打ちたい男
「はぁ……」
とある野球スタジアム。その選手控室。椅子に座る彼は一人、無意識に手を、まるで神に祈るようにして組み、そして床を見つめていた。と、そこへ……
「ハロー、ミスターナカタニ」
「ああ、どうも……監督」
「アッハァ! ゲンキナイジャナイカァ。ソンナ、キミニオキャクサンダァ!」
「お客?」
「トウキョーカラノ。イヤ、ドウキョー? マア、オナジイミダロ。プレゼントガアルラシイ。ジャ、ミズイラーズデ!」
監督と入れ違い様に入ってきた男。知り合いではない。スーツを着ている。その雰囲気はどこか……
「あの、誰ですか?」
「……国の使いの者です」
「え、と、まあそうですよね。そんな感じがします。お堅い雰囲気が。でも、試合前にどうして? なんのご用件でしょうか?」
「単刀直入に申し上げますと……あなたは今、スランプに陥ってますね」
「え、はい……。ここのところホームランもちょっと、ね……」
「そのせいで我が国は崩壊の危機に瀕しているのです」
「……は?」
「ああ『そのせい』などと言って気を悪くされたのなら申し訳ない」
「いや、それは全然……。それより国の崩壊ってどういう意味ですか?」
「はい、今、我が国は暴動寸前なのです」
「……は? は? でもそんな話は全然」
「ええ、海を渡り、メジャーリーグで活躍するあなたまでは届いていないでしょうね。
あくまで『寸前』それに加え情報封鎖をしているのです。ですが、このままではそれも無意味」
「いや、その話が本当でも、ははは、さすがに国が崩壊って……」
「あなたはご自分のすごさがわかっておられない……。あなたは自他共に認める、国民的ヒーロー。それはいいですね?」
「え、ええ。まあ、自分で言うのはちょっと抵抗ありますけど国民栄誉賞もお声がけされましたし、まあ……」
「そう、あなたはご辞退されたぁ! そこがまたいぃ……」
「うわ、びっくりした……」
「ああ、失礼。とにかく、あなたの活躍は海を越え、祖国にまで軽々と届いているのです。毎朝、それと昼に夕方に夜のニュース報道。新聞。ネット、あらゆる媒体で、あなたの活躍は逐一国民の目に、耳に入っているのですよ」
「ああ、まあ、はい。でも……」
「あなたの活躍、それも異国の地で孤軍奮闘する姿は国民に勇気を齎し生きる希望となっているのです!」
「え、えぇ……孤軍奮闘って言っても他にも同じ国出身の野球選手はいますし通訳だって一緒に……。でもまあ、確かに野球好きの人には生きる希望とは少し大げさですけど何かの力にはなれてるのかなって思いますね。僕も少年時代はやっぱりそうでしたもん」
「いいえ、国民全員です。老若男女。サッカーなど他スポーツファン問わず、あなたに熱を上げています。数年前にあなたの宗教ができたのはご存じで?」
「え、え、は? それってノリというか、ごっこ遊びで?」
「いいえ、今では都心に立派な教会を構えています」
「いや、ええぇ……それ、僕の許可とか、ええぇ……」
「神に信仰の許可などいらないのでしょう」
「そうなんですかね……いや、野球ばかりしてたから全然気づきませんでした……」
「おほぉ、ストイック発言! ワンポインツッ」
「はい?」
「いえ、つい興奮してしまって。すみません。はぁはぁ、日本国民がファンと言ったっでしょう? 私もファンでして、っと重ね重ね失礼」
「え、え、え、え、何ですかその注射。今、何を打ったんですか?」
「精神安定剤です。あなたと対面するのにこれくらいの備えは当然です」
「いや、だから僕はそれほどの人間じゃないですよ!」
「おふぅ、謙遜を……訓練を積んだ私じゃなければ気を失っているところだった……」
「だから大げさですって……」
「さて、話は戻りますが、そうこれは決して大げさな話ではないのです。あなたのスランプを機に、株価と内閣支持率が低迷。国は今、正真正銘の崩壊の危機なのです」
「そんな……。僕の調子と比例しているんですか……?」
「ええ、あなたの活躍を大きく報じることで国民の不満を逸らし目を眩ませ好き放題、税金ジャブジャブ、パンティーシャブシャブだったんですが今は戦々恐々、政治家たちは薬が切れた麻薬患者のような国民に怯える毎日です」
「そんな、なんてことだ……ん? いや、それ自分たちのせいじゃ」
「サブリミナル効果やあなたの顔を印刷した包装紙に包んだ配給食に麻薬を混ぜたり、あらゆる手を尽くし、あなたの中毒に」
「なんてことしてくれはったんですか……」
「おほぉ、方言! これもワンポインツ! ん? でも出身地はそこでしたっけ?」
「いや、ただのツッコミなんでそれはいいですよ。それより全然精神安定してないじゃないですか」
「ただの水だったかもしれませんね。ふふっ、そう、あなたを前にすれば美酒も水に等しい……」
「知りませんよ。あの、そろそろ試合時間ですし、あ、それで伝えたいことは結局、ホームランを打ってくれってことですよね?
まあ、それが仕事と言えばそうですから全力は尽くしますけど、まだ他に何か?」
「いえ、まあホームランは打って欲しいですが、まずこれを打ってください」
「ん? 注射、精神安定剤ですか? 不要ですよ。いや、まあ今のお話には動揺しましたけど」
「いいえ、これはドーピングです」
「駄目に決まってるじゃないですか! あんた、何考えてんだ!」
「大丈夫。国の総力を挙げて開発したものですから、たとえ抜き打ちで検査があろうとも検出されないはずです」
「そういう問題じゃないですよ! ズルは駄目だって言ってるんですよ!」
「あが、あががが! 清廉潔白純粋無垢童顔輝く瞳養子にしたい野球少年のままような穢れ無き精神んんんん」
「こわ、怖いですよ……」
「ふっー、ふっー! こっちの薬が切れてきた……でも、都合がいい。無理やりにでも打ちましょうか。何せ、これの開発には多大なる犠牲を払ったんですからね。多少、危険もありますが大丈夫。怪我した際はサイボーグにしてでもすぐに復帰させてあげますからうふふふふ」
「やめ、やめてくださいよ! そんなの打たなくてもホームラン打ちますから! さよなら!」
「ホワット! ナカタニ、オォ、ハシッテ、キアイジュウブンネェ。モシヤ、セイコウ?」
「……ええ、上手く行きましたよ」
「アナタニハナシモチカケラレタトキ、ノッテセイカイダッタネェ! コウイウノ、ユメシバイウッタトイウノダロウ?」
「一芝居打った、ですよ。彼の活躍には私も国民も期待してますからねぇ……。でないと本当に支持率が……ね」