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神は祟る  作者: 安芸
第三章 神と人間
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時の狭間

 ハルトオの過去のお話です。

 

 ハルトオは夢を見ていた。

 それが夢だと知れたのは、自分の姿が十三歳のときのままだったためだ。

 あの日――キ山の噴火で村が埋まり、両親を失い、家を失い、美の神の仕業により自分の顔まで失った災厄の夜が明けたあと、待っていたのは過酷な現実だった。

 はじめの絶望は自分の姿に対してだった。

 明け方に降った雨でできた水溜りに映した自分の顔に絶叫した。大人の顔。とてもきれいだけれど、十三歳の身体には釣り合いのとれないことこの上ない。

 湧き上がる嫌悪に総毛立ち、肌を掻き毟らずにはいられなかった。

 二度目の絶望は世間に対してだった。

 顔がすり替えられたと言っても信じてもらえず、交流のあった人たちの誰もまともに話さえ聞いてくれず、多くは、「祟り憑きめ」と石や物を投げられて、追い払われた。散々傷めつけられ、殺されそうになったときもある。

 三度目の絶望は神に対してだった。

 見習い聴き神女として才を見出された幼少の(みぎり)より、神に仕えてきた。敬い、祈り、奉り、守ってきた。真面目に努めてきたのに、この仕打ちとは理不尽極まりない。あまりにも無慈悲で残酷だ。

 そして四度目の絶望は自身に対してだった。

 いまのこの現状は、そもそもの起因は自分にあった。あの日、あのとき、なぜ気がつかなかったのか。神々がいっぺんに姿を消したこと、禍の前兆があったこと、少し注意をすれば気づけていたはず、皆、誰も死なずに逃げられたかもしれない。

 独りだった。

 悲しみすぎて既に感覚が麻痺し、心は虚ろ、身体はあらゆる暴力の犠牲に遭い、あちこち砕け、折れ曲がり、血を流していた。

 とうとう動けなくなって、街道の道端にうつ伏せに倒れた。行き交う人々の大半は無視、或いは唾棄し、親切を試みようと近づいた者も中にはいたが、顔を見るなり脱兎の如く逃げだした。

 お母さんに会いたい。

 お父さんに会いたい。

 絶望と孤独の淵でハルトオは願った。大粒の涙が眼に浮かび、つ、と頬を滑った。

 ふっと、顔に影がかかった。半分瞑った眼に見えるのは、なめした皮の靴の先だけ。深い響きのよく通る声が、上から聞こえた。


「いつまで余を呼ばぬ」


 ハルトオは返事をするのも億劫で、そのまま瞼を閉じた。

 だが神はハルトオが眠りにつくのを許さなかった。膝をつき、長い指で顎をしゃくる。


「……どうして私を助けたの」

「余はそちのものでそちは余のものゆえ」


 不意に、涙腺が決壊した。

「お母さんに会いたい」 


 ハルトオは泣きじゃくった。


「お父さんに会いたい」

「ならぬ。そちを黄泉になど行かせぬ。誰にもどこにもやらぬ。そちは余の妃となるのだ」


 ハルトオは泣き続けた。

 神は憤った顔で困った。

 どうしても泣きやまないハルトオを、神は抱き寄せた。腕に優しく包み、肩にハルトオの頭をのせる。おずおずと、髪を梳く。


「余がおる」 


 神の声は慈しみにみちていた。 


「余はそちに憑いておる。名も預けただろう」

「名前……」

「なにゆえ呼ばぬ。よもや余では力不足と、申すのではなかろうな」


 神は抱きすくめたハルトオの身体をやや離して、瞳を覗き込んだ。

 あとから憶い出してみても、そのときの神の拗ねたような不満そうな顔は印象的だった。ゆらっと瞳に揺れた一片の焦燥とも嫉妬ともつかぬ陰りは、神をひどく人間的に見せた。


「ソウガ」

「なんだ」

「連れて行って」

「どこへ」

「人間がいないところ」

「よかろう」


 かくて、ハルトオは大陸の中央、神々の坐す国、オルハ・トルハへと運ばれた。


 ソウガはハルトオを抱えたまま天高く上昇し、ゆるい軌跡を描いて高速で移動した。

 雲を突っ切って着いた先は、眼下が紫と朱鷺色の輝く靄のようなものに閉ざされてよく見えない。周囲を確認する。巨大な茶と緑の大陸塊を見下ろしている。場所はほぼ真ん中。身震いしながらハルトオは訊ねた。


「ここはどこ」

「上空一千メグ。余の国の真上だ。ここから見えるは、東国タキ、西国ワキツ、南国ミササギ、北国ヒルヒミコ。オルハ・トルハはその中央にある」


 オルハ・トルハ――神国――十三文字名の神王黄輝神の神座があり、十文字名以上の十二の神王が統べる国。

 永久に花が枯れることのないという神王のための園庭、数多の神々が憩うという神泉、そして、神の国の門を叩き、扉を通り、訪れた人間との接見の間がある。


「オルハ・トルハに通じる門は四つ。そちはいずれかを選ばねばならない」


 ソウガは淡々と簡潔に説明した。


「東国タキにあるは第一の門、報復の門。他者に対し復讐を遂げたい者が通る。西国ワキツにあるは第二の門、公正の門。不平等を正したい、真偽を問いたい、正義を図りたい者が来る。南国ミササギにあるは第三の門、決別の門。縁を断ちたい、距離を置きたい、二度と会いまみえることのないことを願うならばこちらだ。北国ヒルヒミコにあるは第四の門、誓願の門。己の持つものと引き換えに、願いがかなえられる。いずれの門も、その資格がなければ開かれぬが、そちはどうする」

「……どれかを、選ばなきゃいけないの」

「ひとの身は、門を通らねば我らの国へ到ることかなわぬ。行くか、止めるか。そちが選べ」


 足元で、風が唸った。前髪が散らされる。

 ハルトオは考えた。だがまとまらなかった。色々なことがありすぎて、既に飽和状態だった。

 わかっていることは、ひとつだけ。


「……顔を、取り戻さなきゃ」 


 ハルトオは呟いた。


「お母さんとお父さんからもらった顔、私の顔……どこにあるの」

「余は答えられる」


 ソウガの顔が苦渋に歪む。


「そちは訊ねればよい」

「どうして訊かなきゃ教えてくれないの」

「訊かれもせぬのに、なにゆえ教える必要がある」

「じゃあ訊くわ。教えて、誰が私の顔とこの顔を取り換えたの」

「美の神ベニオ・タイシ・オウジュ。その顔は彼奴のもの。彼奴は余の不在時を見計らいそちに近づいた。行方は既に知れておる。そちが願えば余はそちの顔を奪還してこよう」

「だめ」


 咄嗟に口を衝いて出た拒絶の言葉に、ソウガだけでなく、ハルトオ自身も驚いた。


「だって……だってそれじゃあ私が取り返したことにならない。別に同じようなことが起きたとしてもソウガに頼ることになる。そんなのいや」

「余を頼るのが、なにゆえいやなのだ」


 むっとしてソウガは美貌を尖らせる。

 ハルトオは亡き村長にもらった腕輪の重みを感じながら言った。


「だって約束したもの。来年までに立派な大人になるって。大人っていうのは、自分のことが自分でできて、自分の行動に責任を持てることだって。だから、顔も自分で取り戻さなきゃ。いますぐは無理でも、ちゃんと自分の力で美の神様を捜して、顔を返してもらう」

「余に用はないということか」

「傍にいて」


 ぎゅっと、ハルトオはしがみついて言った。


「寂しいのはもういや。ひとりはいや。どこにもいかないで。私の傍にずっといて」

「それは既に約束しておる」


 ソウガの言葉にハルトオはふわっと顔を綻ばせた。そして西国ワキツを指差す。


「第二の門、公正の門を通る。神様に直談判して、美の神ベニオ・タイシ・オウジュ神に会う方法を教えてもらう」

「会ったとて素直にそちの言うことをきくとは思えんな。あれは強い」

「だったら対決できるくらい私も強くなる。ソウガ、力を貸して」

「存分に」


 愉快そうにソウガは微笑した。切れ長の美しい緑味を帯びた黒い瞳が甘く輝く。


「だがまず、そちの怪我が問題だ。余に治せと願うがいい。そうでなければ、門まで辿り着こうとも自力で歩けぬぞ」


 半信半疑で、ハルトオは怪我の治癒をソウガに頼んだ。すると、全身の痛みが瞬く間に失せた。驚きいった顔で口を横に結ぶハルトオをおかしそうに眺めて、ソウガは言った。


「では参ろう。少しの間、息を止めておけ」


 今度は急降下だった。

 西国ワキツにある第二の門、公正の門前に着く。

 名乗りを上げ、目的を告げるとハルトオの前に神国オルハ・トルハへの道は開かれた。

 それから二十歳になるまでの歳月を、神々と共に過ごすこととなる。



 顔の仕様に身体の成長が追いつくまでに七年を要した。

 その間、ハルトオは主に神泉にて過ごした。

 オルハ・トルハの神泉は想像していたほど大きくも深くもない泉だった。水は地底から湧くのではなく、天空の一点から絶え間なく注がれた。決して溢れることはなく、いつも一定量に保たれるこの泉には、常に多くの神々がたむろしていた。

 二文字名の下位の神から二桁の上位の神まで、寛ぎ、憩い、安穏とひとときを過ごす。

 周囲は樹齢数千年規模の巨木に囲われ、青々とした葉が決して散ることなく輝き、木陰はなんとも居心地がよい。

 金色の陽が射す淡い陽だまりの中、地面は多年草にやわらかく覆われ、土はあたたかく、風は爽やかに薫り、外気はほどよく温い。

 ハルトオはこの泉のほとりに放置された。

 傍にいると約束したソウガは姿を消した。代りに凄い数の神々に囲われた。姿も能力も系統もてんでまちまちな神々は、はじめ、場違いな存在であるハルトオをいびり倒そうとした。

 だがハルトオにうつったソウガの気配を嗅ぎ取って気を変え、次は各々いいように使い走りをさせた。

 

 一年目は神々の雑用に奔走し、あらゆる世話を焼き、面倒をみた。

 二年目は一口に神と言っても様々に異なるということを学習した。

 三年目は神々と口喧嘩し、仲直りをするまでの仲になった。

 四年目は神々のこと、付き合い方を学んだ。

 五年目は東西南北すべての言語を徹底的に教え込まれた。

 六年目は人間のこと、世界のことに眼を向けた。

 七年目は人間と神と、両者の結びつきについて考えはじめていた。

 

 煌めく太陽と白く照る月の下で、風の音色を聴き、土を褥に、ハルトオは成長した。

 そうしてオルハ・トルハに来てちょうど八年目の朝、薄い霧が立ち込める中、ここへ連れてこられて以来別れたきりのソウガが現れた。

 微塵も変わったところがない。八年前と同じ、ひいては出会ったときそのままだ。

 迎えに来たのだと、即座に察した。

 ずいぶん久しぶりの再会で、色々と文句もあった。だが、ソウガの静かな黒い双眸の前に、つまらない罵詈雑言のすべてが霧散した。

 この神は、傍にいた。

 眼に見えないところからずっと見守ってくれていた視線があって、いつも自然と助けられていたことを理解した。

 そして霧の向こう、ソウガの背後には、丸七年の間に知り合った神々の多くが整然と揃っていた。

 胸にこみ上げるものがあった。

 言葉を失い、立ち尽くすハルトオの前に、神々は一神ずつ歩を進め、名を名乗っては次と交代した。 最後にソウガがやってきた。


「傷は癒えたか」

「はい」

「行くか」

「いいえ」


 ハルトオは怪訝そうに眉根を寄せたソウガから一歩退いて、後ろを向いた。


「髪を切っていただけませんか」


 ソウガの怯む気配。


「お願いします」


 ソウガは諦めたように息を吐いて、空の刃をもってハルトオの髪を首の付け根からばっさりと切った。黒髪が風に舞いあがる。

 ハルトオはさばさばした表情で振り返り、ソウガを、そして他の神々を見渡した。


「これで神々に頼るだけの私とは決別です」


 と言って正座し、地に額を擦りつけた。


「いつか、ご恩返しをさせてください。私が神々の手によって癒され救われたように、私の手もまた神々のためになにかできればと思います。私はひとの世界に戻ります。やらなければならないことがあるのです。いままで本当にありがとうございました」


 涙が止まらなかった。溢れる涙もそのままに、ハルトオはオルハ・トルハをあとにした。

 そして来たときと同じ道を今度は逆に辿り、公正の門より出る。続く世界は西国ワキツ。

 ここから美の神ベニオ・タイシ・オウジュ神を捜す旅がはじまった。


 この物語は、神々の名前を憶えるのがメンドクサイですね。いっぱい出てくるしね……。


 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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