狸娘の恋
「な~な~登よ~」
「…なんだよ」
「暇じゃ。一緒にマ○オカートやろうぞ」
「忙しいんだ。昨日新しいエロゲ買ってやっただろう」
「もう全キャラ攻略したわい。CGも全部回収したしのぉ」
「1日でプレイ終わったのかよ!?10人も攻略キャラクターいたのに!?」
「たかが10人程度、儂にかかれば半日で堕とせるわい」
「こんなやつが氏神だって知ったら近所のじいさんばあさんたちショックで逝くぞ…」
豊満な胸をたゆんと揺らしながら自慢げに語る少女…ではなく正体は登の自宅の目と鼻の先にある神社に祭られている氏神であり1000年以上もの時を生きる化け狐『ムスビ』だ。
「とにかく俺は荷造りで忙しいんだ。黙ってこれでも食ってろ!」
登はポケットから袋に包まれたマカロンを取り出すとムスビの口へ強引に突っ込んだ。
「ふぃきぃふぁふぃふぁぃふぅりゅふぁ!」
「ふん」
怒りながらもマカロンの味を堪能するムスビを尻目に登は再び荷造りを再開した。旅行ケースの中に真新しい教科書や参考書などを淡々と詰め込んでいるとマカロンを食べ終えたムスビが登の背中越しから登の作業を寂しげな様子で見つめていた。
「…人間の成長は早いのう。お主と出会って早12年、儂にとっては夢幻のような時間じゃ」
「……」
登は子供の頃、よく一人で自宅の目の前にある聡明神社の境内を遊び場にしていた。
いじめられっこで遊ぶ相手がおらず、仕方なく神社を自分だけの遊び場として利用していたある日、いつものように遊んでいると不意に目の前に現れたのがムスビだった。
『お主、毎日一人で遊んでいて寂しくはないのか?良ければ私が遊び相手になろうぞ』
『…お姉ちゃん、だれ?』
『儂か?儂はムスビ、神であり、狸でもある』
『たぬき?すごーい!たぬきって変身できるってきいたことある!ヘラクレスオオカブトに変身して!』
『へ、へらくれす?』
『すっごくでかくてつよいんだよ!早く変身して!』
寂しそうにしているのでつい声をかけたが自身が神であり狐だという事を疑いもせずに信じた登に嬉しさを感じたムスビは登の遊び相手になり、そしていつしか登の家に住みついてしまったのである。両親は海外出張していて、家には登と父方の祖父母がいるのだが祖父母には妖術で「登の姉」という認識を刷り込んだ後、自分の姉として振る舞うようになった。
子供の頃からムスビは本当の姉…というか親のように接してくれたせいか、同居している祖父母よりもムスビに育てられた。といった感覚が強かった。最初はなぜここまで優しくしてくれるのか登は中学生の頃、疑問に思い聞いたら「儂が昔懸想しておった人間に似とるんじゃ。もしやお前はあやつの生まれ変わりかも知れんな」と言われた時に登の心の中で既に芽生えていたムスビへの恋愛感情が崩れ落ちそうになった。
いつからかは分からない。だが気づいた時にはムスビを親代わりとしてではなく異性として意識するようになってしまった。
俺はその男の代わりなのか?登はムスビに問いただしたかったがその言葉を飲み込んだ。それを言ったらもう今の親子のような関係が崩れてしまうと感じていたからだ。
それに相手は1000年以上を生きる神、対して人間の自分が生きれる年月はムスビからしてみれば刹那の如く。登はこれ以上ムスビと一緒にいると自分が先に死んだ時の悲しみが大きくなるのを防ぐため、距離を置くことを決めた。それが東京の大学に進学することだった。
高校を卒業してもう1か月。明日上京して次の日にはもう入学式があり登のキャンパスライフが始まる。ムスビと離れるのは辛いが仕方のないことだろう。
「本当に行ってしまうのかい?」
登を見つめるムスビは長い年月を生きた貫禄はなくひとりぼっちになってしまうという事実に震えている一人の女の子にしか見えない。
「…何回も聞くな、俺はここを出ていく。こんな田舎町で一生過ごす気はない」
「っ……そうかい」
本心とは全く真逆の言葉でムスビを突き放す言葉を言い放ち、ナイフが刺さったような鋭い痛みが登の胸に重くのしかかった。
「…荷造りも終わったしもう寝る。明日は始発で行かなきゃいけないからな」
登は荷物を部屋の隅に置き、ベッドの上に寝転がった。
「……おやすみ……」
ムスビはしばらく登に何かを言おうとしたが、諦めて名残惜しそうに部屋を後にした。
「忘れ物はないのかい?向こうでもしっかりがんばるんだよ」
「わかってるて、心配しすぎだって」
祖父母が不安そうに見守る中、靴紐を結び終わった登は旅行ケースを手に持った。
…結局あいつはいないな。
今朝目を覚ました後、最後くらいしっかりと挨拶をして別れたいと思い、普段自室としてムスビが使っていた部屋をノックしたが返事がなく、ドアを開けたら大量のエロゲソフトが積まれて足場もないだけでムスビの姿はどこにも無かった。家中探し回ったが結局ムスビはおらず、仕方なくそのまま出ていくことにした。
ムスビ自身、自身がいなくなる事実を信じたくなくて別れの挨拶は言わないつもりで姿を現さないのかそれとも新作のエロゲを買いに隣街まで行ったのか、後者ならあいつらしいなと少し心が和んだ。化け狐で女のくせに深夜アニメ好きでとあるアニメの原作がエロゲだと知ってプレイして以降、エロゲにハマってしまったどうしようもない狐娘だ。
「登、これを渡すのを忘れてたわい」
祖父は一旦茶の間に戻るとなにやら白い布に包まれたものを持ってきた。
「なにそれ?」
祖父は白い布を丁寧に捲っていくとやがてかなり年季の入ったボロボロのお守りが出てきた。表面には「無病息災」と書かれている。
「そういえばお前にはまだ見せていなのう。これは我が家に伝わる家宝じゃよ。儂の親父から聞いたんじゃが氏子の儂らのご先祖様が昔聡明神社の氏神様から授かったものらしい」
登にとっては初耳だった。ムスビはそんなことを一言も言っていなかった。
「でも俺にそんな大事な物渡していいのかよ?」
「お前が新天地でも元気でやっていけるようにこれを渡すんじゃよ。登、向こうでも頑張れよ」
「仕送りもちゃんとするわね。何か欲しい食べ物があったら遠慮なく言いなさいよ。すぐに送るから」
祖父母の言葉に登はこみ上げてくる涙をぐっと堪えた。ムスビは親のような存在だが、祖父母も自身を気遣ってくれる大切な家族だと改めて実感した。
「…ありがとう、じゃあ、行ってきます!」
お守りをポケットに入れて玄関の扉を開けた登はすぐに目に飛び込んでくる大きな朱色の鳥居を見つめた。
思えばムスビと出会って長い年月が経った。そう思うと様々な想い出が走馬灯のように蘇ってくる。
だが登は感傷に浸りそうになるのを慌てて振り払い、待たせてあるタクシーに乗り込んだ。最後くらい聡明神社にお参りしようと思ったがムスビへの想いが溢れかえって泣きそうになるからこのまま黙って行こうと決意した。
遠ざかっていく聡明神社の鳥居が曲がり角で見えなくなるまで登はじっと見つめていた。
駅に着き、ホームで時間を潰しているとやがて東京行きの新幹線が駅のホームに停車し、登は乗り込んで指定された席に座った。
やがて発車時刻になり登を乗せた新幹線がゆっくりと動き出す。
とうとうこの土地から離れて一人で暮らすんだという期待と不安が入り混じった複雑な思いで窓を見つめている。とうとうムスビに告白することはできなかったが、それでいい。このまま自分が何も言わず出ていくことでムスビには寂しい思いをさせるが自分の事を忘れてしまった方が悲しい思いをせずに済む。
「すみません、横、よろしいですか?」
不意に背中越しから女性の声が聞こえた。隣の席に荷物を置いているから座れないのだろう慌ててその女性に向かって謝罪の言葉を言おうとするが…
「え…えぇ!?」
そこには子供の頃から見慣れた少女の姿がそこにあった。勿論獣耳と尻尾はしっかりと隠している。
「ム、ム、ム、ムスビ!?」
「そんなに大声を出すでない、周りの者に迷惑じゃろう」
そう言いながら平然と登の隣の席に座るムスビは持っていたビニール袋からポテトチップを取り出すと美味しそうに頬張り始めた。
「な、なんでここにいるんだよ!?」
「なんでって、お主に付いていくからに決まっておるじゃろう」
当たり前な事を聞くな、と言いたげな顔をしているムスビに登は当然の疑問をぶつけた。
「氏神のお前がいなくなったらあの土地を守るやつがいなくなるじゃねーか!」
「安心せい、土地周辺に協力な結界を貼っておる。何か異常があればすぐに儂に分かるようになっているしすぐに駆けつけられるように用意しておる」
「いやでも…」
「そんなことより、お主…さっきから懐に儂の神力を感じるのじゃが何を持っている?」
「あ、そうだ!これお前が俺のご先祖様にあげたんだって?」
登はポケットから祖父から貰ったお守りを見せるとムスビは驚いたように目を見張りやがてくつくつと笑いだした。
「そのようなものがまだ残っていたのか…!これは驚いたぞ!」
「俺の家の家宝だってじいちゃんが言ってたけど、お前が俺のご先祖になんでこんなもん渡したんだよ」
「前に儂が話したじゃろう、儂が大昔に懸想した相手がおると。実はな、その相手がお主の先祖、六衛門じゃった。…まぁ話せば長くなるが、六衛門は真面目なやつでの、特にあやつの母が倒れた時には毎日儂の社にお参りに来よっての。貧乏のくせに銭や米を納めよった。儂はあやつの熱心さに惹かれての…じゃが儂は神であやつは人間、互いに相容れぬ存在じゃ。やがて六衛門が結婚した時に子宝に恵まれるように、儂自ら作ってあやつに渡したのがそれじゃ」
登は突然の話についていけず唖然としたままムスビを見つめていた。
「…儂は生まれてこのかた、恋なんぞしたのは六衛門が初めてじゃった。じゃが結局想いを伝えきれんかった……じゃから今度はしっかりと伝えようと思うとる」
ムスビは深く息を吸って吐くと青く澄みきった瞳で登を見つめて
「儂はそなたが好きじゃ、六衛門と似ているからじゃない、お主自身が好きなんじゃ。じゃから…儂と恋人になってくれぬか?」
「…………は?」
突然の昔話、突然の告白に完全に思考が停止してしまった登はなんとか今の状況を把握しようと脳をフル回転させた。
「その……俺の事好きって、ほんとなのか…?」
「……冗談で言うわけなかろう」
ムスビも告白して恥ずかしくなったのか頬を赤く染めて登から視線を逸らした。
登は今まで自分の想いを胸の内にしまいこんでいたことが急に馬鹿らしくなった。ムスビがこうして勇気を振り絞って告白したのなら自分もそれに答えるべきだろう。
「俺も、ムスビに伝えてなかったことがあるんだ。ムスビ、俺もお前の事が好きだ。大好きだ。だから俺と付き合ってください」
「……!うむ、分かった!これからは末永く宜しく頼むぞ…!」
ムスビはまぶたに涙を溜めながら笑顔で言うと登に抱きついた。
「…さて、晴れて儂らは夫婦になったわけじゃが結納と式はいつにする?もちろん式場は聡明神社じゃ」
「ちょ、ちょっと待て!飛躍しすぎだろ!?まずは互いを深く知り合ってからだな……」
「もう10年以上お主と一緒に暮らしてきたのじゃから今更そんなもの必要なかろう」
「いや確かにそうだけど!こういうのには段階があるんだよ!」
「昔は式の当日に初めて顔を合わして結婚したものもおるのに今の時代はなんとも不便じゃのう」
ムスビの恋愛観が今の時代からかなりかけ離れているのはなんとか修正しないといけないな…と心の中で思う登だった。
「あ、そうじゃ!儂の部屋に置いてある積みエロゲお主が住む家に送ってくれぬか?儂も住むことじゃし。もちろんお主が送料払ってくれ」
「一緒に住むのはいいけどエロゲは勘弁してくれ!大学で友達できても家に呼べねーよ!」
これから始まるキャンパスライフとムスビとの新しい関係に胸をときめかせる登だがエロゲの趣味だけはなんとか辞めさせようと決意する登だった。