鴛鴦殿
「そなたのお伴は、その者一人かな?」
何とも不思議な獣を従えている。
尚醇は我ながらおかしなことを聞いたものだと思う。
あれは・・人ではあるまい。
しかし、相手に対する予備知識が何もないのだから、仕方がない。
「イヌ・・ですかな?」
荘孝は、じっとネスを見つめている。
「コーン!」
{俺は、犬じゃないぞ! 失礼だな。}
キツネが憤慨して大きな口を開けた。
「おお・・おお・・なんて、恐ろしい声でしょう!」
「なんですの? 異国の犬は鳴き方も風変わりですこと。」
侍女たちが恐ろしげに声を上げ、身を縮こませた。
「お静かに!」
騒ぐ女官たちをたしなめてから
天姫は尚醇に
「あの方たちを早く、奥の例の部屋へお招きしましょう。」
と小声で告げる。
重要な話をここでするわけにはいかない。
どこの、誰が、後宮に紛れ込んでいるかは分からないのだから。
警戒するに越したことはないのだ。
それであれば、客人、というより。
陛下の新しい妃として、迎え入れたほうが無難だろう。
「分かった。」
尚醇は振り返って、昂連と荘孝の2人に頷く。
「鴛鴦殿へ、彼女を迎えたい。」
「まさか、あの者が女性だなんて!?・・」
2人は共に絶句した。
「ご挨拶が送れて申し訳ない。
ようこそ、我が国へ参られた。
私は、この国の王である。
ぜひ、其方の国の話が聞きたい。
天姫と共に、茶の席をご一緒させてはくれまいか?」
緊張した面持ちで挨拶をされて、それを無碍に断るほど
クリスは無礼ものではない。
「ええ、いいわ。」
外交辞令的笑顔を顔に張り付けて頷き
一旦、足元に置いたデイ・パックを肩に担いだ。
断ると面倒なことになりそうなので、おとなしく従うに越したことはないもの。
「さあさあ、皆の者は仕事に戻れ!」
荘孝は集まっていた女官たちを追い払い、自身が後宮まで付き従うことにした。
なにせ後宮は、王以外の男性が足を踏み入れることはできないのだ。
そのような場所で、もしもあの者が怪しい類の一人であれば。
世王をお守りしなければならないのは、宦官である自分だ。
そう、命に代えても。
「さて、お名前を伺っても良いかな?」
後宮の一番奥まった宮の室内で、三人は丸卓を挟んで座った。
荘孝が人数分の花茶を給仕してから入口に立つ。
立ち聞きするものが居ないとも限らない。
後宮といえども、見張りは必要なのだ。
「私の名はクリス。
ここより、たぶん・・とっても東の国から来たことになる・・と思う。
ここが本当に楼蘭国なら。」
世王・尚醇は戸口に立つ荘孝と顔を見合わせる。
「いや、それは何かの冗談かな?
本当の、楼蘭・・とは。
紛れもなく、と言っていいが。
ここは、この国は砂漠の蜃気楼では無い。」
「ここより東、と言いますと。
帝国朝廷のことですか?」
天姫が首を傾げる。
それなら、自分が知っている者かと。
「いえ、そうじゃないの。
そこよりはもっと、東ね。
この大陸が途切れて、海を越えた陸地よ。」
{ついでに言うと、時代も越えているけどな。}
ネスが足元に寝そべって、欠伸をする。
「なんと、海を越えて来られたと?」
尚醇が興奮して目を輝かせる。
「それは、本来の探し物があってということですよね?
〈あかつき〉というモノはなんでしょうか?」
美しく飾り付けられた天姫の髪が揺れた。
「詳しく言うと、その探し物を持っているのは・・人間なんだけど。
そうそう。それでね、私の前に誰かが、ここへ現れなかったかしら?」
その問いには、2人が共に首を横に振る。
「見知らぬ者が入り込めば、すぐに騒ぎとなるので気づかぬはずがない。
なぜなら・・」
そう言って、尚醇はクリスを遠慮なく見つめた。
「第一、そのような格好の者は大いに目立つので。」
クリスはちょっと、目を卓上の茶器に落とした。
淡い青色をした花の模様が施してある陶磁器らしい。
茶は何かの物語で読んだ花茶というモノだろうか。
中には花びらが浮かんでいる。
・・彼がココへ・この時代へ来ていない?
おかしい。
【紅】が【暁】の後を追いかけ、ここへ来たのだから。
別の場所へ、時代へは、行くはずがない。
「ただし、宮殿外のことであれば。」と荘孝が口をはさんだ。
「どこの国とも分からぬ輩がたくさんおりますが。
毎日のようにキャラバン・サライに何組もの隊商が到着しますから。」
{おお。間違いなく、そっちだな。}
ネスはのそりと体を起こし
{しかし、暑いところだな。
どこか涼しいところはないのか。}
と部屋を出て行った。
その姿を見て、ちょっと目を丸くした荘孝が
「あれは何と言う獣でしょう?」
と、問うてくる。
「ああ、彼ね。
北キツネの種類だと思うんだけど。
スコットランドの湖上の島にしばらくの間眠っていたらしいの。」
クリスの答えに3人は口をポカンと開けた。
北キツネ・・?
スコットランド・・?
知識の範囲外だったらしい。
「バザールで見た・・耳の大きな、砂漠狐とは違う種類のようですね。」
荘孝は狐と言う言葉に反応したは良いが、うまい言葉が見つからず
苦し紛れに相槌を打った。