予言のつかいめ
実際、政略結婚というものはバランスを間違えると、国の崩壊につながる。
生母が誰かによっても、だ。
また、それが皇子か皇女かによっても微妙に異なってくるが。
位の高い后の背後に大国を控えていることこそ、
大いなる危険を孕んでいると言ってもいい。
後宮に姫たちを入宮させることを各国から強要されたわけではない。
帝位について一年が経とうとした最近になって、
自然と各国が競うように皇女を送ってきたのだ。
結果として、婚姻の儀礼的行事が一度で済む運びとなった。
それよりも、楼蘭国が幸運に恵まれたのは天姫を得たことだろう。
帝国朝廷第8皇女・香月(天姫)は、
当初、高昌国の第3皇太子に輿入れする予定だった。
ところが、敦煌より西方への入口・玉門関を出発してから1週間後のこと。
一行は道案内人の不手際により、誤って砂漠に足を踏み入れた挙句、
砂嵐に遭遇し離散したらしい。
いや、ほぼ全員が砂に飲み込まれたと。
途中まで迎えに来た、高昌国軍が瀕死の一行を見つけた時、
そこには、砂しか見えない大地で奇跡的に生き延びた、少人数の付き人達と
すでに盲目いていた香月だった。
一応は高昌国に迎え入れられたものの、
半年後には楼蘭国へ出国させられることとなる。
輿入れする、摩羅姫の特別な付添人として。
名目はどうあれ、これは単なる厄介払いだ。
帝国朝廷の姫であるとはいえ、
目の見えなくなった彼女を迎え入れる道理はない。
高昌国高官たちは外交政策上、不利であると判断を下したのだ。
よって、帝国朝廷へは
〈姫たち一行は砂嵐に遭遇したため行方不明・若しくは死亡〉
との使者を立て婚姻を破棄する旨の丁重な文書を送った。
生きながらにして、死者とされた姫・香月は
いきさつを知った尚醇の図らいもあり、
後宮の一室・天翔殿に部屋を与えられたのである。
その部屋の名称から天姫と呼ばれるようになった。
室とはいえ、そこは十分な広さを持つ独立した屋敷だ。
世王の気の使いようが表れていると言っていい。
ある日、天翔殿にて尚醇が姫と帝国朝廷についての詳細な話を聞いていた時、
突然彼女は不思議なことを呟いた。
『湖に、吉祥があらわれます。』と。
怪訝な思いで、
『それは何か?』と尋ねたら。
『大きな虹。とても不思議な形が見えます。』
と、だけ答えた。
その様子を見て、尚醇は姫が予言をする類の女性だと気付いた。
その能力に高昌国は気がつかなかったのか?
それとも、彼女自身がそれを隠していたのか・・
それは、定かではない。
けれども、この不思議な能力を持っていることを知っているとすれば・・
大国が姫を手放さなかっただろうことは容易に分かる。
必ず、その能力を自国の為に利用し貪欲に周囲の国を侵略していくであろうから。
尚醇は観湖台へ急ぎながら、昨夜天姫と夕餉の席を共にした時
月を見ながら言った彼女の言葉を反芻していた。
『ある者現れり。その道しるべとなる未来を指し示す、その者はきざし也。』
意味を尋ねたが、彼女は首を振っただけ。
『各国とも、力のある天文学者を要しています。
この事は周知の事実となりますし
多分、場所を特定出来る者もいるでしょう。
大国であればある程、きっと、奪いに来るはずです。』
湖に浮かぶ〈それ・虹〉は、
今まで見たどれよりも大きく
そして不思議な形をしていた。
「これほどのものとは・・!」
ひとつひとつが鮮やかなハッキリとした色合い。
誰もが目を奪われて当然だ。
その虹を背景に一人の客人が天姫と向かい合っていた。
身に着けているモノからして他国の者だと分かる。
その様子を侍女たちが遠巻きにして見守っている。
いや、見守っているというよりも
恐れ慄いている様子に見えるが。
昂連・荘孝の2人も尚醇の後ろで足を止めた。
「あれは、何者でしょう?」
荘孝が少し息を切らせて、口を開く。
「とてもこの国、いえ、見知った国々の装いではありませんね。
第一あのような・・。」
呆れたように、昂連も続ける。
そうだ、手・足を無造作に人目に晒しているなんて。
有り得ないことだ。
髪だって、あのように。
ただの平民なのか・・飾りの一つも無いとは?
「あれは、どこぞの奴・婢の類ではないでしょうか。」
けれども、尚醇はその目新しいその者の姿・容に目を奪われた。
「深紅の絹なのか。あれは・・」
セーラーの胸元に結ぶスカーフが風にひるがえる様子に目を瞬く。
「あれは、剣なのか?」
腰のあたりに、2本の長い棒のようなものを下げている。
「しかし、武装している風でもないな。」
鎧をまとっているようには見えないが。
荘孝が首を傾げた。
「天姫さん、貴女、予言のつかいめ(徒い女)と言ったわね。
じゃあ、教えてくれる?
私は探し物を見つけたいのだけど。
暁〈あかつき〉の在り処を教えてくれない?」
クリスの発した声と言葉に尚醇だけではなく周りの者たちも驚いた。
声の主はどうやら、女ではないか・・と。
即座に軽く咳払いをする。
「詳しいことは、奥で話したい。構わないかな?」
背後から聞こえた言葉に振り向いた侍女たちは、
声の主が世王と分かり、両手を胸の前に合わせて慌ただしく礼を示す。
天姫もゆっくりと体を傾けた。
「陛下いらしていたのですか。気付かずに申し訳ありません。」
ゆっくりと世王が天姫の傍へ
来訪者の元へと近づく。
「いや、いいんだ。
それより、姫・・あの者が、そのう・・そなたの言っていた
〈きざし〉となる者なのか?」
周囲の者達に聞こえないよう、小声で問う。
「はい、確かに。この方で間違いありません。」
天姫が頷いた。
{おい、あれがここの主なのか?}
ネスが欠伸をする。
{うう~ん・・単なる家の主人って、感じじゃあないわね。
ちょっと、立派な服装だし。
偉い役人さん、ってとこ?
なんていうかさ、歴史資料集で見たような・・頭上の玉すだれが・・。
なんつったっけ・・?}
{べんかん・・てやつだろ。}
{そうそう・・って、なんで知っているの~?
でも・・って、ここは後宮っぽいから。ということは・・。}
穏便には済ませられないかも。
クリスは、眉を顰めた。
出来れば、適当なところで人ごみにまぎれて、
ここを出て行きたかったけれども。
それは、無理だろう。
たぶん。