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神は祟る  作者: 安芸
第二章 非業の地
12/25

鎮めの儀式

 黒い大蛇神の復活です。

 


 ハルトオは身支度を終えて、室を出ようとそっと戸を開いた。

 ぎくりとした。

 タカマが待っていた。掛けものに包まり、胡坐をかいて柱に寄りかかっている。


「行くのか」

「いつからいた」

「そんなことはどうでもいい。もう一枚余分に着込め。寒いぞ」


 ハルトオは室に戻り、重ね着をした。タカマが立ち上がり、ハルトオの襟巻を正す。


「なぜわかった」

「俺だったら、ただ黙ってなどいられないからな。だが離れて見届けるだけだ。余計なお節介をするつもりはないし、あなたにもさせない。ここは彼らの土地だ、彼らの流儀に従うのが筋だ」

「そうだね。ところで、足はもう大丈夫なのかい。まだ痛むだろう」

「三日も安静にしていれば少しは良くなるさ。ただし、身体はまだ本調子じゃない。あなたが無理をしなければ俺も無理はしないが、あなたが無茶をすれば、必然、俺も無茶をする」

「要はおとなしくしていろ、と」

「そういうことだ。行こう、ぐずぐずしていると間に合わない」


 外は予想以上に冷え込んでいた。

 守衛のワセイがいない。おそらく、儀式の警護についているのだろう。代理の者がいたが、縁側から梯子を使い竹の囲い柵を越え、こっそりと外に出たため、気づかれなかった。

 里は深閑としていた。

 空には下限の月がかかり、煌々と白く照っている。星も瞬き、闇夜を照らす。ハルトオは夜眼が利くのをさいわいに思った。タカマの右手を掴み、先に立って歩く。滝壺までは距離がある。急がなければならない。

 里の入口には見張り番が二人いて、居眠りもせず、務めを果たしていた。ハルトオはちょっと考慮した末、二文字名の神を呼び、彼らの気を逸らすよう頼んだ。

 物陰に潜み、様子を窺っていると、枯れ木立に黄色い火の玉が飛び交った。見張り番二人は仰天し、押し問答の末、怖々と二人でそちらに見に行く。

 ハルトオとタカマはその隙に通り抜けた。


「カジャはどうしているだろう」


 不意にぽつりとハルトオが呟く。


「確かに心配だな」

「あの子、私がいないところでは泣かないんだ。もし離れ離れになっても必ず探し出すから、それまで泣かないで待っているように、って前に約束したことがあって……以来、それを守っている」

「強い子だ」

「うん。でも心細いだろうなと思って。早く顔を見たいな。安心させてやりたい」


 ハルトオはどんどん先をいった。足取りは確かで、道順にためらう気配はまるでない。加えて、普通ならば暗闇や闇に棲むものを恐れるものだが、そんなそぶりも一切ない。

 さすがに不自然だろうと思ってタカマが訊くと、返ってきた答えはひどく単純だった。


「ソウガが傍にいてくれる」

「……あなた憑きの美しい神か」

「姿は見せないことのほうが多いけどね。わかるんだ。いまも、どこからか見ていてくれる。それに、タカマもいるし」


 お世辞とみなして、タカマは素っ気なく、ややひねくれた物言いをした。


「は。四つも年下の俺では頼りになるまい」

「そんなことはないさ。会ってまだ日は浅いが、あなたが勇敢で高潔で優しいことは知っている。落ち着いたら、一度ゆっくりお互いのことを話し合いたいな」


 幽かな月光の下、肩越しに振り返り、微笑したハルトオをきれいだと、タカマは思った。途端に繋いだ手を意識してしまい、気恥ずかしく思ったものの、離さなかった。ハルトオの温もりが、身体の痛みを忘れさせた。

 山道を下ったところで、水音が近くなり、滝壺が見えてきた。

 空がうっすらと白みはじめ、夜明けが間近なことを告げていた。

 ハルトオとタカマは道を脇に逸れ、遠回りをした。猛烈な水音をたてる瀑布の下、巨大な滝壺に溜まった水は荒々しくうねり、一筋の河となって押し出される。水嵩が高い。山に雨が降ったのだろう。落ちれば、一巻の終わりだ。この注ぎ口地点のごつごつした岩場に、二人は身を潜めた。

 ひとが集まっていた。

 滝の正面、そこに祈祷台が設けられている。

 長い鉄棒の、先端が輪になっている部分に、一本の太い祭事用のしめ縄を通し、結ぶ。これを二十の鉄棒すべてに繰り返し繋ぎ、祈祷台を完全に囲むように地面に突き立てている。しめ縄には神呼びのため、霊力増幅のための札が下がり、且つ、祟り除けの旗が掲げられた。周囲には何十もの篝火が焚かれ、物々しい。

 聴き神女ツバナと聴き神男アケノを中心に、里長レンゲ、相談役ダダク、守長ワセイ、最長老シモン、他にも数名と、シュリもいた。

 全員、白装束を纏っている。頭に長い白い帯を巻き、刺繍を施した肩帯を掛け、手には白手袋、足は白足袋、白い数珠を下げている。

 ツバナとアケノが東の空を眺めて、頷き合った。二人を先頭に、扇状に皆が位置に就く。

 祝詞がはじまった。

 ツバナとアケノは数珠を握った手を差し上げ、特別に鍛え上げた咽喉を使い、声を合わせて詠唱した。

 曙光が射した。朝靄の中に生まれたばかりの光がひろがっていく。

 世界が明るみを増すと同時に、不穏な気配が高まっていった。

 滝壺の水面が、蠢いた。

 不気味に盛り上がり、沈む。

 いまや近辺は凄まじい神気が漲っていた。それも善くない神気だった。悪しき神気、荒ぶる神のもの― ―祟り神の息吹だ。

 それまで滞りなく紡がれていたツバナの詠唱の韻が、僅かに外れた。背後を護る皆があっ、と思ったときにはツバナは口から泡を吹き、腹部を抱えて倒れた。ワセイが素早く駆け寄る。アケノは表情を強張らせたものの、独りでも敢然と立ち向かった。だが、一瞬の気の乱れが呼び水となった。

 たちどころに神気が膨張し、と同時に滝壺の底から黒い影の塊が急浮上してきて、一気に躍り出た。神気が炸裂する。眼に見えない力が渦巻いて、放射状に流出した。

 凄まじい力だった。

 しめ縄を結った鉄棒も根こそぎ吹っ飛ばされ、祈祷台は捲られた。若木はへし折られ、或いは根幹ごともっていかれた。祟り除けの旗などものの役にも立たず宙に舞い上がり、ひとびとは地に叩きつけられた。

 大蛇神の復活だった。

 瞳孔に細い線のいった黄色の眼は無機質にひらき、かっと剥かれた口からは長い舌が覗く。水の滴る巨躯の胴部は怪しく震え、尾の先端は深き水底にとぐろを巻いている。頭部を伸ばし、振る所作をして、ぴた、と止まった。朝日に漆黒の鱗が乱射した。

 黒く穢れた祟り神――マドカ・ツミドカ・クジ神の覚醒だった。

 負の神気の煽りをくって、ハルトオも吹っ飛んだ。背後に立っていたタカマが咄嗟にその身を抱きかかえる。そのまま二人諸共に立ち木に激突した。


「しっかりしろ、タカマ」


 タカマは地面にずり落ちた。二人分の衝撃は彼に重度の負担を与えた。意識が遠のく最後の間際、タカマの眼はハルトオの心配そうな顔を見出した。血に赤く濡れた唇が痙攣し、かろうじて、動く。


「逃げろ」

「ばか」


 ハルトオは即座に半身を翻した。

 いつのまにか、目の前にソウガが抜き身の白刃の如き危険な瞳で佇んでいた。


「そちはまた他の(もの)を呼ぶのか」


 ソウガの黒い双眸がハルトオを射抜く。


「余の名を置き去りにするのか」


 きつい目つきと裏腹に、憂いのこもった口調。ハルトオは弁解したかった。だが、いまはとにかく、大蛇神の暴走を止めなければならない。

 ハルトオは合掌し、次に手の甲を重ね、内側に縦に回転させ、はじめの形に戻す。傍でソウガに見つめられながら、心を決め、神呼びの声を放った。


「森羅万象、万物を統べ、守り、導きたる神々に感謝と祈りを捧げます。我が名はハルトオ。我に名を賜いし神よ、我が声に応えたまえ。我が呼ぶのは智謀の神フジ・ヤコウ・ゴウリョウ。繰り返し申し上げる。我が呼ぶのはフジ・ヤコウ・ゴウリョウ。我が招請に降臨を願い上げる。繰り返す。我が招請に降臨を願い上げる」


 ひら、と翅を上下させ、蝶が舞った。

 ハルトオの目の前で瞬く間にひとの形をとる。色素の薄い茶色の長い髪は束ねて軽く結いあげ、薄茶の瞳は冷めている。背は高く、腰が細い。極力肌を外気に晒さないよう、袖も丈も長い、琥珀色の着物を合わせもきちんと身に纏い、帯は朽ち葉色のものを締め、履物は若草色の草履だ。顔つきは繊細ながら険しく、表情に乏しい。両腕を脇に垂らした自然体から発せられる気は凄烈で、向かい合うだけでも、びりびりと痺れた。


「用向きは」

「申し上げます。あれなる大蛇神をいっとき眠らせていただきたいのです」

「我を呼んだからには、ただで済むと思うな」

「……承知の上にございます」

「眠らせるとは、どの程度だ」

「ほんの短い期間で結構です」


 ハルトオは気力を絞って言った。掌に脂汗が滲む。高位の神との対話はひどく精神が消耗する。相手が相手なだけに、尚更だ。


「私の勝手で土地神を、それも祟り神を鎮めたり祓ったりしてよいものかどうか、判断がつきません。その結果、土地にもひとにもどんな悪影響が及ぶか、わかったものじゃないのです。ですから、いまはとにかく、この場を一度収めたいのです」

「その願い、聞き届けた」


 智謀の神フジ・ヤコウ・ゴウリョウは背を返し、滝壺にそそり立つ大蛇神マドカ・ツミドカ・クジ神を仰ぎ見た。

 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の気配に触発されたかのような間合いで、静止していた大蛇神が伸縮を開始した。神気が脈動する。滝壺に張った水が溢れる。崖の一部が崩れる。地が揺れる。

 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は左手を持ち上げ、腰の位置に掌を下にかまえた。右手の指を二本揃え、胸の前で左から右へ、右から左へ、空を斬る。すると、マドカ・ツミドカ・クジ神もその動きに倣い、頭を左右に振った。

 その様子に合わせ、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の左手がぐっと抑え込むしぐさをした。マドカ・ツミドカ・クジ神は問答無用で頭を横に抑えつけられ、滝壺に沈められていく。七転八倒暴れまくったが、数ソン(一ソンは一分)後には完全に水没した。

 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は徐々に明るさを増す朝の光の中でハルトオを振り返った。


「月の眠りをかけた。次に同じ月が昇るまではおとなしくしていよう。これでよいのか」


 ハルトオは驚嘆した。大蛇神よりひとつ格上の神とはいえ、ひと捻りとは凄い。さすがに二桁名の神の力量たるは、一桁名の神とは別格だ。

 ハルトオは跪き、深々と礼をした。


「ありがとうございます。助かりました」

「では我が願いを申す」


 いったいなにを要求されるのか。

 ハルトオは覚悟した。神は一様に気まぐれで難解、もっぱら不可解だ。安易な神頼みは身を滅ぼすことになる。

 神とはできるだけ関わらないこと。

 そう教えられてきたのに、どうしても関わらずにはいられない。そしてそのたび、事態は深みにはまってしまう。呼び出す神の格がどんどん、どんどん、上がっていく。


「どうぞお申しつけください」

「我はしばらくそなたの近くに逗留する」

「私を見張る、ということでしょうか」

「正確には、そなた憑きの神の傍に侍る、ということだ。我を追っ払うな。よいな」


 ハルトオはわけがわからなかった。

 だが、神呼びをして願いを聞き届けてもらった以上、神の要望を拒むことはできない。

 頭を下げたまま、ハルトオは神妙に答えた。


「しかと承ります」

 



 第二章終了です。いかがでしたでしょうか。

 次話、第三章突入です。


 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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