春
寒い冬が終わり、暖かな陽気に誘われて。閉じこもり気味だった部屋の敷居も低くなり。
冬の間はなかなかお布団から出られなくて、ついついもうちょっとと延びていた起床時間も早くなるっていうもの。
逆に暖かすぎて、眠気に誘われ出られなくなるのはもう少し先の話。
まだ日によっては少し肌寒いけれど、今日は日差しがあってほんのりと温かく。
寒さの厳しい季節は終わった、そんな日は、心にも余裕ができて久しぶりに早めにお家を出る気になるってもの。
いってきまーすと未だ独身、彼氏なしである私は家賃節約という名目を掲げて実家暮らしで有るが故。
お母様にご挨拶をして元気に出社いたします。
毎日美味しいご飯をありがとう、母君よ。
本日も感謝を込めて朝ごはんをしっかりと頂きました。
会社も近くはないものの、かといって一人暮らしをしなくてはならないという遠さでもなく。そこそこの距離にあり。
共に実家暮らしの兄にも結婚する予定も、彼女もなし。
……なさけない兄妹ですまないと思いつつも、暮らしなれた今が心地よく。
家賃代わりにと家にお金は入れているけれど、一人暮らしをしようとすると倍はかかるから。
両親共にとくに出て行けと言われる訳ではないこの状態に、あまあまに甘えているのです。
一人暮らしだと手抜きになる朝ごはんを食べ、数駅分を電車に揺られ。
会社で仕事に励み、また数駅分の電車に乗ってお家に帰る。
家に帰ったら暖かなお部屋に、すぐには入れるお風呂。そしてほかほかと美味しいご飯が母上の手によって並べられ。
今日も一日働きましたと、自分の部屋のベッドで目を閉じる。
そこに交遊関係やたまにお買い物のお出かけを混ぜ混ぜし、そんな調子で日々は過ぎていき。
週末からの土日のんびり気まま休日はあっという間に終わり、二十代後半、三十歳なんてもう目前なこの頃では平日すらあっという間。
今日は仕事が土日休みの人にとってはいつの時代でも変わらないだろう花の、金曜日。
大なり小なり悩み事はあれど、家内極楽、健康第一。
なんて恵まれた生活なんだと、大学時代に味わってはいる一人生活との差に涙を流す。
お母様の有難さたるやを改めて実感し、今年の母の日も少し奮発させていただかねばならないだろう代物だと決意をあらたにし。
そんなこんなで今日も今日とて、乗りなれた沿線の電車を降りれば、会社の最寄り駅。
……の、すぐ目の前の横断歩道前。
「…………」
いつもだと色々考えたり、気付かなかったり。
出社時刻に余裕はあれど、人のお世話をする余裕はない事だったり。
色々な要因で知り合いでもない人に声を掛けるのは、ハードルが高かったりするけれど。
いつもより早く起きて、美味しいご飯でお腹も補充済みで。
いつもより早い出勤故か、気持ちすいていた電車でさらに気分は上々。
そしてこんなに陽気な天気に、携帯片手に視線を彷徨わせていて。あからさまに何かを探しています、なんて人が居たならば。
そしてそんな人と目がばっちり合ってしまって。
春の陽気に誘われて、緩んだ心でなら――
「何か、お探しですか?」
――なんて声を掛けられる。
そして、それに対してどこかほっとしたような顔をされたなら。もうそれだけで、声を掛けてみてよかったと思えるのだ。