愛ある言葉
ちょうどよく、信号も変わった事だしとあの後直ぐに歩き出し。こっちですと半歩ほどの先で道案内。
歩くの早くないだろうか、遅くないかな? 色々と考えながらお兄さんを横目で見る私。
人様相手にただでさえ気を遣うのに、イケメン相手なんてなお気を遣わねば。
そんな風に大義名分を自分相手に掲げながら、イケメン鑑賞交じりに見ているお兄さんの格好はぴしりとしたスーツに、手にはビジネス鞄。
都会とは言い難い田舎に来るのは、観光かはたまたお仕事の二択。
間違っても他県から人が集まるようなテーマパークはこの辺にはないし、これと言って目玉などなく。
田舎のゆったりとした空気が好き、人が居ないところが好き、といった年齢層の高めな観光客か、若い人はそれこそお仕事関係でくる人かしかいない。
お兄さんは若く、そしてこれで観光ですとはならないだろう出で立ちで。
お仕事であるのは間違いない。
せっかく道案内をかって出たものの、終始沈黙は気まずいもの。
ここは無難に、どこから来たのかを聞くくらいがちょうどいいかな? と脳内会議で可決して。
「お兄さんは、どちらからいらっしゃったんですか?」
しっかりと私の後を歩きながらも、周りの景色を確認するように見ていたお兄さんは計画通りに口にした私の問いかけに、視線を私に合わせて微笑みながらとある県のある市を告げてきた。
! まじですか。
驚き桃の木山椒の木。
あまりのタイムリーな驚き具合を一つ落ち着かせるために、定番中の定番の台詞を心の中で呟いてみる。
そこは私の好きな本の舞台。いわゆる聖地と言われる場所だった。
なかなかマイナーなので、昨今色々な作品がアニメ化される時代であれど、アニメには到底なるはずもないと原作者さんですらおっしゃられるほどの知名度具合。
ウェブ掲載ではあるものの、大手の出版社の作品なのにだ。
さらに言うと、有名作家さんの作品であるにも関わらず、だ。
それなのに真実悲しいかな。私の周りでファンに会った事はない。
そんな作品の、聖地。
見開いてしまった目のままに
「いいなぁ」
なんて思わず零れてしまうのも、許してほしいものです。
それに対して、お兄さんも私みたいに驚いた顔をした。
「珍しい」
「何がですか?」
「大抵、地名を言っても分かってくれない人が多いし、行きたい県のワースト県だよ?」
不思議そうな顔で言ってくるので、なるほどと頷きながら種明かし。
「私の好きな本の舞台なんですよ」
「えっ!」
なおさら驚いた顔をするお兄さんに、笑ってしまう。
けれどその反応という事は、お兄さんはご存知だという事で。さすが地元民と感心する。
「……それって、戦ですか?」
そんな私の様子に、どこかおそるおそるとも感じられる様子で尋ねてくるお兄さんに、しっかりと頷きますとも。
正称、通称共に戦と簡潔に漢字一文字で表される作品は、お堅い印象を与えるタイトルの割に中身は比較的軽いもの。
切った張ったといった世界ではなく、ほのぼの日常作品。取り立てて言うのであれば……地底人が出てくることくらい?
繰り返し繰り返し読み返すくらいに面白いのに、周りの人にお勧めしたとて誰の心にも未だ刺さってはいない。
なんでだ。
そんな思いをたっぷり込めて。
「戦です」
それが好きなんだと、自信をもって頷いた私に、おぉと小さく感嘆をこぼしたお兄さん。
「実をいうと、地元でもマイナーなんですよ。せっかくの原作地なのに」
「あらあら」
「さすが、戦ですよね」
実感を込めて向けられた言葉は、ファンにとっては決まり文句の様なもの。
愛あるその言葉は、お兄さん自身も一ファンなのだと主張しているもので。思わず吹き出してしまうではないですか。
「さすがです」
二人で笑って、なんとも珍しい同志との出会いに心を弾ませた。