれだ。おまえたちが里の掟を破ったことは間違いない。それ即ち、罪人だ。相応の罰を受けるか、或いはいまこの場での死か。我らが神に無礼をはたらいた罪は、万死に値する。あんたは神憑きで、聴き神女で、きれいな女だが、あんただけ見逃すわけにはいかない。里の掟は絶対だ。ずっと、長い間そうして来たんだ。例外は作っちゃならねぇ」
悲痛で切実な眼にはやりきれない思いが満ちていた。おそらく、里の守長として、意にそぐわない処断を下さねばならない機会も多かったのだろう。
ハルトオにはそれがわかった。ワセイもまた、己の務めに生きる男だ。
「どちらか選ぶ前に、なぜ儀式が失敗したのか、教えていただけませんか」
訊ねた途端、しん、となる。
静寂を破ったのは、儀式の途中で倒れたツバナ本人だった。
「それは……」
言いかけて、急に口元を押さえた。慌ててアケノが枕元にあった手桶を差し出すよう、ワセイに指示する。間に合わなかった。ツバナは吐いた。吐瀉物が床を汚す。
「大丈夫か」と、ワセイ。
「……少し胸がむかつくだけです」
「最近食が細くなっているだろう。どこか悪いのではないのか」
「……身籠っておられるのでは、ないですか」
直観的なハルトオの一言で、全員の視線が一点集中し、皆のまなざしの先でツバナはごまかしもせず、言い逃れも、いいわけもなく、顔を背けた。
ハルトオはすっと立った。
「誰か、座椅子と足置き台を用意してください。それから暖かい掛けものをたくさんと火鉢も二つくらい増やすように。早く」
無造作に踏み込んで、守衛を邪魔だと言わんばかりに追っ払う。ツバナのもとへいって首に巻いていた手拭いを使い、吐瀉物の後始末をする。それからいったん手を洗うため席を外し、すぐ戻ると、用意された座椅子にゆっくりとツバナを腰掛けさせ、背凭れに寄りかからせた。足置き台に足を伸ばさせ、次に水差しを取り、茶碗に水を注ぎ、口元に運ぶ。
「口の中が気持ち悪いでしょう。すすいでください」
ツバナはおとなしく従い、ハルトオは額にびっしりと浮かんだ脂汗を拭いてやった。
「身体は冷やしてはいけません。他になにかしてほしいことはありますか」
「いいえ……ありがとう」
「つわりはいつから」
「最近よ」
「……よく母子ともご無事でしたね。あの儀式のとき、ひどい目に遭いはしなかったのですか」
「ワセイ殿が庇ってくれました」
「それは不幸中の幸いでしたが、でも無茶ですよ。そんな身重の身体で神事など、下手すれば母子共に命に係わる危険です」
「無茶は承知でした。儀式が失敗したのは私のせいです。神を封じるための祝詞を負とするなら、誕生に向かう新しい命の力は正……抑え込もうとする力と弾けようとする力、二つの力がぶつかったとき、神が覚醒するのを感じました。そしてあのようなことに……最長老の死は私に非があります。遠からず、この責めを負いましょう。これで、納得していただけましたか」
「いいえ」
ハルトオは険しい形相で食い下がった。
「赤ん坊に悪影響が出るともしれないとは、考えなかったのですか。命が危うかったのですよ。もっと他の選択はなかったのですか」
ツバナは虚ろな笑みを浮かべた。
返ってきた言葉は、思いもよらないものだった。
「赤ん坊など、欲しくはありません」
ざわめきがひろがる。
固唾をのんで二人の会話を静観していた里人らの間に動揺が奔る。
ツバナは抑揚のない声で更に続けた。
「この子は、おそらく女の子です。わかるのです。だったら尚更産みたくない。私と同じ運命を辿らせるくらいなら、いっそいまのうちに流れてしまったほうがよいのです」
「だめです、そんな言葉を言ってはいけません。あなたの胎の中で赤ん坊が聞いています」
ツバナは日頃滅多にあらわにしない怒りの感情を迸らせた。
「知ったような口を聞いて。あなたになにがわかるというのです。この里では、女はただ子供を殖やすだけの存在にすぎません。逃げることも死ぬことも許されず、足の腱を切られ、軟禁され、監視され、孕ませられ続ける。それがどんなに屈辱で苦痛か、わかりますか。死ぬよりも辛い生となるでしょう。そんなことを娘に強いたくはない。私はもう二度と、決して、女の子は産みません」
「それは困る」
水を打ったような静けさの中で、ワセイは唖然呆然のままツバナの手を握り、口走っていた。
「俺は困る」
ツバナはワセイの手を払い除けた。やつれた横顔は、いまにも事切れそうなほど、白い。
場は困窮を極めていた。
余所者を糾弾し、責任を追及、処罰を与えるはずだった会見が、里の暗部の一部を白日の下に曝け出す結果となってしまった。
誰も余計な口をきけず、とりなすにもきっかけがない中、ハルトオはそっとツバナの傍を離れ、里長レンゲの前にゆっくりと正座した。
「掟破りの罪の罰の件ですが、タカマと同じく、私もどちらもいやです」
「それでは道理が通りません」
「なにもしないと申しているわけではありません」
「なにをするというのです」
「祟り落としを」
皆が絶句する中、ハルトオは落ち着いた声音で、繰り返し述べた。
「マドカ・ツミドカ・クジ神の祟り落としを行います」
ハルトオの巫女装束は似合いそうです。
聴き神女は一応、巫女属性です。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。