ナンパではないのです
「すみません、ここに行きたいのですが。……迷ってしまって」
声を掛けた相手。スーツを着たお兄さんは申し訳なさそうに、今まで見つめていた携帯を私に向けて見せてくれた。
表示されたマップに、んーと見せてもらうけれど。
「あの、触ってもいいですか?」
見ず知らずの他人に触られたくない人だっているだろうから、一声かけるとどうぞと朗らかに笑い、携帯ごと渡してくれる。
「失礼します」
表示された地図の示す場所におやおや? と思いつつ。
今いる場所との位置関係を把握したくて、マップ画面を縮小、拡大させてもらい。
ついでにと、目的地も聞いてみる。
そこで十分すぎる程の確信を持てたのでうんと頷いて、微笑みながら携帯を持ち主へとお返しした。
「通勤途中にありますので、そこまでご一緒しますね」
「あ、いえ、そこまでご迷惑は」
きょとりとした後、いえいえと手を振るお兄さん。
けれど、お兄さん。よくよく考えてくださいな。
ちょっと踏み込んでいるかな? と自分でも思うのですが、本当にばっちり行く道を通るのだ。
わざわざ離れて歩いても、いつかは追い越すかもしれないし、お兄さんの背中を見ながら歩くのもなかなかに気まずいものがある。
それならいっそという訳で。
「お兄さんさえ、よろしければなのですが」
私の方は迷惑でもなんでもありませんよ、と微笑んでみると。お兄さんはためらい交じりに本当にいいんですか? と聞いてくる。
もちろんですと、私はしっかりと頷き。
それに
「よくよく考えると、口頭でのご案内って難しいものがないですか?」
人に何かを教える事は、難しいことなのですよねとぶっちゃけると、お兄さんは確かにと言いながら吹き出した。
おやおや?
ちょっと正直すぎましたかね。
一応真面目に告げた言葉だったのだけれど、一社会人としてはお兄さんの様子に少し反省をする。
けれどお兄さんも、正直言うと地図が苦手なのでありがたいですと言ってくれたので、気にしないことにしよう。
「男で地図が苦手って、珍しいですよね」
ただ私につられたのか呟かれたこの言葉には、一言言わせてもらう。
「じゃあちょうどいいですね。私、兄がいるお陰か地図を見るの得意なんですよ?」
私の言葉に、少し驚いたようなお兄さん。
「私も女の子なのにって、良く母に言われるんです。趣味も兄と似偏ってるから、家には男の子が二人いるみたいって」
そんなんだから彼氏もできないのよ、なんてのは言われ慣れている言葉で。
私よりも先にお兄様にお伝えくださいとガードを張るも、お兄ちゃんにはもう言ったわとの二段型。
つい先日もそんな試合を繰り広げたばかりなのです。
いいお年頃なのにと、大きなため息吐かれたところで。私に言われても、なのである。
年頃のはるみさーん、およびですよーと呼びかけてみるけれど、返事はなしのつぶてで。
『あれ、今日いないの?』
『いないみたいですね』
『そっかー、今日お休みかなぁ』
『そもそも昨日も一昨日も休みじゃなかったでしったけ?』
『まぁその内出てくるでしょう』
脳内職場でもその存在は見当たらなくて。
残念ながらお休みしているみたいです。またのお越しをお待ちしております。
なんて対外的で心にもない言葉を吐いて、会話を終えた。
そんな過ぎ去った過去に思いをはせつつ、私の言葉にどこか嬉しそうに笑ってくれたお兄さんにふと思う。
……それにしても、慣れない事しててんぱっていた気持ちが落ち着くと、お兄さんの顔が良く見えてきて。
いや、よく見なくても、お兄さんったらなかなかのイケメンさんでした。
ここは一つ、ナンパではないですよと、ことわった方が良かったですかね?
けれどそれはさっきの反省を込めて、口にしないでおこうとお口にチャックする。
失敗は繰り返さないのです。
少し大人になった自分に満足して頷いた。