世界とは斯くあるべきか
「……ハジメは、さ」
俺の隣でアイスクリームを食べている少女・ココが、唐突に声を発した。
季節は春。出会いと別れの季節なんて言われちゃいるが、地元の公立高校への進学をさっさと決め、めでたく合格した俺たちには何ら関係のない話だ。メンツだってそう変わらない。現に、ココは窓の外に見える花吹雪にも白く霞みがかった空にも特に風情や感傷を見出すことはなく、黙々とアイスを食べている。
ちなみにこのアイスは、レトロゲーム三本勝負で俺から巻き上げたものだ。
「この世界の在り様について、どう考察する?」
「……どうした急に」
とは言ってみたものの彼女の唐突な発言なんていつものことで、二字熟語がやたら多い文語調の話し方もいつものこと。九十九九——名前からして、そう、彼女はずばり変人なのだ。
もっとも、一一なんて名前の奴に言われたくはないだろうがな。
彼女は、俺の相槌を無視するように淡々と、文語調のまま続ける。
「世界には物資が溢れ返っている。捨てられるものもたくさんある。それを独占しているのは一部の富裕層で、貧困に喘ぐ者とそれを分け合おうとは誰も考えやしない」
「おう。だがココ、それって割と一般ろ——」
「ここまでは綺麗事。よくある言葉をなぞっただけ。でも」
……どうやらココは、自分で振った割には俺の相槌を聞いてくれる気はないらしい。
「——でも、それは仕方ないこと。全ての富を平等に配分しようと思ったら、今の私たちの、地元の安団地での生活さえ危うい。一か所に集めたら巨万の富にも見えるけど、世界の物資なんて実はそんなもの。ユ●セフなんかの物資援助は、実は人間様の生活水準の平均値を上げようとするだけの行為に他ならない」
「やめろ、ユ●セフに消されるだろ‼」
頑張って活動してくれている慈善事業団体になんてことを言うんだ、こいつは。
「何故? 私はユ●セフのしていることを貶したつもりはない。世界の在り様を語ってるだけ」
「結果として貶してることに気づこうな?」
そんな、プラスチックスプーンを咥えて小首を傾げて言ったからって、何を言ってもいいわけじゃないんだからな?
「……まあいいや。ユ●セフには興味ない。微塵もない。ちょーどーでもいい」
「分かった、分かったから」
「……本題に戻る。とにかく人間が中途半端にやってる慈善事業で発展途上国に求めている生活水準が満たされれば、それは人間の生活水準の平均が上がっただけということ。先進国は何も失ってないから。それは富を分け与える行為とはぜんぜん違う」
「まぁ、言われてみれば確かにそうかもしれないけど……」
ココの言っていることは確かに正鵠を射ているように思えた。だが、だからといって、例えばユ●セフなんかが何もしないでいるっていうのは、何か違うんじゃないだろうか?
「だから、ユ●セフのしていることを否定しているつもりはない。むしろいいと思う。いいぞもっとやれー」
「それは野次だよ! 煽ってどうする!」
棒読みの野次というシュールなものに対して突っ込む俺の身にもなってほしいのだが。
「何が言いたいかって言うと、世界の富は有限だっていうこと。限られた物資を分け合わねばならないということ。物理的にも人間の心理的にも色々と無理だから、それが必ずしも平等である必要はない。別に人類皆平等を説きたかったわけじゃない」
「あ、違うの?」
今までのは全部前振りってことか。
「違う。全然違う。私が語りたいのは、人の幸せの在り様について」
……おや?
「さっきと言ってることが違うじゃねえか! さっきお前、世界の在り様について語ってるって——」
「ハジメ。頸動脈どこ」
「なんか理不尽!?」
なんて疲れる奴だ。話の流れが全然読めない。
「……人が『何かを得て』幸せになろうとする限り、その笑顔は必ず誰かの涙に拠っている。誰かが何かを失って、その人が何かを得ている。だって世界の物資は有限だから」
ココは一旦言葉を切り、アイスクリームを食べる手を止めた。
そしてまっすぐ俺の目を見据えて、言う。
「つまり罪深き恋人どもがいちゃこらとプレゼントを贈りあってきゃっきゃうふふしているのも、世界のどこかの誰かの涙に拠っているわけで——」
「いや今まとめにかかる流れだったじゃん‼ そんなんまっすぐ目を見て言うな‼ 何、お前、なんかカップルに恨みでもあんの!?」
「……問い返す。ハジメは、ないの?」
「ねぇよ‼ ……あ、ごめん、今の嘘」
つーか何つう例えだよ。やめろよ悲しくなるから。
俺はため息をひとつつき、話の流れを本筋に戻す。
「で? だから結局、ココは何が言いたいの」
問われてココは、アイスクリームを一掬い、そしてそれをゆっくり飲み込む。
そして何の脈絡もなくすっくと立ちあがると、俺を見下ろして言った。
「人の笑顔が誰かの涙に拠ってなきゃいけないなんておかしい。そんなの幸せの在り方が間違ってる。幸せがそういうふうに在る世界の在り様が、間違ってる。誰かの涙に拠らない笑顔が、絶対にある。その筈なの」
一息、
「私、創作者になる」
そう言ったココの顔は、何かを決意し、前を向いているようで——。
「……って。創作って、何するんだよ。言い切ってやったみたいなドヤ顔してるけど、若干話が飛躍しててよく分からないから」
「何をするかは決定していない。それは音楽かもしれないし、小説かもしれないし、美術かもしれない。手段は何でもいい。物資以外のもので、人の笑顔を——人の感情を、作りたい。創り出したい。それだけ」
「それだけ、ってなぁ……」
ココは簡単に言うが、それが結構難しいことを俺は知っている。人の感情を動かすには自分の感情をたくさん動かして、いつも心を潤しておかなきゃならない。それは気力も体力も要ることで、
何より感受性を豊かに持つ分——傷つくことも増えるのだ。
「簡単なことじゃない。それは百も承知。ハジメなんかに言われるまでもない。そんなの分かってる。ばーか」
「ばっ……!?」
「でも決めた。やるから。応援して」
彼女は腰を下ろす。その黒髪から香る匂い、そして窓の外に見える桜吹雪。
——何となく、ココの言いたいことが分かった気がした。
「だがココ。創作以外でも、人の心を動かす方法はいくらでもあるんだぜ。窓の外を見ろ。例えばあの桜吹雪にだって、心動かされる人は多いだろうよ。……結局、それは人の感じ方も問題なんだ。昔の文学作品を書いた人たちは、ちゃんと物資以外の物事で幸せを感じてるぜ?」
「ん……」
確かに、という顔をするココ。
「なら私は、どうすればいい?」
「決まってるだろ。現代人が物資ばっかりに幸せ感じてんのは、現代人の感受性が干からびてるからだ。ぱさぱさだからだ。眠ってるからだ。だからお前がすることは——」
びしっ、と彼女を指さして。
宣戦布告のように、俺は言う。
「現代人の感情の、目覚まし時計になること! だろっ!」
——一陣の風が吹いた。クリーム色のカーテンが舞い上がり、桜吹雪が部屋の中まで舞い込む。
彼女はその薄紅色を一片手に取り、それを見つめた後——顔をあげて、ふっと笑った。
「ハジメの表現、変なの」
「……はぁん!?」
今いい流れだったろうが!
「——でも、言いたいことは伝わった。ハジメの発した言葉で私の感受性が動いた。今のハジメは目覚まし時計だった。ありがとう。超感謝。さんきゅー」
「なんか恥ずかしいな……あんま目覚まし時計って言うなよ……」
「でもその表現はしっくりくる。言われてみればハジメはいつだって私の目覚まし時計だった。すごくしっくりくる。汎用すべき」
「許して‼」
彼女は「やだ」と笑い、再び立ち上がる。そしておもむろに、玄関を指さして「行くよ」と言った。
「行くって……どこにだよ」
「決まってる」
手を後ろに組んで、振り返る。
そして、こんな春の日に相応しい笑顔で——。
「——感受性を起こしに。ほら、行こう」
年度変わりということで晴れて高校生になったので、記念に書いてみた短編です。
ちなみに一時間ちょっとで書き上げた雑クオリティ。しかも友達とラインしながら書いたという適当さです。さらに年度変わりとか言って、十五分遅刻しました。もうダメです。ぐだぐだです。
高校は兼部ですが文芸部に入ろうと思っていますので、そんな創作への決意を新たにしつつ受験期に落ちまくった文章力のリハビリに励みます。そんな決意を込めて何となく書いた短編でした。