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神は祟る  作者: 安芸
第二章 非業の地
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里守評議

 衣食住にはちょっとこだわりがあります。

      


 タカマは井戸よりも深く掘り下げられた穴倉牢に放り込まれていた。

 牢には網目状の鉄の大蓋が被せてあり、蓋には四隅に四本の縄が括られ、その先端は鉄の杭に結ばれて地面に打たれていた。そうしてしっかりと固定され、たとえ囚人が這い上がってきても、自力では蓋を押し上げられないようになっている。

 その蓋を外し、男衆ニ名に穴底まで下りてもらい、縄をタカマの身体に括って、持ち上げ、地上に待機する四名に引き揚げるように指示をする。

 指揮を執っているのは、里と近辺の領域全体の警備を任されている守長のワセイと言う男で、いかにも不本意そうだった。

 既に陽は落ち、(かがり)()を焚いての作業になった。風はひやりと冷たく、空気は澄んで清潔な香りがした。星がちりばめられた真黒な空には月がかかり、白く火照っている。

 ハルトオは、穴倉牢の傍でタカマが引き上げられるのを待っていた。両脇には護衛と称して、二人の見張りがついている。どちらも屈強な身体つきで、腕力では勝ち目がないことは一目瞭然だった。

 カジャのことも心配だったが、レンゲが里長の名にかけて身柄についての保証をしてくれたので、とにかくまず、命の危険があるというタカマの救出を優先した。

 タカマが穴から出された。

 縄を解かれ、仰向けに寝かせられる。

 ハルトオは駆け寄った。タカマは泥まみれのまま失神していた。屈み込み、呼吸を確認する。彼の生死を確かめるのはこれで二度目だ。まだ会って間もないというのに、ひどい関係もあったものだ。


「生きている」


 ほっとした。ハルトオはタカマの顔と唇から泥を拭い、様子を窺って突っ立っているだけのワセイを仰いだ。


「私の室へ運んでください。急いで。あと、たらいにお湯を張って、手拭いも一緒にください。それから手当てに必要な薬と水と着替えもお願いします」


 ワセイは顎をしゃくってタカマを指した。


「そいつは祟り憑きだ」

「知っています」

「傍に置くのは危険だ。あんたは俺たちの嫁になる女だ。なにかあったら困る」

「私はあなたがたの嫁になるつもりなど毛頭ない」


 ハルトオはきっぱりと断言した。


「神域を荒らした償いはします。なにか、他の形で。でもまずはタカマを助けてからです。つべこべ言わず、早く手を貸してください」


 ワセイは「なんて女だ」とぶつくさぼやきながら、ハルトオの要望に従った。

 タカマは担がれ、運ばれた。但しハルトオの室ではなく、まったく別棟の一室を用意された。


「この里に薬剤師と医術師はいないのですか」

「いる。だが、いまは他の患者で手一杯だ」


 ハルトオの疑わしげな視線に、ワセイは鬱陶しいとばかりに手を振った。


「あいにく嘘じゃない」

「……じゃあ仕方ない。私が看ます。どなたか、手伝いを頼めますか」

「祟り憑きの世話などする奴はいない」

「どのみち室の外に見張りを立てるでしょう。暇なのだからひとりくらい手を貸して」


 ハルトオは腕捲りをしてワセイを見た。大柄だが、器用そうな手をしている。


「誰もいないならあなたでいい」

「俺が」


 進み出たのは、猪首で上背のない、肩幅と四肢はがっしりとした壮年の男だった。眼光鋭く、愛想のない口もと。存在感がある分、黙っていても怒っているように見える。


「俺はシュリ。俺でよければ手伝おう」

「助かります」

「よし。誰か、レンゲ様に俺がここにいる旨の事情だけ説明しておいてくれ」


 ワセイをはじめとして、周りの男衆は「祟り憑きと関わるな」とシュリを止めたが、シュリは仲間内をじろりと睨んで一喝した。


「これだけ大の男が揃っていて、若い娘ひとりの頼みも聞いてやらんとは、おまえたち恥ずかしくねぇのか。祟り憑きがなんだ。どのみち俺らは不浄の血族だろう。いまさら祟りのひとつふたつ増えたところで、俺はちっともかまいやしねぇよ」


 シュリは手洗い桶で手をきれいに洗い、拭って、ハルトオの傍に膝をついた。


「さあ、手伝うぞ。なにをしてほしいか言いなさい」


 それから夜を徹して、ハルトオとシュリはタカマの看病にあたった。重症だった。背中の傷の出血と右足首の捻挫と左手首の骨折、それに打ち身、多数の噛み傷、おそらく全治に二十日ほどかかるだろう、というのがシュリのおおよその見立てだった。

 なんのかんのと口実を設けた人の出入りが絶えず、ハルトオは一睡もできないまま、夜が明けた。

 タカマが目覚めたのは、翌日の昼近くになってからだった。


「……カジャはどうした」


 枕元でうとうとしていたハルトオはびくっとした。その拍子に肩から掛けものが滑り落ちる。シュリが気遣ってかけてくれたのだろう、見かけによらず細やかなところがある男だ。と、そう思って見回したが、姿がない。

 ハルトオはタカマに視線をやり、カジャの件には触れず、曖昧に首肯した。


「気分はどうだ。昨夜はだいぶ熱が出て辛そうだった。いまは……ん、熱はひいたみたいだね。顔色も多少ましだし、よかった」

「また、あなたに救われたようだな……」

「いいや。あなたが私たちを庇ってくれたんだ。ありがとう、おかげで助かった」

「それで、ここはどこだ。あれから俺たちはどうなったのだ。状況は」


 ハルトオは落ち着け、という所作をした。


「ここはチャギの里だ。私たちは捕まって、囚われの身となった。いまは、里の代表者による評議がひらかれていて、私たちの処遇について検討中だ。私も呼び出しを受けている。まもなく行かなければならない」


 ハルトオは口を噤んだ。数名の足音が近づいてくる。室の前の床板が軋み、横開き戸ががらりと開けられた。

 陽光がきらっと差し込む。眩さに眼を瞑る。外は秋晴れのよい天気だった。

 シュリが飯櫃を抱えてそこに立っていた。後ろには配膳の支度を整えた二人の男が従っていて、おずおずと食事を差し入れてくれた。


「起きたのか。飯を持ってきた、食えるか」

「いただきます」


 タカマとハルトオの声が揃う。

 二人はいっとき見つめ合い、笑った。

 それからタカマとシュリは簡単に互いの自己紹介をして、「冷めないうちに」と、とりあえず食べることに専念した。

 ふっくらと炊かれた米に、新鮮な卵を溶いて醤油を注し、ひと掻き混ぜたものをかける。それにゆずを薬味に加えた、絶妙なやわらかさのふろふき大根と熱いお茶。

 ハルトオとタカマは黙々と頬張った。タカマは片腕が使えない状態だったが、箸と匙を器用に使い分けていた。

 シュリは二人のたべっぷりに感心しながら、最後に柿を剥いて四つに切れ目をいれたものを勧めた。


「ごちそうさまでした」


 と、手を合わせて浅く礼をするなり、ハルトオは腰を上げた。

 即座にタカマが制する。


「待て。どこへ行く」

「評議だよ」

「ひとりではだめだ。俺も行く」

「その身体でどうやって。いいから、おとなしく寝ていな。あとで報告するよ」

「この状況下で、女のあなたを単独にするわけにいくか。一緒に行く」


 ハルトオの説得に応じず、タカマは頑として譲らなかった。押し問答の末、シュリが肩を貸してついてきてくれることで決着した。

 

 里守評議は、集会所でひらかれた。

 里の中央より北寄りにある集会所は庭に柿の木が植えられ、実が生っていた。木造とコンクリートをうまく合わせて造られていて、三、四十人ほど収容可能な大きな建物だ。

 評議のため、集まったのは六人。里長レンゲ、守長ワセイ、相談役ダダク、最長老シモン、聴き神女ツバナ、聴き神男アケノ、加えて、二人に関わりを持ったことで特別にシュリも同席を許された。

 ハルトオとタカマはそれぞれ名乗ったあと、下座に膝を折り揃えて控え、顔を伏せたまま、里長レンゲより、罪状が読み上げられるのを聞いていた。


「そなたらは、我らが一族の土地に勝手に入り込んだばかりか、禁足地まで侵し、更に神の坐す神域まで穢しました。これは由々しきことです。よって、掟に従い処罰を与えます。タカマ殿は我らが一族の一員となるか、死か。ハルトオ殿は一族全員の嫁として迎えます。選択の余地はありません。色々、思うところもあるでしょうが、ここはチャギの土地です。チャギの掟がすべてです。よって、各々従ってもらいます。なにか申し述べることは、ありますか」


 ハルトオは下を向いたまま訊ねた。


「カジャはどこです」

「……諦めなさい。あの娘はもう、ひとではない」


 ハルトオの中で、なにかが音を立てて切れた。

 神妙にして、なんとかあまり波風立てず、穏便にことをおさめたいと望んでいたのだが、それはどうやら無理らしい。

 ハルトオは膝を崩し、すっくと立った。怒りのため、頭に血が昇るのがわかった。だが感情的になるのを抑えて、大きく息を吸い、呼吸を静める。姿勢を直線に保つ。両掌を結ぶ。斜めに捻る。

 神の僕たるツバナとアケノの二人が、逸早くハルトオの意図を察し、阻止しようとしたが、激しい恫喝に射竦められた。


「動くな」


 ハルトオは満座を睥睨した。

 既に神呼びの態勢を整えている。


「あの子がひとでないと言うならば、なんだと言うのです。まだ幼い身で私を気遣い、労わる心がある優しい子です。あのような姿になったことは、あの子のせいではない。ただ神々の眼にかなってしまっただけ……それだけです。それなのに、あなたがたは情けをかけるわけでもなく、石礫を投げる。いったい、どちらがひとではないのでしょうか」

「だが、あのように半人半獣の身で、この先どうするつもりだね」

 

 と、疑問を投げかけたのはダダクだ。


「顔は実年齢と不釣り合い、四肢は鳥の足と同じく三又……あれでどうしてまともに生きられよう」


 ハルトオはきつくダダクを睨んだ。


「ひとと違う姿ではいけませんか。皆同じでなくてはいけないのですか。なぜです。カジャはカジャなのに」


 ワセイが怪訝そうに横から口を出す。


「なぜそうまで庇う必要があるんだね。あの娘はそなたの子でもなんでもないのだろう」

「……カジャは昔の私です。見てわかりませんか。十年前、私もカジャと同じく美の神に自分の顔を奪われ、以来、この顔です。身体が顔に追いつくまで、七年かかりました。私は、これからカジャが辿るだろう苦難がわかるのです。嘲笑われ、謗られ、厭われる。どこへ行ってもその繰り返し……だからせめて、傍にいてあげたい。私だけでも傍にいてやりたいのです。さあ、カジャを返して。タカマに自由を。神域を穢したのは私です。咎は私にあります。罰は私にください」


 静かな気迫のこもった声と、眼には見えぬなにかがこの場に集いつつある不穏な気配に、一同は威圧された。緊張感が高まっていく。

 一触即発の睨み合いが頂点に達したそのときだった。

 集会所の戸という戸のすべてが、突然、全開となった。外から荒れた風がごおっと吹きつけて、皆の髪を掻き乱す。

 いったいなにが起こったのか、誰もわからないまま戸惑いする中――陽が陰った。急速に空を暗雲が蔽い、遠雷が轟く。空気が湿気を帯びる。どこかで鳥が一斉に飛び立ち、逃げるように空を駆けていく。

 稲妻が閃き、遥か上空から一条の雷が落ちた。庭の柿の木が引き裂かれ、真っ二つとなり、赤黒く燃え尽きる。その雷撃が、轟音と共に七度も続いた。

 ただごとではないとどよめいて、里人らは血相変えて集会所に押しかけた。

 そこへ、嫣然としてハルトオの神が現れた。

 高く宙に静止したまま、下界を見下ろす。余裕のあるまなざしで斜めにハルトオを見つめ、次に、慌てて平伏した七名と群衆を見やり、深く豊かに響く声で、冷たく告げた。


「その者はいずれ余が妃となる娘。そのほうらの嫁にはやらぬ」


 ハルトオはびっくりした。

 皆はもっと驚いた。

 神は焦げた柿の木を指差し、先を継いだ。


「無礼に手を出せば、ありとあらゆる災厄を見舞ってくれる。よく肝に銘じておけ」


 代表して、最長老シモンが額を床板に擦りつけたまま訊ねた。


「しかと承りました」


 恐る恐る、続ける。


「名のある神とお見受けします。よろしければ、神名をお聞かせ願えませんでしょうか」


 神はハルトオに視線を注いだ。


「余の名はその者に預けてある。もっとも、忘れて久しいようだが」


 揶揄する調子がハルトオの癇に障った。


「神名はソウガドオとおっしゃいます」


 ハルトオははっきりと、凛として応えた。


「不肖、私の、私憑きの神であられます」


 ソウガドオのいつも余裕にみちた眼が見開かれる。光を宿す瞳孔が、意表を突かれたように不安定に揺れた。心なしか、呆気にとられているようにも見えた。


「もう一度、呼んでみよ」

「いやです」


 だが突っ張り切れなかった。無言の圧力に屈し、ハルトオは渋々繰り返した。


「……ソウガドオ様」

「そうではあるまい」


 間をおいて、ハルトオは呟く。


「ソウガ」


 薄い喜悦を唇の端に滲ませて、ソウガは珍しく独り言を呟いた。


「憶えていたか」


 それから垂直に降下して、地に足を着ける。黒髪が、緑の長衣の裾が、ゆるく靡く。そのまま縁側を乗り越え、ハルトオの前に立った。


「今後は余を名で呼ぶがいい」

「でも」


 ハルトオはぐずったまま、口を噤んだ。

 代わって、隣のタカマが問い質す。


「カジャは無事じゃなかったのか。いまどこにいる」


 答えたのは里長レンゲだった。土下座の姿勢は固く崩さない。


「ある場所に。そこで治療を兼ねた祟り落としの禊中です」

「カジャの祟りは、美の神と鳥の神より二重に祟られたゆえの姿です。普通のやり方では祟り落としができない。直接、神に落としてもらうよりほかないのです。私たちは二神を探していました。ずっと行方知れずの鳥の神の所在が掴めたのは幸運でした。だから、神が次の土地へ移動する前に、急いで南国ミササギへ行かなければならないのです」

「いますぐなぞ無理です」


 聴き神女ツバナが、やはり土下座のまま言った。


「あの娘は両手足骨折、胸を圧迫され、気管もやられて重傷です。とても動かすなぞできません」

「あなたがカジャの面倒をみてくださっているのですか」

「私とアケノ殿が。そこは神聖な場所のため、神の僕たる者しか立ち入れない領域です」

「とりあえず、療養したらどうだ」


 シュリも土下座のまま提案する。


「そのカジャと言う娘もそうだが、タカマの怪我も相当なものだ。いまは治療に専念して、回復してからどこへでも行けばいいだろう。おまえたちは確かにチャギの掟を侵したが、神憑きの娘をどうこうできるわけもないし、傷ついている者を放り出すわけにもゆくまい。よくチャギの民は血も涙もないと謗られるが、そうでもないと証明するいい機だ。なあ、ダダク」

「……おまえはでしゃばりすぎだ、シュリ。だが、まあそうだな。里長、シュリの申す通りです。掟にあるとおり、例外者として扱うのがよいでしょう」

「例外者、ですか」

「はい。“神の加護ある者にやたらな振る舞いをせず”。これに該当するにもかかわらず、追い立てまわし、穴牢に放り込み、無礼を働いた我々の罪の償いとして、この者らを客分として迎えてはいかがですか」

「わかりました。それならば掟を順守することに変わりもありません。皆も、異存はないですね」


 沈黙という名の肯定が返ってきた。

 納得がいかないのはハルトオだった。


「しかしそれでは私の罪はどうなります。神を起こしたのは私です。私は聴き神女です。なりそこないの身ではありますが、なにかできないものでしょうか」

「いけません」


 そっと遮ったのは聴き神男アケノだった。


「この里の問題は里の者で解決致します。余所者であるあなたが絡んではなりません。ソウ山の神は、僕とツバナ殿で鎮めます」


 余所者と言われてはそれまでだった。

 ハルトオはぐっと黙って頭を下げた。


 ハルトオは若いのに苦労しているためか、ひとの痛みがわかります。

 そして頑張りやさんです。ほろり。


 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

 

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