蛇神伝承
蛇、という生き物は、ちょっと特別な種のように思えます。
神聖さと邪悪さを兼ね備え、世界中に神話や伝説を残しています。
この物語でも、伝承を担う存在です。
神鎮めの儀式は四日後に決定した。
聴き神女ツバナと聴き神男アケノは潔斎に入ったと聞かされた。
チャギの里で客分扱いとなったタカマとハルトオは、久々の外よりの訪問者ということで手厚くもてなされた。
特にハルトオはどこにいっても、なにをしても注目の的だった。男たちは少しの暇を見つけては、ハルトオのもとに通った。その傾向は若衆に特に顕著で、たとえソウガ神が傍にいても、めげずに会いにきた。
ハルトオとタカマは里長宅に隣接する、来客用の一軒家を住まいとして供された。
はじめ、「未婚の年頃の男女が一つ屋根の下に暮らすなどならん」と物議をかもしたが、ソウガ神の存在がものをいった。
「別々だと、看病に困る」と、ハルトオ。
「別々だと、警護に困る」と、タカマ。
物怖じせず、タカマはソウガ神に跪いた。
「不埒な真似はしません。どうか俺をハルトオの傍においてください」
ソウガ神の許しがあった、ということが決定打となり、ハルトオとタカマの同居は許された。守長ワセイ自らが守衛に立ち、面倒見役としてシュリが選ばれた。
「女が珍しいんだ」
シュリが苦笑いをする。胡坐をかき、干した柿に糸を通しているところで、後ろではハルトオが床の間を磨いている。
「チャギには女が生まれない。だから女はとても大事にされる。特におまえのように若い娘が里にいるなんて、滅多にないことだ。だから、ちょっと見せものになるくらいは勘弁してやってくれ」
「なぜ女が生まれないのですか」
「祟りのせいさ」
「詳しく聞かせていただくわけには、いきませんか」
「まあ……そうだな。おまえたちはもう既に関わっちまったことだし、聞きたいなら話してやろう。ちょうど饅頭もあることだし、茶飲み話でもするか」
「ありがとうございます。あの、タカマも誘ってやりたいのですが、声をかけてもいいですか」
「じゃあ向こうの寝間に行こう」
「お先にどうぞ。私は手を洗って、お茶を淹れてきます」
ハルトオの淹れた濃い茶を片手に、旨そうに栃の実の餡饅頭を頬張りながら、シュリは訥々(とつとつ)と語りはじめた。
「ずっと昔、俺の爺さんの爺さん、もっと前の時代、ここは西と南を繋ぐ流通の要所で賑わっていた。いまは廃れているが、当時は人通りも盛んで、山に詳しいチャギの一族はだいぶ重宝されていたらしい。そのころはまだソウ山に名のある神は坐わさず、小さき神々の加護のもと、平穏に暮らしていたんだ」
シュリは一旦言葉を区切り、ふーっと息継ぎをした。
「ある日突然、その大蛇神が落ちてきたそうだ」
「空からということか」と、タカマ。
「ああ。たいそうひどい怪我を負っていて、いま神域となっている滝壺に落ちた。力の強い神だと言うことはすぐにわかったらしい。チャギは一族総出で手当てしたそうだ」
「それがどうして祟られる羽目になった」
「まあ待て。話はここからだ。その神は、マドカ・ツミドカ・クジ神と名乗った。養生ののち、チャギの娘と懇意になった。娘の名は、サイ。東国から嫁入りした女の子供で、特に器量よしというわけじゃなかったらしいが、明るくて、優しくて、皆に好かれたようだ。だがそのとき既に、サイは里長の息子、クラヒとの祝言を間近に控えていた。神は許さなかった。クラヒにサイを寄こせと要求し、応じなければ毎日ひとりを殺すと言って脅し、本当にそうした」
「そんなことをすれば、神が祟られる」
「ああ。本当はクラヒが黙ってサイを神に譲ればよかったのだろうが、クラヒもまたサイを好いていたんだ。チャギの一族もそのことをよく知っていたから、サイを諦めろとは言えなかった。結論がでないまま、神の殺戮ははじまった。傷ついた神を助けた挙句のこの仕打ちに、チャギは怒り、怒りは祟りとなって神を脅かした。祟られた神は怒り狂い、祟り神となって、祟り返しをした。その後、当時の聴き神女コトミが、他神――ソウ山の守護神だが――の力を借りてこの神を滝壺の底深く封じた。チャギは周囲に誰も近づかないよう、魔除けの印を吊るしてひとを遠ざけた。以来、神は鎮まったが、神の祟りは消えたわけではなかった」
「女が生まれなくなった」と、ハルトオ。
「そうだ。生まれてくる子供は男ばかり。仕方ないので、余所の土地の女を連れて来て子供を産ませた。だが女は生まれない。どんどん人口が減り、チャギは衰退していった。だが、ある残暑の厳しい夏の終わりに、行商の途中だという姉妹が道に迷って里を訪れた。そのまま姉妹は里に居つき、里の者と夫婦になり、子供を産んだ。生まれた子供は、女だった」
「なぜ」
「わからない。だが、そんなことがあって以来、外の女が自らチャギの領域を超えた場合は、例外なく捕らえて嫁にしてきた。公平を期すために、ひとりの男のものとしてではなく、里の男衆全員の嫁としてな。まあ、そんなことが続けばひとは誰も近づかなくなる。チャギが孤立していくのも当然だ。いまはもう、訪ねてくる者もいない」
シュリは寂しげに微笑んだ。すっかり冷めきった茶を呷る。
「まあ、ざっとこういうわけだ」
「サイは」
ハルトオは釈然としない面持ちで言った。
「どちらを好きだったのですか。どうしてどちらも選ばなかったのです。それに、その後どうなったのでしょう」
シュリは首を竦めて、手をひろげた。
「サイについては伝わっていない」
「それもおかしな話だ」
横になったまま思惑を巡らせるタカマに、シュリは片眉を上げて見せた。
「そうかね。俺はそうは思わんが。ちょいと考えればわかりそうなものだろう。婚約者と神にその身を争われ、祟り、祟られ、一族を不幸に貶めた娘の末路など、決まっている。そんなことを誰が口伝に残すものか」
タカマはシュリの言わんとすることを察し、納得した。顔が自然と曇る。おそらく、サイは殺された。そして依然、祟りは生きている。
「この口伝だが、どのように残されているのだ。やはり代々家に伝えていくのか」
「そうだ」
「話の内容は同じなのか」
「そのはずだが……いや、俺も確認したわけではないからなんとも言えんな」
タカマとシュリの会話を鑑みながら、ハルトオは別のことを懸念して訊いた。
「マドカ・ツミドカ・クジ神を封じるのに手助けした神は、なんとおっしゃるのです。このたびも、御力を借りることはできるのでしょうか」
「それはツバナとアケノの仕事だろう。おまえが心配することじゃない。いずれにしろ、明日だ」
「明日未明、神鎮めの儀を行うと聞きました。私はどうすればいいのでしょう」
「寝ていろ。家から出るなよ。なにが起こるかわからないからな。これはアケノの達しだ。祈っておけ、どのみち俺たちができることなぞ、そのくらいだ」
言って、腰を上げる。シュリは皿に残っていた栃の実の餡饅頭の最後のひとつをハルトオの掌におさめて、帰っていった。
「今更だが」
と前置きをして、タカマはシュリの見送りから戻ってきたハルトオをつかまえて訊ねた。
「神とは、どういったものなのだ」
「どういったものって……本当に今更だね」
「変なものを見るような眼で見るな。仕方ないだろう、俺は神を語ることを許されない環境で育った。だから、神々については最低限の知識しかない。よければもう少し詳しく教えてくれないか」
「……いや、別に変な眼で見たわけでは。ただあまりに唐突だったから。いいよ、なにが訊きたい。私で答えられることなら答えよう」
八百万の神は、姿なき神と姿ありき神の二つに大きく分けられる。
神はひと(・・)に望まれれば力を増し、忘れられてゆけば力を失い、最後には消滅してしまう。力は名に変換され、文字名の多さが神の格を位置づける。
最高位は十三文字名の神。
次に十二神王と呼ばれる十文字名以上の神々。
神々の間では、格上のものにたいして抗う術はなく、また、できなかった。常に膝を折り、服従しなければならない。唯一の例外があるとすればそれは、ひと憑きの神が、宿主であるひとに命じられ、対立を余儀なくされた場合だ。或いは、ひと憑きの神が宿主と決めたひとの命が危うくなったとき、命令がなくとも、反撃もしくは救助の選択ができる。
タカマは内容を整理しながら、なんとなく室の中にソウガの姿を探した。
「……では神とはひとから生まれたのか」
「そう。ひとの念が神々を創り、名と力を与えた。頼り、縋ることで、神たる存在は格を増し、数も膨れ上がっていった。いつしか、ひとはあらゆるものの中に神を見出し、敬い、大切にすることで、自らの欲を抑えた。神はひとと共にあり、ひとは神と共にあるというのはそういうことなんだよ。共存共栄、神はひとに必要とされなければ消滅してしまう。ひとは神を必要としなければ己の欲を制御できずに滅びるか、まわりの世界を巻き込んで、破壊活動に及ぶ……」
ハルトオは栃の実の餡饅頭を半分にして、片方をタカマに差しだした。
「ひとは、ひとだけは、他の生きもののように、ただ生きるためには生きられない。それはなぜなのだろうね……」
饅頭を千切って口に入れ、咀嚼するハルトオの眼は遠く、どこか近寄りがたかった。
タカマはもらった饅頭を一口で頬張る。
「では、祟り神とはなんだ」
ハルトオは思考を引き戻した。危うく、神の園にて散々悩んだ末、結局答えの見いだせなかった問いにはまるところだった。
「祟り神は、神の性質が変質したもの。本来その身に宿る力が神の意志において曲げられてしまうことだよ。神の力というものはね、ひとがひとの力を使うのと同じで、自分でもどうこうできるけれど、ひとに請われれば貸すこともできる。それは意志があってできることなんだ。ただ、聴き神女の裏技に神下しというものがあって、これは、神名のもとに力を行使できるけど、自分の寿命を減らしてしまう。この場合、神の意志は無視した行為に及ぶわけだから、代償を自らが払う。その代償を払うことによって、自我は保たれる。だけど、もし神が自らの意志をもって、力以上のことを望んだときは、意志は破壊され自我が崩壊する。容易にはもとには戻れない。荒ぶる神、祟り神となるんだ。自ら死を選べない神の、ただひとつの自壊でもあるね」
タカマは息を吐いた。聞くことに夢中になって、ずいぶん緊張していたらしい。いやに喉が渇いている。
「では祟り神とは、命をかけて望みを全うした神の成れ果てなのか」
「望みがどんな類のものであろうともね……。悪いことに、神の望みはかなうかどうかはわからない。それはまた別の問題なんだよ。かなえるために自我を解放するから制御もできない。結果、望みは祟りとなってひとの上にふりかかる。それは眼に見える形のときもあれば、眼に見えない形のものもある。時間の経過を必要とする場合もあれば、即死に至らしめる場合もある。祟りが忌み嫌われる理由は、そういうことだよ。ひとは不幸になることに関わり合いなど持ちたくないからね」
「だが、関わってしまうときもある」
ぽつりと、額を押さえてタカマは呟いた。赤い額布が巻かれているその下には、祟り憑きの烙印がある。
ハルトオはなにも言わず、周囲の気を探った。
ソウガがいない。
最近、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神がつかず離れずソウガの傍にいるため、ソウガはあまりハルトオの眼に触れることがない。
いまも、栃の実の餡饅頭を口実に呼んだが姿を現さなかったので、仕方なく縁側に盆ごと残してきた。
「いればいたで落ち着かないのに、いなければいないで気にかかるなんて、勝手がすぎるな、私も」
ハルトオはぶつくさひとりごとを言って、朝餉の支度をしに厨房へいった。
この物語は、細部を詰めるのにえらく気を遣いました。
そのぶんメンドクサイですが、構成そのものは、理解しやすいものになっているはず、と、思いたい今日この頃です。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。