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大きな光・大きな陰  笑って 生きてちょうだい

 信一・維士 出会う


2006年春、信一

 

 強引に取り付けた約束の17時に、おれが来た時には、異次元の容姿の制服姿の男子高校生はもう座っていた。とても目を引く容姿で、昔何かの絵で見た天使が大きくなると、こうなるのかと勝手に想像したが、おれは天使に会いにきたわけでないと、頭を切り替えてドク(維士)さんを待った。あの絵を描いたドクさんに早く会いたかった。


5分、10分と時間が経つ。

メールがドクさんから来てないかと携帯を開けると直ぐに、

(来られないようですので、帰ります ドク)とメールがきた。

おれは、慌てて周りを見渡した。

あの天使が立ち上がった。



  信一 幼稚園・高校


1990年 信一


 「信一くん、幼稚園楽しかった」と、シャンプーをしてくれるお姉さんが、聞いてきた。

「ぼくね、幼稚園楽しかったけど本当は赤ちゃんに戻りたいんだ、赤ちゃんだとずーっと母さんと入れるもん、つまんない習い事行かなくていいでしょう」と言ったら、お姉さんは「そうだね」と笑顔で言って「なに習ってんの」と聞いてきた。

「英語、ピアノ、サッカー、どれもつまんない」と、隣でシャンプーをしてもらっている母さんに聞こえるように大きな声で言った。

母さんには、毎日つまんないって言っているけど、笑っている。この前、おばあちゃんに「信ちゃん習い事、楽しそうだ」と母さんが言っていたのを聞いてしまった。母さん間違っているよ。

 もうひとつ、つまんない気持ちになる事がある、母さんの手と足のボコボコだ、スプーンもたない方の手はたくさんある、女の人にはあるのかなぁと思ったけど、おばあちゃんにはなかった、なんでかわからないけど、母さんに聞いちゃダメって気持ちになるから、今度おばあちゃんに聞いてみよう(内緒だよ)って、教えてもらったら、つまんない気持ちなくなるといいなと信一は思った、おばあちゃんの美容室だけど今日は来てないみたいだ。あぁ、お母さんが、おばあちゃんはたくさん会社を持っているから凄いって教えてくれたけど、ポケットからなんでも出てくるロボットより凄いのか、それも(内緒だよ)って後でおばあちゃんに聞こうと思った。



1995年 信一


「ウィンドウズ‘95」です「日本上陸です、凄い行列です」「新しい世界の幕開けです」tv から女の人が叫んでいた。

朝、時間を見ようとTVをつけたら凄い熱気が伝わってきた。田真信一は小学3年生になっていた、信一にはさっぱりわからないが、学校に遅れそうなので急いで家を出た。

 信一の毎日は退屈だった。クラス替えして最初の頃はたくさん話しかけられたが、全てに返事をしないせいか、今では誰も話掛けてこなくなった。目敏い女の子達は(無口でかっこいい)と言っているらしく、やらなきゃいけない事を、何も言わなくても、全て先回りしてやってくれる、女子って母さんみたいだと思っている、あっ隣の家の三美も(めんどくせっ)と言いながら、おれの宿題をやってくれる、習い事も一緒に初めて、この前一緒に辞めた。

(友達でもないのに、何で一緒に辞めるんだ)って思ったけど面倒くさいので考えない事にした。信一の頭の中は、(面倒だ)と(つまんない)で一杯だった


 無気力だが思い通りにならないと、蛾を通す、信一を見ていると、このままで良いのだろうかと悩む、人間が苦手の 私の子育てが間違えたのか、それさえもわからない、本当は誰にも言いたくなかったが、信一のあまりに酷い言動に、対処出来ない、押し潰され限界だった。信一の祖母で私の母に相談した「少し早いけど反抗期だよ 信一は大丈夫だよ」と私の目を見て優しく言ってくれた。母は信一に甘い。信一ではなく、私の為の言葉に聞こえた。

あっ、まただ、って思う。

 世間が全部敵だと、思っていて頃から、成長していない私がいる、母は最大級の味方であり、敵であり、神だった。母の言葉は、いつも私の為だった、私が生きて行ける為に言葉を選んでた。

 信一は、私を通り越して、成長するのだろう、そう願いたい。

あの子は、大丈夫だと、自分に言い聞かせたが、後から(たぶん)と、つけた。


 偶然ウィンドウズ‘95のパソコンが手に入った、信一になんて言われるのか、返事がないのか、少し怖かったが「信ちゃん、どうぉコレやってみる」と箱を差し出しながら、軽く心掛けて聞いた。「あっ、TVで騒いでたのだ、母さんありがとう」と言って2階の自分の部屋に持って行ってた。久しぶりに信一の声を聞いた嬉しいさよりも、何で此処で開けないで2階に持って行くのかわからなかった。もしかしたら、引きこもりになるのかとか、違う心配が増えた気がした、頭が痛くなったので夕飯作ったら寝ようと思った。忘れないで信一には声を掛けようとも思った。作り終え「信ちゃんご飯出来たよ、母さん寝るね」と、声を掛けた。


 おれには、難しい、説明書読んでもわからない、あっちこっち触ってたら窓が画面から出てきた。あーウィンドウズ、(窓)かぁ初めて英語を習っていて良かったと思った。

(TV で音楽も聴ける)って言っていた事を思い出した。近くのパン屋の名前のミッシェルと音楽って入れたら (シュ、シュ、ポマシェリ〜なんとか、シェ、シュ、ポマシェリ〜なんとか)音量調整出来ていないく大音量だったのでビックリして椅子から転げ落ちた、誰の曲かも言葉もわからなかったが、少しワクワクした(ドラえもんのポケットよりすげぇ)と思った。

休む事なく毎日電源を入れて音楽を聴いた。



2001年 信一


 信一の中学校の卒業式の後、近くいるおばあちゃんが家に来た。「卒業おめでとう、天気良いから公園迄散歩しよう」と言ったので、おれは返事をしなかったが、付いて行った。

公園でベンチに座りながら「背高くなったね、190くらいかな」ってばあちゃんが聞いてきたが、おれは黙っていた。

 「信ちゃんは、禍福の法則って知っている」って聞いてきたので「知らない」とおれは答えた。

「算数とか数学に法則っていうか方程式あるでしょう、あんな感じの事だよ、簡単に言うと、良い事も悪い事も半分半分、

難しいく言うと大きな光に大きな陰って事」と、ばあちゃんはおれに言った。

 おれは心の中で

(ばあちゃん、何言っているのか、わかんねぇ、)(コレ宗教か、おれ興味ないよ、ばあちゃん)と心の中で返事をしていた。

「たぶん、今は何言ってんのと思ったでしょう、大事な事だから覚えておいてね」って

ばあちゃんが言った。

 夜パソコンで調べたら ばあちゃんがいった様な事が書いてあった。ばあちゃんにはおれの将来見えてんのかなぁ、少し怖くなっ



2003年 信一


 朝、台所のドアに頭をぶつけて思わず舌打ちが出た、高3の信一の日課だった。

毎日が(くだらねぇ)と思いながら学校に通っていた。小学3年生あたりから家でも学校でも殆ど喋る事はない。

小学5年生でパソコンで曲を作るのを覚えて、今では作った曲を発表出来るサイトを見つけたので、色々出して試している。聴いてくれた人数がわかるので面白い。感想欄は面倒なので見ない事に決めてある。(勝手に好きに書いて下さい)って感じだ、

 高額の機材もたくさんある、母さんに欲しいと言うと何も言わず買ってくれた。好きな事見つけた息子を応援しているつもりだろう、

 音作りに夢中で、どうしても手が足りなくて隣の家のミミを初めておれの部屋へ呼んだ。いつ頃か忘れたが、三美(みよし)の事を、ミミと呼んでいる。

 ミミがおれの部屋の前で、ビックリして後退っている、「本物のスタジオ見た事ないけど本物のスタジオのようだ」と訳わんない事言っていた。

機材が多く2人で座れば一杯の部屋だった。

「前から思っていたけど、信ちゃん家凄いよなぁ、父ちゃん母ちゃん医者だし、ばあちゃん経営者、実はさぁ俺、小さい時から信ちゃんの子分のつもりだったんだ、

なんか信ちゃんの背中見ていると、安心出来たんだ、、、俺ぇ何か気持ち悪い事言ってんなぁ 悪りぃ」2人とも黙り込んだ。

 暫くして、「誰にも言うなよ、、、おれの母さん、リスカの後凄いんだ」「中学の時ミミもおれと同じクラスだったから、わかると思うけど、、おれの隣の席のすげぇ美人で頭の良い女子、日に日に手と足の包帯増えてた、、、周りに全く興味のないおれにもわかる陰湿なイジメ受けてた」「ずっとボコボコがに不思議だった 」言ってしまった。

ミミは下を向いて泣いていた、何の涙か考えない事にした。

 こんな事聞く為、言う為に来て貰ったわけじゃない、なんでこうゆう流れになったか、面倒なので考えない事にした。


2度目のミミの来部屋だった、

「これ民謡」調子が多く入っている曲、「これ童謡」調子が多く入っている曲、右下の数字を指差して聞いてくれた人数、この2曲凄いだろう他はさっぱりダメなのに、

手伝って貰う為にある程度説明は必要だと昨日から考えていた。コンセプト「簡単、わかりやすい」にした。

真剣に作りたいので、真剣に見て欲しかった。


「今世の中に、求められているのは、少し懐かしい単純なメロディだと思うんだ。これ2つ合わせて音膨らせて作りたい」と信ちゃんから真剣に言われた。

 ミミの頭の中では(軽いノリで手伝いok)のレベルじゃない気がする、なんか凄い事やっている(手伝えるかなぁ)と不安が過った。


 背中に汗びっしょりかいて、言われた通りボタン押しまくって、間違えても軽く「初めからね」って、出来ない俺にイライラしない信ちゃんが、大人に見えた。


 帰る時「盆踊りって知っているか」って聞かれて、音で溢れているおれの頭では考えられなくて「知らない」と答えたら、

「熱帯雨林の奥とか外国の山奥の部族の踊りの日本版だよ、おれ、あの音好きなんだ」と信ちゃんが言っていた。

俺の事ミミって呼ぶのも信ちゃんだけだ、だいぶ違う世界行ってんなぁと帰りながら思った。


 ミミに手伝って貰い曲は出来た。後は絵だ。

簡単に言うとCDの表紙と曲とセットで発表する感じで、殆どの人は自分で絵を描いて、まるで世間で認められた芸術家気取りがわかる

 おれは、二兎を追う者は一兎をも得ずと頭に浮かぶが自分で描く事にした。


 進路も決める時期だった、

本当は一日中好きな曲を作っていたい、そんな事無理だよなと自分に言った、

働く、大学、専門、、どれもなんか違う

 

 おれは自分のことを考えた、殆ど喋る事がないなんて7割方男ならそんなもんだろうし、空想の世界で生きているなんても当たり前過ぎて普通だ、おれくらいの生き方だと陰がない、大学中退の経歴が欲しいと思った。

世間が勝手に何があったんだとベールに包んでくれる。

 あれ、もしかしておれ世の中に出たいかも、(相談しなきゃなぁ)とふと思ったが、誰にだぁと考えた。父さん母さんは医者で世間に疎いし殆ど喋った事がない、やっぱり、ばあちゃんだよな、泥水を啜りながら生きてきたばあちゃんは凄い、おれは明日会いにいこうと決めた。


 「後悔しない生き方をしたら良いよ、3年前禍福の法則の話覚えているかなぁ 誰もが皆好きな事出来る訳じゃない事はわかるよね、もうそこからプラス、マイナスの足し算引き算が始まるんだよ、好きな仕事イコール幸せじゃない事は覚悟してね」と苦笑いしてばあちゃんが、言ってくれた。

目を光らせて、声も小さくなり

「いじわるに聞こえるかもしれないけど、好きな事は、本当は仕事にしてはダメだよ、嫌いになってなしまうからね、好きな事は大事にとっておいてね、少しずつ楽しんで、自分が悩んだり苦しい時は助けてくれるよ、好き事はお守りなんだよ」って言っていたような気がするが、あまり聞いていなかった。音楽は趣味にしとけって言うことかなぁとも思ったが、

(後悔しない生き方するよ、ばあちゃんありがとう)と心で言った。

胸に小さいトゲが刺さっているようで少し痛いが、考えない事にした。

 

 帰り道、強風で前髪が、目の前にカーテンのようで気になった。

いつもは半分が定位置だった。

目も悪いのにメガネもコンタクトもしていない、小学5年生あたりから、世の中ボヤけて半分見えるくらいが、丁度良いと思っている。

 いつまでも中2病だなと思った、あれどうしたんだおれ、自分に驚いた。


 パソコンで描いた絵と曲を発表した。

パソコンだとそれらしく、見えるらしい。それって芸術家って事、違うだろうと思った。


 もうすぐ正月だ聴いた人の人数が凄い事になっている。暫くは見ない事した。

いつもと変わらぬ日常だ。

ネットの人数、本当かどうわからないが、怖いなぁと漠然と思った。

 正月開け2人の女の人が「CD出しましょう」と、おれの家に来た、

最初は何を言っているか、わからなかったがこのまま曲を作れると知って、高校卒業と同時におれのデビューが決まった。


  

  維士 小学生・高校生


1995年 維士(イシ・ドク)


「維士、ちゃんと黄色帽子被った、気を付けて行ってらしゃい」と玄関で、お母さんが僕に言った。

玄関の隣のtv から「日本上陸です、ウィンドウズ‘95本日発売日です、凄い行列です、」と叫ぶのが聞こえたので、びっくりした。


 下を向いて学校に向かって歩きながら、さっきのTV何だったのか気になった、あの叫びは少し怖かったが考えてもわからなかった。下を向いて歩いていると、黄色い花が、道にたくさん咲いている。

お母さんは僕に毎日(黄色い帽子は1年間しか被れないから、ちゃんと被って楽しんでね)って言うけど(何を楽しむの)僕は押し入れが楽しいけど、もしかしてお母さんが楽しいのかなぁと、小学1年生の維士は色々考えながら歩いたが、わからない事だらけだった。

 ベタベタ触ってくる人も、後ろから付いてくる人も、玄関に立っている人もいないので学校はつまらないが行こうと思った、(海の匂いが好きになった、道に咲いている花びらがたくさんある黄色い花も好き)とこの前お母さんに教えてたら、(潮の匂いって言うのよ、お花はたんぽぽって言うのよ、お母さんも好きな花よ)と教えてくれたのを思い出した。


 維士を送り出した朝は、一仕事終えた達成感が僅かにある、ここに引っ越してきて2か月たった。祖父の生まれ故郷だが、今は知り合いも遠い親戚もいない、人口5千人の海の近くの小さな町だ。

 東京で家族3人、細やかな幸せを夢見たが叶わなかった。維士の容姿は整い過ぎて人形のようだ、感情を全く表に出さない子どもで、人形が動いているように見える、泣く事もない。親の私でさえ日に日に増す変貌に驚く、周りが放っておくわけがない、色々な人達が集まって付いてくる、外出が出来なくなり、維士の人への恐怖心は尋常ではない、朝起きると、押入れに自分から入って行くようになっていた、幼稚園も1日で辞めた。夫だった人も毎日イライラしていた、維士への嫉妬なのか私が悪いのかかわからないが、家に帰ってこなくなった。人が少ない所に行こうかと考えてたら、祖父から昔聞いたこの地を想い出した。

 たぶん維士にとっては、この地も荊の道になると思うが、途方に暮れていた私には一本の光の道に見え引っ越して来た。

 神様の気まぐれで天使を地上に落とし、修行の為あらゆる苦労をしろと言う事だろうか、

どうしたらいいかわからなかった、維士を育て上げる事が出来るのか毎日不安だったが、守ってあげれるのは私だけだと思った。


 「これ維士くんにどう、キャンセル出たんだ」駅前のパート先の電気店の店長が箱を差し出してきた、ウィンドウズ’95だった。

普段寂し想いをさせているので購入する事にした。

夕方5時までのパートシフトだった、「ただいま」と家に入って押し入れを開けると、維士が枕を抱いてゴロゴロしてた。(今日も嫌な事あったんだ)と思ったが、

「これ一緒にやろう」とウィンドウズ‘95の箱を維士に見せた。

 


1997年 維士


 維士は、小学3年生になって2つの事がわかった、ひとつは背中を押されてると思っていたのが蹴られてた事、16人いる同級生が中学卒業まで一緒だという事だった。

 毎日学校で男子に意地悪される、ムシされる、蹴られる、女子は「維士くん、かわいい」って、うるさい、今日も背中を蹴られてた、息が苦しくも泣かなかった、何も言い返さない、自分の席の机の上を見て頭の中でみんな消していた、誰も居なくなると奥の奥に米粒の僕が口を開けているのがいつも見える。


 毎日家に帰るとパソコンのメモ帳という所に絵を描いた。最初の時はお母さんと一緒にやっていたが、今は1人で描いている。

押し入れが狭くなってきたが、まだまだ大丈夫だと思い、パソコンの明かりだけで描いてた。

 玄関で音がする、人が来たみたいだ、僕が学校からの帰り道にも知らない人が付いてきてる、僕はさっき玄関の鍵をちゃんと閉めたのを思い出した、

 この前お母さんに印刷機というのを買ってもらった、(描いた絵を印刷出来るのよ)って使い方を教えてくれて1枚印刷してくれた。

 描き終わったので印刷機で印刷しようと思ったが、音がうるさいのでやめた。僕は次の絵を息を殺して描き始めた。



2006年 維士(ドク)


「維士、帰る時間メール頂戴ね」ってお母さんが僕に言った。「ok」と返事をして駅に急いだ。高校3年生になった、電車で1時間かかる高校に通っている。

県内陸部の偏差値の高い進学校だった、この地域の同級生からはどうしても離れたかった。

 

 中学時代は殆ど学校に行っていない、小学生時代からずっと続くイジメに、心がついて行けなかった、食べれなくなりもう死ぬんだと何度も思った、(辛いか)って何千回僕は、奥の奥にいる僕に聞いたが、いつも小さすぎて口を開けているのはわかったが、答えは聞こえなかったなかった、

 どうなってっても僕はいい、僕の事だから、

しかしお母さんは中学校に行けなくなってた僕に(ごめんね)って、いつも声を掛けてくれた。いつも(散歩して来るね)と外に出て行き帰って来ると、息が震えているのがわかる、(泣いてたんだ)と、わかり始めたのは確か僕の体のあざが増えてきた小学3年生くらいだった、狭い家なのでお互いの一挙一動手に取るようにわかる、僕は泣けない、涙が出ない、もの心付いて小さい時から想い出しても泣いた事がない。僕が生まれた事で、全てを僕の為に生きてきた。申し訳ないと思う、小さな町だ、僕達母子は目立つ、目立たないようにしても息苦しい、

 パソコンで絵を毎日描いていた、

描きながらこの色に僕の血を入れたいと思いながら描いた、どの絵にも誰にもわからないと思うが僕がいる。

 

 なんとか高校受験は出来た、今は高校3年生になった。

 維士は電車の中で、朝の時間確認の為付けたTV を思い出した。影響力ある成功者が「辛かった事は経験上、時間が解決する」と、言っていた。「間違えだよそれぞれだよ」って教えてやりたいが、そういう事を言う人には理解出来ないだろうなぁ、時間ってどのくらいなんだろう、ちょっと油断すると物心ついた2歳くらいから鮮明に走馬灯のように思い出す、頭蓋骨が割れて脳が溢れそうになる 、もしかしたら、時間がまだ足りないのかとも考えたが、どうでもよくなって考えるのをやめた。


 高校3年間クラス替えなしで、座る場所も同じだった。前の席のヤツが振り向いて「ドク、大学どうすんの、やっぱ東大」って聞いてきた。

いつも通り返事がないとわかってか、直ぐ前を向いた。

 背中を見ながら(文武両道ってコイツの為の言葉だなぁ何処かの俳優のようだ、コイツみたいのが良い大学は入って、商社あたりに就職して日本経済引っ張るんだろうなぁ)と、進路を聞かれたせいか未来の勝手な想像をした。

 高校の入学式の後、前の席のヤツが、維士(イシ)って変わってるな、じゃあドクな」って

(イシ、医師、ドクターのドクらしい)それからドクと呼ばれている。

 

 誰も僕に必要以上に関わってこない、いつも下を向いて、目が悪く無いのにメガネをかけているせいか、この高校の生徒は、人間の種類が違うのか、前の席のヤツだけは僕に声をかける、後ろを向くのが好きなヤツだと思った。

 入学後間も無く、数字の問題をやっていると、前の席のヤツが振り向いて「同級生のうち8割以上は、高3までの数学終わって入学してきたヤツらだから負けんなぁよ」って笑いながら教えてくれた、

それを聞いて違う世界に入った気がした、中学もまともに出てない僕は知らない事だらけだった。


 小学3年生から描いた絵は1枚1枚習字の紙に挟んでファイルに綴じて保管している。全ての絵の右下にドクと入れた。

僕の解釈はポイズンのほうだ。

 誰にも言ってないが、一年前からネットのオークション代行で絵を売っている。大学に行く為の資金で、未成年の僕では取り引きは出来ないので、お母さんの名前でやっている(A銀行の通帳の表紙の絵良く見たいから、お母さんの名前で通帳作って良い)って聞いたら(作る時、入金するお金、はい、5千円)、ってくれた。

(嘘ついてごめん)と心の中で誤ったが、作る事が出来てホッとした。

 1番最初の時、いくらからオークション初めようか悩んで3000円にして1日で終了時間にした。

終了まで見ない事にした。終了後の65000円の金額にビックリした。

終了後は落札者の絵だ、丁寧に梱包してお礼状も入れた。全て匿名で直接取引はなく、間にオークション代行がはいるので安心だった。


「ドク、帰りラーメン食べよう」と前の席のヤツが帰り際下駄箱で言ってきた、今日はパス、用事がある」って僕は答えた。

17時に駅のマックで絵の購入者と会う予定だった。

なんでこうなってしまったのか、お母さんとしかメールのやり取りしてない為何かが間違えただろうか、それさえわからないが、とても気が重いし、怖い。

150万円の高額落札者だ、返金要求されるだろうか、未成年の学生の僕が行ったら怒り出すだろうか、怖かったが、僕の絵には僕が責任を持たなくてはと、まず150万円下ろしに銀行に行った。お金を下ろして、マックに行ったら30分前に着いた、そのまま待つことにした。

 緊張感と恐怖心が合わさり心細かった頭痛がしてきたので、メガネを外して待つ事にした。

17時にマック入り口に前の席のヤツが来た、僕を助けに来たと思い一瞬心が躍ったが、よく見ると知らない別人だった。



  信一 プロ・シンガー


2006年 信一


「信一、遅れないでね」「しゃべらないでね」

事務所の社長からだった。

「わかった」とおれは言った。ブログの人気者との飲み会だった。

一緒に飲んで食べて、写真を撮ってブログに載せて貰う。全くブログとか興味無いが仕事だ、しかたがない。

 20歳になってグッーと年とった気分だった。

 最近わかった事は、おれは商品だという事だ。高校卒業と同時にデビューして最初の一曲目から売って貰って新人ながら武道館3日間連続満員御礼コンサートもした。裏では、やればやる程赤字だと聞こえたが、おれには関係無いと思った。

 前は曲作り好きだったが、好きな音と売れる音は違うとか考えると良い曲が出来ないくなった、音楽や楽器が好きなヤツらは、音を良く知っているので、音を上下左右並べて、人の感情を揺さぶれる曲に仕上げる、パソコンからの音作りしか出来ないおれは、楽器の幅の広さが足りてない、プロの編曲に頼ってコレおれの曲と思う事があるが何も言わない。

 歌詞も酷い、言葉をしらない、感情も乏しい薄っぺらいおれは、「面倒くさい」「ウンザリ」「花」を無意識に何回も入れている、

花なんて、綺麗だと思った事もないのに、(花は綺麗だ)と入れている自分にウンザリしている、

定番の「愛」「恋」は宇宙の果てより遠い言葉だが、おれの側には中学の時から女も男も誰かいる、勝手に好きと言って勝手に嫌いになるらしい、ドアを開けてドアを閉めて出て行くが、面倒なので考えない、どうでもいい事だと思っている。おれには関係ない言葉だが、定番なのでこれもウンザリする程入れている。

最近「昔は良かった」って入れたくなるが、

20歳で「昔は良かった」は無いよねなぁと思う。

 ヴォーカルも酷い、一曲目のデモテープ作る時ミキサーの人が頭抱えた、全く倍音がないらしい簡単に言うと音痴だ、でもプロのミキサー達がなんとかしてくれる、生で歌うTVには出られないが、色々なプロジェクトが進行しているらしい、魔法を掛けるプロ達が、商品としてのおれを高く見せて売る、磨けば光る石ならまだ良いが、光らない石を光っている様に見せるプロ達は凄い、商品があれば売る、プロ達の、邪魔にならないようにするのが、おれのプロの商品としての仕事だ、換えの商品はいくらでもあるからだ。

 

 大きな会場で大勢に囲まれ歌っても、

達成感も高揚感も何もない、おれじゃぁなくても、誰でも光らせるプロ集団の仕事だ、

全てに興味がない、プロ集団に言われた事だけはやる、薄っぺらなおれはプロの商品という仕事をする、

感情なしで、言われた事だけやるのは1番楽だ、20歳のおれがそれで良いのかと、別のおれが聞くが、しっかり鍵をかける。面倒な事は考えない、最近は鍵が壊れる頻度が早い気がするが、全て面倒なので楽に生きようと思う。


 「信ちゃん、カッコいいね」「生、生、信ちゃん」と言って、おれにベタベタ触ってくるブログの人気者に(何なんだコイツは)と心で思ったが、笑顔を絶やさなかった。

次の日事務所に行くと社長が、

「もう載っている」と、パソコンでブログを見せられた。ブログの人気者とおれが笑顔で載っていた、

(いくら払ったんだ、たぶん車1台分くらいかなぁ)と頭を過ぎったが、直ぐおれには関係ないと思った。


 事務所の社長とは1年間一緒に暮らした

20歳を機に出て行ってもらった

(CD出しましょう)と最初に声をかけてきた人だ。なんでそうなったかは、勝手にドアを開けて入ってきた、いつもと違うのは出て行くドアをおれが開けてやった「愛しているのに」って、社長が言ってきたが、(はぁ、1年間暮らしてトータル1時間も会話してないのに、おれの何を知っている)って、言いたかったが、面倒なので何も言わなかった。 


「信一、忘れてないでしょう、後1週間以内に絵をお願いね」と社長が言った

 シングル特典におれの絵かぁ 面倒くさせぇと思った。


「明日の休み、岩手に行ってくる」おれが言うと「えっ、」と社長は驚いたようだが、「絵のインスピレーションの為だよ」っておれが言うと「絶対、日帰りね、わかった」と念を押してきた。


 ひと月前から絵は言われていた、デビューの時からセットの絵だ、今まで何とかパソコンでそれらしく描いていた。おれの嫌いな芸術家気取りのそれらしい。

今回も本屋に行ったりしてヒントを探していたが中々見つけることが出来なかった。

 オークションの絵ってどんなの出してんだって、急に思い立ち、パソコンを開けた。

 

 1枚の絵から目が離せなくなった、全体的に暗い色彩で無数の椅子が遠近法で描かれ、その上に無数の曲線が描かれいる右下にドクと、その側に米粒に見えるが違うなにかがある。椅子は最初ビルだと思った四角い窓が2つあるように見えた、よく見ると椅子の背に四角い穴が2つ空いていたこれはたぶん人の目の奥か、曲線は最初は風の流れかと思ったが、たぶん血管だ、角の米粒は人だ、全て想像だが感じ考えずにはいられない凄い絵だった、


 生まれて初めて、絵に吸い込まれて引き込まれている、体中、特に頭蓋骨が壊れそうなくらいの衝撃だった、パソコンでこれだけの表現が出来る人がいるんだと思ったら、おれの絵は緻密に描いて、それらしく誤魔化している絵だなと思った。

少し冷静になった、その絵には120万円の値段になっていて後30分で終了時刻だった。

 どうしても欲しくて150万円で落札した。

生まれて初めての達成感だった。

殆ど使う事がないので20歳の割には金がある

ので、安い買い物だと思った、

もし、おれの全財産で絵を売ると言われても、全財産出しておれは買う、そのくらい絵に惹かれてしまった。

 1週間後、偶然休みの日の朝早く、絵が礼状と共に届いた。画面を通さない絵は凄い、4時間くらい目が釘付けになっていたようだ、我に返ったらもう昼を過ぎていた。さっそくシンプルな額縁を買ってTV の前に置いた、(どうせTV見ないからここだな)って独り言を言った。1番目に付く場所にした。

 自分のメールアドレスを入れて返礼の手紙をオークション代行に送った。

(お買い上げに感謝致します。また機会がありましたら宜しくお願い致します。  ドク)

オークション代行を通さない本人から直接メールがきた、今まで感じた事のない喜びが湧き上がってきた。

 何とか繋がりたいと思いメールを返した、何回めかのやり取りの後

(ドクさんの近くまで仕事行きます。10分でもお会いしたい、、、)と、強引に何回もしつこいメールで会える事になった。無理矢理承諾させた感じになってしまったが、あの絵を描ける人にどうしても会いたかった。

 明日17時盛岡駅マックで会う事になった、

マックがあるのか不安だったがドクが了承したのであるのだろう、

 会う前日の夜は高揚感で寝れなかった、

どんな人が来るのか色々想像した、ばあちゃんの男版で、人生全て見てきました感を綺麗に畳んで閉まっている様な人か、80歳くらいで髭を生やしていて画家って感じの人か、パソコンで描けく絵は違った意味で奥が深いとか言う人かなぁとか 次から次と浮かんだ。

 あの絵を描ける人だ、只者ではないはずだと思った。


新幹線の3時間はあっという間だった。

どんな格好が良いのか、わからなかったが騒ぎを起こすとドクさんに会えなくなるので、いつも半分下ろしいる前髪を全部上げてメガネをかけた。おれはドキドキしながらマックに向かった。


 強引に取り付けた約束の17時に、おれが来た時には、異次元の容姿の制服姿の男子高校生はもう座っていた。とても目を引く容姿で、昔何かの絵で見た天使が大きくなると、こうなるのかと勝手に想像したが、おれは天使に会いにきたわけでないと、頭を切り替えてドクさんを待った。あの絵を描いたドクさんに早く会いたかった。


5分、10分と時間が経つ。

メールがドクさんから来てないかと携帯を開けると直ぐに、

(来られないようですので、帰ります ドク)とメールがきた。

おれは、慌てて周りを見渡した。

あの天使が立ち上がった。


 おれの体中から、嫌な汗が噴き出てきたが、

(来てたんだ、)(失敗した、)(待たせてた、)頭によぎったが、直ぐ側に行って「ドクくんだよね、来てくれてありがとう」と頭を下げた。

頭を上げた時、目と目が合った、(まずい)と思ったが一瞬引き込まれた、心臓がバクバクしだした。初めての事で何が起こったのかわからなくなった。

心臓がバクバクしたままなので、静かなところに移動したかったが、そのまま座ってもらった、「素晴らしい絵を売ってくれてありがとう」「わざわざ来てくれてありがとう」(ありがとう)と、おれは何度も言った、他の言葉を探す余裕が全くなかった、年長者だけを想像していたおれは、高校生相手にどう会話を続けたら良いのかわからなくなっていて「高校何年生」「3年」「あの絵はいつ頃描いたの」「中学」「食べ物何が好き」「特にない」

まるでインタビューだ、会話が出来ない、目を見て話を心掛けたが、油断すると引き込まれそうになる、わざとらしくならない様に何度も首元の校章に目を移した。おれは焦った、仲良くなりたい、離れたくない、どうしたら良いんだ

「僕、電車の時間ですので帰ります」とドクが言っきた。


時計を見ると18時だ、一緒について行こうかと思った、まさかなぁ変な奴と思われるよなぁ、焦った、もう会えない、一生後悔する、時間がない、短時間に頭の中で想いが騒ぎ出している

「仕事で盛岡に頻繁に来るんだ、電車までの時間潰し感覚で、話し相手になってもらえたら嬉しいけど、どうかなぁ」とおれの口から急に出てきた

「僕でよかったら、盛岡にくる時メールください 失礼します」と言って帰って行った。


おれはおれを褒めた、よく嘘の会話がすらすら出た。繋がった、また会える、帰りの新幹線はドクの事考えてたら、3時間が5分くらいに感じた。

そのまま事務所に寄って

「毎週金曜日休みたい」と社長に言ったら

(ぎょ)とした顔をしたが、昨日寝てないせいで顔色の悪いおれの顔を見て「10月までね後はまた考えましょ」と言った。

 まず家に帰って直ぐパソコンで首元にあった校章を頼りにドクが通っている高校を探した。見つけた時はドクを身近に感じた。毎週金曜日ドクに会いたいと願った。



  維士・高校生


2006年 維士


 前の席のヤツと勘違いした人が購入者だった。

返金要求者でも文句を言う人でもなかったので了承してしまったが、もう3回も毎週金曜日会っている、僕からは聞くことがない、まだ名前も仕事知らない、僕の名前も聞いてこない、本当の暇潰しのようだ、たわいのない話だけだ。

「夏休みに入るので、ひと月は駅を利用しませんので会えません」と僕が言ったら、

「あっ夏休みかぁ、会えないの残念だな」と笑いながら言ってた。


 帰りの電車で、僕は何をしているのか考えた。高額購入者へのアフターサービスのつもりか、名前も知らない人に惹かれているのか、どう考えてもわからなかったので考えるのをやめて、僕は受験生だと自分に言い聞かせた。


 夏休み中にも、僕の住んでいる町を見たいと、メールが来たが断った。その後も全て断った。



2007年 維士(ドク)


僕は大学が決まった。

前の席のヤツが「お互い合格おめでとうな、同じ大学だな」って卒業式の日言ってくれた。

「そうだね」と僕は返した。


 もう会う事がないと思っていた購入者さんからメールが来た

(卒業おめでとう お祝いあげたいのでいつ頃会えるかな 都合の良い日時教えてください)

(いりません)と返したいが、何度も誘ってくれて全て断った負い目が少しあったので

(明日 17時にマックで  ドク)と返した。

明日は最後の登校日だった、移動の先生方のお別れ会で、卒業式も終わっているので私服登校だ、(ありがとう 待ってる)と返ってきた。


 次の日マックで会った、だいぶ顔色が悪いが聞かなかった。「コレ、お祝い」と袋に入った箱をくれた。僕は話す事がないので「開けて良いですか」と聞いた「もちろん、どうぞ」と言われたので開けた、高級な腕時計だった

いつ頃か忘れたが、前の席のヤツが雑誌を見せてきて、この時計将来高級取りになったら、買う予定って言っていた時計だった。たしか200万円くらいだった。

 僕が黙っていると「気に入らなかったかなぁ 、返されても困るから使って欲しいなぁ」と軽く笑いながら言ってきた。

僕は高級腕時計を使える人間じゃない、僕の絵が高額だから勘違いしたのか

どうしたら良いか、困った。

「僕の家にきませんか 僕の絵をお礼にプレゼントします」と言ってしまった、

「えっ 良いの嬉しいなぁ 日時合わせせるよ」って言ったので「急ですが、明日どうですか」って僕が聞いたら「明日行くね」と即答してくれた。

「12時に僕の町に付く電車あります、それに乗って来てください 駅で待ってます 細かい事は後でメールします」と僕が言ったら

「わかった」と言って、

「今日は、コレ渡したっかっただけだから、帰るよ、後でメール待っている、あっおれ、田真信一って言うんだ」って言って帰って行った。

(田真 信一)名前を初めて知った、僕の心臓の奥がザワザワした、なんでだろうと思ったが、わからなかった。



2006年 夏 信一


 帰りの新幹線でドクの事を考えた。今日で3回会えた。まだおれの事、警戒しているのが何となく分かった。帰り際の

夏休みで、会えないと言われた。涙が出てきた。あーおれ寂しんだ、来週から会えない事を考えると胸が苦しい、涙ってどうすると止まるんだぁ。 あっと言う間に東京に着いた。

次の金曜日寂しくて、苦しくて、思いきって夕方メールを送った

(こんにちは、来週金曜日、一日空いてます、もしよければ、ドクくんの住んでいる町を見て見たいです。良いお返事を待ってます)

そのままの気持ちを送った、もっと上手い文があるはずだが、今のおれには思いつかなかった、


 何でこんなに寂しのだろう、苦しいのだろう、何とか仕事はやっている、仕事中はドクの事、思い出さないように、前以上にやってる、シングルとセットのおれの絵も世の中に出た、それらしくの域から、はみ出せない絵だった。

 でも、あの絵を描けるドクに釣り合いたいと思っている。

おれはおれ自身がわからなかったが、たぶん目と目が会った瞬間、恋に落ちたんだろ、本当は地獄に落ちたの、間違いじゃないかと思うが、どっちでもなんでいいから、どうすれば這いあがって、来れるか教えて欲しい、あまりにも苦しい居ても立ってもドクだけだ、

この思いを、ドクに伝えるわけにはいかない、一方的な片想いの様なものだろう、片想いが、どういうもか知らないが、

 ドクと出会ってからの日課は、アルコールを飲みながら、頭の中ではドクと会話している、いつまでもおれには敬語だ、距離感を少しずつ縮めたい、努力しているおれがいる。

会えないという現実に、途方くれて涙が出てくる。


日付が変わる頃、メールが来た

(こんばんは、何もない町です、他を観光してください お休みなさい  ドク)

 おれは少しは期待していたが、ガッカリした、もう少し押すか、悩んだが、

おれは少しは期待していたが、ガッカリした、もう少し押すか、悩んだが、返事ありがとう また今度盛岡で会おう)ってメールを送った、

仕方ない、これで良いんだと、自分に言い聞かせた、また涙が出てきた。


 恋が、こんなに苦しいなんて知らなかった、今やっとわかった、ドクと会う前は、恋に落ちたと言う意味が、

もっと楽しい事だと思っていた。


夏休みが終わった後は何度メールしても、毎回断られた。何というのか、絶望感の5乗くらいの気持ちだった。睡眠不足とアルコール漬けの毎日だった。


2007年 3月 信一


 おれはドクへの卒業記念の時計を選んでた。

とても迷ったが、全財産ドクになら上げても惜しくないが、迷惑の押し付けにしかならないので、手頃なのを選んだ。


(会ってくれる)ってメールが、ドクから返って来た。

胸が躍るとは、この事だ。


ドクは時計を、ジィと見ている、何か問題があるのか、気に入らないのか、わからなかったが、返されるのが一番困る、心臓がバクバクしてきた。ドクは全く嬉しいそうではなかった、間違ったのは何処だと、考えたがわからなかった

(返されてると困る)と軽くドクに言った。


 昨日から、今日で会うのが最後になるのか

今迄は、ドクの通っている高校を知っていたので会おうと思えば、会える気がしていたが、もう卒業だ途切れてしまうと、途方に暮れて、

(行き良い良い 帰りは怖い)と、何十回も口ずさんでいた、(童謡は怖いな)と、独り言を無意識に言っていた事、思い出した。


「家に来ませんか、、、、」ドクが言った

(えっ ドクの家)(直ぐ行きたい)一気に気持ちが高揚した、

(落ち着け)(落ち着け)と、自分に言った。明日はドクの家だ。


(好きなんだ)って言ったら、(何、言っているか、わかりません)って言われるよな、まだ数回しか会ってないし、会話はインタビューだしなぁ 

好きって言葉、違うよな、あぁどうしたら良いだ、ずっと一緒に、いたい、


好き、気になる、愛してる、、一緒にいたいが1番近い、

やっぱり、おれは言葉を、知らなすぎる。


 帰りの新幹線でドクから、明日の件のメールが来た

(降りる駅名聞いたので、全て大丈夫だ東京駅で駅弁買っていくから 昼一緒に食おう

明日12時 駅で  楽しみだ  信一)と返したら

(僕は、維士(イシ)です ドク)とまた返信がきた、色々考えてたら直ぐ東京に着いた


 そのまま事務所に行った。

 今日の休みも、昨日の夜のドクからの返信の後、急遽無理矢理もらった休みだった。

 今日明日の2日でCM撮影の予定だったが明日、1日で終わらせる事になんとかして、今日を休みにしてもらった。


「明日、休みたい」と、社長に言った

は無言で怒っていた、下を向いていたので顔は良くわからなかったが、たぶん怒っている。暫く、無言だった。

「おれ、生きて行く自信ないんだぁ、みんなに迷惑かけるのは、わかったている、中途半端な事して、今後仕事がなくなるのも確実している。


言いたくなかけど、毎日が苦しい、死んで忘れたいと思う、けど会えなくなる、会いたんだ、全ておれの我儘だとわかっている」と、独り言のように社長に言った。


なんの涙か知らないが、涙が社長の目から溢れていた。


無言で社長はパソコンを打っていた

(関係各位 様

弊社所属の、田真 信一は 急性胃腸炎にかかり3日間の入院となりました。 大変ご迷惑をお掛けしますが、何卒宜しくお願い致します。)仕事先に、一斉メールを送ってくれた、

「明日、明後日、2日あげる。なんとかしてきてね、」と社長が言ったので

「なんとか出来たらいいなぁ」って心許無くおれは答え家に帰った。


新幹線の始発は静かだった、

今日は首の皮一枚繋がった日だ、

涙が勝手にでくる、帰りを想像しただけでも気が狂いそうになる、何も考えないようにしても、涙が溢れる、ドクに会ったら笑顔だと心で繰り返した 


12時、おれは無人の小さな駅に降りた、探さなくても目の前にドクが待っていた。

前もって14時の電車で帰る事はメールで伝えている。

「時間があまりありませんので、僕の家で絵を選んでください」と歩き出した。

おれは駅弁をぶらぶらさせながら、たわいもない話を2人でして歩いた、相変わらずドクからは単語しか返ってこなかったが、最高に嬉しいかった。

木に囲まれた細い道で、古屋も所々に建っている。20分くらい歩いたら急に木の陰の古屋の前で止まった

「僕の家です」とドクが言った。

小さな古屋だった。涙が出そうなのを歯を食い縛って我慢した、涙ものの小説のようだと思った、玄関は2足並べば一杯だった、おれは元気よく「お邪魔します」と言って入った。


玄関から2メール先のテーブルの上に、綺麗にファイルされた絵が積み重なっていた、素手で触れないとおれは思い、「おれに良さそうなの選んでほしい」と、言ったら「わかりました」と、ドクが言ってくれた。ふとドクの右手を見たらおもいっきり握り締めていた、おれは見なかった事にした。一番上のを差し出した、(選んでくれてたんだ)と思い絵を見たら、引き込まそうで涙が出そうになり「ありがとう」って言って、もってきたカバンにしまった。


周りを見渡した、狭い流し台、小さな冷蔵庫、小さなタンス、小さなTV、煤けた襖の奥は、ドクの部屋だろう、だんだん慣れてくれると、何故か居心地が良くなった、安心できる部屋だった。

テーブルを見て「絵を仕舞おう、弁当食おう」と無駄に元気を出して言った「後でしまいます」と言って、下に下ろした。


弁当食べながら、「この家、びっくりしましたか、母と2人暮らしです、、、絵を買って頂きありがとうございます。時計もありがとうございます。大学の授業料と生活費の為、絵を売ってます。母には、奨学金とバイト代で大丈夫だから、仕送りは要らないと言ってます、、

初めて、信一さんと会う日は不安でした。高校生の僕が行って、何を言われるのか想像出来ません。

17時に同級生が、僕を助けに来たかと思いました。同級生と信一さんは、とても良く似ています。

その同級生が、ドクと付けてくれました。

この家に人を呼んだのは、信一さんが初めてです、人の名前を呼んだのも、信一さんが初めてです」と、淡々と話してくれた。

 「ありがとう 嬉しいよ」と、おれは返して歯を食い縛ってた。

不安にさせてた何て、知らなかった、普通に考えたらわかるはず、それさえ気付かず浮かれてた。泣くのを堪えて今は考えない事にした。


駅までの帰り道、少し心が落ち着いてきたので、ドクの絵を最初見た時の感動と、会える事に自分は嬉しいかったが、ドクには不安にさせた事を謝った。言わなければならない事を言えて安心した。

駅に着いたら、安堵感のせいか、潮の匂いがした14時の電車の次は16時だった。

ドクに「海が近いのか」と聞くと「近いです」と「海が見たい、16時で帰るけど、もし良かったら一緒に見ないか」と聞いた「いいですよ」と、ドクが言った。


 駅の反対側が岩の海岸だった、2人で岩に座った。沈黙も心地良かった、暫くして「おれの町見にこないか、ここは海だけど、おれん家の方は山だ、ここから日帰り出来る、父さん母さん仕事でいないけど近くにばあちゃんいるんだ」と言ったら、暫くしてから「行きたいです、

引っ越しとか色々あるのでなるべく早めでお願いします」と「急だけど明日はどうだ」とおれ言ったら「いいです」と返してくれた。

明日また会える、また首の皮一枚繋がった。


 昼頃ばあちゃん家に着いた

「久しぶりだね」と、ばあちゃんがおれに言った。「おれの友達のドクだよ」と、ばあちゃんに言ったら「ドクくん初めまして、良く頑張ったね、大丈夫だね」って、よく分からない挨拶をしてた。ドクは無言で会釈をしてた。

昼ごはんをたわいのない話をしながら3人で食べた。

 母さんが、今日は休みで家にいると、ばあちゃんが言ってたが、寄らないと言った。一瞬ドクは怪訝な顔をしたが、見なかった事にした。

帰り際ばあちゃんが、おれ達に「程々ね」って言って目を光らせて泣くのを堪えていているのが伝わった。


帰り道どこの大学に行くか聞いたら、東大だと教えてもらった。その後は、踏み込んだ話はしなかった、おれは焦った、後10分くらいで盛岡駅だ、ドクの家迄は付いていけない、今日中に東京に戻らなくてはならない、思い切ってドクに「おれを頼ってほしい、力になりたい」と真剣に言ったら、「僕からお願いしようと思ってました。ありがとうございます。2-3日中にアパート探しに東京に行きます、はっきり行く日が決まったらメールします。

おばあさんに合わせくれたて、ありがとうございました。」と、言って乗り継ぎの電車に急いで行った。



維士・大学生


2007年 3月 維士(ドク)


次の日、ドクは

(アパート探しに明後日東京に行きます。

時間が合えばお会いしたいです。  ドク)とメールを送ったが、返事は来なかった、

もともとの予定通り1人で探した。

 信一からのメールが来なくなったが、考えないようにした。メールだけの繋がりだったのでもう連絡の取りようがない、何があったかより、人は怖いと思った。僕の心を弱くする、信じて頼りたいと思った心を、簡単に壊すのも人だ、僕に無理矢理纏わりつくのも人だ、出会わなければ良かった、期待しなければ良かったと思った。心を保つ為忘れる事にした。


 新生活を始めて2週間が過ぎ、今日は大学の入学式だった。貰った時計も東京に来てから使っている、2週間経って手に馴染んできた。

 

 外出の度、色々な人達が声を掛けてくる、ついてくる、アパート近辺で待ち伏せしている人もいる、恐怖だった。怖くて怖くて大変な状況になりつつあるので、どうしたら良いのか考えていたが、わからない、頼る人もいない。お母さんに(東京に決めた)と言った時の心配様を思いだすと絶対に言えない。

 

 僕は、絵を描いて、絵の中にだけ入っている事が多くなった。

 

 殆ど外出しなくなったが、入学式には出ようと思った、外が怖かったが入学式は安全だと思い急いで向かった。武道館が会場だった。

会場前で後ろから「ドク」と聞き覚えのある声がしたので振り向くと、高校の時の前の席のヤツだった、「オッ元気だったか、ちょっと見ない間に痩せたなぁ、飯食ってる、もしかして母ちゃんの飯じゃないと食えない奴」って笑顔で言ってきた。

僕は答えないで、苦笑いが出ていた。

 一緒に行く事した。

 「入学式だなぁ、3年前高校の入学式思い出すなあー、ドクを見た一瞬 マネキンが歩いているって思ったなぁ、こんな人間いるんだって感心したのが昨日の事のようだ、今更だけどドクさぁ、おれの名前知ってるかあ、一回も呼ばれた事無いし、世紀(セキ)って名前だ、名前呼んでくれ」と言って笑った。

「セキか、初めて知ったよ、わかった」と僕も笑いながら言った。セキは僕の腕時計を、一瞬見たが何も言わなかった。

お互い住んでいる所が、近いとわかった、

「時給高いから引っ越しのバイトしてるんだ。忙しくて、ここ2週間全部外食だ。すっかり飽きた」と笑ってた。

「僕は自炊だよ」と言ったら僕の家に食べに来る事になった。


セキが夕飯食べに、毎日僕のアパートに来るようになった。セキが食材を買って来る。

大学は最低限行って、他の外出は殆どしない。

1人暮らしをして始めてのお正月にも家に帰らない事にした、外の奴らが実家まで付いて来そうで怖かったからだ、絶対にお母さんに迷惑をかける訳には行かないと思った。東京の大学に行くって言った時も、とても心配していた。小さい時の事は僕も覚えているので、お母さんが異常なくらい心配するのはわかったが、押し切って東京にきた、

(正月はバイトするから帰らないよ、

毎日楽しいから心配しないで  維士)

と、お母さんに8か月振りにメールをした、

(残念だけど、バイト楽しんで頑張れってね

 夏頃、維士を訪ねて来た人いたけど、住所とか何も教えていないので心配無用です、

名のらなかったので、、何かのセールスかな

元気でね  母)

と返信が来た。

 あぁ、信一さん携帯無くしたんだって思ったが、忘れる事に、した事だったので、もうどうでも良かった。

人に期待すると、期待通りに行かない時は辛い、人には期待しないと改めて思った。



2009年 維士(ドク)


 僕は大学3年生になった。

3年間で3回引っ越しをした。

入学式でセキと再会して以来、殆ど毎日夕飯は一緒だった。

 アパートの周りにいる人達がドク目当てだとセキは直ぐ気づき、最初は(すげなぁ)というだけで、軽く考えていたようだったが、1年生の夏休みには、真剣に引越しを進めてきて。「外のヤツら、何するかわかんねぞ、ファンのつもりが最悪のストーカーだなぁ、セキュリティしっかりしてた方がいいぞぉ 何か、あってからだと遅い」と、僕に言った。

僕も引っ越しは考えていたが踏ん切りが付かないでいたが、背中を押されて直ぐ引っ越をした。

その後2回引っ越しをしたが今も状況は変わっていない。最低限の外出だけだ。

 大学生活はもっと学生らしい生活をイメージしていたが、学生らしいってなんだろうと時々考える。セキのようにバイトと単位取る為に授業受ける事か、サークルに入って視野を広げる事か、色々考えてたがもう3年生になった

 僕の大学生活は、人から逃げることだなって思った、

 今年、何とか授業を受けて単位を取って終えば、4年生は何回か大学行くだけで卒業出来るはずだと思った。東京を離れようと最近は真剣に考えてた、卒業出来る目処がたったら、人が少ない町で絵を描きたいと思った。

相変わらず毎日絵を描いている。

高校卒業と同時にオークションに絵を出すのはやめていたが、昨年20歳と同時に3ヵ月に1枚のペースでオークションに出し初めた。

自分の通帳を作りお母さんにも、オークションに絵を出している事を、教えた、

(連絡ありがとう 維士も大人です、思い通りの事して下さい、オークションに高校生の時から出していたとは、少し驚きましたが、今度オークションに出す時は、教えて下さい。維士の描いた絵を見たいです。

 パート先の電気店閉めました。ここは働く所ないので、盛岡で仕事初めます、アパートも決まり、後はお母さんが行くだけです。

 ちょうど連絡しようと思ってました。

お母さんの事は心配しないで、維士は自分の事だけ考えてね 新しい住所 盛岡市---

また連絡待ってます 母)と、メールがきた

お母さんと連絡取ると、切なくなる、時々昔描いた絵を眺めた、当時を思い出す。


 4年生になる僕は2週間後、人口1万人の町へ引っ越しを決めた。


 ひと月前、セキに「4年生になるし、4年生は何回か行くだけで卒業出来る見込みなんだ、セキなら僕の状況わかったてると思うけど、外、凄いだろう、実家に帰るよ、学校に出る時だけ新幹線で来るよ」って、僕はセキに言った、

「毎日会っていたのに寂しくなる、ドクの飯も食え無くなるなぁ、この状況考えると岩手で就職探した方が良いなぁ、こっちよりはましだろうし、引っ越しするまで、俺が時間の合う限り守るよ、今まで何事もなかった事が奇跡みたいなもんだからなぁ」って言ってくれた。

「ありがとう」と僕が返したら、目に涙を溜めていた。


 2週間後に向け、ちょこちょこ引っ越しの準備を始めるた、

 昨日はネットで見つけた引っ越し先に挨拶に行ってきた、30歳くらいの独身の男の人の、今は誰も住んでいない親の家を借りる事にした。

古い小さい家だった。「静かな所で絵を描きたい」と借りた理由を言ったら、「静かだけが、取り柄の町だ」と言って笑ってた。

「引っ越し荷物とか、俺が受け取るから遠慮なく送ってくれ」と言ってくれた。

 今日は大学のロッカーの荷物をとりに行く。

約束の17時にセキが家に向かいにきてくれた。


大学の門の所で「ドク」と聞こえた。



  信一 24歳


2010年  信一


 24歳におれはなっていた。

3年前ドクから東京で会うはずのメールが届かなかった。

あの時おれは浮かれていた。ドクと一緒にいる事に有頂天で、バックは無意識に持って無意識に何処かに置いた。何処に置いたか全く想い出せない。次の日の朝、社長がわざわざおれの家に来て起こされて、携帯がない事、絵がない事に気づいた。貰った絵と携帯電話を何処かに置き忘れた。

気づくいた時の奈落の底に落ちた恐怖は、昨日の事のように覚えている。3日間無理に休みを取った為探せなかったが、丸1日の休みの日に岩手に行こうと決めた。

当時はおれはドクの岩手の家で住所を知れると思ってた。叶わなかった。ドクのお母さんに断られた。

 その後からの、地獄の日々の始まりだった。その前の会えない時期も苦しかったが、比べようがないくらい苦しい。お互い分かり合え、近くなった後からの離れはおれには辛い。

 時間が空くとドクの事ばかり考えただ、仕事を頑張れば、会えそうな気がした。ドクがおれに気づいてくれそうな気がいた。気づく位置まで登らなきゃいけない。

仕事が楽しいかどうかは微妙だが、やるしかない、今は、ネットで全て動かし、動かされているのが、おれがいる世界だ、誰かの手のひらの上で踊らされいる、人気がなくても1か月後には大スターになれる、なりたければ言われた事が出来る商品になる事だ、雑誌のインタビューも台本どおり、ネットのおれの発信も台本どおりだ、最初の時は自分の言葉で答えたり、自分の言葉で発信していたが、商品としての価値が上がっていくにつれ、作られて言った。載っているのを見れるば、おれこんなの(言ってない、)(書いてないなぁ)って思うのが、おれにはどうでもいい。どう見せるか、どう売るか、この世界ではあたり前だ、一言が命取りになる怖い世界だ、薄っぺらいおれの言葉は、危険過ぎるのだろう、流れが変わりそうになったら、総動員して修正、数字も変えて、世の中が動いているかのように見せる、巨大ビジネスだ。何処かのアカウント数が全人口より多いとネットニュースで言っていたが、ニュースでもなんでもない、普通の事だと思った。潰されない為もう少し躍れるはずだと思った。ドクに会いたい、踊らされていい、いくらでも踊ってるやるドクおれを見つけてくれ、と毎日アルコールに浸りながら願っている。


 会えなくなって丸3年ドクはたぶん4年生になるはずだ、後1年でこの校内で探す事が出来なければ、もう探しようが無かった。

3年間、休みの日は東大の構内散歩だった。頭の中から溢れるドクを忘れる事が出来たら、どんなに楽か、、ドクの絵に見るたび引き込まれて、儚げな青年に魅了され、少しの楽しさもなく、大声で泣き叫んだら楽になれるかとか、無意味な事とか、色々考らさる散歩も苦しい苦痛だ、アルコールが飲みたい、飲んで忘れたいなあと思った。


門から目立つ2人が来た

ドクが来た

思わず声をかけたら隣のSPが、スッうとドクの前に立った。

一瞬なんだとおれは思った、良く見るとSP ではなく友人であろう、背が高く体もがっしりした見た目の良い青年だ。

 「ドク、話がしたい、時間くれ」と2人が過ぎないうちに、会えた動揺を隠し直ぐ声をかけてた。

「大丈夫、知り合いだよ」と、友人らしき人にドクは声をかけ2人は見つめ合ったていた。

 おれの目にドクの腕時計が目に入った、一瞬気持ちが高揚した、(使ってくれてた)と思った。

 たぶん「大丈夫」「大丈夫かぁ」の軽いアイコンタクトなのだろうが、とてもショックだった、いきなり嫉妬という感情が襲って来た、(まずい落ち着け)と冷静なおれが少しいて助かった、


ドクは足を止めて考えていた。

「セキ、ここまでありがとう、ちょと話して帰るから、19時はご飯食べれるよにしとくから、そのあたりに来て、都合悪かったらメールして」と「おう、気をつけてな、じゃあ後でなぁ」と離れて言った。

 (飯作る、一緒に食べる、)なんだぁ、一緒に住んでいるのか、聞きたい事だらけになったが、ちゃんと話さなけばならない事がある。

 本当は直ぐ、(全てすっ飛ばすて、一生手を離さないで2人でいたい)って思ったが、はっと直ぐ現実に戻った。

「僕、ロッカーの荷物とりに行きますので歩きながら話して下さい」と、ドクがおれに、まるで興味がりませんと言わんばかりの敬語で言われたが、仕方がない、

 歩きながら「約束守れなくごめん、携帯無くしたんだ、次の日まで気づかなかった、ドクと3日連続で会えて嬉しくて、それしか頭になかった。最初に会った後3回会ってくれて、後は会えなくて、、受験生だったからあたり前だとわかっていたが、、、

今だからいうけど、毎日が苦しかった、辛かった、

おれが勝手にドクの絵好きになって、ドクに会ったて勝手にドクの事好きになって、

片思いって初めての経験で、毎日楽しいさなんてなくて、苦しくて、、卒業に合わせて会ってもらって、とっても感謝している、あの3日間は本当は天国と地獄の3日間だった。

会う前は嬉しいが、帰りのおれはどうなっているか考えると、耐えられるか不安だった。

 最後の日の夜は、おれは一緒に暮らすって勝手に夢見て決めてたんだ。

 連絡取れなくなった後は、探せなかった。岩手に行ったけど無理だった、

あたり前だよなぁ、、、、、

休みの日はドクの大学の構内うろうろして探してた。

 ドクにとっておれの今言った話、全て迷惑だと思う、聞き流してくれてかまわない、改めて友達になってくれないだろうか。頼って欲しいのは山々だけど、どの口が、言ってんだっておれが思う。

友達になって欲しい頼む」おれは一気に思いを言った、涙が出てきた、止まらない、ドクが気づかない内に止まれと願った。

 ドクは何も聞いてこない。紙にメールアドレス書いてくれた。

何処かに入って、もっと話さなければならない事があったがもう18時だ(夕飯作るから帰る)と言ってたなぁ、その事も聞きたいが、3年ぶりに会って嫉妬丸出しで聞いら嫌われそうなので、聞かない事にして、ドクの家まで送った。

大学から直ぐの高級マンションだった。学生が住む所に見えなかった。おれの家と同じくらいセキュリティがしっかりしていた、聞きたい事だらけだったが、「メールする」とおれが言っって分かれた。

 一瞬写真を撮られた気がした。ここ芸能人が住んでんのかあ、なんか人の気配多いなあと不思議な一角だった。

 ドクに会えた喜びで注意力散漫で、もっと気づけたはずの事を気づかなかった。


 夜、何度考えても、何もわからなかった。ドクの気持ちを知りたいと思った。 怒りも笑いも何も感情を出さなかった。(おれを頼りたい)って言った顔は何処にもなくなっていた。

おれが変わって見抜けなくなったのか、ドクが変わったのか、アルコールを飲んでいても、はっきりしているつもりの頭は、機能しなかった。


 次の日から毎日ドクにメールした、(短時間でも会いたい 何時から何時までどうだろうか。近くに行く)とおれの空き時間を教えて会いたい事伝えてたが、その時間帯は会えないと6日連続で断られた。7日めは、前もっておれの休みの日だからドクの都合の良い時間で会おうと約束していたので、明日はドクの家で17時から1時間だけなら良いと言う、返事は前からもらっていた。

 約束した日があるから、その他は断ってきたのだろうか、

 1週間めにしてやっと会える前日の夜、おれの仕事、一緒に暮らしたい事どう伝えたらいいのか考えたが、薄っぺらいおれには表現の仕方が思いつかず、心が落ち着かなくなったが、絶対に(言う)って決めた。

 おれは、また会えた、おれ達は運命で繋がっている、大丈夫だと変な自信があった。


 ドクのマンションの周りには、パパラッチかと思うような人が隠れている、(おれの事かぁ違うなぁどんな有名人住んでんだ、ここ )って思いながら入って行った。

プライベートは前髪を上げてメガネが定番になっていた、街で見かけてドクがおれだとわかるように、


 ドクの部屋は何もない、ワンルームだ、ベッド 4人掛けテーブル 小さい冷蔵庫 机とその上に置いてあるパソコンと印刷機

全く生活感がない、全部収納庫にしまっているのか、聞いても良いか迷った、岩手のドクの家も何もないが、最初は驚いたが10分20分と過ぎる頃には暖かい空気が伝わって居心地が良かった、狭い家もいいなぁと思ったのを思い出した。

 ここは寂しい、おれが間違ったのか、元々孤独なドクをもっと押したのはおれだ。

あんな絵を描き続けるドクの心の闇は深い、おれも魅了された1人だ。ドクの天使の容姿に惑わらせて心の闇を見誤った。おれが天使を地上に引っ張って崖から落とした。

 仕事を辞めてドクのそばに入るべきだった

あれもこれも欲張った代償がこの部屋だ、

どうしたら良い、頭が真っ白で思いつかない。

今、泣くわけにはいかない、それだけはわかった。

暫く無言のおれに

「このマンション、僕には似合いませんよね、

大学に近い所、探したらここしかなくて、家賃も高いですが、東京ですから仕方がないです。

 高校卒業と同時に、オークションに絵を出すのは辞めました、未成年で高額の絵を売って、お母さんとか大学に迷惑をかけてはいけなと思いました、1人暮らしで何かあっても大変ですし、、、20歳を機に昨年から、色々考えて目立たないように3カ月に1枚くらいだしています。

 もうすぐ4年生になります。まだ就職先決まっていません。お母さんの為には、なるべく早く見つけ様と思ってます。なんの変わり映えしない毎日です。」と、ざっくりと3年間の事を教えてくれた。ドクの腕時計がおれの目に入った。

 何も引っかかりがない表面の表面の話だった。

 おれもおれの仕事の事を言おうとしたら、うどん作るから、食べて行ってと言われて、これといって、絵を見せてきた。

 凄すぎて声が出なかった。明るい色彩だ、けど心が不安になる絵だ。一本の木が幹にある口で明るい日差しの中で叫んでる絵だった枝には枯れ葉一枚ついていない、枝の先が枯れかかっているのもある 右下にドク 米粒もある、、

暫くして (うどん出来ました)と、はっとして絵を返した。

 どうしても絵が欲しい、心臓がバクバクしている。たぶん20分くらいは見入っていた。もっと見たいと思った。

うどん食べたら18時だ、焦ったが、約束は守らないと次はないと思い帰る事にした。

 帰り際、「今日は、何もない僕の部屋に来て頂きありがとうございます。僕の携帯ちょと調子悪いので、頂いても返信しない時は調子悪い事を思い出してください。気をつけて帰ってください」って天使の笑顔で言われた。凄い笑顔だとおれは思った。


 この1時間を思い出しながら帰ってた。腕時計はたぶんいつもしているのだろ今日もしていた。

衝撃的な部屋、ドクの話、絵を見て、うどん食った。

おれは何一つ話していない、全てドクのペースのままに流された。

普段の仕事と同じだった。お膳立てされた上を進む、何かおかしい気がするが、わからない、絵に感動した心が大半を占めていた。

仕事のいつもと一緒だった、それだけはわかる。


毎日メールをしているが返信がこない、

調子が悪いって言っていたのは覚えている、

1週間たった頃には、おれは何も手につかないが、

曲を仕上げなければならない、CMとのタイアップで大きな仕事だ。バラードで繰り返し、サンバ調で盛り上がりバラードで締める、売れ筋の一つ飛び音階も繰り返しだ、売れ筋で行くと、段々同じ曲に聞こえる、何回も使っているコードもある。

似てると、おれ自身分かっているが、全てが狭いおれから出る曲だ仕方がない。おれの影武者がこの曲殆ど作った、おれならこう作るであろうとおれの変わりだ。プロの編曲家が壮大な曲に仕上げてくれる、全て台本どおりに、この1週間は台本の中身を2つも3つも飛ばして過ぎた感じだ。おれは最後に(最高のを作りました。)と発表の役割をする。台本どおりに。


 ドクのマンションにも何回も行った、静かだった。違和感を感じたがドクはいないようだ。

夕飯食べる約束してた友達が訪ねて来ないか1時間も2時間も時間がある時は待った。

そういう日々を過ごし、ひと月が経っていた。

 もう住んでいないと、思ったが4年生だ大学があるはずだ、おれは嫌われているのか、何をした。崖から落とした事か。

 ドクの部屋で会えた1時間は、最後のチャンスだったんだ。何か腑に落ちない気がしたが、全てドクのペースの乗った。

 ドクはおれの事どう思ったのだろう。わからない、苦しい頭の中に最後に見た笑顔のドクがいる、どうしたらいいか


 時間がある限りドクの大学の門にいた、ドクの友人に会う為に

もう7月、夕方でも暑い、(来た、絶対彼だ)

「ちょっと、いいかな、聞きたい事あるんだ」と「急いでるんで」と去ろうするので「5分で良いので、時間下さいお願いします」

と頭を下げてお願いした。

「何」「ドク何処にいるんですか」

「知らない」「教えて下さい、連絡取れなくなりましたお願いします」「知らない」「お願いします」「知らない」これでは埒が開かないと思い

地面に土下座してお願いしたが、去ろうとしたので、追いかけて、「頼む教えくれ、君しか知らないんだ、高校からの同級生だろ」と、おれが言っら「ドクが言ったんですか」と会話になった。ドクから目の前の男が同級生とは聞いていないが、たぶんそうだと、おれは思っている。「高校の時のドクの前の席だったろ」「そうだけど」「おれとドクはおれのミスで、すれ違いばかりなんだ、春に君と一緒のドクにあったのも3年ぶりだった、これからは大丈夫って思ったけど、いないんだ。元気だろうか、心配なんだ、お願いだ、教えてくれ、絶対にドクを傷つける事はしないから、頼む」と頭を下げた

 「ドクがあなたに言っていないのであれば、教えたくなかったからでしょう、そんなの簡単にすぐわかるはずです」と、言われた。

「わかった上でお願いしている、全ておれが悪い」

「じゃ」と言って、行こうとするのでついて行きながら「ドクが東京の生活初める時、おれが一緒に暮らす予定だった。岩手と東京、連絡手段はメールだけだ、おれはドクが東京くる日、携帯電話をなくした。ドクが来ると言う嬉しいさだけで、丸1日携帯電話をなくした事に気づかなかった。ドクは途方に暮れたと思う。おれはドクにおれの仕事の話はしなかったし、聞かれなかったので、仕事場に連絡も出来ない、その後、君と一緒のドクに、電話を無くして以来初めて会った。」と、おれが説明したら、立ち止まってくれて「ドクがどう思っていたか、ドクから聞かないとわからないなあ、仕事も言わない、聞かない、それで一緒に住む、おかしなこと言わないで下さい。何処が本当か知りませんが、ドクはあなたから逃げた、それだけです、」と言う。

まだ立ち止まってくれてた、「おれは岩手のドクの家にも行った、2間しかない古い小さな家だったが居心地が良かった、ドクもおれの家に来て、ばあちゃんにも会ってくれた。

 ドクは孤独だった、誰が居ても独りぼっちだ、ドクの心は外に出ないでドクを守っていたが、おれが外に出した、全て承知で助けたいと一緒に居たいと思った。

 ドクは絵で心を開放している、現実世界の仕事を、気にしていないと思っている。ドクを知っている君には理解できると思う、ドクにとって向きあう相手が何をして働いても、どうでもいい、大事なのはドクの事をどれだけ受け止めてくれるか、それだけがドクの望みだと思う。おれはミスをした、繋ぎかけた手を離した、ドクの心はドクを守る為、前以上、外に出るのを拒んでいる。

もしかしたら、おれじゃない誰かと出会って、良い未来があるかもしれないが、おれが守りたい、君には迷惑な話を聞いてくれて、ありがとうございます」と頭を下げた

「、、、、岩手だよ、実家に帰るって、東京は凄すぎて住めなかったからかな」

何を言っているのか、もう一度聞いた「凄いって、何が」と

「ストーカー、パパラッチ、ファン、色んなスカウトマン、芸能人より凄いんじゃないか、何回引っ越ししても、人数多くなって付いてきてたなぁ」と軽く教えてくれたが、恐怖だっただろう。マンションの違和感今更わかった。頭を殴られ気分だった。

「岩手か、ありがとうございます。会いに行ってくる」

「たぶん、岩手にいない、3年間毎日一緒に過ごした感だけどね」

「わかった、おれ田真信一これメールアドレスなにかわかったら教えてください」と頭を下げた」

メールアドレスを返してきた

「勘違いしないでほしい、つきまとってドクの事あれこれ聞いてくるのは、あなただけじゃない、100人以上には聞かれたよ」セキは、去って行った。


家でじっくり考えた、どうしたらいいか、ドクの東京の3年間少しわかった。

 助けてあげられなかった、ごめんドク、怖かったなぁ、良く1人で頑張ったな、、、、疲れて人のいない所だな、何処だろう、教えてくれよぉ、

 独りは寂しい、お願いだから生きていてくれヨォ、本当にごめんなぁ

涙が止まらない、もう会えないのか、探して会いに行っても迷惑かぁ、最後に見た絵、引っ越し決まって、ドクのメッセージだったんだ。

 ドクの部屋での1時間、ドクの台本に乗らないで、おれの思いを言うべきだった。

 あのマンションの違和感の正体に気づき、直ぐおれの家に連れて来るべきだった。

 出来たはずだ、側にいて前のように一歩一歩距離を縮めれば良かったんだ、

 たぶんドクはあの1時間に掛けたんだ。頼るに値しない人間だと、見切りをつけられた。

 ドクの台本通りに進むおれに、最後は電話が調子悪い、そうだよなあ、3年ぶりで腑抜けのおれじゃ、呆れてメールの相手も面倒だよなあー

涙止まれよう、もういいよ、

神様くれた1時間

神様が見せてくれたドクの住んでいるマンション

 どちらも、使えなかった、ドクごめん

ドクの方がおれより成長しているなあー

おれは商品だと謙虚に思っているつもりだが、驕りがあって、金があるから見下していたんだろうか、中身は全く子供のままだ

簡単に言えば、いい気になっている裸の王様だな

逃げて行くよな、苦しいなぁ、、、もう朝だった。


 次の日、12時から仕事だが、朝から事務所のソファで休んでいたら、社長が「載ってる」と一般週間誌を出した。(10代メッセンジャー田真信一 陰と孤独) と一面トップの見出し、(いくら払ったぁ一瞬思った)、中身は、面倒くせィ、くだらない、思春期が好きな言葉、中毒性の繰り返しメロディ音階サブリナル、独りが好きな事等載ってた、普通過ぎて面白いくないがマイナス面プラス面どちらを狙ってかわからないが、世の中マイナスの方が世間の同情を引きやすい。

 仕掛けを掛け、知名度を上げる為に載せてもらう、好き嫌いは半々に分かれても、ひっくるめておれの名前を知る、知名度さえ上がればいい、次から次とあらゆる媒体で仕掛ける商品の価値を上げる、一般週間誌かぁ、ふぅんって思った。どうでも良いが、「ありがとうございます」って一応お礼を言ったが、

 ドクを思い出し(孤独が好きな奴がスポットライトの真ん中で歌って踊れるわけないだろうボケっ、おれは目立ちたがりやで頭の中空っぽのシンガーソングライタープラス芸術家だ)って心の中で自虐で毒付いた。誰もおれに近づかない、教えてくれない、ふっとドクならおれになんて言うだろうと考えた。

(僕は何もいらない、食べる事が出来て、安心する家が在れば良い、僕はお母さんがいたから良かった。親のいない子供達の施設に寄付しましょう、その為に働きましょう)こんな感じに言うのかあ、(頑張りましょ)はドクなら入れないなぁ 涙が出てきた、

 最後に、(休みの日は散歩が好きなようだ、探し人がいるのだろうか)この文章を入れたい為に出版社はおれの記事載せてくれたんだなと思った。声を出して「目にゴミ入った」と、顔色の悪いおれが言っても、誰も返してこなかった。


 おれはこれから、生きていけるのか、どう生きていけば良いのかわからない、引退か、考え方がわからない、相談相手がいない。これが孤独なのか、違う 、なんでこんなに苦しのか、涙しかでない、もう会えないだろうか、未熟なままのおれにウンザリした


 

 維士 大学4年生


2011年 維士(ドク)


 ドクは大学4年生

「イシくん、片づいたね、おにぎり握ってきたから食べよう、ちょと歩くと海だ行こう」とセキに似ている、大家さんの大ちゃんが言ってくれた、

 目の前は海、後ろは山だった。小さな町だが東京まで2時間で行ける、たまに大学に行くには丁度良い。引っ越し初日「荷物全部、運んだ

よ、後は家の中で片づけだけだ、大家さん呼びじゃなく、大ちゃんって呼んで欲しい」

 前もって全て大ちゃんの家に、僕の荷物を送っていた。大ちゃんはその荷物を僕の借りる家に運んでくれた。


 海を眺めながら「友達になってほしい、この町では食べていけないから、、若い奴は殆どいないんだ、イシって呼び捨てで、いいかな、おれは高校卒業して5年間、オランダで花の勉強して、その後ここに戻って、チューリップ作って売っている、今度見に来いよ、」って大ちゃんが言ってくれた。「イシでいいよ」と言った。


 大ちゃんは、日に3度、ビニールハウスに行くらしい、11時に行く時は、僕の家に寄ってから行く、初めの頃は戸惑ったが、半年たった今は時間に来ないと心配になった。

 昨日、初めてビニールハウスに行った、何度誘われても行く気になれず、断っていた、気持ちが落ち着いたのか、見たいと思い、行ってきた。

 思ってた以上の大きなビニールハウスで入った途端、凄いの一言だった。一本のスッとした茎に、色とりどりの蕾一面に凄かった、全て造花に見えるくらい整っていた、孤高の花に見えた(僕だ)と一瞬思った、僕は自分の容姿、好きも嫌いも、無いが(鏡は絶対ダメだった、必要最低限だけ見る事にしている)人からどのように、見えるかは知っている。

 大ちゃんは、この花を作っているんだ、凄いと思った。温度管理で一年中出荷すると言っていた。違う世界の人間に思えた。


 2011年3月、大学の卒業式に出ることにした。

セキに連絡入れたら、びっくりされたがセキも出るらしく式場前で落ち合う約束した。

 式場まで近くに用事があると言って、大ちゃんが付いてきた。「終わったらメールくれ」と大ちゃんが言って別れた、近くいたセキがビックリしていたが、何も聞かれ無かった。「就職決まったか、俺はA商社だ来月からアメリカで研修だ、俺の英語通じるかなぁ」とセキが笑って言った。「僕は就職しないよ、皆んなに迷惑かかるからね、セキにも一杯迷惑かけ申し訳なかった」と言った。

「迷惑なんて、かかって無えよ」とセキは笑ってた。式も終わり「また」と言って別れた。


 卒業式の後、東京駅新幹線入口で、大ちゃんと待ち合わせた。皆んなが僕を見てる、声をかけてくる人もいるが、時間を気にする場所のせいか、しつこく纏わりつく人はいなかった、前程、嫌な感じではなかった、(あれ、僕変わったと思った)ゾロゾロと賑やかな、生放送中らしい芸能人一行が近づいてきたので、見ない、聞かない自分の世界に入った。絵を描く時や、嫌な事の時に使うが、最近では絵を描く時だけだった。

「ドク」と聞こえが、空耳だと思った。


「待ったか」と、大ちゃんが肩を抱いてきて、はっと我に返って、ホッとしたせいか、笑顔が出た。大ちゃんの顔を見たら、赤くなっていて肩を抱いたまま歩き出した。

 この数日後、大きな地震が僕の育った町を襲った、お母さんに連絡したら、内陸の方は大丈夫だと、僕の方を逆に心配された。


4月から無人駅舎で、個展を開く、大ちゃんのチューリップとコラボだった。


 半年前から、説得され続けた。目立ちたくない、人が怖い事、全部言ったが押し切られた。

地元新聞の、一行広告だけにした。広告費10万円は大ちゃんが払った、僕の分、半分を受け取ってくれなかった。大ちゃんが全部やるというので、僕は絵を出すだけだった。

 

 売る目的ではなく、見せる目的なので、小学生の時描いた20枚に決めた。

買いたい人は番号、住所、名前、メールアドレス、金額を書いて箱に入れる仕組みした個展開催終了後知らせする。

 チューリップは20本単位で、注文受けすぐ発送するので、大ちゃんは大忙しだった。盗まれる可能性も考えアルバイトを頼んで、11時から16時まで、駅舎にいてもらう事にした。


 1か月間の、開催も無事終了した。何故か期間中、耳の後ろがキリキリ痛いかったが終了と同時に治った。

 

 1枚の絵に信一さんが、300万円付けた。

大ちゃんに相談する事にした。「知りあいに、買って欲しいか」と、大ちゃんに聞かれた。「ウゥン、知り合いって言っても、数回しかあった事ないから、知っているくらいかなぁ、決めたルール通り売るよ、大ちゃんありがとう」と、言って信一さんに

(入札者様 貴様が300万円で落札致しました。購入希望の場合2週間以内に振り込みお願い致します。

キャンセルの場合2週間以内にお知らせください。     振り込み先。。。。。

ドク個展主催者)

事務的に信一にメールを送った。 



  信一 人気下落


2011年3月 信一


 東京駅新幹線入口で、おれはドクを見た。異世界の人間が、スーツを着て地上にいるくらい、目立っていた。心臓がバクバクして動揺したが、カメラを向けられ生放送中だ、歩きながらの囲み取材だった。口を開ける必要のない、TV受けの取材だった。ドクの側をすれ違う時、一行は、ドクに見惚れた一瞬カメラがドクに向いた、大丈夫かなと心配になった「ドク」と思わず声を出した。マイクに拾われた、しまったと思ったが遅い、ドクはマネキンのようにスッと立っていたが、誰のことも見てないように見えた。

 1年ぶりだった。

ドクの側に格好いい男が来た、肩を抱いて見つめあって、ドクの天使の超美形が、笑顔になって笑いあってた、何なんだ、ドクどうなった、その男誰だ、この一瞬でショックだった、仕事中だがイライラして来た、駅の外で待っている車に乗るまでが仕事だった。

 その後、戻っても、もういないだろう。車に乗り込み目を瞑った(会ったところで何を言うんだ、嫌われただろう)とおれが、おれに話かけた。この1年間は、未来がなく、もう探す意味も見いだせず、空だった。


 全て自分がやった事の結果だ、中身は子どものまま成長してない、自分に呆れてる。皆んなが神輿を担いでくれている世界は、異常な世界だが、おれが望んだ世界だ、

 何の為の仕事か、おれの歌に感動した人達の為か、よく考えろ、おれ、中毒性の曲で売ってもらい、感動させるよう、様々な仕掛けがあるCM 、ドラマ、映画、使って貰えれば莫大な利益になる、売り込みにも金が動く、あたり前の事だが、同じ人の曲をCM、ドラマ、映画で使ったら、ほんの一部のファン以外、離れていく、新鮮さがなく、心に入れなくなる、世の中おれを含めて、新鮮な喜怒哀楽感求めている、次はいくらでもいる、飽きられた感じに、片足入ったのはわかる。おれは、言われた事をするだけなので、軌道修正すら、出来ないでいる、仕事辞めてドクの側で、好きな曲をゆっくり作りたい。


 ドクの絵の邪魔にならない、絵のイメージの曲を作りたい、

今おれが作っている、1番・2番、イントロ・サビとかの売る、大衆音楽ではなく、

1枚のドクの絵に合わせて、壮大な曲を思い通り作りたい、

 叶わぬ夢かぁ、

あの男は誰なんだろう、どうやって調べたらいいのか、ドクがあんなになついている、たった1年間で、一瞬しか見てないが、恋人同士のように見えた、嫉妬心が燃え上がった、知らない男の事で頭が一杯だ。

 (疲れた)って、口から漏れてしまった。

 事務所に戻りソファに座ると、社長が生放送お疲れ様、TV見てたよ、映画タイアップ上手く行くといいね(主演女優と夕食後、朝帰りの新幹線ホームで直撃)約5分の生映像だ。

(いくら払ったか知らないが、元取れるのかぁ)と、思った。


 映像化で、歌い手の顔がわかるのは、当たらない、歌い手の顔が映像を半減させる、作り手は半減をわかっていても、人気のある歌い手に便乗したい、あらゆる媒体で大成功と言っても、実情は火の車だ、どっちも転ぶ確立も高いが、仕方がない、

 今回のは4年前依頼された、映画主題歌だ、お金が集まらなく、4年経ってやっと出来上がり公開だ、おれではダメだ、顔がわかりすぎて映画の足を引っ張るし、旬も過ぎた。今更感が強い。 

 公開に合わせ色々仕掛けるが、最近上手く行かない事が多くなった、商品価値下がったか、仕掛け人達の意識が低くなったか、どっちかと考えたら、同じ事だと気付いた。

 おれが問題かぁと、考えてたてたら、電話が鳴って、社長がとった。

  (TV局からで、朝の生は失敗だと言う、失敗とは局は、はっきり言わないが、話しをまとめると失敗)と社長は言った。


 おれは焦った、あの仕事のどこでミスをしたか考えた、歩く仕事だった、一言「ドク」言ってしまった、あそこか、後は思いつかない

あの一言で何百万も捨てたのか、歩く仕事も、満足に出来ないのかと焦った。

「最終から最後まで見てたけど、途中に超美形の男の人が、スッと立ってるアップと、カメラが引いて、美形中心に周りの人達が惚け、そこに違う美形が来て、肩を抱いて笑顔で去った、言葉だと長いけど、たった2・3秒の出来事よ、私も見ていて、よく覚えている、

 (この2人は、誰だ)(何の、撮影現場だとか)、凄い電話とメールだって、パンクするのは時間の問題だって、ネットでも拡散しているらしいよ、信一は薄くなってしまったって、、あぁ、、次、考えなきゃ、、なんかの撮影やってたの」って、社長が聞いてきた「一般人だよ」っておれは答えた。


(おれも、簡単に食われんだ、ドクおまえは凄いよ、)涙が出てきた。おれは、目にゴミ入ったって独り言、言った。

 1年ぶりに見かけてから、毎日気持ちが落ち着かなくなった、会える訳でもないのに、夜、毎日ネットで、(ドク 絵)を検索した。

 えっ今日は、検索に出た、個展を開くようだ。ドクの絵のファンの、つぶやきだった。

 あっちこっち調べて、4月に無人駅舎で個展、嬉しさが込み上げたが、会ってなんて言えばいいんだ、謝っても、泣いても(あっ、そうですか)って、言われそうだ。

 会いに行くと逃げられるのか、おれから逃げたのか、違うと思う、自信過剰過ぎる、

誠意しかないな、あの男と一緒なのか、たぶんそうなんだろう、目の前で仲良く去った姿を思い出した。

 アルコールを手放せない、25歳でアル中目前かあ、ため息と、涙が、出た。

 


 おれは、待ちに待った4月1日、休みを丸1日もらっていた。

 2時間の移動で個展を開いている駅舎に来た。数人が個展目当ての乗客だった。

 初日なのでドクがいると思ったが、椅子に座っているおじさん1人だった。アルバイトで11時から16時まで座っている、途中で違う人と交替するが、その人もアルバイトだと教えてもらった。

 20枚の絵、1枚1枚の側には1輪の蕾のチューリップ、一瞬ドクが立っていると錯覚させる、生の花だが整い過ぎて造花に見える、絵の邪魔にならないようにスッと立っている。

(チューリップ20本単位で発送4月2日より色指定不可)

チューリップも売っていたので、事務所に買った。

 おれは11時から16時まで、絵を見ていた。全部買いたいが、1枚だけに300万の入札金額を書いて箱に入れた。もしこの1枚が入札出来なかったらとも思ったが、高額でも嫌われそうな気がするので、書き直さなかった。


 15時以降は、飾っているチューリップをくれるという(生の花で悪くなる・と言う理由だ)

 花には詳しくないが、これだけ丹精込めて作った花だ、水さえ変えれば2週間くらいは持つはずだ、ドクの個展の為の花だったんだ、一瞬ドクに見えたチューリップは、

逆だった、ドクを守っていたんだ、1枚に1輪レイアウトが、あからさまに見えた、おれは自分に呆れた、気づくのが遅い、もう16時だ帰る間際にわかった。  

 このチューリップを出している人を、アルバイトに聞いた。この町でチューリップを作っている、とだけ教えてもらった。絵を描いた人は知らない、って言っていた。ドクはこの町にいることを、確信した。

 絵には感動したが、ドクの側のチューリップに嫉妬した。

 2日後、チューリップが事務所に届いた。


 開けてビックリした、20本頼んだのが30本入ってた事、一本一本和紙で包んで、その上蕾だけも、また和紙で包んで、豪華な御礼のカード入りだった。あの値段で、この花の数と、豪華さ、赤字だろう、頭がくらくらして来た、嫉妬通り越して、負けたくないと思った。

 ドクには内緒でやっている事が、手に取るようにわかる、全てドクの個展の為に、こいつは何者なんだ。

 「気が向いたから買った、飾ってくれ」と事務員に言った。

 毎日、見た事のないチューリップの君と、東京駅の男に嫉妬だった、何をどうしたらいいのか、わからない、ドクを忘れるか、忘れる事が出来るか、おれじゃない奴と、笑い会っている、見なきゃよかった、知らなきゃ、よかった、ため息しか出ない。


 落札出来た事、メールがきた、返信したいが、ドク本人からなのか、わからない。

絵を取りに行こう、思いついたおれは、その旨をメールで送った。



2011年 5月 維士

 

 信一さんから、メールの返信が来た。

会って御礼を言おうと、決めた。

高額で購入してくれた、もう僕も大人だ、昔みたいに逃げていられない場面が、これからどんどん来るはずだ、商売の御礼、言うのは大人として常識だと思った。

 大ちゃんに言ったら、「俺も同席する」って言われ「大ちゃん、忙しいから僕1人で大丈夫だよ、少し昔話も、したいし」って言って断った。

(信一さんへ

お久しぶりです。僕の絵、買って頂きありがとうございます。

4日後の日曜日12時 個展を開いた無人駅までこれますか。

 今、僕が借りて住んでいる家で、お昼を一緒にどうですか(僕の手作りで、口に合わない時はごめんなさいと先に謝っておきます)

もちろん、絵をお渡し致します。   ドク)

と送った。

 (ありがとう、日曜日行きます 信一)と返信が来た。

何を作ろうか、昔セキに好評だった餡掛けごはんとお吸い物と簡単なスポンジケーキにしようと決めた。

 日曜日、大ちゃんが、朝から僕の家に来た。料理作り手伝ってくれて助かったが、チューリップが気がかりだ。大丈夫なのかって何回聞いても、(大丈夫)って全然大丈夫じゃないはずだ、町を離れる時は日帰りでも人を頼むのに、今日は頼んでいないはずだ、300万出す人を見たいか、僕の昔の知り合いだから見たのか、「ちょと見たら直ぐ帰る」って何回も言っている。僕はその辺はどうでもいいが、チューリップが心配だった。

 駅まで軽トラで送ってくれた。歩いても15分くらいなので、歩いて行くと言ったら、駅で購入者を見たら、ハウスに行くって言うので乗せてもらった。12時着の電車で降りて来た。

約1年ぶりの、再会だった。

 「信一さん、お久しぶりです。絵の購入ありがとうございます。僕の大家さんの、大さんです。」と、隣の大ちゃんを、紹介した。

大ちゃんも「初めまして、イシとは毎日仲良くしてます」と変な挨拶をしてた。

「初めまして、田真です。ドクと仲良くしてくれてありがとう 感謝します」と変な挨拶を信一さんもした。「じゃぁ」と大ちゃんがハウスに行った。

信一さんと2人で、家に向かったて歩きだす。

「ここから15分くらいの所です。僕が個展開いたの、よくわかりましたね。買ってもらって感謝します。ありがとうございます。

 1年前、急に消えた感じになって、申し訳ありません、あの頃は、人間不信が強く急な引っ越しになりました。今は落ち着いた生活を送ってます」と、ドクが淡々と話しながら歩いた。

「今日は、会ってくれてありがとう、ドクが、今、幸せなら良い、

 でもおれはドクの隣にいたい。初めて会った5年前から気持ちは変わらない、ドクからみたら、おれは薄っぺらで頼りないだろうが、ドクを守りたい、気持ちは誰にも負けない。

 久しぶりに会って、いきなり、何言ってんだ、と思ってるだろう。

毎回失敗して、後悔だらけだった。ドク困惑しているのもわかる、迷惑な話だよなぁ、

でも聞いて欲しい、これからドクも個展とか、色々表に出る事になると思う。おれが全部ドクの面倒見たい、人生かけたい、この5年間働いた。でも虚しい、寂しい、一緒に笑いたいと思っている人が隣にいない、1年前も、似たような事言って、迷惑だったと思うけれど、ずっと気持ちは変わらない、

 お願いだ、側にいていいって、言ってくれないか、携帯をなくして、信頼まで失くした、

後悔、無念の毎日だった。ドクが東京にアパート探しに来る日は、おれの家に一緒に住もうって、説得するつもりだった。

 ごめんなぁドク、3年間辛い東京生活、守ってあげれなくて、、ごめん、謝っても時間は戻らないが、ごめん、

」と、信一さんが、僕に言って、泣きながら歩いてた。

 小さい家の前で

 「ここ、今借りている家です、お昼食べましょう」と、僕は言った。

 食べながら「僕は、絵を描いていたい、それだけです。

1年間、色々考えました。最近は絵を売りたいと思ってます。全てが、過敏だった頃は、自分の分身が切り取られるようで、耳の後ろの頭蓋骨がキリキリ痛かった。

 今は何百枚も溜め込んで、管理に困ってます。傷んで捨てるより、気に入った人に見てもらいたい、生活費も欲しいです。

 でも、まだ人が怖いので、僕は自分の力で個展を開けない、、今回は、大ちゃんが全てやってくれた。

これからも、大ちゃんが全てやってくれるって言うけど、甘えていいのか迷ってます。

毎日会っているので、安心感はありますが、ここにずっと住むつもりはありません、どこが良いのか、わかりませんが、ここは違う気がします。

 信一さんが、側にいたいって、どう言うことか、わからない、信一さんが僕のプロデュース全部やって、僕に信一の人生くれるという事ですか」ゆっくり僕は信一さんの目をみて言った。



2011年5月 信一


 もう直ぐ無人駅だ、おれがドクから絵を取りに来て良いと、メールをもらったのが4日前、ドクのペースに流されないように、話が出来る最後のチャンスだと思って、言うべき事を考えた、殆ど1年前と変わらないが、前回は聞き流されたが、今回は真剣に伝えたいと練習してきた。

着いてビックリした、東京駅の男だ、大家とは意外だったが、仲が良いらしい、直ぐ居なくなってよかった。


 昼飯を食べながらドクが近況を話してくれた。おれも練習した事を伝えらえた、

 おれは仕事を、辞めて来るべきだった。仕事が忙しい過ぎて、全て面倒みれるか、この現実的な事は考えていない。夢だけ見ていた。ドクの疑問当たり前だ、答え方を間違える訳にいかない、ここで失敗すると、後はない。

ドクが、目の前にいる幸運も、後1時間くらいか、

 決めた、人生全てドクにやる。

「おれの人生、全てドクにやる、おれはドクがいないと、生きていてもつまらない、この5年間、身にしみてわかった、ドクのプロデュースは全部おれがやる、ドクはおれの後ろに、いれば良い、窓口は、おれだ、側に居るは、その言葉のままだよ、一緒に暮らしたいって事だ」ドクの質問に答えた。

 暫く考えて「初めて言われました。人生くれるって、僕はもらえません。信一さんは、僕の事何も知らない、僕はたぶん10歳くらいから、成長してない。

 小学校に入る前は、東京に住んでいた、僕の周りは、大人がいつも寄ってきた。だんだん押し入れが、好きになった、お父さんも、たぶん僕のせいで、いなくなった。

小学校から、信一さんも来た事のある岩手の家だよ、小学校は、同級生から嫌われいた、僕は何も喋らないからかな、1年生の時ウインドウ95が出て、お母さんが買ってくれた、毎日遊んだ、3年生からパソコンで絵を描いているんだ、その頃、押し入れを卒業した。中学校は殆ど行っていない。お母さんには心配かけ申し訳ないと思っていた。

 高校、大学はセキって名前で、高校の時前の席のやつで、ドクと付けてくれた人が一緒だった、信一さんも会ったでしょう、殆ど毎日、夕飯は一緒に食べた。

大学4年でここに引っ越した

セキには(岩手の実家に帰る、大学のある日だけ東京に来る)と言った、セキに迷惑かけたくなかった、東京での生活は僕の事で、セキには迷惑かけた。

ここは、1年経ちました、聞いて、分かったと思います、僕は人と、関わってきていません、世の中の仕組みもわかりません、信一さんの人生もらっても、使い方わかりません。僕は、なにもいりません、普通に息がしたいだけです」と、ドクがおれに、ゆっくり思い出しながら教えてくれた。

涙が出そうだ、我慢した。

「ドク、ありがとう、辛かったなぁ、人に言ったのおれが初めてだろう。ドクのの初めて何度も、もらえて嬉しいよ、今、急には、ドクも戸惑うと思う、夏頃迄、ここの海と山を堪能して、絵を描いて、9月ごろから一緒に暮らしてくれないか、2人で少しずつ成長しよう、おれは、このままのドクで、いいけどなぁ、住む場所はドクが決めてくれ、おれはドクとなら、どこでも良い、どうかな」おれが、言うと

 「急な、話です」と、ドクが言った。 断られる覚悟だった。

 暫く、ドクが考えていた「僕が一緒でいいのですか、後悔しませんか」と、ドクが言った。

「決まった、おれはドクのものだ、ドクはおれのものだ」と、おれは思わず、言ってしまった。

(ドクはおれのもの)にドクも異存はないのか少し不安だったが、これから毎日メールするよ、これはおれの電話番号、実家の電話番号、ばあちゃんの家の電話番号、仕事場の事務所の電話番号

と言って紙に書いた。ひとつの連絡手段なくなっても大丈夫なようにした。

「ドクひとつだけ約束してほしい。

どんなにおれを嫌いになったとしても、黙っておれの前から、居なくならない事、おれは生きていけなくなる」とドクに言った。

 「わかりました。信一さんも」と言ってくれた。

「おばあさん元気ですか」って聞いてきたので「ドクと帰って以来帰っていない、今度一緒に行ってくれないか」と聞いたら「おばあさん、信一さんの事待ってます、僕も行っても良いんですか嬉しいです、いつにします」と聞いてきた。ドクはいつでも良いと言ったので、ばあちゃんに連絡してから決める事にした。「たぶん10日以内には大丈夫だ」と言っておいた。

もう16時になっていた、

「なぁドク、今日東京に来ないか、おれの家に、明日おれは仕事だけど、ドクはおれの家でのんびりしても良いし、絵を描いてもいい、もちろんここに戻って来てもいい、急すぎるけど、どうだろうか、家と仕事の事務所を知ってもらいたい」暫く考えて「タブレットと着替え持っていきます」ドクが言った。

(やった)本当だよなぁ嬉しいとおれは思った。

無人駅最終上り電車の18時に2人で乗る事にして、

生ゴミとかの片付けをした。

 17時頃、あの東京駅の男がドクの家に来た

「あっ、大ちゃん、丁度よかった。今から東京に行ってくるよ、帰りは明日かな、直ぐ帰ってくるよ。個展の絵、全て発送終わっているから心配ないよ」とドクが東京駅の男に言った、

ビックリしていたがおれがいたので、言いたい事を我慢しているようだった。「気を付けてな」と言って帰った。

 おれは購入した絵を受け取った。何処にも忘れるなと、心で誓った。

 

 無人駅に歩きながら僕の話していいですかと聞いてきたので「もちろん」と、おれは言った。

「小学生、中学生の時は16人の同級生がずっと一緒でした。僕が喋らない子供ですから、嫌われても仕方がなかったと思います、その当時は、人数が多かったら1人ぐらい僕の友達になってくれたかなと、 毎日空想してました。

高校はみんな大人でした。僕のこと気にする人はいません、みんな自分の夢に向かって勉強する生徒の集まりでした。前の席の奴だけが、僕に声をかけてくれました。僕は10回に1回くらいしか返事をしませんが、気にしないで声をかけ続けてくれました。偶然大学の入学式で会い、外食飽きたと言うのがきっかけで、毎日夕飯一緒に食べました。

 東京の生活は、初めて2週間くらいで辛くなりました。その後3回引っ越しました。

外に出ると人が来ます、怖かった、

僕の住んでいたマンション、ビックリしたと思います。学生が住む家ではありません。人が怖いからああいう部屋ばかり探し住んでいました。

 ここに逃げて1年過ぎました。

この町に来て、初めて、絵を通さないで、自分を考えました、

やっと、やっとです。自分と向き合う事が出来ました。

小学生の時から、絵に自分を向けていたので、僕が僕と、向き合う事がなかった。

 僕は間違えてました。

小さい時から、外は怖いけど、家は快適に出来たはずです。僕は家の中にも、怖さと孤独を持ち込んでいたのです。

東京では一人暮らしが寂しくて、恐怖と孤独を、家で育ててました。僕が僕を、辛くしていたって、わかりました。

 もう1人の僕が言います、お前の絵の原動力は孤高の恐怖だろうって、そろそろ折り合いもつきました。

もう押し入れの好きな僕じゃありません。

 小さな個展でも、ビクビクしていましたが、終わって仕舞えば寂しいです。

 もし4年前、一緒に東京で生活初めても、直ぐダメになったと思います。

僕がその頃は、まだ押し入れが好きな、少年だったからです。

 ここの1年間、僕は僕と向き合い考えた、時間だけはありました。

今は少しずつ、人と向き合わないで、刺激が欲しいです

やっとです、こう思えるようになるまで、時間がかかりました。

(僕を守ってくれる人)見つけました。丁度波長があったんですね、」と、ドクがゆっくり喋りながら歩いた。

「ありがとう」と、おれが言った。



2011年5月 維士


 20時東京駅に僕と信ちゃんは着いた。

電車でたくさん話をした。

信一さんを信一と呼んで欲しいと言われた、言いづらいので、信ちゃんにしてもらった、直ぐ慣れるだろう、僕もイシに替えてもらった。ドクは、今からの僕ではないと言ったら(そうだな)と言ってくれた。

信ちゃんは芸能人らしい、僕が知らないので説明に困っていた。

 東京駅から、歩いて10分くらいのマンションの15階に住んでいて、同じマンションの10階に、仕事の事務所があると言っていた。

 場所の感想は、よくわからない、信ちゃんが一緒ならどこでも良い、僕を助けてくれる。

 「まず事務所に行っていいか、イシを紹介したい、近いうちに、一緒に住むって言おうと思う、気が乗らないなら、日を改めるよ、今日じゃなくてもいい、どうする」と、僕に聞いた。

「一緒なら行きます、僕が困ったら助けて下さい」と、言った「大丈夫だ」と信一が、力強く言ってくれた。

 事務所の社長だという女の人が、驚いていた。急な訪問だからか、

5分くらいの訪問で信ちゃんが「細かい話は今度する」と社長に言った、信ちゃんと僕は、信ちゃんの部屋へ行った。

 広い部屋だった。2人ともお腹がペコペコだった、お昼も話に夢中であまり食べなかった。残ったご飯をおにぎりして持ってきたのと、マンションに来る途中で、買ってきた惣菜、果物、お菓子をテーブルに並べ、一緒に食べた。

 部屋を見渡す余裕が少し出来たが眠気も出てきた。

 夜景も凄い、家具もあまりないが豪華に見えた、TVの前に僕の絵があった、今日の絵も信ちゃんが隣に飾ったが、見ない事にした。

 ソファの隅が気に入った。信一も隣に座り(恋愛の意味で、僕を好きだと言って、頬にキスをした)

 わかっていたが、僕は表現の仕方がわからなかった、だいぶ汚い部屋だけど、今は気にしない事にした。僕と体を繋げたいと言われ、好奇心もあり、初めてでわかららないと言ったら、教えるよって、耳元で囁かれて服を脱がし始めた、勃たせてくれて体中舐めてどっちがしたいか聞かれ、入れたいと言った2人で信ちゃんをほぐし、指で気持ち良いとこを押すと辞めてくれと言いつつ気持ち良さそうだ、僕のを入れて何度も気持ちよさそうな所を突いたきつい締めつけで僕も気持ち良かった。依存症になる人の気持ちが少しわかった。

 すごく眠くなった。色々あった日だった、寝るなら、こっちと手を引かれた。大きなベッドに横になったら、すぐ寝てしまった。

 次の日の朝、信ちゃんは仕事に行っていなかった。8時になっていた。

(食べ物、飲み物、冷蔵庫に入っている

帰る時、外に出る時はメールをくれ 信一)とテーブルの上に、書き置きがあった。

昔、お母さんがテーブルの上に書き置きしてたのを思い出した。

 昨日の夜は、1日の疲れで、この部屋の感想は曖昧だった。外を眺めた。天の上のようだ、息が楽だと思って暫く立って、外の景色を眺めて、昨日の信ちゃんに、僕も好きだよって言った。

 部屋を見渡した、TVの前の、僕の絵が気になって、2枚の絵をクローゼットにしまった。大学3年生迄は、描いた過去の絵を眺めた。ここ1年は描いた絵は見ない。見ると落ち着かない不安になる。

シャワーを借りようとしたが、余りに汚ないので最初に掃除をした、その後お風呂に、お湯をたっぷり入れた。こんなにゆっくりお風呂に入ったの生まれ初めてだった、お風呂から上がると12時になっていた。

パンと果物を食べた。この後どうしようかなと考え、まず部屋の掃除をする事にした。掃除道具は直ぐ見つけた。2時間かけて、まずまず綺麗になった。凄いゴミの量で、アルコールの瓶が多いが、捨てるの面倒なんだろうと思い、後でゴミ置き場聞こうと思った。

いい運動をした感じだった、冷蔵庫の中も掃除したら何も無い(賞味期限切れは全部捨てた)昨日買った食べ物と飲み物だけになった。

 買い物に行きたいが、行って良いのかわからない。

(近くに、食べ物を買いに行って良いのか マンションの出方と入り方、教えてほしい)と、信ちゃんにメールを送った。(2時間、時間が空く、20分で迎えに行く、一緒に買おう)と返信がきた。

 ソファで横になって待った。少し寝たらしい、向き合うように信ちゃんがいた。

「起こすのかわいそうかな」と思って(見てた)と笑いながら信一が言った。ヨダレって言って口元を手で拭いてくれた。「ウソだよ」って笑ってた。

寝て起きた頭では、どうでもよい事だった。

一緒に近くのデパートの地下で、日持ちするものを買った。

「今日、帰るかまだ決めてない、信ちゃんはまだ仕事だから、帰る時はメールするよ」と僕が言ったら「ゆっくりしていけよ、今日まだ絵描いてないだろう、違う環境で描くのも気分転換になるだろ、イシ次第だけどな」

 ゴミ置き場とマンションの出入りを教えて、そのまま仕事場には行った。

 僕は「帰るか」って思った。3カ月後には一緒に住む事になる。じっくり何をしたいか考えて信一に伝えよう、近いうちに、おばあさんに一緒に会いに行くし、直ぐ信ちゃんと会える。

 (帰るよ おばあさんに会いに行く日決まったら教えてほしい)と、メールを送ったら、    

(わかった、帽子もメガネもクローゼットにある、適当に使ってくれ、明日の朝なら、おれが送って行ける)と直ぐ返信がきた。

 (もう暗くなってきたから、1人で大丈夫だよ

20時に無人駅に着く予定)と返した。

 20時ごろ無人駅に着いた。最終の下りだった。寂しいって思った。家に帰っても待っている人がいない、信ちゃんのところは、仕事でいなくても、帰ってくるのが分かっているので、安心だった。

 寂しくて、家に帰って直ぐ寝た。



2011年5月 信一


 おれは焦った、イシと連絡が取れない、20時30分には、家に着いても良いはずだ、メールを何度送っても返信こない、シャワーかと思い22時まで電話はしないで待った。22時に電話した、電話にも出ない、何が起こった、事故か、イシが気が変わってどこかに行ったか、おれは今何が出来る、車を持っていない、免許証がない、どこに行くつもりだ、どこだろう、わからない、

事務所に行って社長に相談するか、今日の事を考えると無理だった、朝まで待つ事にした。

 

 今日の朝5時から仕事だった。イシを起こさないようそっと出た、

いつもは来ない、社長が車に乗り込んできた、現場まで30分、

(生放送の美形だよね)(信一と同じ時計だよね)(4年くらい前からしている時計だよね)(あの4年前の生きる死ぬの相手なの)(そんな昔から付き合ってたの)朝から、何なんだぁ、(よね、の、うるさい)社長、寝ないでずっと考えてたんだ、

 おれも、考えなければならない事ある、

2年単位の契約を、事務所とおれはしている、3月の更新契約をまだしていない、もうすぐ2か月が過ぎる、忙しく後回しになっていた、(よねの)質問に答えないで「契約、今は切れている、再契約は今の段階では未定だ、考える」と社長に言った。

「えっ、何言っているの、色々信一中心のプロジェクト動いているのよ、それらの契約破棄の違約金払えないでしょ、ここまで売ってあげたのよ」

「売ってもらい感謝してます」と、おれは機嫌が悪そうに言った。後は無言を通した。

現場に着いた。(後で社長とはゆっくり話をする事にした)

 

 21時に仕事が終わり、事務所に寄らないで部屋に帰った。イシがいなくて寂しい、絵を探した。夕方一度戻った時、TVの前に絵が無い事に気づいたが、イシの気持ちがわかったので、聞かなかった。

クローゼットに絵があった、どうしようか、(出すか)、眺めてクローゼットにまた置いた、

 イシに、無事着いたかどうか、メールをしたが返信が10分過ぎても無い何度も、メールを送った。22時まで待って電話もしたが、繋がらない。朝まで待つ事しか出来なかった。

 心配で寝れなかった、まだ4時だ、迷ったが電話をかけた、1度目は出ない、もう1度かけた。

うッえぇ、繋がった「もしもし、イシか、もしもし」と、おれが声を張り上げると「あっ、信ちゃん、おはよう、早いねェ」と寝ぼけた声でイシが言った

「どこにいる」と、おれが聞いたら、「家だよ」とイシが言った「昨日の夜から連絡つかなくて心配してた、声を聞けてよかったよ、安心したよ」「あぁごめんなさい、家に帰って来たら1人で寂しくて、不貞寝したら本当に寝てしまって、、たぶん20時30分には寝ていた。心配かけてごめん」とイシが謝ってた、「良いんだ、まだ早いから、また寝ろよ、夜メールする、じぁ」と、おれから電話を切った。

(寂しい)って、(おれもだよ)って独り言、言った。

ここ2日アルコールを飲んでんいない、こういう日が来るんだなぁ

 おれも寝よう、12時に目覚まし時計をセットして寝た。

12時に起きた、忘れないうちに、ばあちゃん家に電話をかけた。出ない、出かけているのか、わからないので、おれの家に電話をかけた。 「田真です」と繋がった「おれだけど、母さんいたの、仕事は休みなの、ばあちゃん、どこにいるか知ってるかな」と聞いた。

「母さん仕事辞めて、家でおばあちゃんのお世話しているの、だからおばあちゃん、この家にいるよ、代ろうか」と言った。「えッ、ばあちゃん、どういう状態」「うぅん、寝たり、起きたり、食べたり、食べれなかったりかな」

「そうなんだ、5日後、日曜日、昼頃友達と行くから、ばあちゃんに伝えておいて」とおれが言うと「わかった、伝えるね」と、母さんが言って電話を切った。

おれは動揺している、母さんが仕事を辞めた事、ばあちゃんが寝ている事、おれの足元が崩れる感じがする。また、考える事が増えた。

 イシに、日曜日に決定した旨メールをした。

仕事の時間だった、後で考えようと思い、急いで部屋を出た。



2011年5月 維士


 凄いメールの数と着信履歴だった。心配かけた、信ちゃんは寝てないで、たぶん4時の電話だ、あの後僕は、また6時間くらい寝た、

今度会ったら謝ろうと考えていたら、大ちゃんが来た、あぁもう11時だった(寝過ぎだ)と落胆した。

「おはよう、昨日帰って来たのか」「そうだよ」と僕が答えると「楽しかったか」と聞いたので「別に」と答えた、細かい事は2人がわかっていれば良いと思った、大ちゃんには関係ない事だ。「知ってるくらいの、知り合いに着いて行って心配してた、何かあったのか」とまた聞いてきた。「特に何もないかな、あっそうだ、今度おばあさんに、会いに行く事になった、4年前に会って以来だから楽しみだよ」といったら「よかったな、、、2人お揃いの腕時計だったな」「えっ、そうだった、気にしなかった」と僕が驚いていると「えッ、知らなかったのか、てっきりお揃いで買ったと思った」と逆に大ちゃんが、驚いていた。まだ聞きたそうだったがビニールハウスに行った

 信ちゃんから(日曜日に決定)とメールが来た

5日後かあ、楽しみだ、絵を描こうと思った

 毎日夜は、メールのやり取りを信ちゃんとやっている、土曜日に信ちゃんの部屋に泊まって、日曜日に一緒におばあさん会いに行く事にした。

 土曜日の夜、信一の部屋で、僕がおばあさんの為に描いた絵を見て、信一は泣いていた。僕は何も言わないで先に寝た。

 


2011年5月日曜日 信一


 電車の移動中「ばあちゃんさぁ、おれの家に居るらしいんだ、だいぶ弱っていて、母さん仕事辞めて、ばあちゃんの世話しているらしい、5日前に電話して初めて知ったんだ、だいぶ動揺したよ、直ぐイシに言うか迷った、動揺が収まってから、落ち着いて言おうと思った、今日の行き先は、おれの実家だよ、

ごめんな、まだ動揺、収まっていないんだ、

母さんの事とか、ばあちゃんの事考えると、勝手に涙が出てくるんだ、

 おれは小さい頃、母さんが大好きだった、いつも一緒にいたかった、

腕とか足にボコボコした後がたくさんあって、女の人にはあると思ってた、、が子供心にも聞けなかった、最後にまともに顔見たのウィンドウズ95を買ってもらった小3の時だよ、後はおれが反発してて、部屋に篭りパソコンで音楽作ってた。

ばあちゃんは、じいさんと結婚しないで母さんを産んだ、母さんの反抗期は、おれ以上に大変だったと思う、

 おれの中学の時、隣の席の綺麗で頭の良い女の子の腕と足に包帯が増えていくんだ、周りに興味のないおれにもわかった、クラス中の妬み嫉妬のターゲットだった、わかったが助けなかった、たぶんあの女の子が、母さんだ、母さんは人に助けを求める事はしない、

母さんが仕事を辞めた事もショックだった。

イシと同じ大学で6年勉強して2年研修医して大学院で4年勉強して、知識を頭に詰め込んで働いた、それを辞めた、母さんはたぶん(ゆっくりしたくて辞めた)という、本当は働く事が生き甲斐なのに、ばあちゃんの為に、おれにも手を貸せって、なんで言わないだ、なんで遠慮するんだ、おれの今までの態度のせいか、

確かにこの15年数えるくらいしか、話をしていない、あきれるだろう、顔もまともに見た事ない、7年ぶりに母さんに会う4年ぶりにばあちゃんに会う、

疎遠なおれに、助けを求めないよな」おれが言うと「今日からだよ、今まで子供だったんだ」と、ゆっくり、真剣な顔でイシが言った。


昼頃、おれの家に着いた。

7年ぶりの実家だ、なんか気まづいが玄関から入った「ただ今」声をかけた、「2階よっ」遠くから聞こえた、2階に上がって、ばあちゃんが寝ていそうな部屋を覗いた。母さんはベランダで洗濯物を干していた、おれを見て「お帰り」って、誰だか一瞬わからなかった、イシに見えた

(あっ、メガネしていない)母さんの顔、イシに似てるんだと思った。「おれの友達のイシだよ」と母さんに言った「ゆっくりして行ってね」イシは頭を下げてた「ばあちゃんは」「こっちよ」と案内してくれた。「おばあちゃん、信ちゃん来てくれたよ」って声をかけて、

母さんは部屋から出て行った。ばあちゃんは、ベッドに横になったまま「ありがとう、会えて嬉しいよ、もう会えないのかなと、思っていたところだったよ、ドクさんも、一緒でありがとうね、、2人とも元気だった、私はもう少しだけかな」と、小さくなったばあちゃんが、笑いながら言った。おれは、一瞬グッと、涙を堪えた。

 おばあさんコレと、イシが絵を差し出した、ばあちゃんは受け取り、驚いていた。

「僕がおばあさんを思い出して、描きました、」一面たんぽぽだった とても繊細で力強く踏み潰されても立ち上がって、様々なたんぽぽがすべて、笑っているように見える、凄い絵だった、右角にドクとあった、この絵にはドクがいなかった。「ばあちゃん、ドクって絵を描く時の名前なんだ、本当はイシって言うんだ」とおれが言ったら「どっちも良い名前だね」とばあちゃんが言った。

「7年前ばあちゃんが、おれに言った言葉の意味わかったよ、好きなものを仕事にするなって、そうだよな、やっぱ、ばあちゃん凄いよ、おれ、もう一度、考えて良いのかな、がんじがらめで身動きとれない時、どうしたらいいか、わからないんだ」

 ばあちゃんは、少し考えて「7年前、言った言葉だけど、後悔しない生き方をしたら良いよ、何回でも考えていいんだよ、がんじがらめで苦しい時はね、逃げなさい、逃げて良いのよそろそろ、わかると思うけど、人の一生なんて、あっと言う間に終わりだからね、

生き方は自分次第ね、10年くらい前に話をした、禍福の法則が全てよ、不思議だよね

 もう2人とも経験していると思うけど、何度でもあるからね、何事も程々にね、出る杭は打たれる、あたり前だよね、

 信ちゃん、影に呑まれないでね、後悔しない生き方をして生きてね、

 生活が回るくらいの、お金があればいいの、それ以上はあっても幸福になれない

 イシくんは自分で絵を売らないで、人に頼んで売ると良いよ

 絵がお金に化けると好きな絵が描けなくなるからね、今の信ちゃんかな、間違えてたら信ちゃんごめんなさいね、もう直ぐ居なくなってしまうのに、たくさん心配させるのね、でも、ありがとう、あなた達を残して、私だけが楽になる訳いかないね、まだいるからね、、、、

信ちゃん、お願いがあるの、あなたのお母さんの事、忘れないで欲しい、お願いね、」と、ばあちゃんに言われた。

 母さんが顔を出して、3人分のお昼ご飯、ここに持って来たと、お盆を寄越して来た。出前のお寿司だった、息子もお客さんだった。

ばあちゃんはベッドから起き上がり、3人で食べた、ばあちゃんは半分残した。

 食べた後、イシとばあちゃんが話しをしていた。

 おれは2人の話を聞かないで、先程の話を考えていた。

(後悔しない事、程々に、逃げても良い

悩んだ時、この3つ、想い出すと生きて行ける   

 最後はばあちゃんからのお願い(母さんを忘れないでね))

 おれと母さん、どうしたらいいのか15年の空間は長過ぎた、母さんは腫れ物に触るようおれに接する、ずっと機嫌悪く、舌打ちばかりで、何を聞かれても無視していた。陰険なイジメをしてたんだ、あの同級生達より悪質なイジメだった。

ばあちゃんに、忘れないでと頼まれた、情けない、ばあちゃんもおれに気を遣っている、子供の頃から、わかってた、みんながおれに気を遣っている。


13時だ

イシと話していた、ばあちゃんに「おれらも、ここでゴロゴロするから、ばあちゃん少し寝ろよ、17時ごろに帰る予定だ」と言って座布団を半分に折って、枕にしておれは横になった。

「僕、2時間くらい、その辺を散策してきます。」と言ってイシは出で言った

「携帯持ってけよ、迷ったら電話しろな」と声を掛けた。


 ばあちゃんはベッドに横になり、目をつぶっていた。おれも目をつぶってた。

目を瞑りながら、「信ちゃん、あなたのお母さん1度だけ私を頼った事あるのよ、

小さい時から1人で大丈夫っていう子供で、私の事も守る勢いの子供だった。たぶん全て我慢していたのね、

私は働く事に、忙しかったから、40歳を過ぎて、初めて私に聞いて来たの、信ちゃんあなたの事よ、

(自分の育て方間違えた、けど、どこを間違えたか、わからない、この1年考えながら接したが、日に日に遠くなる、どうしたらいいのか教えてほしいと、)言いながら泣いていたよ、限界だったのね、」と、ゆっくりばあちゃんが教えてくれた、

おれも、目を瞑りながら「ばあちゃん、母さんにどう答えたの」と聞いた。

「ナイショ、たいした事は言って無いよ、機会があったら、母さんに聞いてごらん、、信ちゃん、あなたの母さんは凄い人なのよ、再生医療の分野の第一人者で様々な賞、講演、TV解説、全部辞退してたの。知り合いの人との電話の会話聞こえて、親子で目立つ訳にいかない、息子も私も潰されて、息子の足を引っ張る訳にはいかないって、表に出るのは全て断ってた。

 今は私の為にねぇ、施設が良いって、何度も言って、仕事は辞めないで、世の中のあなたを必要としている人を、助けてあげてと何度もお願いしたのよ、、、後悔したら、生きていけないって、、母さんを忘れないでね」

ばあちゃんが言った。

おれの知らない話で、主人公はおれだなって思った。心が痛い。

「ありがとう、ばあちゃん、おれさぁ、昔も今も、何も知らないんだ、裸の王様だよ、おれは言われた通り動く商品、毎日苦しくて、でも全て動いているから、止まれないんだ、どうにか逃げるよ、おれ好きに音楽作りたい。誰かの為じゃなく好き勝手に、だから趣味でいい、食べる分だけ働く」と、ガッカリさせる事を、ばあちゃんに言ってしまった。

「うん、それが一番だよ」ガッカリしたと思ったけど、逆で安心した。「信ちゃんの今いる世界は異常だからねぇ、今も昔も興行の業界は、変わらない、大きなお金に敏感の人達の集まりだからねぇ、良い子にしないと消される、何も知らない子たちには魅力的ね、大衆を惹きつけるのを作って、認められる人っているのかしら

大成功と声高々に言っているところほど、根回しにお金かかり過ぎ感あるし、その辺は信ちゃん詳しくよね、

好きに作るって、やっぱり趣味が気が楽、

 「昔、映画の巨匠が作った映画の良さがわからないので、本人に聞いたの、(あなたの映画の良さがわからない、見るコツを教えて)って

(僕は見てほしいなんて、思って無いよ、自分が好きなように作るだけ、雨の場面ほしいなら、頭の中のイメージした雨が、降ってくれるまで待つよ、思いつきで急に俳優に裸になってもらう事もあるよ、全部そんな感じで作り上げるよ)って笑ってた。

 その時わかったの、この人の周りの人達が巨匠を作ったって、彼も商品だって、裸になった俳優達は消えた事さえ知らないのよ」

「何も知らない、子供が使いやすい、そう言う事、」おれに向かって、おれが言った。ばあちゃんは目を瞑り、微笑みながら、「信ちゃんは絶対に裸にならないでね、なったらあっと言う間に消えると思うよ」と言ったので

「ばあちゃんの経験上の話はあっていると思うよ、俳優は演技で、おれは音楽で勝負って事だろ、もしおれが裸になったら、音楽ではもう無理って事だろうなぁ、」と言って、、、ちょっと、やべェ、最近ネットで、全部同じに聞こえるって騒がれて人気が急下落だ、思い出した。


まだ13時30分だった。



2011年5月日曜日13時 維士


 僕が階段を降りたら、信ちゃんの母さんが台所から出て来た。「2時間くらい散策に行ってきます」と、声を掛けた。「行ってらっしぁい」と聞こえた。外に出ると、母さんが走って追いついた。「一緒に散策してくれますか」と僕が聞くと、嬉しいそうに「ありがとう」と言って一緒に歩き始めた。「今日は来てくれて、ありがとう、おばあちゃんも5日前からずっと楽しみにしていたし、私もずっと待ってた、高校卒業して以来会っていないの、もしかしたら、この先一生会えないのかなと思ってた。もし、おばあちゃんが元気だったら、家にはこないからね、」と、母さんは歩きながら言った。

「母さん、迷惑じゃなければ、僕、2週間後にまた来て良いですか。おばあさんの事気になるんで、もし母さんが暇な時、僕の話し相手になって貰えれば嬉しいです。」と言ってしまった、信ちゃんに相談していないなぁ、怒るかなぁ、色々思ったけど信ちゃんの母さんと友達になったと言おう。

「えっ、良いの、大歓迎よ、何も、もてなし出来ないけど、いつでも、来てくれて良いのよ」と喜んでくれた。

「信ちゃんも僕も、これから、どんどん変わる予定です。さっきから、母さんの事、母さんと呼んでますが、なんと呼んだらいいですか」

 「母さんでいいかな」と母さんが笑顔で言った。

「おいおい僕と信ちゃんの事、話しますが、とりあえず僕は、絵を描いてます。信ちゃんは、僕の絵のお客さんでした。

今年の3月、母さんと同じ大学を卒業しました。今は東京から離れた人口1万人の小さな町に1人で絵を描いて、暮らしています。

4月に無人駅舎で個展を開いて貰いました。

20枚出品して20枚売れました。

暫くは生活、大丈夫です」と教えたら

「食べれなくなったら、いつでも待ってるね」と、言ってくれた。

母さんとメールアドレス交換した。

「今日は、人生で2番目くらいに、良い日だった、イシくんという、お友達が出来た、ありがとう」

「大学の後輩です、同等の友達でいいんですか」「友達でお願いします」と笑って母さんが言った。「2週間後の日曜日に、またきます。信一ちゃんには聞いていませが、僕1人で来れます。手伝いなんでもします。普段一人暮らしなので、寂しくて、楽しみができました」

「待っているね」と母さんが涙声でいった。

近くにある、おばあさんの家の中に入った、懐かしかった、ここにおばあさんがいないだけで、4年前と変わっていなかった。寂しいと思った。

「そろそろ15時、信ちゃん待ってるね」と母さんが言った。

2人で家に入ると信ちゃんがいて「一緒だったのか、母さんもいないから、どこに行ったのかと思った」と信ちゃんが、驚いた様子で言った。

「母さんに、おばあさんの家とか、案内してもらった、懐かしかった。あっ、僕2週間後、またここに来るからね、僕が決めたから、母さんも良いって言ってくれた」と一気に言った「えっ、そうなんだ、わかった」と、納得いかない顔で言った。

2階のおばあさんの部屋に戻り

「今、母さんに案内してもらって、おばあさんの家行って来ました。4年前と変わっていなくて懐かしかったです」と、おばあさんに言ったら、「もう私が、あそこの家で生活することはないね、住んでくれて良いのよ、」と寂しそうだ。「あっ僕、2週間後にまたきます、母さんと、友達になりました。僕と母さん同窓なんです」

「信一の母さん、ずっと仕事ばかりで、友達がいないから、ありがとう、待っているね」と、喜んでくれた。

「僕の絵、飾ってくれたんでですね、」

「信一が、寝ながら1番見えるところに飾ってくれたの、」

「僕の絵、おばあさんに見てもらって嬉しいです、今度来る時は、チューリップを持ってきます。借りている家の大家さんが、チューリップ農家なんです」と僕が、おばあさんに言うと、直ぐ信ちゃんが、

「えッ、あの大家が、チューリップ作ってイシの個展に飾ってたのか、気づかなかった」と、言って、考え込んでいた。

別に気づく必要ないけどなぁ、と思った。

そろそろ帰る時間だった。「また来ます」と僕が言うと「じぁ」と

信ちゃんもおばあさんに言った。

 たぶん信ちゃん、別れの言葉、言えないのだろう、本当は一杯声かけてあげたいだろが、今も泣きたいのを、我慢していた。


 帰り「今日はありがとう、自分の家に帰るよ、途中迄一緒だね」「えっ東京に泊まれば」と「信ちゃん、明日仕事だよね、僕も絵を描きたいんだ、このまま帰るよ」

「そうか、わかった、大家、毎日来るのか」と、いきなり大ちゃんが、出てきてビックリした。

「大ちゃんの事、うん毎日来るよ、忘れないうちに、チューリップ頼んでおこう、そういえば、僕と信ちゃんの腕時計お揃いだって言ってたけど、あー同じだ」

信ちゃんの腕時計を見た。

「あれぇ気づいていたと、思ってたよ、同じ時2つ買った」と、あっさりと言っていた。

僕にはどうでも良いので「そう」と言って黙ってた。

途中の駅で、信ちゃんと別れた。



2011年5月15時 信一


 おれには、こういう時間が必要だったんだ、足元に大事な人がいたのに、見えなかった、近いうちに母さんとも、話しが出来たら良いなぁ、後悔しないうちに。

時計を見ると15時「ばあちゃん、おれちょっと下、見てくる」と、声かけた。

 母さんとイシが、一緒に帰って来て驚いた。

2階に戻り、イシがばあちゃんに、2週間後に来ると言ったら喜んでいた。イシに気を使わせてしまった。

 

 夜、寝ながら考えた、イシが、自分の家に帰るのを、強く引き留めれなかった、まだ不安定な関係だ、これからの道を、まだ決めていないからだ。しっかり考え、最終的にはイシの絵を、世の中に出したい、その為の道順をおれが考えなければならないと、思った。

 ばあちゃんも心配だった、後、チューリップの大家だ

 おれは1年前に、大学の校内で、3年ぶりにあった時、腕時計見ても、あえて言わずにいたのに、何なんだ、あいつは、余計な事言いやがって、イシはだいぶ懐いている、危険だ、

 早く道順決めないと、おれは後悔で生きていけなくなる、今まで失敗ばかりだった、今回は最後のチャンスだ、3カ月後には一緒に住む為に、まずはおれを変える。


2011年 5月日曜日 維士


 信ちゃんのおばあさんに、4年ぶりに、会った。

小さくなっていた、まるで別の人に見えた。

考えて、いかなかった、移動中、弱くなって信ちゃんの家に、おばあさんいる事は聞いたが、変わった姿を想像しなかった事を悔やんだ、老いと病いは、そういう事なのだろう。

 盛岡にいる、お母さんに会いたい、と一人暮らしをして、初めて思った、年をとっているだろうか、心配になった。

 

 信ちゃんのおばあさんに、僕が軽い気持ちで、会いに来るのは何か違う、来るべきではなかったのか考えたが、来てしまったので、僕の誠意をみせようと、まず絵を差し出した。

 僕が知っている、おばあさんを描いた。

この1年間、描き終わった絵を見返す事はなかったが、おばあさんの為に描いた絵は、何度も見た。

 おばあさんは絵を、喜んでくれた。

信ちゃんは4年ぶりに会って、僕以上に動揺したと思う、

2人を見ていると、来て良かったと思う、信ちゃんの仕事の悩み、初めて知った、毎日苦しかっと思う、僕ではわからな事をおばあさんが、全部受け止めていた。

 僕にも、助言をくれた。(自分で絵を売らない事) 忘れないように書いた貼っておこう。

 信ちゃんは、考え事していて、聞いていなかったが、昼ごはんの後、僕はおばあさんと色々お話をした。

 僕の絵の話を、軽く話した、小学3年生の頃から、パソコンで絵を描き続けている事、高校生の時から、インターネットのオークションに、絵を出している事、ひと月前初めて個展を開いた事を教えてた。ニコニコして、おばあさんは、聞いてくれた。

おばあさんの事を思い、描いた絵を説明した。(自分が、描いた絵を説明するのは初めての事だったので、うまく伝えられるか、不安だった)

「たんぽぽは、僕の小学1年から6年までの、道標でした。学校に通う、道なりにありました。行く時は、励ましてくれて、帰り道では、僕の代わりでした。

 地面に、這いつくばって、笑顔とか、泣いていたりとか、色々な表情が見えました。

あまり楽しい小学校時代ではなかったですが、たんぽぽに守られていたと、思います。

信ちゃんのおばさんに初めて、会った時、(たんぽの精だ)と思いびっくりしました。上手く伝える事できず、もどかしいですが、偉大だと言うことです、僕の気持ちです」

「ありがとう」と、おばあさんが言ってくれた。


 信ちゃんがおばあさんに、休むよう促し、僕は信ちゃんの母さんと一緒に、散歩した。

 母さんの口から、信ちゃんとは、もう一生会えないと思っていた、と聞いた時、

辛かった、この言葉を言わせるまでの、信ちゃんと母さんの関係の歪が辛かった。

 僕が、何かを言えるはずもない、

2階にいる僕達に気を遣い、一緒の席に来ない、信ちゃんも母さんを呼ばない、。

(ふっと、いずれ、僕が母さんの立場に、なるのかぁ、、、怖い、と思った)


 信ちゃんの母さんだから、ではなく、こんな茨の道を歩いてきた、この人を知りたいと思った。次の約束をした。


(盛岡のお母さんにも会いに行こうと決めた)



 僕は東京に寄らないで、借りている家に帰ることにした、信ちゃんも、特に引き留めなかった。信ちゃんと僕の事、僕と盛岡のお母さんの事、考えよう、

 

2週間後の信ちゃん実家は、母さんの話が聞きたいなぁと、思った。


家に着いて

(近いうちに、日帰りで盛岡に行きます。

お母さんの、仕事の休みの日、教えて 維士)

と、メールを送信して、直ぐ寝てしまった。


 次の日の朝、携帯を見たら、メールの返信が2件あった

 盛岡のお母さんから(木曜日休みです、待っている)と、信ちゃんから(おやすみ)


 お母さんに昨日の夜、休みの日を聞き、日帰りで帰るとメールした、信ちゃんには、着いた事と、もう寝る事をメールしていた。


(木曜日に帰る 維士)と、お母さんにメールした。少し楽しみになった。


9時になった。いつもより早いが、大ちゃんが来た

「2日も、いないから、寂しかったよ、で、どうだった」と笑いながら言った。

「1日半だよ、うぅん、おばあさん小さくなっていた、、僕が描いた絵、喜んでくれたよ、2週間後、僕一人で行く、チューリップ20本くらい持って行きたいけど、大丈夫かなぁ」

「当日の朝、とってやるよ、」

「大ちゃん、大変だから、前の日でいいよ」

「東京に寄らないだろう、当日が1番綺麗だ、20本でいいのか」

「ありがとう、20本でも、折らないで、もっていけるか、不安だよぉ」と、僕が言ったら

「一緒に行こうか」って

「えっ、それは変」って苦笑いが出てしまった。

「そうか」と、ガッカリしていた。


一応、伝えようと、

「木曜日に、お母さんに会いに、盛岡に日帰りで行ってくる。もう4年お母さんに会ってないんだ、実家って言っても、2年前にアパートを、変わって、まだ見てないんだ」と、僕が言うと

「そこなら、俺も、一緒にいいだろ。イシとお母さんの邪魔はしない、どこか一人で観光してるよ、気分転換に、何処行きたかったんだ」と、

「うん、邪魔しないならいいよ」と僕が言ったら、大ちゃん、凄く喜んでいた。


 おばあさんに会った次の日から、信ちゃんは忙しそうだ、夜10時ごろ(もう寝る、おやすみ)と僕がメールすらと、日付けが変わってから(おやすみ)と、信ちゃんのメールを、朝起きてから見ている日が、続いている。



維士 盛岡


2011年 5月 木曜日 維士


 信ちゃんに、明日、お母さんに会う事、言ってない、迷ったが、忙しいそうなので、言わない事にして、

まだ夜9時だったが(寝る おやすみなさい)と、信ちゃんにメールした、

 次の日の朝、チューリップ20本と花瓶を、お母さんに、土産にと、大ちゃんが用意してくれて、駅まで軽トラで一緒に行こうと、寄ってくれた。

聞いていなかったので、驚いたが嬉しかった。

軽トラは駅の駐車場に置いた。

 無人駅始発で東京へ行って、新幹線に乗る予定だ。

「朝早く、とってくれたチューリップありがとう、大ちゃん、寝てないでしょ、大丈夫、あっ、花瓶まで気がきくね、お母さん、花瓶持ってないと思うから、助かるよ、」

大ちゃんは、照れて「大した事ないよぉ」と言った。

 豪華に包装したチューリップと、花瓶は大ちゃんが、持ってくれた。

 

 新幹線の時間を確認しようと、携帯電話を探したが、家に忘れてきた、(あっ、しまった)と思ったが、大ちゃんが一緒なので安心だった。

大ちゃんの携帯を借りた。

お母さんには、ショートメールをした。僕の携帯、家に忘れたので、この携帯番号にショートメールで、連絡して欲しいとメールしたら(ok

盛岡駅で11時待っている 母)と返信がきた。

良かった。


 東京駅から、新幹線に乗る改札口手前で、TVカメラが、僕達を追いかけてきて、えっ何、また撮影しているの、と思ったら、僕達にマイクを向けた男の人が「探してました、綺麗なチューリップですね、お話していいですか」と、一気に、人だかりとなって、大勢の警備員が来て、その隙に、大ちゃんが、花と花瓶を左手に持って、右手で力強く、僕の肩を抱いて、新幹線ホームに行った。新幹線の中までは、来なかった。

「怖かった、大ちゃん、ありがとう」と言った。暫く、目を瞑った。


 盛岡駅で、お母さんが待っていた。

4年ぶりだった。少し年をとっていた。

お母さんから見て、僕はどう見えたのか、少し気になった「維士、元気そうで良かった。いつでも、来てもいいように、駅の近くの、アパート借りているのよ」と、

「お母さんも、元気そうで安心したよ、大家さんの大ちゃんだよ、チューリップも作っているんだ、お母さんにって、朝、取ってくれたチューリップだよ」と、大ちゃんの持っている、チューリップを見て言った。

「初めまして、僕まで、着いて来ました、あぁ

これ」と、花瓶とチューリップを、僕に渡した。 思った以上に、重い。

「じゃあ、その辺、観光してくるよ、帰りは夜7時ここな、もし予定変わったら、お母さんの携帯借りて、ショートメールくれ、」と、言って、行った。


 駅から歩いて15分くらいの、2階建の古いアパートの2階だった。

アパートに着いて、お母さんはチューリップを飾った。3部屋あった、僕が、いつでも帰ってこれるように、僕の部屋があった。

 相変わらず、部屋の中は、全て小さな物ばかりだった。小さな食器棚の上に、飾ったチューリップだけが、豪華だった。

「お昼、食べましょう、朝から準備してたのよ、、、嬉しい、来てくれて、ありがとうね」と、目に涙を溜めて、笑顔で言ってくれた。

「学位記だよ、お母さんにあげる、3月の卒業式出たんだ、僕はいらないから」と、持ってきた学位記を、渡した。

 僕は、大学生活を振り返って、軽く教えた。

4年生からの、東京を離れた生活、チューリップハウスの凄さ、個展を開いてもらった事、

個展をこれから、たくさん開いて、持っている絵を全部売りたい事

大家さんには、世話になっている事

 

「維士が、穏やかで、良かった。維士が東京に行って、とても心配だった。

病気になって、心配させたくないから、帰って来ないのかなぁとか、

もう私に会うのが、嫌なのかなぁとか、、、

 小さな時から維士は、大変だったからね、皆んなが、維士で稼ぎたいと思って、大人が集まり、今だに、人が苦手になって、本当にごめんなさい。

 もし維士の性格が、逆だったら、どうなっていたのかなって、考える事もあるのよ、維士が大人達を、顎で使う子供で、周りは機嫌取りをして、暴君になって、当たり散らして、大変だろうなって、誰の話も聞かない怪物(モンスター)を私が作ってしまったと、生きるのが、つらくなっただろうなぁとかね、

 私は、今のままの、維士で良かった、親の私が言うの抵抗あるけど、世界でも通用する、容姿をしている、誰にも、ないものは莫大なお金に代わり、人を変えてしまう、目立つのはプラスじゃない、マイナスだと知っている、維士で良かったと思う」と、お母さんか言った。


「お母さん、僕の事は、心配しないで、毎日、絵を描いている、就職もしないで。絵で食べれる僕は幸せだと、思うよ、

 あまり、楽しい子供時代では、なかったけど、お母さんが、居てくれた。僕だけを、見てくれた。ありがとう、お母さん」と、言うと泣いていた。

「人が苦手なのは、僕の性格が大半だと思う。お母さんの想像の、逆の僕、そういう子供、多いと、思うよ、特に一人っ子は、周りの大人が、気を使い過ぎて暴君になって、怪物に成長するんだろうね、僕がモンスターに、。ならなくて良かったね、」と、言ったら、泣き笑いになった。


 ふっと、

 「性格って、変わる事、出来るのかなぁ、どう思う、お母さんなら」

「そうねぇ、、、命に変えても守りたい、ものが現れたら、自分の人生とか、夢とか、どうでもよくなると思うし、些細な事も流す事、出来ると思うから、自然と性格が変わるのかなぁ

 例えばね、(命、頂戴)って、維士が言ったら、私は何の迷いもなく、今の維士には、あげる、18歳になっていない維士には、あげない、命に変えても、他から、守れるのは、私しか、いないからね、、、、

 ちょっと、重い話ね、


 もし、今の維士が、(僕の命あげる)って思っている人がいたら、勘だけど、それは錯覚だよ、流されているだけ、だと思う、気をつけてね、」と、最後の話は笑顔で言った。

僕も笑いながら

「うん、守りたいって、考えた事なかった、そっか、そうだよね、性格変えるって、出来ない人の方が、多いだろね」

(考えなかった、守られるだけ、だった、だいぶショックだけど、明日考えようと、思った)


「さっきの話に戻るけど、僕が小学生くらいから、生意気になって、お母さんを無視して生活してたら、お母さんは、生きていくのが辛いって言ってたけど、いつまで、そう思うのかなぁ」

「えっ、うぅん、難しい質問ね、いつまでもと、思ったけど、ちょっと違うのかなぁ、あまりにも態度が、私に対して、ひどい場合は、うぅん、、諦めるのかな、なにも無かったことにするのかなあ、、、、ごめん、やっぱり、、いつまでも、生きている時間、辛いよね」と、考えながら答えてくれた。

「そうか、、、子供って、天使にも悪魔にもなれるね、、、無邪気って言葉で、誤魔化して、、、残酷だね。」と、何気なく僕が言うと

「そう、かもね」と、お母さんは苦笑いした。


「僕の知っている、25歳の男の人で、小学3年から、親と話した事も、まともに顔を見た事もない、という人がいるけど、お母さんなら、そういう人の事、どう思うかなぁ、簡単に背景説明すると、一人っ子、両親医者、近くに母方の祖母経営者、だよ」と、いきなり具体的に、聞いたので、驚いていたが、

「これも難しい質問ね、一方的な私の考えだから、世間話程度に、聞いてね、

私には、付き合えない人種の人ね、、全く価値観が違うと、思う。

たぶん、子供時代を知らずに、会ったなら、表面は、人当たりの良い好青年でしょうね、最初はね、、、本質は、自分勝手な我儘な人だと思う。

人として、優しさ、思いやりが、ないから、親を無視して、生きてきたと思う、

なに不自由なく与えて、周りが、気を使い過ぎたのか、気を使わないと暴れるとか、そのまま大人になって、可哀想だけど、全て、自分がした事は、自分に返ってくるから、ね、、さっきの話から、なんとなくなんだけど、維士、悩んでいるの、その25歳の人の事、」と、聞かれ

「うぅん、5年くらい前に知り合って、今までで、10回も会っていないのに、僕に、人生くれるって、」

そうだった、思い出した、小さい時から僕は、出来事を、かいつまんで言う子供だった。お母さんだけが、話し相手だった。すんなり信ちゃんの事を、言ってしまった。

 お母さんは、困った顔をして

「そうなのね、、維士、次第ね、自分で決めてね」と、あっさり答えた。

「えっ、なにか言う事ないの」って聞くと、

「さっきのが、全てよ、人種が違うって事、

後、、そうね、、、維士に人生くれるって、何百人が言ってきた事、思い出したわ、執着は怖いけど、2人が同じ思いなら、いいのかもね」

会話を、奥まで下げないで、表面で終わらせた、たぶんお母さんは、25歳の人が嫌なんだろ、確かに暴君は、誰だって嫌だよな、僕、騙されているの、思い通りじゃなかった僕に、執着して、最後は信ちゃんの母さんみたいに、なるのかなぁ、

 (明日、考えよう、と、また思った)

が、

「この前の日曜日、その人のおばあさんが、実家で介護を受けているって、7年ぶりに家に帰った、仕事を辞めた母親が、おばあさんを介護していた。

僕も、一緒に行ったんだ、

母親は息子に気を遣って、同じ部屋に来ないし、息子も呼ばないんだ、怖かった、どう説明したらいいか、冷たい水の中にいるようだった。

 その時、お母さんに会いたくて、急だけど、今日来たんだ」と、口から出てしまった、これを言いたくて、今日来たのかもしれない。

「維士の、感じた事、見た事が、全てよ、、、口では、どうとでも言う事が、出来る人は多い、、怖いよね」と、お母さんはしんみりと言った。


 チューリップを見ながら、造花みたいね、凄い人ね、優しいさが、詰まっているのがわかると言った。

 25歳の人が、大ちゃんではないと、わかるらしい、

 やっぱり僕のお母さんだった、僕が小さい時から、ずっと話を聞いてくれ励まし、いつも守ってくれた、6年間小学校に、通えたのも、お母さんのおかげだ、

(僕だけの教室を、小6の時には教育委員会にかけあって作ってもらった、集団の授業は同級生と一緒だったが)

中学校も僕だけの教室を、作ってもらったが、同級生達の成長と共に、妬み嫉妬が混ざった嫌がらせが酷くて、行けなかった。いつでも、何処でも、お母さんは僕を守ってくれたなぁと、走馬燈のように一瞬、思い出した。


お母さんは、僕にまとわりつく人、全てから、守ってくれた。

僕は大人になって、まとわりつく人を、受け入れているのか、


 もう17時だった。

後、少しでお別れか、寂しさなぁと思った。

(夕飯、大さんと3人で、食べましょう)と、

携帯を渡された。


待ち合わせは、昼に3人で会った駅だ、

駅までお母さんが、大ちゃんを迎えに行った。

アパートまで、歩きながら、

「維士が、毎日お世話になって、ありがとうございます。維士が私に、友達を紹介してくれたの、初めてです、小さい時から、友達に恵まれない子でした。親の私が言うのも変ですがあの容姿です、様々な大人達が寄ってきました。たぶん、この1年が、やっと落ち着いた、生活をしていると思います。大さんの、おかげです。これからも、維士をよろしくお願いします」と、ゆっくり話をした。

「イシが、住んでくれて、俺の方が励みになっています。ずっと住んでくれる事を、願ってますが、わかりません」と、心配になるような事を、大さんは言った。

「、、、、もしかして、25歳の男の人、会った事ありますか、

さっき維士から、5年前から知り合いで、10回程度会って、この前の日曜日、その人のおばあさんに会いに、行ったって、聞いて、維士が付いていく、その方が少し気になったので」と、最後の方は、濁してしまった。

「あぁ維士、お母さんに言ったんだ、ひと月前、イシの個展の絵を、買った人の事だと思います。

送る予定を、取りに来る事になって、再会した日に、東京に泊まりに、行ったようです。」と、教えくれた。

 なにかが、腑に落ちないので、

「維士が、絵を取りに来てと、言ったのですか」

「いゃ、相手からです」

「ちなみに、値段は、」

「300万です。俺が言った事、言わないで下さい」

「大丈夫です、なんでも教えてください。

オークションに絵を出した時、維士は教えてくれるの、だから値段の相場は、少しわかります」

「後、25歳の方の事、何か知ってますか」

「うぅん、特になにも、あっ、イシとお揃いの腕時計です、この前聞いたら、知らなかったって、イシは言ってました」

「ありがとう」と、言ったが、全て変な話で、維士は、大丈夫なのか、25歳の人の粘着質の執着が心配になった。

「大さん、維士の相談相手に、なってあげて下さい。人に慣れていないの、年齢は大人だけど、中は子供のまま、出来る範囲で良いので、お願いします」と、言ったら

「出来る範囲で、おせっかいします」と言ってくれた。


 最終の新幹線で、東京に行って、駅の近くのホテルに泊まって、始発で無人駅に帰る予定だ。

「お母さん、また来ます」

「待っているね」と、泣いていた。

僕は、また直ぐ来ようと思った。



2011年 5月木曜日 信一


 信一は、朝10時に事務所に寄った。

社長が直ぐ「信一、あなたの彼氏、TV局に、狙われいるね、今朝TVに出ていたわ、色男と一緒よ」

「何、言ってるんだ、何の事だ」と、おれは少し声を荒げた。

「この2カ月、TV局、東京駅で待ち伏せしてたのよ、朝8時から8時30分、朝のワイドショーのスクープに生で入れたくて、今朝2人が仲良く現れTVに生中継になった」

「イシと、この前も映った、一緒のヤツか」

「そう」

イシに電話をしたが出ない、メールを送るが返信が来ない。

何があったんだ、わからない、ここ数日仕事が遅いのもあったが、これからの事、考える時間が足りず、メールを疎かにしていた。

写真撮りに行く時間だ、


一日中、連絡取れない。(寝る)の、メールも来ない。ヤツと、何処に行ったんだ、

おれには、探しようがない、ヤツにはチューリップがあるから、直ぐ帰って来るとは思うが、なんで、なんだ。またどこかで、間違えたのか、それさえも、わからない、

アルコールの量が、母さんに会った日の夜から日に日に増えていく、なにかが気にいらない、イライラする。


 次の日、朝8時、事務所に寄ったら、社長がTVの前で、おれを呼んで「見て、フランス映画のワンシーンねぇ」と、夜のホテルの前で、イシとヤツが、最高の笑顔でじゃれあっている動画だ。視聴者スクープらしい。

「一般人、許可なく流してもいいか、昨日もだよな」と、聞いた。「ホテルの前の、遅咲き八重桜がメインで、たまたま映った通りかかった2人、らしい、、少し無理があるけどね、昨日のは、探し人コーナーだって、うぅん無理あるよね」と、社長が苦笑いした。

「信一、何も、知らなかったようね」と、

「ああ、余計なお世話だ、良いんだよ、おれらは、仲良しだから」と、適当におれは言った。

腹の中は、煮えくりかえっていた、最高に楽しそうな2人だった、ヤツが羨ましい、おれはイシを笑顔に出来ない、笑って貰えるには、どうしたらいいのか、今は、わからなかった。

 朝から、見たくなかった、知りたくなかった。

「現場に行く」と、おれは言いながら、イシにメールを送った。


 昼にイシからメールが来た、

(連絡くれたのに、返せなくてごめん。

お母さんに会いに行って来た。携帯、家に忘れたんだ。さっき帰って来たところだよ。

何か、用あるの、  イシ)

(そうか、よかったな  用はない  信一)と、返信したが、返した文を読み返し、簡略しすぎだなぁと思った。


 事務所と2カ月も未契約期間なのに、写真集の写真撮りで夜遅くまで仕事だ。おれも下火になってきた。写されながら、写真集出して、見苦しい、考えたのは誰なんだ、出して売れるのか、宣伝で赤字になるのに、方向性違うな、出た途端、おれは引退していたいよ、イシとはどうなる、、次々頭に浮かんだ、

事務所との話合いは、まだ日時さえ未定だ。

未契約だから休みたいと、社長にメールした。

写真撮り3週間予定、その後話合い、と返ってきた。そんなに時間かかるのかあと、ガッツリしたが、現場の大勢のスタッフを見ていると、仕方がないかぁと思った。


イシから

(寝る  おやすみ)と、メールが来ていた

(おやすみ)と、3時間後に返す。


4日、会ってないだけで、遠く感じる、おれの知らないイシが、いるようだ。

あの2人の楽しそうな最高の笑顔、頭にこびり付いて離れない、相手はおれじゃない、何故わからない、

おれ達、手を取り合った、つもり、だった、たぶん。

濃い霧の中にいるようだ、

そのまま手探りでトンネルを探し、道を進みたい、トンネルの先の出口で、イシが笑顔でおれを待っている。今のおれには、トンネルが、探せない、

おれの足元だなぁ、おれが今迄してきた事に、おれが、気づいてしまった、どうしたらいいんだ。

 小さい頃は、好きだった、小3あたりで嫌いになった、原因は、なんだった、、おはようも、ウザイ、全てが面倒くさくなった、反抗期かあ、みんな、こんなもんだろう、違うのか、

 違うんだろうな、おれは少し前迄は、一生母さんとは、会う事ないと、これが普通だと思っていた。

 ばあちゃんには、母さんを忘れないで、とお願いされた。ばあちゃんのお願いも、何か変だ。なんで、はっきり、誰も教えてくれないんだ、言っても無駄な人間には、誰も教えてくれないよなあ。

疲れた、また明日にしよう

(信ちゃんは、なにも悪くないよ、全部母さんが悪いの、ごめんね)

母さんなら、言うであろう言葉が聞こえた。

(そんなの聞きたくねェ)と、返してた、反抗期の中学生だった。



維士 おばあさんの家


2011年5月 2週間後 維士


 朝早く、大ちゃんが、信ちゃんのおばあさんの家に、持って行くチューリップを届けてくれた。代金は、「明日の夕飯な」と、僕の返事も聞かないで帰った。


信ちゃんのおばあさんの家に

1人で行った(信ちゃんは、もう数日忙しいらしく、その後事務所と話し合うらしいが、何を言っているのか、短いメールだと、わからなかった)


 大ちゃんが、早起きして準備してくれたチューリップを、おばあさんにあげたら、とっても喜んでくれた。

 おばあさんの部屋で、母さんも入って3人で、東大の安田講堂のイスの話とか、卒業式の帽子の話、母さんの学生時代住んでいた場所が、僕の住んでいた場所に近かったのでご近所散策、東大の図書館の凄さ、3人で1時間くらい笑って話した。

 おばあさんが、疲れないうちに、僕は帰る事にした。

 母さんが駅まで送ってくれた。

ゆっくり歩きながら僕が、

「信ちゃん、仕事忙しいらしく、今日これなくて残念がってました」母さんは、一瞬止まるような仕草だった

「イシくん、気を使わないでね、3人でさっき話をしていて、一回も、信ちゃんの話し出ないで、違和感あったと思う、上手くいえないけど、話しに出す程、信ちゃんの事、私も、おばあちゃんも、知らないの、

家族なのに、可笑しいでしょう、、、この前言った、一生会えないと思っていた、くらいの関係に、何時の間にかなっていたの、、私が悪いんだろうなぁって、何時も思うの、」

僕は暫く考て

「母さんは、悪くない、振り向かない信ちゃんを、心で守ってたと思います」と、盛岡のお母さんを思い出して言った。

「ありがとう、イシくんは、優しいね、優しい人に育てられたのね、、、この前信ちゃん見て、7年ぶりだから、はっきりわからないけど、どこか悪いのかしら、何か聞いてるかな、

顔色が悪くみえたの、あァでも私が聞いても、何もしてあげる事出来ないから、この話は聞き流してね」と、寂しそうに言った。

またの再会を、約束してわかれた。


 2週間前、あまりに母さんが可哀想で、思わず今日の来訪を言ったが、僕が行った事で、2週間かけて締めかけたドアを、また開けてしまった。間違えた、信ちゃんの事、知らなすぎた、

人生をくれると言う、あげると言った、子供同士の会話だ、

 盛岡のお母さんと話た、守る、何百人に真剣に言われた人生くれる、違う人種、全て初めて知った、大人になったつもりだけだった。23年間人から逃げていた、付けがこれからくる、

 

 たぶん、深く出会う人の数の喜怒哀楽が、積み重なり経験となる、あっ苦労は買ってでもしろ、そういことかァ、、、よくわからない。

僕は騙されて終わるのかなぁ


逃げて、憎しみを心に溜め、絵だけ描いて

逃げないで、嫌な事言う

どうしていじめるのか聞く

同級生と話をする、逃げないで

逃げないでから、逃げないでまで紙に書いた。

僕が、しなかった事だ。


帰りの道中から、家で眠りにつくまで、ずっと考えた、答えのない考えは疲れた


(寝る おやすみ)とメールを送った

このメール、信ちゃんに必要ないだろう、

明日から、辞めよう。



維士 大ちゃんと夕食


2011年 5月 月曜日 維士


 月曜日、チューリップ代金の夕飯を大ちゃんと一緒に食べながら

僕の話をしていいかと、大ちゃんに聞いたら

いきなり言った僕に、「どんな話でも聞く」と、少したじろぎながら言った。


「最近考えている事あるんだ、どこから説明したらいいか、難しいんだ、まず簡単に僕のこと言うね、

2歳くらいから、僕を売りたい大人が凄く来た

いつも押し入れに逃げていた。

幼稚園も行っていない

小学校に入る時、東京から岩手に引越し、6年間同級生から嫌がらせを受けた。お母さん以外の人と殆ど話さなかった、

小学3年から、パソコンで絵を描き始めた。

中学は行っていない、高校は前の席のヤツと少し話た、高校2年からオークションで絵を売った、大学3年まで最低限通った、高校の時の前の席のヤツと、同じ大学で3年間夕食を一緒に食べた、大学の知り合いは高校の同級生1人、4年からここ。こんな感じが僕」大ちゃんは、ゆっくり食べながら、真剣な顔で聞いてた


「この前、大ちゃんにも紹介した人、絵を取りにきた人の事、信ちゃんっていうだ、小学3年くらいから、殆ど誰とでも話さないで、パソコンで音楽作ってたって、18歳でデビューして7年目だって、25歳だね、

 僕が高3の時、オークションで出した絵を落札した人だよ、その後、仕事で盛岡くるからって3回くらい会った。

今している腕時計、高校卒業記念に貰った

、御礼に、僕の絵を僕の家に、取りに来てもって、その後、信ちゃんのおばあさんに会いに行った。

その後は連絡がつかなくなり、大学3年の時、大学の門で会って、数日後1時間だけ会った、そして、この前取りに来て再会 ここまでで何か気になるところあった、ないなら、続きけたけど」と、聞いたら「そのまま続けてくれ」と真剣な顔で言われた。


「この前再会した時、(人生僕にくれる)って言った(もらう)って答えた。

またおばあさんに、会いに行く事にしたんだ、おばあさんは信ちゃんの実家で、娘(信ちゃんの母さん)が仕事を辞めて介護していたんだ

7年ぶりに、信ちゃんは母さんに会っても、冷たいんだ。おばあさんには普通かな、でもおばあさんも言葉ひとつ、ひとつに気を使って話んだ。

母さんも気を使っていた。信ちゃんとは、(一生会う事ない)と思ってたと、母さんが僕に言ったんだ、なんか苦しくて、可哀想で、2週間後に来るって言ってしまった、それが昨日だよ。


僕が急に、盛岡に帰ったの、信ちゃんの家に行ったからだよ。冷たい水の中にいるようで、自分のお母さんに会いたくなったんだ、

 信ちゃんの母さんには、僕がまた行っ事で、2週間かけて、哀しみを閉じ込みかけた箱を、また開けさせた。もう僕は行かない。

 僕も信ちゃんの母さんのように、そのうち無視されるだろう、どうしたら良いのか、わからない、信ちゃんと、一緒に住むべきか、怖いんだ」と、一気に喋った、僕は誰かに聞いてもらいたかったんだ、と思った。


 大ちゃんは考えていた。

「イシ、これからの夢とか、したい事あるのか」と聞いてきた。

「絵を描きたい、後は持っている絵を全部売りたい、この2つだよ」

「じゃ他はいらないだろう」

「信ちゃんが、人生かけて僕の絵を全部売ってくれるって言うんだ」

「、、、、、」大ちゃんは、考えてた。

「信ちゃん呼び、俺したくないから信一って呼ぶ、信一の2面性怖いなら、逃げろ」

「信ちゃんのおばあさんも、信ちゃんに、辛いなら、何回でも、逃げろって教えていた、、」

「刺激が欲しくて、東京に戻りたい為の信一か」と聞いてきて、考えていなかった事を聞かれ、

「考えていなかった、無意識のうちに打算が入ってたのかな」

「東京に住みたいか」

「個展やって、東京で開けたら良いなぁと思うようになった、大ちゃんには迷惑かけられないと、思ってた時、信ちゃんに言われたから、人生もらうなんて言ったのかなぁ」

「たぶんなぁ」大ちゃんは、面白くなさそうだった

「この前盛岡に行く時TVカメラ、イシを追いかけていたよな、そんな東京行って大丈夫か」

「僕は表には出さないって、信ちゃんが言うんだ」

「イシ、信一を信頼しているか、怖いのか、どっちなんだ」

「それがわからないから、聞いてもらっているんだよ」

「とりあえず、逃げて、ゆっくり考えるか、どうする」

「怖いのは、事実だよ、お母さんは人種が違い過ぎて付き合えないって言ってた」

「まず、信一と話し合うか、教えないで引っ越しか考えろ、引っ越し先は2、3あてがあるから心配するな、

さっきの話で、俺には迷惑かけられないって、どういうことだ」

「僕の事より、チューリップがあるからだよ」

「あぁそう言う事か、その話は今度ゆっくりしたい、俺も聞いてもらいたい事がある」

「わかった、2-3日中まで、話し合うか、引っ越しか決める、大ちゃんに話て良かった、すこし楽になった」


 大ちゃんがモデル時代の話をしてくれた

「10年前位、花の勉強しにオランダ行ったの前話したと思う、その時花を届けにスタジオに行って、言葉が喋れなくて、あたふたしてたら、ひと月後には、モデルのアルバイトするこになった。ひと月の撮影期間で、10年契約だった。怖かったが好奇心の方が強くてな、

世界中の人が知っているブランドの香水のモデルだった、どこの手垢もついていない俺が良かったんだろう、相手のモデルが薬物中毒で、たぶん俺にしか言ってないと思う、俺言葉が全然違ダメだから、誰かには喋りたかったんだろうが、俺聞く方は良かったんだ。

 ひと月後、(香水の女神が使隊天使なので、女神の元へ帰る)

と、全世界に発信して、いなくなった。

 おれはたった、ひと月しかいない世界だったが、異常時な世界だった、金銭感覚が違う事、薬物、ギャンブル、人身売買、金さえあればなんでありで相手にされる世界だった。奥での縄張り争いは、凄まじいスタイリトルひとり入れるのも全て金だった、世界をマーケットにするには普通なんろうな 

 相手のモデルがイシにそっくりなんだ、イシと初めて会った時ビックリしたが、直ぐ違うとわかったからな

噂の噂では、目を潰されせオイルダラーの金持の離島にいるらしいとさ、まるで映画だよな、

 イシ、お前は世界で通用するけど、お前には無理だ、俺の相手のモデルのようになるのが怖い

出来れば、俺の近くにいて欲しい」と、昔話を教えてくれた。

「たぶん直ぐ廃人になるから無理だ」と僕は答えた。


たくさん作った料理全てなくなった、

もう直ぐ日付けが変わる時間だった。



信一 悩み


2011年5月 信一


 今日は木曜日、4日前にイシが、おれの家でばあちゃんに会った夜(寝る)のメール以降、ばあちゃん元気だったとかもない、何が起こったのか、おれからイシに、なんてメールしたらいいかわからない、実家にも電話して聞きたくない。後10日位か、撮影早く終わって欲しい。

撮影に行く前、事務所に寄ってた。

 社長が週間紙広げた。イシとチューリップの男が、世界最高ブランドの香水を間に抱き合っていた、凄い豪華に見える(この藁半紙の白黒でもだ)この2人が主役だ、香水は添えのお守りのコンセプトだ、大胆な演出だ。

 なんで、いつの間に、何が起こっているのか全くわからない。

 冷静に読んだ。2人の東京駅以来(おれの立ち仕事の邪魔をした時だ)人気が凄いらしい。記者が、ひとりの方の素性を見つけた。世界最高峰のブランドの香水のイメージモデルで10年契約で、最近契約が終了した為、わかったらしい。

噂では、チャイニーズモデルだったが、日本人だった。もうひとりのモデルは女神の元へ帰った、女神の香水はお守りとして世界中で売れたと書いてある。

 チューリップおまえは、なんなんだ、おれより桁がだいぶ違う男だったんだ、

ため息が出た。 おれの写真集、お子様ランチだなって思った。

「凄く見栄えする、良い男だよね、世界で活躍できる運も持ってて」と、社長が言っていた。

 

夜、イシからメールだ

(話がしたい、

日時合わせるので都合の良い日教えて 

東京の信ちゃんのマンションに行来ます)


(来月初めの日曜日12時待っている)と、返信した。

あんなに探したイシがいるのに、楽しいメールひとつ送れない。マンションにも誘えない、おれのばあちゃん元気だったかとも聞けない、全部仕事が忙しいからか、違うよなぁ、手に入ったから、もう要らないって事か、

何の話をしたいのだろう、一緒に住む話か、離れたい話か、わからない。

おれは、事務所辞めて後悔しないのか、内輪では商品だけど、外に出ると、スターだ。それを捨て一般人に戻れるかイシの為に、画廊の主人に満足出来るのか、会えない時には、イシの為ならなんでも出来る気がしてた。いざ会えると、色々考えてしまう。

もし一緒に北海道で住もうと言われたら、喜んで全て捨てて行けるか、

もし、離れようと言われたら、すんなり離れられるか、泣いて縋って離れないか

わからない、

もしかして、おれは一生このアルコールと共に悩むのか。

 

 右手に精神科医、左手に呪術師、後ろに美容家に貢ぎながら、生きて行くのが見えるようだ。

3人に支えらて、そこにはイシはいない。

闇を描く、病んだドクが好きなんだ。今のイシではなく、気づくのが遅かった。

いや、まだ大丈夫だ、スターの席に入る、

再契約だな、イシになんと言うか、

全部白紙だ、慰謝料代わりに絵を10枚買う。

そう言おう、決めた。

イシにメールとか、気をつかう必要ないと思ったら楽になった。アルコールの減りが早いが気にしない、スポットライトは気持ち良いと改めて思った。

 おれを、どんどん売ってもらおうと思う。

写真集の表紙(天才 田真信一)だ、そうだ。

天才なんだ、スターだしなぁ 一般人には戻りたくないと、酔い潰れた。



2011年6月 日曜日 信一


 今日、昼、イシが来る。

イシの話から、聞くか、おれから言うか、

イシが住む場所決めたと言う話なら、おれからだし、どんな話か想像つかない、面倒くさぁと思った、よし、おれからだ、もう事務所との再契約済んでいるので、イシの面倒みれない。

どのように話を持っていくか考えてたら、アルコールが飲みたくなったが、イシが帰るまで我慢しようと思った。チャイムが鳴ったセキュリティを解除した。いよいよ、イシが来る、今日が終われば楽になるはず、少しにやけた。

 いや、待ってたよと言ってテーブルの椅子を薦めた。向かい合わせで座った。

「話があるんだろう、おれもあるんだ、先に話をしていいかなぁ」と、おれが聞くと

「どうぞ」と、イシが言った。



「はっきり言う、全てイシとおれの事、白紙に戻す、申し訳なく思う。仕事が忙しいんだ。

慰謝料としてこの前の絵の10枚分の金額を振り込んだ」と、簡潔に事務的におれは言った。


イシは、全く感情を現さない人形のよう顔で、

 「人生僕にくれるって言った事、後悔していると思ってました。絵を取りに来た日が、歯車が狂った日だ。信ちゃんはドクへの思いを僕に言った。引っ越して1年、僕はイシになっていた。

たぶん途中で何か変だと、思ったでしょう。全てyes と言う僕に、信ちゃんは、僕の面倒見る事になってしまった。

 おばあさんに会いに行った後、僕は自分のお母さんに会いたくなった。小さい時からの事、考えたんだ、押し入れに隠れても、お母さんさんはいつも話しかけてくれた、小学生の時毎日の日課で一日の出来事を、お母さんに聞いてもらった、中学校には行けなくても毎日話しかけてくれた、教養と見識は僕を助けるからと言って、毎日勉強を見てくれた。お母さんのおかげで高校に入る事が出来た。僕の家は信ちゃんも知っている通りお金がない。古い古屋に2人だけで、住んでいた。唯一の贅沢はパソコンだけだった。

お金に化けられる子供を、世間から守ってくれた。もしお母さんが死んでいなくなったら大人の餌食になった。自分がお母さんを守るなんて考えた事ない、子供時代はお母さんが側にいるのが当たり前だと、信ちゃん家に行くまで思っていた。

もし、僕に僕のような子供がいたら、守ってあげれただろうか。365日18年間、精神状態がもたないと思った。僕の為の母は凄い人生だなって思う

 信ちゃんは、全て恵まれいる、僕をいじめていた小学生の頃の同級生達と同じ人種だ。

そのイジメをいつまで続ける意味はわかってますよね、家族を苦しめる為、自分が一番だとわからせ為、本当はそんなの必要がないのに性格の歪みでしょうね 人は誰でも、歪み悩み苦しむ苦しめる、色々なものに救いを求める、宗教、ギャンブル、薬、アルコール、依存性あるも全て、大学で哲学、宗教学を学び、考え、思い様々な思想を知りたいと思った、教授の余談で禍福と五行説を知っていると、生きていけるよと笑いながら教えてくれた。続きがあって、ちょっと大変かもと、生徒が教授に言っら、コインの表裏で人生決めろ、簡単だろうって、人生なんてそんなもんだ、気楽に、仲良くなって生徒達は爆笑して、講義は終わりました。気楽に、仲良くは信ちゃんに縁のない言葉ですよね

信ちゃんの事知りたくて少し調べました。

恵まれた家庭に生まれ、全く教養を身につけないでスターです、苦労しないで手に入れて満足でしょうね、

薄い歌詞ですね、僕がお金に変えたいと思って描いた絵と同じでした。それを喜ぶ人達がたくさんいるでしょう、頑張ってください。

 手に入れたら、飽きる、もう執着もなくなったと思います。さよならです、何か言う事もうありませんか、なんでも言ってください。わだかまりは残したくないので」と、イシは言った。


「特にないよ、気持ちよく、さようならだ

ありがとう」と、おれが言ったら

イシが、スッと立った。

「じゃあ」と、言って帰った。


 イシが帰った後、思いっきりテーブルを蹴った、何をどうしても、気持ちが収まらない。

たった10分だけの来客に、これ程怒りが収まらないのは初めてだ。

 直接的な悪口か、間接的な悪口か、よく分からなかったが、良い事は、ひとつも言われていない事は、わかった。


簡単に言うと、

 

 高卒のバカの頭で、薄っぺらい言葉を並べ、同じレベルのやつらに売っている、歪んだイジメを辞めない我儘な奴 って事だった。


 本当の事を、直接言われた事が怒りの原因だった。

 人は誰しも本当の事言われると怒るって聞いた事はあったが、ここまで怒りが爆発すると思ってなかった。おれは、昼から浴びるようにアルコールを飲んだ。いくら飲んでも、酔った気にならない、怒りが収まらなかった。



2011年6月 日曜日 維士


 先月、大ちゃんに相談した結果、話を信ちゃんとする事にした、

 その話し合いを、終わって家に帰った。

 信ちゃんに、先に言われたのは、嫌だったが、僕も思った事を言えた。これで終わった、信ちゃんの母さん、おばあさんの事は気になったが僕が入る所ではないので、忘れる事にしよう、

本質を見抜けないのに、何やってんだって甘い自分に呆れる。


 夜、大ちゃんが、心配して僕の家に来てくれた

「無事帰ってきたな、東京、どうなった、どういう話し合い方向だった、心配していた」

「うん、僕が言う前に、信ちゃんから先に、僕との事全部白紙だって、言ってきたよ」

「はあー、あいつ何考えてんだ、あいつから言う事じゃない」

と、大ちゃんが呆れてた。

「僕も、言おうとしていた事だから、いいんだ、

まぁ、何もなかった事に、戻っただけ、

ある意味では良かったよ、相談にのってくれたり、心配してくれてありがとう、」

と、僕が言うと

「個展の後、怒涛のひと月だったな、8月頃、また個展やるか」

「えっ、うぅん、そうだね、でも少し考えるよ」と、歯切れ悪かった。

「俺が、全部やるから、大丈夫だ、明日から会場探すよ、箱の大きさで、出す枚数かわるから、イシは絵を出してくれれば良い。

500枚くらいあるんだろう、これからも増えていくだろうしなぁ、どういうスパーンで売るのがいいか、模索しながらなぁ」と、不甲斐ない僕を励ましてくれた、

 少し元気が出てきた。









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